共産党(読み)キョウサントウ(英語表記)communist party 英語

デジタル大辞泉 「共産党」の意味・読み・例文・類語

きょうさん‐とう〔‐タウ〕【共産党】

マルクスの唱えた学説を信条とし、共産主義社会の実現を目標とする政党。→ソビエト共産党中国共産党
日本共産党

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精選版 日本国語大辞典 「共産党」の意味・読み・例文・類語

きょうさん‐とう‥タウ【共産党】

 

(一)[1]    1886
(二)[2] 
(一)[](192831︿)
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「共産党」の意味・わかりやすい解説

共産党
きょうさんとう
communist party 英語
parti communiste フランス語
Kommunistische Partei ドイツ語


1008000500019899120


前史


184752()()191943

 50018647618891914


成立

この第二インターナショナルの崩壊とその再建(社会主義労働者インターナショナル。今日の社会民主党・社会党の源流)に対抗して、世界で最初の社会主義革命を勝利させたロシア共産党ボリシェビキ(1898年創立の社会民主労働党が1918年、革命さなかに改称)の提唱により、共産主義者のみによる新しい国際組織、第三インターナショナルが創設され(1919年3月)、今日の共産党の原型をつくった。有名な「加入条件21か条」の第17条は、「労働者階級の旗を裏切った古い公認の『社会民主』党または『社会』党との区別」を明示するために各国支部が共産党と名のらなければならない、と規定した。また、「現在のような激しい内乱の時期には、党がもっとも中央集権的に組織され、党内に軍事的規律に近い鉄の規律」が必要であるとして、コミンテルン執行委員会と各国支部=共産党間の関係にも、各国共産党内部の関係にも、「一枚岩」の「民主集中制」採用を義務づけた。コミンテルン第6回世界大会(1928)で採択された綱領は、共産党を、「党は労働者階級のもっとも優れたもっとも自覚的積極的で勇敢な成員からなるこの階級の前衛である。(略)党はマルクス主義の革命的理論に立脚し、全体としての労働者階級の一般的長期的利益を代表する。(略)党は鉄の規律と民主集中制のもっとも厳格な革命的秩序によって結ばれた革命的組織である」と自己規定した。

[加藤哲郎]

展開

「世界共産党」としてのコミンテルンは、初期の統一戦線戦術の採用や民族・植民地問題の解明など新しい革命路線の形成と共産主義理念の普及、ヨーロッパばかりでなくアジア、アフリカ、南北アメリカに及ぶ共産党の建設と幹部養成など、第二次世界大戦後の共産主義運動の基礎を築いた。同時に、指導者レーニンの死(1924)と資本主義の相対的安定の開始にあたり、「ボリシェビキ化」の名のもとにスターリン的なレーニン解釈(「マルクス・レーニン主義」)が指導理論となり、ソ連の一国社会主義建設路線の受容とソ連型社会主義像(プロレタリアート独裁や共産党一党支配)のモデル化が進み、ロシア・ツァーリの迫害・弾圧下で原型がつくられ革命後の内戦下でより軍隊的にされた職業革命家中心の集権的組織形態(党内の異論や分派を許さぬ「民主集中制」)が各国共産党に波及した。世界恐慌下でファシズムが台頭した1920年代末~30年代初頭、各国共産党が「ソ連邦擁護」スローガンと「社会ファシズム」論を無条件に採用し、ソ連共産党に倣って自党の異論者をトロツキー派、ブハーリン派として追放しつつスターリンに忠実な指導部を形成していったのは、一方で生成期の各国共産党が自国政府の弾圧下で、「社会主義の祖国」ソ連の援助を必要とし、「軍事的規律」を余儀なくされていたためであり、他方でコミンテルンが実質的にソ連共産党の外局的地位に置かれていたことの証左であった。

[加藤哲郎]

多様化

1935年のコミンテルン第7回大会は、反ファシズム統一戦線・人民戦線を採用することにより、ソ連型と異なる革命路線の形成に道を開き、モスクワと各国共産党間の自主的関係の端緒となったが、43年のコミンテルン解散と第二次大戦後の多くの共産党の合法化・大衆化のあとも、ソ連共産党を指導党としソ連型社会主義をモデルとして崇(あが)める伝統は、共産主義運動に根強く残された。コミンフォルム(ヨーロッパ共産党・労働者党情報局、1947~56)によるユーゴ共産党の除名、イタリア、フランス、日本などの共産党への干渉、東欧諸国共産党指導者への粛清などは、コミンテルン的伝統復活の現れであった。スターリンの死(1953)と「スターリン批判」(ソ連共産党第20回大会、1956)ののち、各国共産党は、ソ連共産党による指導・干渉、ソ連型モデルの呪縛(じゅばく)からようやく解き放たれ、社会主義への多様な民族的な道、議会を経ての社会主義への平和的移行、社会主義権力下での複数政党制や政権交代可能性、労働組合の自律的役割の承認、極度に集権的な「民主集中制」や一枚岩的「鉄の規律」とは区別される多様な意見の相違を含むより民主的な党組織のあり方、各国共産党間の対等平等で自主的・自律的な交流、非同盟中立など「ソ連邦擁護」「社会主義体制支持」にこだわらない自主的外交政策、などの理念を模索し始めた。1961年に公然化する中ソ対立、68年のチェコスロバキア「プラハの春」、79年の中国・ベトナム武力衝突とソ連のアフガニスタン侵略、ポーランド「連帯」運動とその抑圧(1981)などは、共産主義運動の多様化を決定的にした。

[加藤哲郎]

崩壊


198589西320


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改訂新版 世界大百科事典 「共産党」の意味・わかりやすい解説

共産党 (きょうさんとう)
communist party


1M.

 18471191711193100︿2195356208polycentrism︿︿19302

1924

 1︿︿︿2abcdef1924=︿︿︿3︿︿619284monolithismcentralism便=

21935750︿60︿508195612︿3︿

 1980︿89︿918西89318西90319︿

 ︿︿︿︿︿
   


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百科事典マイペディア 「共産党」の意味・わかりやすい解説

共産党【きょうさんとう】

 
=︿18471848186419901991
 

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「共産党」の意味・わかりやすい解説

共産党
きょうさんとう
communist party

 
 19173 ( ) 2 198090  

共産党[アメリカ合衆国]
きょうさんとう[アメリカがっしゅうこく]

アメリカ共産党」のページをご覧ください。


共産党[イギリス]
きょうさんとう[イギリス]

民主主義左翼」のページをご覧ください。


共産党[イタリア]
きょうさんとう[イタリア]

左翼民主党」のページをご覧ください。


共産党[インドネシア]
きょうさんとう[インドネシア]

インドネシア共産党」のページをご覧ください。


共産党[インド]
きょうさんとう[インド]

インド共産党」のページをご覧ください。


共産党[カンボジア]
きょうさんとう[カンボジア]

「カンプチア共産党」のページをご覧ください。


共産党[朝鮮民主主義人民共和国]
きょうさんとう[ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく]

朝鮮労働党」のページをご覧ください。


共産党[キューバ]
きょうさんとう[キューバ]

キューバ共産党」のページをご覧ください。


共産党[スペイン]
きょうさんとう[スペイン]

スペイン共産党」のページをご覧ください。


共産党[ソビエト連邦]
きょうさんとう[ソビエトれんぽう]

ソ連共産党」のページをご覧ください。


共産党[チェコスロバキア]
きょうさんとう[チェコスロバキア]

チェコスロバキア共産党」のページをご覧ください。


共産党[中国]
きょうさんとう[ちゅうごく]

中国共産党」のページをご覧ください。


共産党[ドイツ]
きょうさんとう[ドイツ]

ドイツ共産党」のページをご覧ください。


共産党[日本]
きょうさんとう[にほん]

日本共産党」のページをご覧ください。


共産党[フランス]
きょうさんとう[フランス]

フランス共産党」のページをご覧ください。


共産党[ブルガリア]
きょうさんとう[ブルガリア]

ブルガリア共産党」のページをご覧ください。


共産党[ベトナム]
きょうさんとう[ベトナム]

ベトナム共産党」のページをご覧ください。


共産党[ポーランド]
きょうさんとう[ポーランド]

ポーランド統一労働者党」のページをご覧ください。


共産党[ポルトガル]
きょうさんとう[ポルトガル]

「ポルトガル共産党」のページをご覧ください。


共産党[ユーゴスラビア]
きょうさんとう[ユーゴスラビア]

「共産主義者同盟[ユーゴスラビア]」のページをご覧ください。


共産党[ルーマニア]
きょうさんとう[ルーマニア]

「ルーマニア共産党」のページをご覧ください。


共産党[アルバニア]
きょうさんとう[アルバニア]

「アルバニア社会党」のページをご覧ください。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「共産党」の解説

共産党(きょうさんとう)

1918年ロシアで,19年以来は各国で,革命的マルクス主義政党が名乗った名称。かつては党組織に対する鉄の統制と,コミンテルン指導下の国際的団結を誇ったが,ソ連共産党の終焉後は,一部の国で存続するが独自の道を歩んでいる。

①〔ソ連〕ソ連共産党(KPSS)

②〔ドイツ〕ドイツ共産党(KPD)

③〔フランス〕フランス共産党(PCF)

④〔イタリア〕イタリア共産党

⑤〔スペイン〕スペイン共産党

⑥〔インド〕インド共産党(CPI)

⑦〔インドネシア〕インドネシア共産党(PKI)

⑧〔ベトナム〕インドシナ共産党

⑨〔中国〕中国共産党

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旺文社世界史事典 三訂版 「共産党」の解説

共産党
きょうさんとう

マルクス−レーニン主義にもとづき,資本主義体制を打倒して共産主義社会の樹立をめざす政党
ロシアのボリシェヴィキが革命後の1918年にロシア共産党と改称し,コミンテルンを組織(1919)して世界各国の共産党の組織化につとめた。その結果,西ヨーロッパではドイツ・フランス・イタリアなど社会民主主義政党の左派を中心にあいついで共産党が成立し,アジアでも1920年代にインドネシア(1920)・中国(1921)・日本(1922)・インド(1925)などで結成され,コミンテルンの統制下に活動した。かつてのソ連共産党による一枚岩体制から,コミンフォルムよりのユーゴスラヴィア除名,中ソ論争などによって各国共産党は独自性を進めた。ロシアにおいては,1980年代後半のゴルバチョフのときにロシア共産党が結成された。その後1991年のクーデタ失敗により,ソ連共産党・ロシア共産党ともに活動を禁止されたが,ロシア共産党は93年に活動を再開した。ジュガーノフ委員長のもと,1995年の選挙においては第一党となった。

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世界大百科事典(旧版)内の共産党の言及

【コミンテルン】より






 1840(186476)(18891914)()()1

【政党】より


1890︿9811900418︿311945111922 ︿1955

※「共産党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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