デジタル大辞泉
「エピクロス」の意味・読み・例文・類語
エピクロス(Epikūros)
学派の祖。人生の目的は精神的快楽にあるとし、心境の平静︵アタラクシア︶を求めた。
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エピクロス
(一)( Epikūros ) 古代ギリシアの哲学者。エピクロス学派の開祖。デモクリトスの原子論に基づき、快楽をもって善としたが、人生の唯一最高の善は肉体的快楽や苦痛を越えた精神的快楽にあり、そのためにはアタラクシア︵心の平静︶を求めなければならないと述べた。三書簡、﹁主要教説﹂および断片が残存。︵前三四一頃‐前二七〇頃︶
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エピクロス
Epikouros
生没年:前341ころ-前270ころ
原子論と快楽主義で有名な古代ギリシアの哲学者。サモス島の生れ。前307年ころ,父の故郷であるアテナイに庭園つきの家をもとめ,そこに学園を創設した。その庭は後に︿エピクロスの花園﹀と呼ばれ,彼自身は︿花園の哲学者﹀と呼ばれることになる。大著︽自然について︾は散逸してしまったが,3通の書簡と個条書き風の︽主要教説︾,その他の断片が現存している。彼はデモクリトスの説を継承して原子論の立場に立った。自然界の事物は原子から構成されている合成物であるが,合成物の表面からは絶えず︿エイドラeidōla﹀が流出している。それは多くの原子からなるいわばフィルムのようなものであるが,それが感覚器官の内にあって同じく原子からなる魂を刺激することによって感覚が成立する。人間の判断には誤りがありうるが,感覚はいつも正確に外界にあるなにかに対応しているのである。彼の哲学は感覚主義である。だが,この原子論や感覚主義がただちに倫理的な教えと結びつく点に彼の哲学の特徴がある。原子論者である彼にとって真に存在するのは原子と原子が合成し,また離散する場であるト・ケノンのみであって,われわれが死ねば生命なき原子へと解体するだけであるから,死後の懲罰などを恐れて不安に苦しむ必要はない。また原子論の立場に立つかぎり,死はわれわれにかかわりなきものだからである。︿われわれの存するかぎり,死は存せず,死が現に存するときは,もはやわれわれは存しないのである﹀。
死への恐れ,死後の不安から解放されるならば,それだけでも人間は︿平静不動︵アタラクシアataraxia︶﹀の境地に入ることができるのだが,生きているうちは安んじて快楽を追求すべきである。︿快楽こそは幸福なる生活の始めにして終りなのである﹀。彼は感覚主義者らしく︿胃袋の快﹀を善の,つまり快の基礎と見ているが,しかし彼はことさらに大食や美食を勧めているわけではない。大食や美食は胃袋の快どころではなく,むしろ苦痛を招きかねない。︿パンと水﹀だけで満足するつつましい生活こそが快を実現する道ということになる。また公人としての活動はさまざまなわずらわしさの渦中に人を巻き込み,結局は苦を生みだすことにもなる。したがって有名な︿隠れて生きよ︵ラテ・ビオサスLathe biōsas︶﹀のモットーがこの哲学者の生活の信条となった。もっとも隠れた生活とは言っても,それは孤独な隠遁生活を意味しない。友人たちとの友情にあふれた交際は静かな快,静かな喜びをもたらす一つの道なのである。結局,この快楽主義の帰着するところは魂のかき乱されない平静な境地であり,彼の言葉によれば︿平静不動﹀とは︿静かな快楽﹀にほかならないのである。
→快楽主義 →原子論
執筆者‥斎藤 忍随
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エピクロス
えぴくろす
Epikouros
(前342/341―前271/270)
古代ギリシアの哲学者。サモス島に生まれる。35歳ごろアテネに学園を開く。その学園は﹁エピクロスの園﹂とよばれ、婦女子や奴隷にも門戸を開放した。主著はすべて散逸、わずかに﹃主要教説﹄と3通の手紙を残すのみ。若くしてデモクリトスの原子論とその倫理思想を学び、これが彼の思想の基本的骨格を形成する。
エピクロスは、欲望や激情から生ずる惑乱、死の不安、神々の処罰という迷信から人間を解放しようとする。哲学の目的は、この解放によってアタラクシアー︵心の平安︶を得ることにあり、その基礎をなすものが自然学である。すなわち、真の実在はアトマ︵原子︶とケノン︵空虚︶の二つで、前者は不壊(ふえ)の究極的実体、後者は原子が運動する場所である。原子の根源的運動は上から下への落下運動であるが、この際原子にパレンクリシス︵不定の彷徨(ほうこう)︶がおこり、これによって原子相互間の衝突が生起し、世界が生成する。それゆえ、世界にあるすべてのものは、物体も神々も人間の霊魂も、原子の結合物にすぎない。当然、認識も物体の放射する原子とわれわれの魂を構成する原子との接触にほかならない。
したがって、死とは魂をも含めて人間を構成する原子結合体の分解散逸であるから、死と同時にあらゆる認識が消滅する。神々は人間と同質の存在で、人間に関心をもたない。快楽の生とは平安の生であり、これは、過度の欲望や激情から解放されること、公共生活を避け隠れて生きること、パンと水の生活に満足すること、そして友情を尊重することにより、実現されるものであった。
﹇岩田靖夫﹈
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エピクロス
ギリシアの哲学者。サモス島生れ。前307年ころアテナイへ出て学園を開き,のちにその学園は︿エピクロスの園﹀,その学徒はエピクロス学派︵英語でエピキュリアン︶と呼ばれることになる。ここで研究,教育,著述に専念,300巻を著したと伝えるが,断簡を残すのみ。デモクリトスの原子論を受け継ぎ,原子からなる自然界の事物から流出するエイドラeidolaが,同じ原子からなる魂を刺激することで感覚が生じると説いたが,それは同時に死や死後の懲罰の不安と苦しみから人間を解放する倫理説でもある︵︿われわれが存するとき死は存せず,死が存するときわれわれは存しない﹀︶。また快楽の肯定も,苦を避け︵︿隠れて生きよ﹀︶︿平静不動︵アタラクシアataraxia︶﹀の境地を得るかぎりにおいてであって,後世誤解されたように単純な快楽主義ではない。
→関連項目ガッサンディ|ルクレティウス
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エピクロス
Epikouros
[生]前341. サモス島
[没]前270. アテネ
ギリシアの哲学者。前 311年頃ミュティレネに学派を創始,306年にはアテネ郊外の庭園に移った。そこで彼の学派は庭園学派と呼ばれる。デモクリトスの原子論を根底にもち,霊魂をも物体とする唯物論者であり,感覚を知識の唯一の源泉かつ善悪の標識とする。そこから有名な快楽主義が生れる。しかし,その快はわずらいを伴うものであってはならないから,享楽であるより苦しみのない心の平静でなくてはならない。そこで彼は来世を否定して死に対する恐怖を断ち,神々を恐れる迷信を乗越えてみずから神々の平静さにあずかろうとした。この努力により彼は魂の救済者との名声を得,その範例的生ゆえに人々の尊敬を集めた (→エピクロス主義 ) 。
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エピクロス
エピクロス(Epicurus。前三四一~前二七〇)▼ヘレニズム時代のギリシャの哲学者。エピクロス学派を開き、その学説はエピクロス主義(Epicureanism)と呼ばれる。すべての知識の根拠は感性的知覚であると考え、徳を養い、実践することによって得られる精神的な快楽を追求した。その快楽とは、苦痛や心配から解放された心の平穏としての幸福だったが、快楽を人生の最高善と説いたことが誤解され、一六世紀には彼にちなんで﹁美食家(epicure)﹂や﹁食道楽(epicurism)﹂という語が生まれた。そのため﹁epicurean﹂は今日、エピクロス学派の哲学者ばかりでなく、﹁快楽主義者﹂﹁美食家﹂をも意味する。
エピクロス
死は、もろもろの悪いもののうちで最も恐ろしいものとされているが、実はわれわれにとって何ものでもないのである。なぜかといえば、われわれが存するかぎり、死は現に存せず、死が現に存する時には、もはやわれわれは存しないからである。\エピクロス
ギリシャの哲学者(前三四二頃~二七〇)。
出典 (株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」とっさの日本語便利帳について 情報
エピクロス
Epikuros
ヘレニズム時代初期の思想を代表する古代ギリシアの哲学者。エピクロス派の祖
サモス島に生まれ,アテネで学園を開く。哲学を教え,魂の安静を快楽かつ最高善とする個人主義的哲学を主張した。
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世界大百科事典(旧版)内のエピクロスの言及
【快楽主義】より
…ただしこの快楽とは肉体的放縦の所産ではなく,逆に魂による肉体的欲望の統御から生まれると考えた。この態度は次代のエピクロス学派に続く。[エピクロス]とその学派は魂の平静(アタラクシアataraxia)を重んじ,健康で質素な共同生活を通して得られる精神的快楽を重んじた。…
【人間機械論】より
…人間を一種の機械として考えようとする思想。古くはギリシアの哲学者エピクロスにさかのぼることができる。彼は万物は人間の身体はもちろん,魂をも含めて,いっさい,原子とその運動に由来すると考えた。…
※「エピクロス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」