IWAミッドサウスハードコア王座
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IWAミッドサウスハードコア王座︵アイダブリューエーみっどさうすはーどこあおうざ | IWA Mid-South Hardcore Championship ― アイダブリューエー・ミッド・サウス・ハードコア・チャンピオンシップ︶は、1999年の4月15日に創設され、2000年の3月4日に消滅するに至った、IWAミッドサウスの認定による王座の一である。[1]
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/da/2_Tuff_Tony.jpg/180px-2_Tuff_Tony.jpg)
その最多獲得者―かつ最終保持者となるに至った2・タフ・トニー
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/da/2_Tuff_Tony.jpg/180px-2_Tuff_Tony.jpg)
来歴[編集]
1999年―米国イリノイ州―﹃ヒューマン・レッキング・ボール﹄ことピート・マッデンを破ったマッドマン・ポンドがその初代王座を戴冠。それから2・タフ・トニーとの奪い合いがこの年いっぱいにわたり展開され、その末に2・タフ・トニーの手に渡ったまま2000年を迎えるに至る。[1] 2月9日―﹃ハウス・オブ・ハードコア﹄と題されたIWAミッドサウスの興行において、2・タフ・トニーの保持下にあったこの王座の防衛戦の相手となったのは、デリラー・スタアァという名の一人の女子プロレスラーであった。画鋲を用いたデスマッチであったこの一戦が、その挑戦者たるデリラー・スタアァの勝利によって終幕。[2] そしてそれからおおよそ1ヵ月後の3月4日―﹃ハウス・オブ・ハードコア﹄の続編の一としてこの日に催されるに至った﹃エクストリーム・ヘブン2000﹄という興行にあって、それまでこの王座を争ってきたマッドマン・ポンドと2・タフ・トニー、そしてこの王座を保持していたデリラー・スタアァという3名が同時にリングに上がり、そこで観客持参の凶器を用いたバトルロイヤル戦を展開。[2] この﹃最終戦﹄の覇者となったのは2・タフ・トニーであった。同時にヘビー級王座との統合が決定されるに至ったこの王座は、その最終保持者を2・タフ・トニーとし、この日をもって消滅した。[1]獲得史[編集]
獲得者 | 獲得回数 | 獲得日 | 獲得地 |
---|---|---|---|
マッドマン・ポンド | 1 | 1999年4月15日 | セイラム |
2・タフ・トニー | 1 | 1999年4月29日 | セイラム |
マッドマン・ポンド | 2 | 1999年5月14日 | テルシティ |
2・タフ・トニー | 2 | 1999年5月15日 | ブルーミントン |
デリラー・スタアァ | 1 | 2000年2月9日 | チャールズタウン |
2・タフ・トニー | 3 | 2000年3月4日 | チャールズタウン |