クウェート(読み)くうぇーと(英語表記)State of Kuwait 英語

精選版 日本国語大辞典 「クウェート」の意味・読み・例文・類語

クウェート

  1. ( Kuwait )
  2. [ 一 ] アラビア半島北部、ペルシア湾奥の立憲君主国。首都クウェート。一八九九年イギリスの保護国となり、一九六一年独立。世界有数の石油産出国。
  3. [ 二 ] クウェート国の首都。ペルシア湾奥のクウェート湾南岸にある港湾都市。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「クウェート」の意味・わかりやすい解説

クウェート
くうぇーと
State of Kuwait 英語
Daulapul Kwuit アラビア語

西アジア、ペルシア湾(アラビア湾)最奥部の北西岸に位置する立憲君主国。正式名称はクウェート国Daulapul Kwuit。北と西はイラク、南はサウジアラビアと国境を接し、東はペルシア湾に臨む。総面積1万7818平方キロメートル、人口245万7000(2005推計)。首都はクウェート市。かつては砂漠の中の小国にすぎなかったが、莫大(ばくだい)な石油収入を背景に、第二次世界大戦後、急速に近代化が進み、2007年の1人当りの国内総生産(GDP)は3万8925ドルで世界の上位にある。

[原 隆一・吉田雄介]

自然


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歴史


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政治


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経済・産業


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社会

住民の大部分はアラブ人イスラム教徒(85%。2007)であり、そのうちスンニー派が70%、シーア派が30%である。近年人口増加が著しく、1950年の推定人口約15万人から、1980年のセンサス(人口調査)時には約135万人と、30年で9倍に増加し、1995年のセンサスでは約158万人、2005年には245万7000人(推計値)となった。人口急増の主因は、高い自然増とともに、オイル・ブームによって流入した近隣アラブ諸国やイラン、インドからの外国人移住労働者の社会増による。1980年にはすでに非クウェート人が全人口の6割近くを占め、クウェート人を上回った。2008年には非クウェート人が約68%に達している。クウェートは石油収入のおかげで「豊かな国家」を築き、社会福祉が行き届いている。低所得者向けの快適な住宅、外国人を含め無料の医療費、幼稚園から大学まで完全無料の教育などを実現している。ただ、クウェート人と非クウェート人両者の生活水準や法的地位の格差は社会不安の材料となっていることも事実である。教育制度は小学校4年、中学校4年、高等学校4年の4・4・4制で、小学校と中学校の8年間(6~14歳)が義務教育となっており、幼稚園から大学まで公立学校の教育費は無料である。大学には国立のクウェート大学のほかにクウェート・アメリカン大学などの私立大学がある。

[原 隆一・吉田雄介]

『『世界各国便覧叢書7 シリア・アラブ共和国 クウェイト国』(1971・日本国際問題研究所)』『前川雅子著『アラブの人びと クウェートに住んだ体験から』(1991・サイマル出版会)』『総合研究開発機構編・刊『イラク・クウェート紛争と今後の展望』(1992)』『脇祐三著『中東激変』(2008・日本経済新聞出版社)』『牟田口義郎著『石油に浮ぶ国――クウェートの歴史と現実』(中公新書)』



クウェート(市)
くうぇーと
Kuwait

クウェート国の首都。イラクのバスラから南へ約130キロメートル、クウェート湾の南岸に位置する天然の良港。人口は30万5964(1998推計)。18世紀初頭にアラビア半島内部からアナイザ人が移住して建設した。18世紀後半には、ペルシア湾岸の中継(なかつぎ)貿易、漁業、真珠採集、ダウという名の小さなアラビア風帆船の造船業などで栄えた。19世紀にはドイツがベルリン―バグダード間の鉄道の終着駅としてクウェートを考えたが、イギリスと保護条約を結ぶことによってこの計画を拒否した。第二次世界大戦後はブルガン油田をはじめとする石油開発で急速に発展した。その変貌(へんぼう)ぶりは砂漠の中に忽然(こつぜん)と現れた超近代都市といわれる。近郊には近代設備のある石油積出し港アハマディや、ペルシア湾最大といわれるシュアイバ工業地帯などがある。

[原 隆一]

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改訂新版 世界大百科事典 「クウェート」の意味・わかりやすい解説

クウェート
Kuwait



Dawla al-KuwaytState of Kuwait 
17818km2 
2010274 
Kuwait6 
 
Kuwait Dinar

西al-Kuwayt196818000km2

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クウェート」の意味・わかりやすい解説

クウェート
Kuwait

 
  Dawlat al-Kuwayt
 17818km2
 46850002021
 

西西9湿67西 30%18 175618991914119616 19617720退19635 196310199081991117224195927000t便1992  

クウェート
Al-Kuwayt

クウェートの首都。クウェート県の県都でもある。ペルシア湾の支湾クウェート湾の南岸に位置する。 18世紀に建設された。当時は 13km2ほどの泥壁に囲まれた町で,ペルシア湾沿岸貿易の中継地,漁業と真珠採取の基地であった。 1930年代の後半に大量の石油が発見されて発展への道が開け,1951年以降,国内開発の開始とともに急速に発展した。膨大な石油収入によって道路,港湾,病院,商店街,銀行などの整備された近代都市として発展,国立大学も創立 (1966) された。 1990~91年イラクの侵攻と湾岸戦争により大きな被害を受けた。人口 5万6234(2011)。

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百科事典マイペディア 「クウェート」の意味・わかりやすい解説

クウェート(国)【クウェート】

 
Dawla al-KuwaytState of Kuwait7818km24042014Kuwait320054085Kuwait DinarSabah al-Ahmad20061Jabir Mubarak al-Hamad al-Sabah20111219621119631502542015GDP11212007GDP701720051.02003寿73.575.52013102010942007        130mm401938101975 18191914196119901991200372005520072009520120201111201222014ISISIS  

クウェート(都市)【クウェート】

ペルシア湾岸の砂漠国,クウェートの首都。人口3万1574人(2005)。ペルシア湾から湾入したクウェート湾の南岸に位置し,石油の輸出による好景気に支えられて発展してきた。シーア派住民や外国人労働者の居住者比率が高い。1920年にサウード家侵入を阻んだ(ジャハラの戦い)城壁はのちに第一環状道路となり,その内側が中心地区として高層ビルが立ち並ぶ。→湾岸戦争フセイン

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旺文社世界史事典 三訂版 「クウェート」の解説

クウェート
Kuwait

ペルシア湾の奥に位置する産油国。首都クウェート
【略史】古来遊牧民の領域だったが,18世紀初頭アラビア半島から遊牧民オナイザ族が移住,1756年にその中のサバハ家が首長の地位を握り,現在まで同家の世襲君主制が続いている。1871年オスマン帝国の宗主権を認めバスラ州の一部となる(バスラは現在イラク領)。ドイツの3B政策が開始されると,1899年イギリスの保護国となり,1914年自治国となる。1938年油田が発見される。
【独立とその後】1961年立憲君主国として独立。湾岸協力会議(GCC)加盟国では唯一議会をもったが,アラブ民族主義運動の台頭と,クウェート人と非クウェート人の生活格差による政治的・社会的不安要因から,1986年7月勅令で解散。イラン−イラク戦争ではイラクを支援したが,戦争終結後,債務金問題などから,1990年8月イラク軍の侵攻を受け全土を制圧される。1991年1月多国籍軍の対イラク攻撃が始まり,2月末に解放されて湾岸戦争が終結。湾岸戦争後,安全保障面ではアメリカへの依存度が強まった。内政面では,1992年の総選挙で野党改革勢力が過半数を得たものの,94年の総選挙で親政府派が勢力を伸ばした。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「クウェート」の解説

クウェート
al-Kuwayt


西1819196190()

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