改訂新版 世界大百科事典 「コールリジ」の意味・わかりやすい解説
コールリジ
Samuel Taylor Coleridge
生没年:1772-1834
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…彼の代表作の多くは,1799年末から1806年まで居を構えたグラースミアのダブ・コティッジで書かれた。その北方十数マイルのケジックにあるグリータ・ホールには1800年から04年まで僚友コールリジが,また03年から43年までR.サウジーが住まった。〈湖畔詩人〉の呼称はこの3人に対して,《エジンバラ・レビュー》(1817年8月)が軽蔑的に与えたものである。…
…彼らの討論会が〈超越クラブTranscendental Club〉と報道され,この言葉が彼らの思想の名称となった。超越という言葉はカント哲学に由来し,したがって広くドイツ観念論哲学に関係するが,エマソンらのグループではヘッジだけが直接ドイツ観念論に通じており,他はイギリスのS.T.コールリジとT.カーライルの文章を通して観念論に接した。超越主義は悟性や経験を超越して直観によって真理を把握すべきであるという主張を基盤としていた。…
…これら19世紀以降の百科事典は,富裕な都市市民の購買力を期待しうるところから,巻数は増加し,フランスの《大百科事典La Grande Encyclopédie》(1886‐1902)のように31巻を数えるものまで現れた。また,この時期にあっては,S.T.コールリジのプランによった《メトロポリターナ百科事典Encyclopaedia Metropolitana》29巻(1817‐45)がその体系性のゆえに注目される。当初の意図どおりには進行しなかったとはいえ,歴史家のE.ギボンら,当時の代表的文筆家を総動員する記念碑的百科事典をめざしたものであった。…
…この系譜の中からは,激変する社会の現実と自己の存在との乖離(かいり)を感じ,愛に満たされず何かを求め続け現実から逃避していく〈世紀病mal du siècle〉を病んだロマン派的魂の典型が浮かび上がる。 イギリスにおけるロマン主義は,1800年ころにワーズワースとコールリジを中心に提唱され,1810年から20年にかけてバイロン,シェリー,キーツ,あるいはブレークらの詩人の登場によって頂点を迎えた。個々の作家はロマン主義的な思想と主題とを豊かに展開しているとはいえ,ロマン派としての運動体を形成することはなかった。…
※「コールリジ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
タコノキ科の常緑高木。小笠原諸島に特産する。幹は直立して太い枝をまばらに斜上し,下部には多数の太い気根がある。葉は幹の頂上に密生し,長さ1〜2m,幅約7cmで,先は細くとがり,縁には鋭い鋸歯(きょし)...
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