アイスランド
(一) ( [ 英 語 ] I c e l a n d ア イ ス ラ ン ド 語 で は Í s l a n d ﹁ 氷 の 国 ﹂ の 意 ) 大 西 洋 北 部 の 島 国 。 雪 と 氷 に お お わ れ 、 大 部 分 は 不 毛 の 地 。 九 世 紀 に ノ ル マ ン 人 が 発 見 し 、 九 世 紀 後 半 ノ ル ウ ェ ー 人 が 移 住 。 一 二 六 二 年 ノ ル ウ ェ ー に 合 併 。 一 三 八 〇 年 デ ン マ ー ク 領 。 一 九 四 四 年 ア イ ス ラ ン ド 共 和 国 が 成 立 。 首 都 レ イ キ ャ ビ ク 。
(一) [ 初 出 の 実 例 ] ﹁ ﹃ ハ ル ウ ﹄ 島 、 氷 州 ︿ ア イ ス ラ ン ド ﹀ 、 緑 州 ︿ グ リ イ ン ラ ン ド ﹀ の 三 地 ﹂ ( 出 典 ‥ 米 欧 回 覧 実 記 ︵ 1 8 7 7 ︶ 四 )
出典 精選版 日本国語大辞典 精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
アイスランド あいすらんど Republic of Iceland 英語 LýðveldiðÍsland アイスランド語
大 西 洋 の 北 部 、 ス カ ン ジ ナ ビ ア 半 島 の 西 方 に 位 置 す る 共 和 国 。 島 国 で あ る 。 正 称 は ア イ ス ラ ン ド 共 和 国 L ý ð v e l d i ð Í s l a n d 、 英 語 名 R e p u b l i c o f I c e l a n d 。 面 積 は 10 万 3 1 0 6 平 方 キ ロ メ ー ト ル で 北 海 道 と 四 国 を あ わ せ た ほ ど の 大 き さ で あ る 。 人 口 は 31 万 7 6 3 0 ︵ 2 0 1 0 セ ン サ ス ︶ で 、 人 口 密 度 は 低 い ︵ 1 平 方 キ ロ メ ー ト ル 当 り 3 . 1 人 ︶ 。 18 歳 以 上 の 約 8 割 が ル ー テ ル 派 の プ ロ テ ス タ ン ト で あ る 。 首 都 は レ イ キ ャ ビ ー ク ︵ レ イ キ ャ ヴ ィ ー ク ︶ 。 人 口 は 首 都 に 約 4 割 、 首 都 を 含 む 周 辺 の 7 市 に 全 人 口 の 約 3 分 の 2 が 集 中 し て い る 。 北 部 の 都 市 ア ー ク レ イ リ が 第 二 の 都 市 で あ る 。 生 活 水 準 、 教 育 水 準 は 高 い 。
観 光 の キ ャ ッ チ フ レ ー ズ で ﹁ 火 と 氷 の 島 ﹂ と 言 い 表 さ れ る よ う に 、 氷 河 と 火 山 と い う 異 質 の も の が 共 存 し 、 樹 木 ら し い 樹 木 は 育 た ず 、 特 異 な 景 観 を つ く っ て い る 。
公 用 語 は ア イ ス ラ ン ド 語 で あ る が 、 英 語 が か な り 通 じ る 。 ア イ ス ラ ン ド 語 は 北 ゲ ル マ ン 語 族 に 属 し 、 ノ ル ウ ェ ー 語 、 ス ウ ェ ー デ ン 語 、 デ ン マ ー ク 語 に 近 く 、 1 0 0 0 年 前 に は 同 一 言 語 で あ っ た 。 北 欧 神 話 や 散 文 文 学 サ ガ ︵ ア イ ス ラ ン ド ・ サ ガ 。 中 世 初 期 に 書 か れ た 物 語 群 ︶ が 書 か れ た 言 語 で あ る 。 島 国 で あ る こ と か ら も 、 言 語 変 化 が 比 較 的 少 な く 、 現 代 人 で も 古 典 文 学 を 読 む こ と が で き 、 そ の 内 容 を 理 解 で き る 。 ま た 、 言 語 学 者 に と っ て も 貴 重 な 研 究 資 料 で あ る 。
国 旗 は 、 青 地 に 十 字 が 左 に 寄 っ て い る い わ ゆ る ス カ ン ジ ナ ビ ア ・ ク ロ ス が 赤 と 白 で 描 か れ て い る 。 青 は 大 海 、 赤 は 火 、 白 は 氷 も し く は 雪 を 表 し て い る 。 1 9 1 5 年 に デ ン マ ー ク 領 ア イ ス ラ ン ド の 旗 と し て 制 定 さ れ た が 、 1 9 4 4 年 の 独 立 に 伴 い 、 改 め て ア イ ス ラ ン ド 共 和 国 の 国 旗 と し て 制 定 さ れ た 。 国 章 も 1 9 4 4 年 に 制 定 さ れ た も の で 、 国 旗 を 国 に 見 立 て て 、 国 の 4 地 域 の 伝 承 上 の 守 護 者 で あ る 雄 牛 、 鷲 ( わ し ) 、 竜 、 巨 人 が そ れ ぞ れ の 守 護 す る 部 分 に 位 置 し て い る も の で あ る 。
国 歌 L o f s ö n g u r ︵ ﹁ 賛 美 歌 ﹂ の 意 ︶ は 、 詞 マ ッ テ ィ ー ア ス ・ ヨ ク ム ソ ン 、 作 曲 ス ベ イ ン ビ ョ ル ン ・ ス ベ イ ン ビ ョ ル ン ソ ン に よ る が 、 内 容 が 宗 教 的 す ぎ る の で あ ま り 親 し ま れ て い な い 。
﹇ 大 塚 光 子 ﹈
ア イ ス ラ ン ド の 自 然 に お い て 、 も っ と も 大 き な 特 徴 は そ の 不 毛 性 と 美 し さ で あ ろ う 。 火 山 島 で あ り な が ら 国 土 の 11 % を 氷 河 が 占 め て お り 、 北 は 北 極 圏 に 接 し て い る 。 国 土 の 79 % は こ の 氷 河 、 湖 、 不 毛 の 溶 岩 地 帯 か ら な り 、 耕 作 可 能 な 土 地 は わ ず か に 1 % で 、 約 28 % が 羊 や 馬 な ど の 放 牧 地 と し て 用 い ら れ て い る 。 歴 史 的 に も 、 氷 河 の 下 の 火 山 が 噴 火 し て 氷 河 が 溶 け だ す ヨ ク ラ フ ラ ウ プ ︵ 走 る 氷 河 の 意 ︶ と い う 名 の 大 惨 事 を 繰 り 返 し て き た 。 ア イ ス ラ ン ド 最 大 の 氷 河 で あ る バ ハ ト ナ ︵ ヴ ァ ト ナ ︶ 氷 河 ︵ ヨ ク ル ︶ の 南 側 は 、 繰 り 返 さ れ る 噴 火 で サ ン ド ル ︵ 砂 漠 ︶ と い わ れ る 不 毛 の 地 が 広 が り 、 そ の な か を 方 向 が 一 定 し な い 川 が 無 数 に 流 れ て い る 。
2 0 1 0 年 4 月 14 日 の 噴 火 は 記 憶 に 新 し い 。 ア イ ス ラ ン ド 南 部 の エ イ ヤ フ ィ ヤ ト ラ 氷 河 下 の 火 山 が 噴 火 し 、 そ の 噴 煙 に 含 ま れ る 火 山 灰 が 航 空 機 の エ ン ジ ン に 影 響 を 及 ぼ す 可 能 性 が あ り 、 運 航 が 困 難 と な っ て ヨ ー ロ ッ パ 28 か 国 の 飛 行 場 が 閉 鎖 と な る な ど 麻 痺 ( ま ひ ) 状 態 と な っ た 。
地 質 学 的 に は 、 ア イ ス ラ ン ド は 北 ア メ リ カ プ レ ー ト と ユ ー ラ シ ア プ レ ー ト と の 境 界 に あ る 大 西 洋 中 央 海 嶺 上 に あ り 、 同 海 嶺 が 地 上 に 姿 を 表 し て い る 貴 重 な 場 所 で 、 海 嶺 頂 上 部 の 長 く 連 な る 谷 ︵ 割 れ 目 ︶ を 境 に 、 大 地 が 年 間 数 ミ リ メ ー ト ル ず つ 北 西 と 南 東 に 拡 張 し て い く 様 子 を 目 の 当 り に で き る 。 こ の 割 れ 目 は 通 称 ﹁ 地 球 の 割 れ 目 ﹂ と い わ れ 、 ア イ ス ラ ン ド で は ギ ャ ウ g j á と よ ば れ る 。 独 特 の 岩 肌 を 見 せ て お り 、 世 界 遺 産 の シ ン ク ベ ト リ ル ︵ シ ン グ ヴ ェ ト リ ル Þ i n g v e l l i r ︶ 一 帯 で よ く 観 察 で き る 。
ア イ ス ラ ン ド は 、 暖 流 の メ キ シ コ 湾 流 が 北 極 海 に 流 れ 込 む 通 り 道 に 当 た る の で 、 高 緯 度 ︵ 北 緯 63 ~ 66 度 ︶ に も か か わ ら ず 気 温 は 高 く 、 首 都 レ イ キ ャ ビ ー ク の 7 月 の 平 均 気 温 は 1 2 . 5 ℃ 、 1 月 は - 0 . 2 ℃ で 日 本 の 秋 田 の 冬 ︵ 平 均 気 温 - 0 . 7 ℃ ︶ と そ れ ほ ど 変 わ ら な い が 、 夏 で も 暖 房 が 必 要 な と き が あ る 。 暖 房 は 地 熱 を 利 用 し た も の が 多 く 、 レ イ キ ャ ビ ー ク は 世 界 で も 有 数 の 空 気 の き れ い な 都 市 で あ る 。 冬 の 気 温 は そ れ ほ ど 下 が ら な い が 風 雨 が 強 い 。 鳥 類 の 宝 庫 で あ る が 、 蛇 は 生 息 し な い 。 樹 木 は あ る が 、 森 林 と い う ほ ど の も の も 見 ら れ な い 。 こ れ は 、 冬 の 厳 し い 風 の た め に 樹 木 の 成 長 が 抑 制 さ れ 高 さ が 伸 び な い か ら で あ る 。
沿 岸 に は 、 多 数 の フ ィ ヨ ル ド ︵ 氷 河 の 浸 食 作 用 で つ く ら れ た 狭 い 入 り 江 や 湾 ︶ と 、 氷 河 が 削 っ た U 字 型 の 谷 が 見 ら れ る 。 有 名 な 火 山 に は ヘ ク ラ 、 カ ト ラ 、 ラ キ が あ る 。 ま た 、 北 欧 神 話 の 火 の 神 ス ル ト に ち な ん で 命 名 さ れ た ス ル ツ 島 ︵ ス ル ツ エ イ ︶ は 、 1 9 6 3 年 の 海 底 火 山 の 噴 火 に よ り 出 現 し た 島 で 、 2 0 0 8 年 に 世 界 遺 産 ︵ 自 然 遺 産 ︶ に 指 定 さ れ た 。 温 泉 も 多 く 、 い ま は 噴 出 を 休 止 し て い る 間 欠 泉 ゲ イ シ ル は 、 間 欠 泉 を 表 す 英 語 g e y s e r ︵ ガ イ ザ ー ︶ の 普 通 名 詞 の 語 源 と な っ た 。 ま た 、 ケ プ ラ ビ ー ク ︵ ケ フ ラ ヴ ィ ー ク ︶ 空 港 の 近 く に は 広 大 な 野 外 温 泉 ブ ル ー ラ グ ー ン が あ る 。 最 高 峰 は 南 西 部 の バ ハ ト ナ 氷 河 に あ る ク バ ン ナ ダ ー ル ス フ ニ ュ ー ク ル ︵ 海 抜 2 1 1 0 メ ー ト ル ︶ で あ る 。
﹇ 大 塚 光 子 ﹈
中 世 初 期 ま で 、 ア イ ス ラ ン ド は 無 人 島 で あ っ た 。 8 世 紀 ご ろ に 、 ア イ ル ラ ン ド の 修 道 士 が 隠 遁 ( い ん と ん ) 生 活 を し て い た と い う 形 跡 が あ る が 、 定 住 は い わ ゆ る バ イ キ ン グ 活 動 の 一 環 と し て 、 主 と し て ノ ル ウ ェ ー か ら 人 々 が 移 住 し た の に 始 ま る 。 伝 統 的 に 、 8 7 0 年 か ら 9 3 0 年 を ﹁ 植 民 の 時 代 ﹂ と す る 。 最 初 の 定 住 者 は イ ン ゴ ル フ ル ・ ア ル ト ナ ソ ン と さ れ る 。 彼 は 、 現 在 の 首 都 レ イ キ ャ ビ ー ク で 越 冬 し た と い う 。 ア イ ス ラ ン ド 人 に は 、 ゲ ル マ ン 系 だ け で な く ケ ル ト 系 の 血 も か な り 流 れ て お り 、 名 前 や そ の 外 見 に も 観 察 さ れ る が 、 植 民 者 が ス コ ッ ト ラ ン ド や ア イ ル ラ ン ド を 経 由 し 、 そ の 地 の 人 々 を 連 れ て き た こ と が お も な 原 因 と さ れ る 。 植 民 者 は ノ ル ウ ェ ー 王 に よ る 圧 政 を 嫌 い 、 自 由 と 独 立 を 求 め て 移 住 し た と 、 サ ガ に 語 ら れ て い る 。 9 3 0 年 に 発 足 し た 男 子 の 自 由 民 全 員 に よ る 議 会 ア ル シ ン ギ は 世 界 最 古 の 民 主 議 会 と さ れ 、 議 会 場 で あ っ た シ ン ク ベ ト リ ル ︵ 議 会 平 原 の 意 ︶ は 、 世 界 遺 産 ︵ 文 化 遺 産 ︶ に 指 定 さ れ て い る 。 ア ル シ ン ギ は 年 に 1 回 、 6 月 中 旬 に 全 島 か ら 人 々 が 集 ま っ て 開 催 さ れ た 。 立 法 権 と 司 法 権 を 持 っ た が 、 警 察 権 力 は 存 在 し な か っ た 。
9 8 5 年 に 赤 毛 の エ リ ッ ク ︵ エ イ リ ー ク ル ︶ が グ リ ー ン ラ ン ド を 発 見 し 、 以 後 、 ア イ ス ラ ン ド か ら の 植 民 も 行 わ れ た 。 9 9 2 年 に 、 エ リ ッ ク の 息 子 レ イ フ が 北 米 に わ た り 、 ビ ン ラ ン ド ︵ ヴ ィ ン ラ ン ド 。 葡 萄 ( ぶ ど う ) の 地 ︶ と よ ん だ 。 カ ナ ダ 東 部 で そ の 跡 地 が 発 見 さ れ 、 コ ロ ン ブ ス よ り 5 0 0 年 早 い 北 米 大 陸 発 見 と し て 、 1 9 3 0 年 に ア メ リ カ 合 衆 国 か ら レ イ フ の 立 像 が ア イ ス ラ ン ド に 贈 ら れ た 。 植 民 か ら 北 米 大 陸 発 見 、 ア イ ス ラ ン ド で の 政 治 や 裁 判 、 人 々 の 確 執 等 は 歴 史 学 的 な 信 憑 性 ( し ん ぴ ょ う せ い ) に 議 論 が あ る が 、 ア イ ス ラ ン ド ・ サ ガ に 詳 し い 。
初 期 植 民 者 の 多 く は 北 欧 神 話 の 神 々 を 信 仰 の 対 象 と し て い た が 、 ノ ル ウ ェ ー 王 に キ リ ス ト 教 へ の 改 宗 を 迫 ら れ 、 9 9 9 年 あ る い は 1 0 0 0 年 、 ア ル シ ン ギ に お い て 政 治 的 判 断 か ら キ リ ス ト 教 が 国 教 と 定 め ら れ 、 同 時 に ラ テ ン 文 字 も 導 入 さ れ た 。 9 3 0 年 か ら 約 3 0 0 年 間 は 、 古 共 和 国 の い わ ば ﹁ 黄 金 時 代 ﹂ と さ れ 、 文 芸 も 栄 え た 。
13 世 紀 に な る と ノ ル ウ ェ ー の 介 入 が 強 ま り 、 1 2 4 1 年 に は 偉 大 な 政 治 家 で 、 文 学 者 で も あ っ た ス ノ ッ リ ・ ス ト ゥ ル ル ソ ン ︵ 1 1 7 9 ― 1 2 4 1 ︶ が 暗 殺 さ れ 、 1 2 6 2 年 に は 事 実 上 ノ ル ウ ェ ー の 植 民 地 と な っ て 、 国 と し て の 活 力 を 失 っ た 。 14 世 紀 末 の カ ル マ ル 同 盟 に よ り 、 ノ ル ウ ェ ー と と も に デ ン マ ー ク の 支 配 下 に 入 っ た 。 以 後 、 ペ ス ト の 流 行 ︵ 1 4 0 2 、 1 4 9 4 、 1 7 0 7 ︶ な ど に よ り 、 国 は 荒 廃 し 、 文 化 的 に も 見 る べ き も の は な か っ た 。 19 世 紀 に 入 り 、 ヨ ゥ ン ・ シ グ ル ズ ソ ン ︵ 1 8 1 1 ― 1 8 7 9 ︶ が 中 心 と な っ て 独 立 運 動 を 展 開 、 1 8 7 4 年 に デ ン マ ー ク 支 配 下 で 憲 法 が 承 認 さ れ 、 自 治 法 が 制 定 さ れ た 。 1 9 1 8 年 、 デ ン マ ー ク と の 同 君 連 合 ︵ デ ン マ ー ク 君 主 下 の 自 治 領 ︶ と し て 独 立 を 得 た 。 1 9 4 4 年 に 同 君 連 合 を 解 消 。 大 統 領 を 選 出 し て 共 和 国 を 発 足 し 、 真 の 独 立 国 と し て 再 出 発 し た 。
第 二 次 世 界 大 戦 後 、 ア イ ス ラ ン ド は 早 く か ら の 政 治 的 成 熟 に 加 え 、 経 済 的 生 産 、 消 費 と も に 成 長 す る 近 代 的 な 福 祉 国 家 と な り 、 女 性 の 労 働 市 場 へ の 進 出 も 著 し か っ た 。 ま た 、 N A T O 加 盟 国 の な か で は 唯 一 自 国 の 軍 隊 を 持 た な い 国 で あ る こ と 、 1 9 8 0 年 に は 世 界 で 初 の 女 性 大 統 領 ヴ ィ グ デ ィ ス ・ フ ィ ン ボ ー ガ ド ッ テ ィ ル を 選 出 し た こ と 、 1 9 8 6 年 10 月 11 日 、 12 日 に 首 都 レ イ キ ャ ビ ー ク 郊 外 で ア メ リ カ 大 統 領 レ ー ガ ン と ソ 連 書 記 長 ゴ ル バ チ ョ フ の 会 談 が 行 わ れ 、 東 西 冷 戦 に 終 止 符 が 打 た れ る 舞 台 と な っ た こ と 、 1 9 9 0 年 、 1 9 9 1 年 の バ ル ト 三 国 ︵ エ ス ト ニ ア 、 ラ ト ビ ア 、 リ ト ア ニ ア ︶ の 独 立 に 際 し て は 世 界 に 先 駆 け て 承 認 す る 声 明 を 発 表 す る な ど 、 小 国 な が ら そ の 独 自 性 と リ ー ダ ー シ ッ プ を 発 揮 し て き て い る 。 さ ら に 環 境 問 題 に つ い て も 世 界 に 先 駆 け た 取 り 組 み が あ る 。
一 方 、 21 世 紀 の IT 時 代 に 世 界 と の 交 流 が よ り 緊 密 に な る な か で 、 ア イ ス ラ ン ド 経 済 も ヨ ー ロ ッ パ で の 新 し い 位 置 づ け を 迫 ら れ て お り 、 2 0 0 8 年 か ら 2 0 0 9 年 に か け て の 金 融 危 機 も そ う し た 状 況 の 一 つ の 表 れ で あ る 。 2 0 1 0 年 時 点 で は 、 ま だ 銀 行 シ ス テ ム の 回 復 に 苦 労 し て い る が 、 EU 加 盟 を め ざ し 、 国 内 外 に 向 け て 努 力 が 続 け ら れ て い る 。
﹇ 大 塚 光 子 ﹈
ア イ ス ラ ン ド は 議 会 制 共 和 国 で 、 政 治 シ ス テ ム は 議 院 内 閣 制 と 大 統 領 制 が 混 合 し た 独 特 の 形 態 を も ち 、 フ ィ ン ラ ン ド と と も に 二 元 的 議 会 制 と よ ば れ る こ と も あ る 。 ア イ ス ラ ン ド 憲 法 で は 大 統 領 に 大 き な 裁 量 権 ︵ 首 相 お よ び 閣 僚 の 任 命 、 条 約 の 締 結 、 議 会 で 可 決 さ れ た 法 案 へ の 署 名 、 法 案 は 大 統 領 の 署 名 を も っ て 成 立 ︶ が 与 え ら れ て お り 、 行 政 権 は 大 統 領 に 属 す る が 、 こ れ ら は 形 式 上 の 権 限 で 実 際 に 大 統 領 が 権 限 を 行 使 す る 余 地 は 小 さ く 、 基 本 的 に は 立 憲 君 主 国 に お け る 元 首 ︵ 国 王 ︶ が 果 た す 儀 礼 的 な 役 割 に 近 い 。 大 統 領 は 国 民 投 票 に よ る 直 接 選 挙 で 選 ば れ 、 任 期 は 4 年 。 多 選 を 禁 止 す る 規 定 は な い 。 2 0 1 7 年 6 月 時 点 で 、 大 統 領 は グ ド ゥ ニ ・ ト ル ラ シ ウ ス ・ ヨ ハ ネ ソ ン G u ð n i T h o r l a c i u s J ó h a n n e s s o n ︵ 1 9 6 8 ― 。 在 任 2 0 1 6 ~ ︶ 、 1 期 目 で あ る 。
立 法 府 で あ る 議 会 ア ル シ ン ギ の 歴 史 は 長 く 、 10 世 紀 に さ か の ぼ る 。 1 9 9 9 年 の 選 挙 法 に よ り 一 院 制 と な り 、 議 席 数 は 63 。 議 員 は 6 選 挙 区 か ら 選 出 さ れ 、 任 期 は 4 年 。 選 挙 は 18 歳 以 上 の 全 国 民 に よ る ︵ 選 挙 権 ・ 被 選 挙 権 は 18 歳 以 上 ︶ 。 2 0 1 7 年 6 月 時 点 で 首 相 は 独 立 党 の ビ ャ ル ニ ・ ベ ネ デ ィ ク ト ソ ン B j a r n i B e n e d i k t s s o n ︵ 1 9 7 0 ― 。 在 任 2 0 1 7 ~ ︶ で 、 独 立 党 、 改 革 党 、 明 る い 未 来 等 が 連 立 与 党 を 形 成 し て い る 。 首 相 は 行 政 府 首 長 で 、 内 閣 は 12 人 の 大 臣 で 構 成 さ れ る 。 地 方 行 政 は 26 行 政 区 と 78 の 地 方 自 治 体 で 構 成 さ れ て い る 。 司 法 は 最 高 裁 判 所 、 地 方 裁 判 所 、 特 別 院 か ら な る 。
ア ル シ ン ギ の 歴 史 に お い て 、 一 政 党 が 単 独 で 多 数 を 占 め た こ と が な く 、 他 の 北 欧 諸 国 と 同 じ よ う に 複 数 政 党 に よ る 連 立 ︵ 連 合 ︶ 政 府 が 続 い て い る 。 選 挙 ご と に 連 立 交 渉 が 行 わ れ 、 た と え ば 1 9 5 9 年 ~ 1 9 7 1 年 に は 右 派 の 独 立 党 と 左 派 の 社 会 民 主 党 と の 連 立 、 1 9 9 5 年 ~ 2 0 0 7 年 に は 独 立 党 と 中 道 的 な 農 民 政 党 で あ る 進 歩 党 と の 連 立 と い う 二 つ の 連 立 体 制 が 政 権 を 担 っ た 。 こ う し た 連 立 政 府 の 要 因 に は 、 政 治 的 な 左 派 と 右 派 の 境 界 が あ い ま い に な っ て き て い る と い う 事 情 も あ る が 、 さ ら に 新 た な 要 因 と し て 、 EU ︵ ヨ ー ロ ッ パ 連 合 ︶ と の 統 合 を 押 し 進 め よ う と す る 社 会 民 主 同 盟 、 進 歩 党 、 市 民 運 動 ︵ 2 0 0 9 発 足 ︶ に 対 し て 、 孤 立 的 な 道 を 選 ぶ 独 立 党 、 左 派 グ リ ー ン 運 動 ︵ 1 9 9 9 政 党 連 合 ・ 社 会 民 主 同 盟 結 成 を 拒 否 し て 発 足 ︶ と い う 対 立 図 式 が あ る 。 2 0 1 0 年 時 点 で 、 政 府 は ( 1 ) 防 衛 政 策 ︵ N A T O 加 盟 の 是 非 ︶ 、 ( 2 ) ヨ ー ロ ッ パ 統 合 ︵ EU 加 盟 の 是 非 ︶ 、 ( 3 ) 漁 業 制 限 拡 大 の 是 非 、 と い う 三 つ の 問 題 に 加 え 、 ( 4 ) 女 性 の 地 位 向 上 と い う 問 題 に も 直 面 し て い る 。
﹇ 塚 本 明 子 ﹈
非核・非武装国家を唱えるアイスランドは、130の強力な沿岸警備隊を除いては自衛軍隊をもたない。2006年まではアメリカ軍がケプラビーク軍事基地に駐屯して、北大西洋の監視にあたっていた。2006年9月以降、アメリカ軍の駐留はないが、NATOのメンバーとして現在も合意(加盟国のいずれかが攻撃された場合には共同して応戦すること)は有効である。1995年、バルト海沿岸諸国評議会 (CBSS)に加盟。漁業水域保全の観点から、2010年7月時点ではEU非加盟であるが、現政府は加盟を進めている。
[塚本明子]
19 世 紀 以 降 の 高 い 政 治 活 動 と 安 定 し た 民 主 主 義 と は 対 照 的 に 、 ア イ ス ラ ン ド は 経 済 的 に は 西 ヨ ー ロ ッ パ の 国 々 か ら か な り 立 ち 後 れ 、 停 滞 し て い た 。 歴 史 上 人 口 増 加 に 伴 う 過 度 な 食 糧 増 産 に よ っ て 地 方 の 土 壌 の 疲 弊 が 進 み 、 北 米 に 移 住 す る こ と が 唯 一 の 解 決 と 思 わ れ た 時 代 も あ っ て 、 1 8 7 0 年 か ら 1 9 1 4 年 の 間 に は 1 万 5 0 0 0 人 が 、 主 と し て カ ナ ダ に 移 住 し て い る 。 し か し 1 9 4 0 年 代 の ヨ ー ロ ッ パ 、 ア メ リ カ へ の 定 期 便 の 運 航 に よ り 諸 外 国 と の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン も す す み 、 経 済 活 動 が 活 発 に な っ た 。 1 9 9 0 年 代 に は 銀 行 も 市 場 も 国 際 的 な 投 資 家 の 注 目 を 集 め 、 国 際 資 本 の 投 資 対 象 と な っ た 。 21 世 紀 初 め の イ ン タ ー ネ ッ ト の 急 速 な 普 及 ︵ 2 0 0 6 年 に は ブ ロ ー ド バ ン ド の 普 及 率 世 界 一 ︶ に よ り ア イ ス ラ ン ド は こ れ ま で に な い ほ ど 緊 密 に 世 界 と 結 び つ き 、 投 資 拡 大 の 流 れ を 加 速 さ せ た が 、 そ の 一 方 で 比 較 的 孤 立 し 安 定 し て い た 経 済 は 構 造 的 に 急 激 な 変 化 を 被 る こ と に な る 。 2 0 0 6 年 か ら 始 ま っ た 信 用 危 機 ︵ C r e d i t C r u n c h ︶ は 瞬 ( ま た た ) く 間 に 世 界 に 伝 わ り 、 資 本 の 流 れ が 変 わ っ て 外 国 投 資 家 が 逃 げ 、 自 己 資 本 不 足 の 銀 行 が 危 機 に 陥 り 、 通 貨 が 下 落 し 、 急 激 な イ ン フ レ と な っ て 国 家 的 な 経 済 危 機 に 陥 っ た 。 こ れ が 金 融 危 機 で あ る 。
﹇ 塚 本 明 子 ﹈
経 済 が 小 規 模 な 上 に 多 角 化 が 進 ん で い な い た め 、 ア イ ス ラ ン ド は 消 費 と 産 業 に 関 し て は 輸 入 に 依 存 す る と こ ろ が 大 き か っ た 。 お も な 輸 出 品 目 は ア ル ミ ニ ウ ム と 水 産 物 で あ る 。 歴 史 的 に タ ラ や ニ シ ン の 漁 業 に 頼 っ て き た が 、 2 0 0 8 年 に ア ル ミ ニ ウ ム の 輸 出 が 初 め て 水 産 物 の 輸 出 を 超 え た 。 観 光 業 が 第 三 の 外 貨 獲 得 の 道 で あ る 。 そ の ほ か に は ケ イ 素 鉄 合 金 類 、 漁 業 装 具 、 漁 業 用 電 機 器 具 、 薬 剤 な ど の 輸 出 が あ る 。 ア イ ス ラ ン ド の 輸 出 の 大 部 分 は EU お よ び E F T A ︵ ヨ ー ロ ッ パ 自 由 貿 易 連 合 、 ア イ ス ラ ン ド 、 ノ ル ウ ェ ー 、 ス イ ス 、 リ ヒ テ ン シ ュ タ イ ン ︶ 域 内 向 け で 、 こ れ に ア メ リ カ 、 日 本 が 続 く 。 こ れ ま で 、 ア イ ス ラ ン ド へ の 第 一 の 投 資 国 は ア メ リ カ で 、 投 資 対 象 は 主 と し て ア ル ミ ニ ウ ム 関 係 部 門 で あ る 。
ア イ ス ラ ン ド は 1 9 7 0 年 に E F T A の 正 規 の メ ン バ ー と な り 1 9 7 3 年 に EC ︵ ヨ ー ロ ッ パ 共 同 体 ︶ と の 自 由 貿 易 協 定 を 結 ん だ 。 1 9 9 4 年 に 発 効 さ れ た 合 意 に よ っ て 、 基 本 的 に は EU 、 E F T A 諸 国 と 自 由 に 資 本 、 労 働 商 品 サ ー ビ ス を 移 動 ・ 交 換 で き る 。 し か し 2 0 0 8 年 の 金 融 危 機 以 後 は 通 貨 ク ロ ー ナ の 安 定 と 強 化 の た め に 外 国 為 替 法 に 基 づ き 、 中 央 銀 行 に よ っ て 資 本 の 移 動 が 一 次 的 に 規 制 さ れ て い る 。 2 0 0 9 年 、 中 央 銀 行 は こ の 制 限 の 解 除 案 を 発 表 し 、 11 月 に は 新 し い 投 資 の た め の 外 貨 と そ の 外 貨 に か え た ク ロ ー ナ の 流 通 を 許 可 し た 。 市 場 状 況 に 応 じ て 新 た な 方 策 が と ら れ 、 経 済 状 況 は 少 し ず つ 好 転 し て い る 。
﹇ 塚 本 明 子 ﹈
1 9 9 0 年 代 な か ば に 他 国 と の 資 本 移 動 が ほ ぼ 完 全 に 開 放 さ れ た こ と で 、 ア イ ス ラ ン ド 経 済 は グ ロ ー バ ル な 信 託 市 場 の 変 動 に さ ら さ れ る こ と に な っ た が 、 経 済 改 革 、 規 制 緩 和 、 低 イ ン フ レ 率 、 低 失 業 率 な ど の 要 因 に よ っ て 急 成 長 を 続 け た 。 し か し 2 0 0 6 年 春 、 信 用 機 関 な ど 国 際 的 な 金 融 機 関 が ア イ ス ラ ン ド の 主 要 銀 行 の 海 外 進 出 に よ る 債 務 拡 大 と そ の 安 定 性 に 疑 義 を 抱 い た こ と か ら 危 機 が 始 ま っ た 。 翌 2 0 0 7 年 、 金 融 部 門 は 世 界 的 な 信 用 危 機 に よ っ て 大 き な 打 撃 を 受 け た 。 ア イ ス ラ ン ド 諸 銀 行 も 資 本 不 足 の 影 響 を 受 け て 2 0 0 8 年 前 半 期 か ら ク ロ ー ナ 価 が 落 ち 始 め 、 イ ン フ レ ー シ ョ ン 率 は 12 % に 上 っ た 。 問 題 は ア イ ス ラ ン ド 諸 銀 行 が グ ロ ー バ ル 市 場 で の 外 貨 に よ る 資 金 調 達 を 得 ら れ ず 、 債 権 者 で あ る ア イ ス ラ ン ド 中 央 銀 行 に 頼 る し か す べ が な か っ た と い う 事 情 で あ る 。 経 常 収 支 の 赤 字 は 国 内 総 生 産 ︵ G D P ︶ 比 15 ~ 16 % に 達 し 、 対 ド ル 為 替 レ ー ト は 62 ク ロ ー ナ か ら 1 1 8 ク ロ ー ナ に 落 ち 込 ん だ 。 高 金 利 を 背 景 に 過 大 評 価 さ れ た 為 替 レ ー ト に よ る ク ロ ー ナ 建 て の 債 券 が 国 際 的 な 投 機 の 対 象 と な っ て き て い た が 、 そ れ ら の 債 券 が 2 0 0 8 年 に 満 期 を 迎 え る に 伴 い 、 通 貨 の 下 落 を 引 き 起 こ し た の で あ る 。
銀 行 が 抱 え る 債 務 は G D P の 10 倍 に 達 し た と 予 測 さ れ 、 ア イ ス ラ ン ド 政 府 は 大 手 銀 行 3 行 を 国 有 化 し 外 貨 取 引 を 中 止 、 11 月 に は I M F ︵ 国 際 通 貨 基 金 ︶ か ら 50 億 ド ル の 融 資 ︵ こ の な か に は 北 欧 お よ び そ の 他 の 国 の 二 国 間 ロ ー ン が 入 っ て い る ︶ を 受 け る こ と に な っ た 。 2 0 0 9 年 1 月 の 内 閣 総 辞 職 後 、 暫 定 政 府 に よ っ て 中 央 銀 行 、 F S A ︵ ア イ ス ラ ン ド 金 融 サ ー ビ ス 機 構 ︶ の 幹 部 交 替 が 行 わ れ た 。 2 0 0 8 年 末 の 失 業 率 は 18 % 、 通 貨 価 格 ︵ ク ロ ー ナ 価 ︶ は 90 % の 下 落 。 2 0 0 9 年 10 月 の イ ン フ レ ー シ ョ ン 率 ︵ 物 価 上 昇 率 ︶ は 9 . 7 % で 、 ク ロ ー ナ 価 は 回 復 し て お ら ず 、 外 国 資 本 へ の ア ク セ ス は 限 ら れ て い た が 、 そ の 後 回 復 の 兆 し も み え つ つ あ る 。 2 0 1 0 年 4 月 に 第 2 回 目 の 同 意 書 が ワ シ ン ト ン の I M F 本 部 に 送 ら れ 、 2 0 1 1 年 8 月 ま で の I M F 融 資 期 限 の 延 期 が 認 め ら れ た 。
﹇ 塚 本 明 子 ﹈
山 積 す る 問 題 は あ る も の の 、 長 期 的 な 展 望 は 明 る い 。 ア イ ス ラ ン ド は 豊 富 な 水 力 と 地 熱 エ ネ ル ギ ー 、 畜 産 業 ︵ 羊 、 牛 、 ミ ン ク な ど ︶ の ほ か に 、 と く に 沿 岸 が 暖 流 と 寒 流 の 合 流 点 に あ た る こ と も あ っ て ニ シ ン 、 タ ラ 、 シ シ ャ モ な ど の 漁 業 資 源 が 豊 か で あ り 、 水 産 物 、 水 産 加 工 品 が 産 業 の 中 心 的 な 役 割 を 占 め て き た 。 ま た 鉱 物 と し て は 珪 藻 土 ( け い そ う ど ) 、 製 造 業 は 保 存 加 工 魚 を 中 心 と し た 食 品 、 飲 料 、 セ メ ン ト 、 レ ン ガ 、 陶 磁 器 、 金 属 加 工 品 な ど が あ る 。 工 業 部 門 で は 水 力 発 電 、 窒 素 肥 料 、 ア ル ミ ニ ウ ム な ど が あ る 。
﹇ 塚 本 明 子 ﹈
ア イ ス ラ ン ド と そ の 繁 栄 に と っ て 漁 業 お よ び 漁 場 の 確 保 、 資 源 保 全 は 死 活 問 題 で 、 20 世 紀 後 半 に は 漁 業 専 管 水 域 を 繰 り 返 し 拡 大 し て き た 。 タ ラ 戦 争 c o d w a r と は 、 1 9 5 8 年 か ら 1 9 7 6 年 に か け て 起 き た ア イ ス ラ ン ド と お も に イ ギ リ ス と の 間 の 領 海 を 巡 る 一 連 の 紛 争 の こ と で あ る 。 最 終 的 に は イ ギ リ ス が ア イ ス ラ ン ド に 対 し て 大 幅 な 妥 協 を し 、 タ ラ 戦 争 は ア イ ス ラ ン ド の 勝 利 で 終 結 し た こ と に な る が 、 そ の 要 因 と し て は 、 東 西 冷 戦 下 で ア イ ス ラ ン ド が ア メ リ カ の ワ シ ン ト ン D . C . と ソ 連 の モ ス ク ワ を 結 ぶ 最 短 直 線 経 路 の 真 下 に あ る 軍 事 的 最 重 要 地 点 で あ り 、 イ ギ リ ス を 含 む 西 側 諸 国 の ソ 連 に 対 す る 防 衛 拠 点 の N A T O ︵ 北 大 西 洋 条 約 機 構 ︶ 軍 事 基 地 が ア イ ス ラ ン ド の ケ プ ラ ビ ー ク に あ っ た こ と 、 ま た 国 際 的 な 慣 習 と し て 2 0 0 海 里 の 排 他 的 経 済 水 域 が 認 め ら れ 始 め て い た こ と な ど が あ る 。
﹇ 塚 本 明 子 ﹈
アイスランドと日本を含む少数の捕鯨国と、これに対抗する反捕鯨国との鯨の捕獲をめぐる議論と闘争がある。1989年以降アイスランドは捕鯨活動を中止していたが、ふたたび捕鯨活動を開始に向けて動き始め、1992年にIWC(国際捕鯨委員会)を脱会した。その後、2001年6月に国際捕鯨取締条約(ICRW)に再加盟したが、2003年に調査捕鯨、2006年に商業捕鯨再開を宣言した。2009年10月のIWC特別委員会でアイスランドは正式加盟国として受け入れられたが、商業捕鯨モラトリアムに対する留保権をめぐって議論が絶えず、2010年時点でも、その加盟資格を認めようとしない国もある。
[塚本明子]
農畜産業は昔から自給的産業として営まれてきた。おもな農産品はジャガイモ、大麦、トマト、カブ、人参、乾草などで輸出は少なく、穀物、青果などを輸入している。畜産業では羊、牛、酪農製品、ミンク(3万頭)の毛皮などを輸出している。馬、豚、家禽(かきん)はどれも自給用である。養殖魚加工品、地熱・泉熱(温泉熱)を利用して栽培したトマト、キュウリ、生花などを含めた農畜産物の輸出総額は20億5000万クローナだが、決して多くはない。
[塚本明子]
工業面ではアイスランド特有の自然資源や豊富な電力を使うなど独創的なものがある。国内自給産品の製造を担う工業には、電力を利用して農業生産力向上を図る首都近郊グブネースの化学肥料工場、石灰石のかわりに海底の貝殻を使って土木建築用セメントの自給を目ざすセメント工場、ミー湖底に無尽蔵にある珪藻土を輸出産品に仕上げる珪藻土精製工場などがあり、首都南西部のストロイムスビークにあるアルミ電気精練工場やアクラネース東方グルンダルタンギのケイ素鉄電気炉工場もともに輸出用である。
[塚本明子]
エネルギー資源は豊富である。利用可能な水力エネルギーは6ギガワットと評価され、地熱エネルギーは150万ギガワットといわれるが、まだ河川からの水力は8分の1程度しか使われていないという。地球温暖化ガスの発生と輸入石油依存をなくすため、2000年代初めから水素エネルギーを基礎においた社会(「水素エネルギー社会」hydrogen-based society)の可能性を探るプロジェクトが進められている。火力・原子力発電所はない。
[塚本明子]
国内に鉄道はなく、乗用車、トラック、バスおよび沿岸航路の船舶がおもな交通手段である。ケプラビーク空港には外国機、アイスランド機などの国際路線の利用が多いが、6社20路線ほどある国内航空路の利用も多く国内飛行場も10あまりが整備され、チャーター便が自由に使えるのがこの国の特色である。
[塚本明子]
2005年のアイスランドのHDI指数(Human Development Index)すなわち寿命、知識、生活水準の指数は世界第1位であった。そこからも読み取れるように教育水準は高く、近代的福祉国家であり、産業別組合の伝統も長い。生活協同組合の活動が活発で、1882年ごろからおもに民間の資本と労力により衣食住各面の生産、商業高校の経営から海岸や山中での救難活動までを行っている。
[塚本明子]
アイスランドはヨーロッパでも人口密度が1平方キロメートル当り3.1人と小さく、国土の5分の4は非居住地で、人口は沿岸地域および国の南西に集中している。平均寿命は男子が79.6歳で世界一、女子が83.0歳(2008)。2010年の人口は31万7630人で、外国人居住者はポーランド人、リトアニア人、ドイツ人、デンマーク人、ポルトガル人、フィリピン人などである(2008)。
[塚本明子]
小学校、中学校に相当する6~16歳までの義務教育は無償である。幼稚園および義務教育の責任は地方自治体にあるが、教育内容は教育科学文化省の作成する国民カリキュラム指導要綱に従っている。高校以上の中・高等教育は国家の責任においてなされており、国公立は大学まで授業料無償。成人の識字率は99%以上である。
[塚本明子]
信教の自由はアルシンギで保証されており、2008年時点で全人口の79.1%がアイスランドルーテル教会Þjóðkirkja Íslandsに属している。残りのうち2.5%がルーテル自由教会。8.5%が第一バプティスト教会、ペンテコステ派や独立派のプロテスタント諸派、ローマカトリック教会、イスラム教、仏教、バハイ信仰(19世紀にイランで生まれた新宗教で、イスラム教シーア派に起源をもつ)などそのほかの正規に認められた宗教組織に属している。そして7.1%が正式認知を受けていないその他の宗教団体(ユダヤ教など)にあたる。2.8%はとくにどの宗派にも属していない。
[塚本明子]
2007年の医療従事者数は、医師1万1578人、看護士2729人、薬剤師327人、歯科医師294人となっている。アイスランド人1人当りの年間アルコール消費量は53リットル(2007)で、ヨーロッパでも最低国の一つである。2007年、アイスランドはGDPの7.6%を医療に支出している。
社会保障は、(1)健康保険、年金制度、障害保険を含む社会保険法、(2)失業保険法、(3)生活保険法、(4)税法、(5)リハビリテーション法、(6)青少年法の六つの法律によって確立されている。国民保険は国民全体をカバーし、6か月以上の居住者であれば国籍を問わない。年金制度は公的年金と90の私的保険資金からなる。社会補償制度によって年収にかかわりなく老齢年金と生涯年金の額は定額である。年金額は賃金と市場によって変わるが、公的年金についてはアイスランドに40年間居住していた者は全額受け取ることができる。そのほかは期間と年齢によって変化する。
[塚本明子]
中 世 初 期 に 書 か れ た 散 文 の 物 語 群 サ ガ が 、 ア イ ス ラ ン ド の 文 化 的 な 達 成 と し て も っ と も よ く 知 ら れ て い る 。 ま た 、 同 時 期 に ス カ ル ド 詩 と よ ば れ る 非 常 に 技 巧 的 な 詩 が 書 か れ 、 詩 人 の 名 前 も 残 っ て い る が 、 現 代 人 に と っ て は 難 解 す ぎ て 、 鑑 賞 の 対 象 に は ほ と ん ど な ら な い 。 北 欧 神 話 ﹃ エ ッ ダ ﹄ を 文 書 の 形 で 伝 え た の も ア イ ス ラ ン ド だ け で あ る こ と を 忘 れ て は な ら な い 。 ま た 、 個 々 の 植 民 者 の 名 前 と 植 民 し た 土 地 、 簡 単 な エ ピ ソ ー ド を も 交 え た 特 異 な 書 物 ﹃ 植 民 の 書 ﹄ も 残 っ て い る 。
13 世 紀 に ノ ル ウ ェ ー の 介 入 に よ っ て 独 立 を 失 っ た の ち は 、 創 作 活 動 は 衰 え る が 、 そ の 間 も サ ガ の 写 本 が 多 数 書 か れ 、 読 書 は 国 民 の 長 い 冬 の 間 の 楽 し み で あ り 、 ま た 心 の 支 え と な っ て い た こ と が う か が え る 。 上 記 の ﹃ エ ッ ダ ﹄ や 諸 サ ガ の 貴 重 な 古 写 本 は 、 北 方 ル ネ ッ サ ン ス の 時 期 に ア イ ス ラ ン ド か ら デ ン マ ー ク に 持 ち 出 さ れ た が 、 1 9 7 1 年 以 後 、 徐 々 に ア イ ス ラ ン ド に 返 還 さ れ た 。 独 立 運 動 と と も に 文 学 活 動 も 復 活 し 、 ﹃ 独 立 の 民 ﹄ を 書 い た ハ ル ド ゥ ル ・ ラ ク ス ネ ス ︵ 1 9 0 2 ― 1 9 9 8 ︶ が 1 9 5 5 年 に 同 国 で は 初 め て ノ ー ベ ル 文 学 賞 を 得 て い る 。
長 い 冬 の 夜 の 楽 し み と し て の 読 書 の 伝 統 は 中 世 か ら 続 く も の で 、 書 店 も 多 く 、 書 籍 出 版 数 の 人 口 比 は 世 界 で も 高 い ︵ 1 6 3 7 冊 。 2 0 0 8 ︶ 。 新 聞 は 1 5 7 紙 ︵ う ち 日 刊 5 紙 。 2 0 0 7 ︶ 。 も う 一 つ の 伝 統 的 な 冬 の 娯 楽 は チ ェ ス で 、 レ ベ ル も 高 い 。 音 楽 で は シ ン ガ ー ソ ン グ ラ イ タ ー の ビ ョ ル ク ︵ ビ ヨ ー ク ︶ 、 新 し い 音 楽 の 試 み を 続 け る グ ル ー プ 、 シ グ ル ・ ロ ス が 世 界 的 に 活 躍 し て い る 。
ア イ ス ラ ン ド で は 、 例 外 は あ る が 伝 統 的 な 名 前 を 守 り 続 け て い る 。 ほ か の 国 々 で は 名 前 に 姓 ︵ 苗 字 ︶ が 採 用 さ れ て い る が 、 ア イ ス ラ ン ド で は い ま も ﹁ ~ の 息 子 の 何 々 ﹂ ﹁ ~ の 娘 の 何 々 ﹂ と い う 独 特 の 名 前 の つ け 方 を と り 続 け て い る 。 男 子 の 場 合 に は 自 分 の 名 前 に 続 け て 父 親 の 名 前 の 後 に 息 子 を 意 味 す る - s o n ︵ ソ ン ︶ を つ け 、 女 子 の 場 合 に は 自 分 の 名 前 に 続 け て 父 親 の 名 前 の 後 に 娘 を 意 味 す る - d ó t t i r ︵ ド ッ テ ィ ル ︶ を つ け る 。 た と え ば 、 父 親 の 名 前 が ヨ ウ ン ︵ J ó n ︶ で 、 息 子 の 名 前 が ヨ ハ ン の 場 合 に は ヨ ハ ン ・ ヨ ウ ン ス ソ ン ︵ J ó n s s o n ︶ と な り 、 娘 の 名 前 が ヨ ハ ン ナ の 場 合 に は ヨ ハ ン ナ ・ ヨ ウ ン ス ド ッ テ ィ ル ︵ J ó n s d ó t t i r ︶ と な る 。 代 々 続 く 姓 が な く 、 女 子 の 姓 名 は 結 婚 し て も 変 わ ら な い 。
﹇ 大 塚 光 子 ﹈
1956年(昭和31)に外交関係を開始して以来、順調に発展している。2001年(平成13)に両国がともに大使館を開設した。アイスランド大学には、2003年以来日本語コースが開設され、2008年には44名、2009年には63名と毎年かなりの数の受講生がいる。アイスランドから日本への留学生も2007年には2名、2008年には5名と人口比にすると多い。日本からアイスランドへの留学生はそれに比して少なく、1年に1人程度である。在アイスランド邦人は86人(2008)、在日アイスランド人は49人(2007)である。
日本は、アイスランドにとって主要な貿易相手国であり、水産物が対日本輸出の約9割を占める。ハリバット(かれい類)やシシャモが多い。日本からは自動車の輸出が多く、対アイスランド輸出の7割を超える(いずれも2008)。文化交流も比較的盛んで、2001年には日本でアイスランド・フェアを開催。2005年の愛・地球博には北欧5か国と共同参加、2006年にはレイキャビークで外交関係50周年を祝って日本の能や現代舞踊が上演された。政府の要人も、ほぼ定期的に往来がある。
[大塚光子]
『山室静著『アイスランド――歴史と文学』(1963・紀伊國屋書店)』 ▽『藤岡謙二郎編『世界地誌ゼミナール4 ヨーロッパ』(1973・大明堂)』 ▽『谷口幸男訳『エッダ 古代北欧歌謡集』(1973・新潮社)』 ▽『木内信藏編『世界地理6 ヨーロッパⅠ』(1979・朝倉書店)』 ▽『谷口幸男訳『アイスランド サガ』(1979・新潮社)』 ▽『浅井辰郎・森田貞雄著『アイスランド地名小辞典付カナ表記大判地図』(1980・帝国書院)』 ▽『アイスランド中央銀行編『Iceland 1986』』 ▽『アイスランド統計局編『1996.Statistical Yearbook of Iceland.』』 ▽『メアリー・ロジャース著、後藤安彦訳『アイスランド 目で見る世界の国々43』(1996・国土社)』 ▽『グンナー・カールソン著、岡沢憲芙監訳、小林宏美訳『アイスランド小史』(2002・早稲田大学出版部)』 ▽『オフロ・ペタション著、岡沢憲芙監訳、斉藤弥生、木下淑恵訳『北欧の政治 新装版』(2003・早稲田大学出版部)』 ▽『清水誠著『北欧アイスランド文学の歩み』(2009・現代図書)』 ▽『アンドリ・S.マグナソン著、森内薫訳『よみがえれ! 夢の国アイスランド』(2009・日本放送出版協会)』 ▽『アイスランド政府観光局編『アイスランドトラベルガイド』(毎年刊行)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) 日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
アイスランド Iceland
目次 自然 政治,経済 文化 歴史
基 本 情 報
正 式 名 称 = ア イ ス ラ ン ド 共 和 国 L ý ð v e l d i ð Í s l a n d
面 積 = 1 0 万 3 0 0 0 k m 2
人 口 ︵ 2 0 1 0 ︶ = 3 2 万 人
首 都 = レ イ キ ャ ビ ー ク R e y k j a v í k ︵ 日 本 と の 時 差 = - 9 時 間 ︶
主 要 言 語 = ア イ ス ラ ン ド 語
通 貨 = ク ロ ウ ナ K r ó n a
大 西 洋 北 部 に あ る 共 和 国 。 北 側 が 北 極 圏 に 接 す る 火 山 島 で , 面 積 は 北 海 道 の 1 . 2 4 倍 で あ る 。
自 然
島 は 大 西 洋 中 央 海 嶺 が 珍 し く 海 面 上 に 現 れ た も の で , 中 央 構 造 帯 に は 溶 岩 を 出 す 割 れ 目 ︵ ギ ャ ウ g j á ︶ , 火 山 , 噴 気 , 温 泉 , 地 震 な ど が 多 く , こ れ を 境 に 東 ・ 西 の 土 地 は 年 平 均 約 1 c m ず つ 離 れ て お り , 海 洋 底 拡 大 説 の 標 式 地 で あ る 。 1 9 7 3 年 1 月 南 沖 の ヘ イ マ エ イ 島 東 部 に 夜 半 突 如 と し て 北 東 ~ 南 西 方 向 の 割 れ 目 が 生 じ , 噴 石 つ い で 溶 岩 が 流 れ 出 し た た め , 住 民 5 2 0 0 人 が 一 時 本 土 に 避 難 し た 。 81 年 2 月 に は 北 部 の ギ ャ ゥ ス テ ィ ッ キ で た く さ ん の 割 れ 目 か ら 溶 岩 が 流 れ 出 し た 。 い ず れ も 同 学 説 を 裏 づ け る 。 温 泉 は 首 都 レ イ キ ャ ビ ー ク を は じ め 各 地 で 家 庭 の 暖 房 ・ 洗 濯 ・ 浴 用 に 使 わ れ , 全 国 の 石 油 輸 入 を 年 30 万 t 以 上 節 減 し て い る 。 首 都 の 月 平 均 気 温 は 1 月 - 0 . 4 ℃ , 7 月 1 1 . 2 ℃ で , こ こ の 1 年 の 気 温 は 秋 田 の 1 月 ~ 4 月 半 ば の 気 温 に 等 し く , 夏 で も 暖 房 を 要 す る 。 年 中 ア イ ス ラ ン ド 低 気 圧 が 近 く に あ る た め , 降 水 日 数 2 1 5 日 , 降 水 量 8 0 5 m m 。 こ の た め 国 土 の 1 1 . 5 % を 氷 河 が 占 め , そ の 最 大 は 8 4 0 0 k m 2 の バ ト ナ 氷 河 で あ る 。
樹 木 は カ バ , ヤ ナ ギ , ナ ナ カ マ ド の 類 な ど で , 花 は 4 0 0 種 , 鳥 2 0 0 種 。 南 ・ 西 海 岸 に は 北 大 西 洋 暖 流 の 分 枝 が , 北 ・ 東 海 岸 に は 東 グ リ ー ン ラ ン ド 寒 流 の 分 枝 が 流 れ , 周 辺 に は 大 陸 棚 が 広 が る の で , キ ャ ペ リ ン ︵ カ ラ フ ト シ シ ャ モ ︶ , タ ラ , カ サ ゴ , カ レ イ , エ ビ な ど が 多 い が , 近 年 ニ シ ン は 激 減 し た 。
執 筆 者 ‥ 浅 井 辰 郎
政 治 , 経 済
1 9 4 4 年 の 共 和 国 独 立 以 来 ア イ ス ラ ン ド は 三 権 分 立 , 議 院 内 閣 制 を と っ て い る 。 国 家 元 首 は 国 民 直 接 選 挙 で 選 出 さ れ る 大 統 領 。 歴 代 大 統 領 は 初 代 ス ベ イ ト ン ・ ビ ョ ッ ソ ン S v e i n n B j ö r n s s o n ︵ 2 期 在 職 , 1 9 4 4 - 5 2 ︶ , 第 2 代 ア ウ ス ゲ イ ル ・ ア ウ ス ゲ イ ル ソ ン ︵ 4 期 , 1 9 5 2 - 6 8 ︶ , 第 3 代 ク リ ス チ ャ ウ ン ・ エ ル ト ヤ ウ ト ン ︵ 3 期 , 1 9 6 8 - 8 0 ︶ , 第 4 代 は 世 界 初 の 公 選 婦 人 元 首 ビ グ デ ィ ー ス ・ フ ィ ン ボ ー ガ ド ウ ッ テ ィ ル V i g d í s F i n n b o g a d ó t t i r ︵ 1 9 3 0 - 。 4 期 , 1 9 8 0 - 9 6 ︶ そ し て 現 職 は 左 翼 の リ ー ダ ー で 元 蔵 相 の オ ウ ラ ブ ル ・ ラ グ ナ ル ・ グ リ ー ム ス ソ ン Ó l a f u r R a g n a r G r í m s s o n ︵ 1 9 4 3 - 。 在 任 1 9 9 6 - ︶ で あ る 。 国 会 ︵ ア ル シ ン グ ︶ は 下 院 42 名 , 上 院 21 名 か ら な り , 議 員 任 期 は 4 年 。 法 案 は 上 下 両 院 の 可 決 を 得 て 成 立 。 両 院 間 で 賛 否 が 分 か れ た 法 案 は 両 院 合 同 審 議 に よ っ て 3 分 の 2 の 多 数 で 決 定 さ れ る 。 予 算 案 等 財 政 関 係 法 案 は す べ て 両 院 合 同 審 議 に 付 さ れ る こ と に な っ て い る 。 お も な 政 党 は 独 立 党 ︵ 1 9 9 5 年 の 国 会 議 員 数 は 25 名 ︶ , 進 歩 党 ︵ 同 15 名 ︶ , 人 民 同 盟 ︵ 同 9 名 ︶ , 社 会 民 主 党 ︵ 同 7 名 ︶ な ど で あ る 。 独 立 党 は 1 9 3 1 年 以 後 つ ね に 最 大 政 党 で , 歴 代 内 閣 の 3 分 の 2 に 参 加 し , 45 年 以 降 す べ て の 首 相 を 出 し て き た が , 83 年 の 総 選 挙 後 は 進 歩 党 の ヘ ル マ ン ソ ン S t e i n g r í m u r H e r m a n n s s o n ︵ 1 9 2 8 - ︶ 首 相 の 下 に 独 立 党 と 進 歩 党 の 連 立 内 閣 が 発 足 し た 。 87 年 の 総 選 挙 の 結 果 , 両 党 に 社 会 民 主 党 も 参 加 し た 連 立 内 閣 が 成 立 , 首 相 に は 独 立 党 の ソ ル ス テ ィ ン ・ パ ウ ル ソ ン T h o r s t e i n n P á l s s o n ︵ 1 9 4 7 - ︶ が 就 任 し た が , 翌 88 年 経 済 政 策 を め ぐ る 対 立 か ら パ ウ ル ソ ン が 辞 任 し , ヘ ル マ ン ソ ン が 再 び 首 相 と な っ た 。 現 政 権 は 95 年 4 月 に 成 立 し た , ダ ー ビ ズ ・ オ ッ ド ソ ン D a v í ð O d d s s o n ︵ 1 9 4 8 - ︶ を 首 班 と す る 独 立 党 と 進 歩 党 の 連 立 内 閣 で あ る 。
ア イ ス ラ ン ド 経 済 は 輸 出 総 額 の 80 ~ 9 0 % 以 上 を 占 め る 水 産 物 を 中 心 に , 1 9 5 0 , 60 年 代 に 急 激 な 成 長 を 遂 げ た 。 し か し 貿 易 が 漁 業 関 連 部 門 に 一 方 的 に 依 存 し て い る た め , 外 国 と の 競 争 上 70 年 代 か ら 毎 年 通 貨 ク ロ ウ ナ の 切 下 げ を 繰 り 返 し , そ の 結 果 西 欧 最 大 の 国 内 イ ン フ レ ︵ 年 間 50 ~ 6 0 % ︶ に 悩 ま さ れ , 最 大 の 国 内 問 題 に な っ て い た 。 イ ン フ レ 抑 制 の 一 環 と し て 81 年 以 降 数 回 通 貨 の デ ノ ミ ネ ー シ ョ ン ︵ 従 来 の 1 0 0 ク ロ ウ ナ を 新 1 ク ロ ウ ナ と す る ︶ を 実 行 , さ ら に 83 年 春 以 降 新 政 権 の も と で 賃 上 げ 抑 制 が は か ら れ , イ ン フ レ は 1 0 % 前 後 に 沈 静 化 し た 。 1 9 7 0 年 に E F T A 加 盟 。 漁 業 権 益 保 護 の た め 専 管 水 域 を 他 国 に 先 が け て 12 カ イ リ ︵ 1 9 5 8 ︶ , そ し て 2 0 0 カ イ リ ︵ 1 9 7 5 ︶ に 拡 大 し , イ ギ リ ス 等 と の 間 で い わ ゆ る タ ラ 戦 争 を 余 儀 な く さ れ た 。 主 要 な 貿 易 相 手 国 は , 北 欧 諸 国 以 外 で は , イ ギ リ ス , ド イ ツ , ア メ リ カ , オ ラ ン ダ , 日 本 , オ ー ス ト ラ リ ア , フ ラ ン ス 。 日 本 か ら は 自 動 車 , 工 業 製 品 を 輸 入 し , 水 産 物 を 輸 出 し て い る 。 経 済 は , 1 9 9 0 年 代 に 入 っ て 成 長 率 3 % 前 後 で 安 定 し て い る 。 1 9 9 4 年 の 輸 出 総 額 は 14 億 6 6 0 0 万 ド ル , 輸 入 総 額 は 16 億 1 0 0 0 万 ド ル で い ず れ も 史 上 最 高 額 で あ る 。
文 化
ア イ ス ラ ン ド は 11 世 紀 以 後 , ラ テ ン 文 字 に よ っ て , 法 律 集 成 を 手 始 め に 宗 教 的 ・ 学 術 的 ・ 芸 術 的 著 作 物 を 多 数 生 み 出 し て き た 。 し か し 造 形 美 術 で は さ ほ ど 見 る べ き 作 品 を 伝 え ず , わ ず か に 中 世 写 本 の 彩 色 イ ニ シ ャ ル , 教 会 装 飾 の 織 物 な ど が 知 ら れ る 程 度 で , 19 世 紀 に い た る 。 代 表 的 な 画 家 に は シ ー グ ル ズ ル ・ グ ブ ズ ム ン ズ ソ ン S i g u r ð u r G u ð m u n d s s o n ︵ 1 8 3 3 - 7 4 ︶ , ソ ウ ー ラ リ ン ・ ソ ウ ラ ウ ク ソ ン T h ó r a r i n n T h o r l á k s s o n ︵ 1 8 6 7 - 1 9 2 4 ︶ , ア ウ ス グ リ ー ム ル ・ ヨ ウ ン ソ ン Á s g r í m u r J ó n s s o n ︵ 1 8 7 6 - 1 9 5 8 ︶ , ヨ ウ ハ ン ネ ス ・ キ ャ ル バ ル J ó h a n n e s K j a r v a l ︵ 1 8 8 5 - 1 9 7 2 ︶ , 彫 刻 家 と し て は エ イ ー ナ ル ・ ヨ ウ ン ソ ン E i n a r J ó n s s o n ︵ 1 8 7 4 - 1 9 5 4 ︶ , ア ウ ス ム ン ド ゥ ル ・ ス ベ イ ン ソ ン Á s m u n d u r S v e i n s s o n ︵ 1 8 9 3 - 1 9 8 2 ︶ , シ ー グ ル ヨ ウ ン ・ オ ウ ラ フ ソ ン S i g u r j ó n Ó l a f s s o n ︵ 1 9 0 8 - 8 2 ︶ が い る 。 近 代 的 な 音 楽 と 演 劇 も 19 世 紀 の 後 半 に 出 現 。 映 画 は 1 9 7 0 年 代 末 期 に な っ て 本 格 的 な 製 作 が 始 ま っ た 。 放 送 は ラ ジ オ が 1 9 3 0 年 に , テ レ ビ は 1 9 6 6 年 に 開 始 さ れ た 。 新 聞 は 日 刊 紙 5 種 が あ り ︵ 1 9 9 2 - 9 4 ︶ , 最 大 の モ ル グ ン ブ ラ ー ジ ズ 紙 の 発 行 部 数 は 5 万 2 0 0 0 部 ︵ 1 9 9 5 ︶ 。 総 合 大 学 は 1 校 , 1 9 1 1 年 創 立 の レ イ キ ャ ビ ー ク に あ る ア イ ス ラ ン ド 大 学 で , 7 学 部 あ る 。
文 字 に よ る 本 格 的 な 文 学 は 12 世 紀 に 興 り , 13 世 紀 に は ア イ ス ラ ン ド 語 に よ る 古 典 文 学 が 栄 え た 。 古 典 的 な 韻 文 学 は エ ッ ダ 詩 と ス カ ル ド 詩 に 大 別 さ れ る 。 い ず れ も 9 世 紀 以 降 に 成 立 す る が , す べ て 作 者 不 詳 の エ ッ ダ 詩 は 比 較 的 簡 潔 な 韻 律 に よ っ て 古 い 神 々 と 英 雄 を 扱 い , 古 代 ゲ ル マ ン ・ 北 欧 精 神 文 化 を 究 め る 貴 重 な 民 族 遺 産 と な っ て い る 。 一 方 ス カ ル ド 詩 ︵ ス カ ル ド と は ︿ 詩 人 ﹀ の 意 ︶ は 極 端 に 複 雑 な 韻 律 と ケ ン ニ ン グ と 呼 ば れ る 隠 喩 を 多 用 し て 技 巧 を 誇 示 し , ノ ル ウ ェ ー そ の 他 の 王 侯 に さ さ げ た 頌 詩 ︵ し よ う し ︶ を 中 心 に す る ︵ 作 者 が 知 ら れ る 作 品 が 大 多 数 ︶ 。 散 文 学 は 数 百 編 の サ ガ に よ っ て ア イ ス ラ ン ド 文 学 の 代 名 詞 と な っ て い る 。 祖 先 の 出 自 に 対 す る 系 譜 的 関 心 , 近 隣 諸 民 族 の 歴 史 に 関 す る 強 い 興 味 が 文 学 と し て の サ ガ を 発 生 さ せ る こ と に な っ た 。 最 初 期 は こ の た め か , ノ ル ウ ェ ー 等 諸 国 の 王 朝 史 的 な ︿ 王 の サ ガ ﹀ 諸 作 を 生 み , こ れ に 若 干 遅 れ て ア イ ス ラ ン ド 人 自 身 を 主 人 公 と す る ︿ ア イ ス ラ ン ド 人 の サ ガ ﹀ 多 数 が ま と め ら れ た 。 さ ら に は 同 時 代 史 的 な 作 品 群 と し て ︽ 司 教 の サ ガ ︾ ︽ ス ト ゥ ル ル ン ガ ・ サ ガ ︾ が あ る 。 13 世 紀 末 か ら 後 に は い わ ゆ る ︿ 古 代 の サ ガ ﹀ が 多 数 書 か れ る が , こ れ は ア イ ス ラ ン ド 建 国 以 前 の 伝 説 的 な 英 雄 を 扱 っ て 一 層 娯 楽 色 の 濃 い サ ガ 群 で あ る 。 文 学 者 と し て 名 の 知 ら れ る の は , 散 文 の 詩 学 入 門 書 ︽ エ ッ ダ ︾ や ノ ル ウ ェ ー 諸 王 の サ ガ ︽ ヘ イ ム ス ク リ ン グ ラ ︾ の 作 者 ス ノ ッ リ ・ ス ト ゥ ル ル ソ ン と そ の 甥 ス ト ゥ ル ラ ・ ソ ウ ル ザ ル ソ ン S t u r l a T h ó r ð a r s o n ︵ 1 2 1 4 - 8 4 ︶ ら で あ る 。 中 世 文 学 の 諸 作 は , そ の 伝 存 の 程 度 は 作 品 に よ っ て さ ま ざ ま で あ る も の の , 長 期 に 及 ぶ 外 国 支 配 の 下 で 辛 酸 を な め た 民 族 の い わ ば 唯 一 の 精 神 的 遺 産 と し て 後 世 に 伝 え ら れ , と く に サ ガ 文 学 は 19 世 紀 後 期 に 再 生 し た ア イ ス ラ ン ド 文 学 に 歴 史 ・ 写 実 主 義 的 傾 向 を 与 え る の に 寄 与 し た 。 代 表 的 な 現 代 作 家 , た と え ば お も に 一 族 物 語 を 書 い た グ ン ナ ル ス ソ ン , 物 語 の 力 強 さ と 生 気 に み ち た ド ラ マ テ ィ ッ ク な 文 体 を 確 立 し た ラ ッ ク ス ネ ス は , こ の 伝 統 を 継 承 し て い る と い え よ う 。
14 世 紀 に な る と 伝 統 的 な 韻 律 に 代 わ っ て リ ー ム ル r í m u r と 呼 ば れ る 叙 事 詩 形 が 発 達 し , 20 世 紀 ま で 続 い て い る 。 こ れ は ヨ ー ロ ッ パ 中 世 バ ラ ー ド の 系 譜 に つ ら な る 。 近 代 文 学 は 19 世 紀 初 頭 民 族 ロ マ ン 主 義 に よ っ て 始 ま り , ビ ャ ル ト ニ ・ ト ー ラ レ ン セ ン B j a r n i T h o r a r e n s e n ︵ 1 7 8 6 - 1 8 4 1 ︶ , ヨ ウ ー ナ ス ・ ハ ト ル グ リ ム ソ ン J ó n a s H a l l g r í m s s o n ︵ 1 8 0 7 - 4 5 ︶ ら 一 連 の 抒 情 詩 人 , ヨ ウ ー ン ・ ト ー ロ ッ ド セ ン J ó n T h o r o d d s e n ︵ 1 8 1 9 - 6 8 ︶ ら の 小 説 家 が 出 た 。 20 世 紀 に な っ て 国 際 的 に 知 ら れ る の は 小 説 家 で , デ ン マ ー ク 語 で 執 筆 し た グ ン ナ ル ス ソ ン , ソ ウ ル ベ ル グ ル ・ ソ ウ ル ザ ル ソ ン T h ó r b e r g u r T h ó r ð a r s o n ︵ 1 8 8 9 - 1 9 7 4 ︶ , ノ ー ベ ル 文 学 賞 受 賞 者 ラ ッ ク ス ネ ス ら が い る 。 70 年 代 以 降 は 普 遍 的 な 現 代 社 会 問 題 に 正 面 か ら 対 す る 若 い 文 学 世 代 が 登 場 し て き た 。
歴 史
ア イ ス ラ ン ド の 本 格 的 な 植 民 開 拓 は 8 7 0 年 こ ろ に 始 ま り , 9 3 0 年 こ ろ に 全 国 集 会 ア ル シ ン グ の 設 置 を も っ て 終 了 。 最 初 期 の 植 民 者 は 主 と し て ノ ル ウ ェ ー 西 部 の 出 身 だ っ た が , さ ら に ブ リ テ ン 諸 島 人 , 他 の 北 欧 人 も い た 。 ア イ ス ラ ン ド か ら は 10 世 紀 後 半 以 後 グ リ ー ン ラ ン ド へ の 植 民 が な さ れ , そ こ か ら 北 ア メ リ カ 大 陸 へ の 移 住 も 試 み ら れ た 。 初 期 ア イ ス ラ ン ド は 地 域 有 力 者 ︵ ゴ ジ ︶ 36 名 ︵ 後 に は 39 名 に 増 員 ︶ と そ の 一 族 が 支 配 す る 社 会 で , 国 王 が 君 臨 す る 中 世 ヨ ー ロ ッ パ 諸 国 の 中 で 例 外 を な し た 。 1 0 0 0 ︵ な い し 9 9 9 ︶ 年 に キ リ ス ト 教 が 国 教 と し て 採 用 さ れ , ア イ ス ラ ン ド は は じ め ハ ン ブ ル ク ︵ ド イ ツ ︶ , の ち に ル ン ド ︵ デ ン マ ー ク ︶ , つ い で ニ ー ダ ロ ス ︵ ノ ル ウ ェ ー , 1 1 5 2 以 降 ︶ の 大 司 教 座 に 属 し た 。 こ の 宗 教 界 で の 地 位 が , 13 世 紀 前 半 に 国 内 の 対 立 抗 争 が 激 化 す る に つ れ て , ノ ル ウ ェ ー の 大 司 教 そ し て 国 王 の 介 入 を 誘 う こ と に な っ た 。 ア ル シ ン グ は 立 法 と 裁 判 の 最 高 機 関 で あ っ た が , 全 土 を 有 効 に 支 配 す る 政 治 的 公 権 を 欠 い て い た た め , 利 己 的 な 豪 農 間 の 歯 止 め を 失 っ た 権 力 争 い の 結 果 1 2 6 2 , 64 年 に ア イ ス ラ ン ド は ノ ル ウ ェ ー 国 王 に 貢 納 と 臣 従 を 誓 う こ と を 余 儀 な く さ れ た 。 1 3 8 0 年 ノ ル ウ ェ ー 王 位 と と も に ア イ ス ラ ン ド も デ ン マ ー ク 王 に 帰 属 。 1 5 5 0 年 デ ン マ ー ク の 強 制 に よ り 新 教 ル タ ー 派 に 転 じ る 。 ア イ ス ラ ン ド は 中 世 後 半 以 来 ペ ス ト の 大 流 行 ︵ 1 4 0 2 - 0 4 ︶ , 火 山 噴 火 , 凶 作 , 外 国 人 の 悪 政 と 通 商 独 占 ︵ 1 6 0 2 - 1 8 5 5 ︶ 等 , 数 々 の 天 災 , 人 災 が 原 因 で 困 窮 の 一 途 を た ど り , そ の 人 口 は 1 7 0 8 年 に は 約 3 万 3 0 0 0 に ま で 減 少 し て い た 。 1 9 1 8 年 に よ う や く デ ン マ ー ク と , 元 首 と 外 交 を 共 通 に す る 個 人 連 合 の 独 立 国 の 地 位 を 獲 得 。 第 2 次 世 界 大 戦 中 デ ン マ ー ク が ド イ ツ の 占 領 下 に あ っ た 間 に , 連 合 協 定 更 新 を 行 わ な い こ と を 決 定 ︵ 1 9 4 1 ︶ , つ い で 国 民 投 票 の 圧 倒 的 支 持 に よ っ て 44 年 デ ン マ ー ク か ら の 分 離 , 同 年 6 月 17 日 共 和 国 と し て 完 全 独 立 を 宣 言 。 第 2 次 大 戦 勃 発 後 ア イ ス ラ ン ド に は イ ギ リ ス 軍 ︵ 1 9 4 0 ︶ と ア メ リ カ 軍 ︵ 1 9 4 1 ︶ が 進 駐 し て き た 。 独 立 後 国 連 加 盟 ︵ 1 9 4 6 ︶ , N A T O 加 盟 ︵ 1 9 4 9 ︶ 。 ア イ ス ラ ン ド 自 身 は 軍 隊 を 保 持 し な い が , 1 9 4 6 年 以 来 ア メ リ カ 軍 が ケ ブ ラ ビ ー ク 空 港 に 基 地 を 維 持 し , 51 年 両 国 間 に 防 衛 協 定 が 締 結 さ れ , ア メ リ カ 軍 が ア イ ス ラ ン ド 防 衛 の 責 任 を 負 っ て い る 。
現 在 , ア イ ス ラ ン ド は 世 界 最 高 の 生 活 水 準 を 享 受 し , 国 民 は 日 本 人 と 世 界 一 の 寿 命 を 競 っ て い る 。
執 筆 者 ‥ 菅 原 邦 城
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」 改訂新版 世界大百科事典について 情報
アイスランド Iceland
正 式 名 称 ア イ ス ラ ン ド 共 和 国 L ý d h v e l d i d h Í s l a n d 。
面 積 10 万 3 0 0 0 k m 2 。
人 口 37 万 1 0 0 0 ︵ 2 0 2 1 推 計 ︶ 。
首 都 レ イ キ ャ ビ ー ク 。
北 大 西 洋 に あ る 国 。 面 積 10 万 2 6 7 7 k m 2 の 本 島 と 付 属 島 お よ び 岩 礁 か ら な り , 北 辺 は 北 極 圏 に 近 い 。 国 土 の 1 1 . 5 % は 氷 河 に 覆 わ れ る が , 地 質 的 に は 若 い 国 で , 最 高 峰 ク バ ナ ダ ー ル ス フ ヌ ー ク ル 山 ︵ 2 1 1 9 m ︶ を は じ め , 大 き な 活 火 山 が 多 数 存 在 し , 噴 火 も 平 均 5 ~ 6 年 ご と に 起 こ り , 地 熱 暖 房 や 地 熱 発 電 も 行 な わ れ る 。 大 部 分 が 卓 状 台 地 で 平 均 標 高 は 5 0 3 m 。 天 候 は 北 大 西 洋 を 横 断 す る 低 気 圧 に 大 き く 影 響 さ れ 非 常 に 変 わ り や す い が , 暖 流 の 一 支 流 が 南 部 と 西 部 の 海 岸 を 洗 う た め , そ の 地 方 の 港 は 結 氷 し な い 。 首 都 レ イ キ ャ ビ ー ク の 1 月 平 均 気 温 は - 0 . 5 ℃ , 7 月 は 1 0 . 8 ℃ で 一 年 中 暖 房 を 要 す る 。 住 民 は 青 い 目 で 金 髪 の ノ ル マ ン 人 が 主 で , 8 7 5 年 頃 ノ ル ウ ェ ー か ら そ の ハ ー ラ ル 1 世 美 髪 王 の 圧 政 を 不 服 と し て , 大 挙 こ の 無 人 島 に 移 住 し た 者 の 子 孫 で あ る 。 9 3 0 年 に は 国 民 議 会 ア ル シ ン ク を つ く り , 中 世 に は 珍 し い 共 和 国 を 設 立 し た 。 10 世 紀 末 キ リ ス ト 教 が 渡 来 し , 黄 金 時 代 を 迎 え た が , 13 世 紀 中 期 内 紛 に 乗 じ た ノ ル ウ ェ ー 王 ホ ー コ ン 4 世 に 支 配 権 を 奪 わ れ , 1 3 8 0 年 デ ン マ ー ク 領 と な っ た 。 17 世 紀 中 期 か ら 圧 制 が 強 化 さ れ , 経 済 は 極 度 に 疲 弊 し , 人 口 は 減 少 し , 1 8 0 0 年 つ い に ア ル シ ン ク は 廃 止 さ れ た 。 し か し 1 8 4 1 年 ヨ ウ ン ・ シ グ ル ド ソ ン ら に よ っ て 独 立 運 動 が 開 始 さ れ , ア ル シ ン ク が 再 建 さ れ て , 1 9 1 8 年 デ ン マ ー ク 主 権 下 の 独 立 国 家 と な っ た 。 第 2 次 世 界 大 戦 で デ ン マ ー ク は ド イ ツ に 占 領 さ れ , 1 9 4 4 年 独 立 を 達 成 し た 。 公 用 語 は ア イ ス ラ ン ド 語 で あ る が , 英 語 , ド イ ツ 語 , デ ン マ ー ク 語 が よ く 通 じ , 約 9 0 % が 福 音 ル タ ー 派 教 会 に 属 す る 。 沿 岸 警 備 艇 の ほ か に は 軍 隊 は な い が , 北 大 西 洋 条 約 機 構 N A T O の 原 加 盟 国 で , そ の 駐 留 軍 が ケ プ ラ ビ ー ク 飛 行 場 を 使 用 し て い る 。 農 業 は 標 高 2 0 0 m 以 下 の 地 域 で は 牧 草 栽 培 と 家 畜 飼 育 が 中 心 と な り , 海 岸 低 地 で は ジ ャ ガ イ モ や カ ブ が 大 量 に つ く ら れ , オ オ ム ギ が 試 作 さ れ る が , 国 民 所 得 に 占 め る 割 合 は 少 な い 。 一 方 周 囲 の 海 は 暖 流 と 寒 流 の 合 流 点 に 位 置 し て い る た め , 世 界 で も 有 数 の 豊 か な 漁 場 で 大 量 の ニ シ ン , タ ラ , メ ヌ ケ , エ ビ な ど が 水 揚 げ さ れ , 輸 出 の 7 0 % 以 上 を 占 め る 。 タ ラ 漁 獲 を め ぐ り , 1 9 5 9 ~ 76 年 イ ギ リ ス と ﹁ タ ラ 戦 争 ﹂ と 呼 ば れ た 国 際 紛 争 が 起 こ っ た 。 水 力 発 電 に よ る 豊 富 な 電 力 を 利 用 し て ア ル ミ ニ ウ ム 精 錬 が 盛 ん 。 そ の ほ か ウ ー ル , ケ イ 素 鉄 , 肥 料 , セ メ ン ト な ど の 工 業 が 立 地 す る 。 ︵ → ア イ ス ラ ン ド 史 ︶
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
百科事典マイペディア
「アイスランド」の意味・わかりやすい解説
アイスランド
◎ 正 式 名 称 − ア イ ス ラ ン ド 共 和 国 R e p u b l i c o f I c e l a n d 。 ◎ 面 積 − 1 0 万 2 8 1 9 k m 2 。 ◎ 人 口 − 3 2 万 人 ︵ 2 0 1 0 ︶ 。 ◎ 首 都 − レ イ キ ャ ビ ク R e y k j a v i k ︵ 12 万 人 , 2 0 1 3 ︶ 。 ◎ 住 民 − ア イ ス ラ ン ド 人 。 ◎ 宗 教 − 福 音 ル タ ー 派 ︵ 国 教 ︶ 86 % 。 ◎ 言 語 − ア イ ス ラ ン ド 語 ︵ 公 用 語 ︶ 。 ◎ 通 貨 − ア イ ス ラ ン ド ・ ク ロ ー ナ 。 ◎ 元 首 − 大 統 領 , グ リ ム ソ ン O l a f u r R a g n a r G r i m s s o n ︵ 1 9 4 3 年 生 れ , 1 9 9 6 年 6 月 選 出 , 2 0 0 0 年 8 月 再 選 , 2 0 1 2 年 8 月 5 選 , 任 期 4 年 ︶ 。 ◎ 首 相 − グ ン ロ イ グ ソ ン S i g m u n d u r D a v i d G u n n l a u g s s o n ︵ 2 0 1 3 年 5 月 就 任 ︶ 。 ◎ 憲 法 − 1 9 4 4 年 6 月 発 効 。 ◎ 国 会 − 一 院 制 ︵ 定 員 63 , 任 期 4 年 ︶ 。 最 近 の 選 挙 は 2 0 1 3 年 4 月 。 ◎ G D P − 1 6 7 億 ド ル ︵ 2 0 0 8 ︶ 。 ◎ 1 人 当 り G N P − 5 万 5 8 0 ド ル ︵ 2 0 0 6 ︶ 。 ◎ 農 林 ・ 漁 業 就 業 者 比 率 − 9 . 5 % ︵ 1 9 9 7 ︶ 。 ◎ 平 均 寿 命 − 男 7 9 . 7 歳 , 女 8 3 . 3 歳 ︵ 2 0 0 9 ︶ 。 ◎ 乳 児 死 亡 率 − 2 . 4 ‰ ︵ 2 0 0 9 ︶ 。 ◎ 識 字 率 − 1 0 0 % 。 * * ヨ ー ロ ッ パ 北 西 方 , 北 大 西 洋 上 の 島 。 独 立 共 和 国 。 フ ィ ヨ ル ド 海 岸 に 囲 ま れ , 平 均 標 高 約 6 0 0 m の 台 地 よ り な り , ヘ ク ラ 山 な ど 活 火 山 が 多 く , 温 泉 が 豊 富 。 全 島 の 1 割 以 上 が 氷 河 で お お わ れ る 。 北 緯 6 3 ° 3 0 ′ 〜 6 6 ° 3 0 ′ の 高 緯 度 に あ る が , メ キ シ コ 湾 流 の 影 響 で 比 較 的 温 暖 な 海 洋 性 気 候 。 住 民 は ノ ル ウ ェ ー 人 と ア イ ル ラ ン ド 人 の 混 血 で , キ リ ス ト 教 徒 。 北 大 西 洋 条 約 機 構 加 盟 国 。 牧 羊 を 主 と し , 漁 業 が 盛 ん で , 輸 出 の 7 割 が 水 産 物 。 8 7 0 年 こ ろ ノ ル ウ ェ ー 人 が 移 住 , 9 3 0 年 ア ル シ ン グ ︵ 議 会 ︶ 開 設 , 1 2 6 2 年 に ノ ル ウ ェ ー 領 , 1 3 8 0 年 に デ ン マ ー ク 領 。 19 世 紀 後 半 自 治 が 認 め ら れ , 1 9 1 8 年 デ ン マ ー ク 王 を い た だ く 王 国 と な っ た 。 1 9 4 4 年 6 月 共 和 国 と し て 完 全 独 立 。 1 9 4 9 年 北 大 西 洋 条 約 機 構 ︵ N A T O ︶ の 発 足 と 同 時 に 加 盟 。 1 9 8 0 年 国 民 の 直 接 選 挙 で 世 界 で 初 め て 女 性 大 統 領 を 選 出 。 1 9 9 2 年 商 業 捕 鯨 の 再 開 を 訴 え て , 国 際 捕 鯨 委 員 会 ︵ I W C ︶ を 脱 退 。 ヨ ー ロ ッ パ 連 合 ︵ EU ︶ と 自 由 貿 易 協 定 ︵ F T A ︶ , ヨ ー ロ ッ パ 経 済 領 域 ︵ E E A ︶ 協 定 を 結 ん で い る 。
→ 関 連 項 目 シ ン グ ベ ト リ ル 国 立 公 園 | ス ル ツ エ イ
出典 株式会社平凡社 百科事典マイペディアについて 情報
アイスランド Iceland
9 世 紀 後 半 ノ ル マ ン 人 が 初 め て 移 住 , 定 着 し , 以 後 ノ ル ウ ェ ー の 勢 力 が 及 び , 13 世 紀 後 半 そ の 宗 主 権 下 に 入 っ た 。 14 世 紀 後 半 デ ン マ ー ク ‐ ノ ル ウ ェ ー 同 君 連 合 の 成 立 に よ り , 以 後 デ ン マ ー ク の 支 配 下 に 置 か れ た 。 19 世 紀 以 来 , 自 治 獲 得 運 動 が 盛 ん に な り , 1 9 1 8 年 デ ン マ ー ク と 同 君 連 合 の 形 で 独 立 が 認 め ら れ , 44 年 完 全 に 独 立 し て 共 和 国 に な っ た 。 49 年 N A T O ( ナ ト ー ) に 加 盟 。 80 年 に 世 界 で 初 の 女 性 大 統 領 ( フ ィ ン ボ ガ ド ゥ テ ィ ル ︿ 在 任 1 9 8 0 ~ 96 ﹀ ) が 誕 生 し , 話 題 を 呼 ん だ 。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」 山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
アイスランド Iceland
大西洋北部,北極圏に近いアイスランド島と付近の小島からなる共和国。首都レイキャヴィク 870年ごろノルマン人が発見。以後,ノルウェー・アイルランド・スコットランドから移住者が続き,930年に部族連合が成立。13世紀後半にノルウェーの,1380年にはデンマークの支配下にはいった。18世紀に天然痘が流行し,凶作も続いて島民の反抗が激化した。1918年自治領となり,44年に独立して共和国となる。
出典 旺文社世界史事典 三訂版 旺文社世界史事典 三訂版について 情報
世界大百科事典(旧版)内の アイスランドの言及
【植民の書】より
…アイスランドの植民にかかわる記録,逸話などを集大成した書物。5巻から成り,著者・成立年代とも不明だが,主要部はアイスランド史研究の先駆けとなったアリAri bin brode(1067‐1148)の手になるといわれている。…
※「アイスランド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」