エカチェリナ2世(英語表記)Ekaterina II Alekseevna

改訂新版 世界大百科事典 「エカチェリナ2世」の意味・わかりやすい解説

エカチェリナ[2世]
Ekaterina II Alekseevna
生没年:1729-96


1762-96︿174536234G.G.Orlov10N.I.Panin退67︿Nakaz758517652西P.A.RumyantsevF.F.Ushakov92A.F.I.Yankovich de Mirievo西1776︿1


出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のエカチェリナ2世の言及

【ウクライナ】より


18I.S.(16441709)12(1709)2176475

【啓蒙絶対主義】より


︿2()22 ︿despotisme légal︿

【女帝】より

…マリア・テレジアは巧みな外交政策によって夫(フランツ1世)の共同統治者としての帝位を確保し,啓蒙専制君主と呼ばれるにふさわしい施策を行った。ついでロシア帝国に現れた〈女帝〉エカチェリナ2世(在位1762‐96)は,ドイツの小公国の出身でありながら,夫(ピョートル3世)を宮廷革命によって廃してみずから帝位についた。彼女も啓蒙専制君主を自認する政策を展開したが,晩年は農奴制を強化するとともにポーランド分割に積極的に加わり,ツァーリズムの再編に一役買った。…

【ロシア帝国】より


 181919(185356)192018219

【ロマノフ朝】より


164 18122300231

※「エカチェリナ2世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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