ギエレク(英語表記)Edward Gierek

改訂新版 世界大百科事典 「ギエレク」の意味・わかりやすい解説

ギエレク
Edward Gierek
生没年:1913-2001


192326-34193134372484954565970︿127680817

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ギエレク」の意味・わかりやすい解説

ギエレク
Gierek, Edward

 
[]1913.1.6. 
[]2001.7.29. 
1923 1931 19342 19481954 19541956 19577011970沿退1 ( )  1975 1980退 1981  

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ギエレク」の意味・わかりやすい解説

ギエレク
ぎえれく
Edward Gierek
(1913―2001)


193119341937194819561970西1980919817

 

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百科事典マイペディア 「ギエレク」の意味・わかりやすい解説

ギエレク

ポーランドの政治家。少年時代からフランス,ベルギーで炭鉱労働に従事,この間フランスで共産党に入党,ドイツ占領下のベルギーでは抵抗運動に参加。1948年帰国,1954年ポーランド労働者党(共産党の後継組織。現,統一労働者党)中央委員,1956年党政治局員。1970年ゴムルカの後を襲って党第一書記,外国資本に依存しつつポーランドの経済建設に努めたが,1980年労働者の大ストライキをきっかけに失脚。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ギエレク」の解説

ギエレク
Edward Gierek

 
1913  
197080
194870西1980  

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世界大百科事典(旧版)内のギエレクの言及

【ポーランド統一労働者党】より

…50年代末から再び硬直化し,68年の三月事件,70年の十二月事件を招いた。70年にゴムルカの後を襲ったギエレクは外資に依存した積極的経済政策をとり,その成功によって党勢を拡大した(1980年7月党員数330万)が,後半に矛盾が表面化し,76年6月,80年8月の労働不安を招いた。80年にギエレクの後を継いだカニアStanisław Kania(1927‐ )は〈連帯〉運動によく対処できず,81年10月職業軍人のヤルゼルスキWojciech Jaruzelski(1923‐ )と交替した。…

※「ギエレク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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