サルトル(読み)さるとる(英語表記)Jean-Paul Sartre

デジタル大辞泉 「サルトル」の意味・読み・例文・類語

サルトル(Jean-Paul Sartre)

 
190519801964  

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精選版 日本国語大辞典 「サルトル」の意味・読み・例文・類語

サルトル

 

(一)( Jean-Paul Sartre = ) 
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「サルトル」の意味・わかりやすい解説

サルトル
さるとる
Jean-Paul Sartre
(1905―1980)


6212()

 1931()19331934193619371940()19381943姿

 ()19431944

 ()

 2015519

1945~1950年まで

第1期は『存在と無』の延長上にあるもので、『文学とは何か』(1947)のなかで「アンガージュマン(社会参加)の文学」を提唱した時期である。当時は米ソの厳しい対立が世界の政治状況を支配していたが、彼は「第三の道」を模索して、「革命的民主連合」とよばれた運動に積極的に参加する。しかし、そうした政治的行動はまったく無効に終わったばかりか、作品に極端な有効性を求めたその文学理論も、いつか行き詰まりに陥った。「アンガージュマンの文学」の実践として、そのころ最大の努力を傾けた長編小説『自由への道』(1945~1949)が未完のまま放棄されたのは、そのためであった。

[鈴木道彦 2015年5月19日]

1950~1955年


219521954195219511953195119521953

 2015519

1956~1960年


195019603195619541962FLN

 1960119591964

 2015519

1960年代後半以降

1960年代後半に世界的規模で起こった学生運動、とくにフランスの「五月革命」(1968)は、サルトルに深い影響を与えた。一方で、従来から取り組んでいた膨大なフロベール論『家(うち)の馬鹿(ばか)息子』(第1・2巻1971、第3巻1972)を発表するとともに、他方では中国の文化大革命に影響された小組織(マオ派)を支援し、発禁と押収の続くその機関紙を防衛するために、自ら編集長を引き受けたり、その新聞を街頭で配布するなどして、従来の知識人としての行動からようやく一歩脱皮する姿勢を示した。しかし、彼の肉体はすでに衰え、唯一残る左眼もまた1973年以降はほとんど失明状態になり、読書や執筆活動は不可能になった。『家の馬鹿息子』もこうして4巻目はついに書かれなかった。その後もインタビューなどに答えて発言に努めたが、それも晩年にはほとんど現実的な影響力を失い、輝かしい名声にもかかわらず、最後の数年間はけっして幸福なものではなかった。それでも、1980年4月15日に死亡したとき、フランスの各紙は数ページを割いて大々的にこれを報じ、葬儀の日には数万の群衆が自発的に柩(ひつぎ)のあとに長い行列をつくって、戦後史上最大の無冠の巨人に別れを惜しんだ。

[鈴木道彦 2015年5月19日]

『伊吹武彦他訳『サルトル全集』全38巻(1950~1977・人文書院)』『海老坂武・澤田直訳『自由への道』全6巻(岩波文庫)』『F・ジャンソン著、伊吹武彦訳『サルトル』(1957・人文書院)』『鈴木道彦他著『サルトルとその時代――総合著作年譜』(1966・人文書院)』『大江健三郎・加藤周一他著『サルトルとの対話』(1967・人文書院)』『竹内芳郎著『サルトル哲学序説』(1972・筑摩書房)』『竹内芳郎著『サルトルとマルクス主義』(紀伊國屋新書)』『鈴木道彦著『サルトルの文学』(紀伊國屋新書)』

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改訂新版 世界大百科事典 「サルトル」の意味・わかりやすい解説

サルトル
Jean-Paul Sartre
生没年:1905-80


2312P.R.24

 1933-3419431938193921945-49

 24510M.Les Temps Modernes︿姿

 41︿︿2195019563︿468︿73802km

 31960︿使1952鹿1971-7219441948195119531959︿︿10

 21960︿


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百科事典マイペディア 「サルトル」の意味・わかりやすい解説

サルトル

 
1938()21943︿194519451949()1968鹿19711972101964
NRF  

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サルトル」の意味・わかりやすい解説

サルトル
Sartre, Jean-Paul

 
[]1905.6.21. 
[]1980.4.15. 
 192529 ()  193143 ()  193334 1943調L'Etre et le néant 1939194041 1945 Les Temps Modernes 1960 Critique de la raison dialectique 1964退 La Nausée (1938)  Les Chemins de la liberté (194449)  Les Mouches (1943)  Le Diable et le Bon Dieu (1951)  Situations (10194776) 使鹿L'Idiot de la famille (3197172)   

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「サルトル」の解説

サルトル
Jean-Paul Sartre


190580


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旺文社世界史事典 三訂版 「サルトル」の解説

サルトル
Jean Paul Sartre

1905〜80
フランスの哲学者・作家・批評家
第二次世界大戦中,対独レジスタンス運動に活躍しながら,主著『存在と無』を刊行した。戦後,その実存哲学を発展させて社会変革との関係・結合を追究し,ヨーロッパで最も注目を浴びる思想家となった。小説『嘔吐 (おうと) 』『自由への道』,戯曲『汚れた手』,哲学論文『弁証法的理性批判』などがある。

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世界大百科事典(旧版)内のサルトルの言及

【アンガージュマン】より

…もともとは〈契約〉〈誓約〉〈拘束〉などの意。しかし第2次大戦の直後から,作家で哲学者のサルトルがこの語を用いて一つの思想的立場を打ち出すに及び,〈政治参加〉〈社会参加〉といった意味でも広く用いられるようになった。 サルトルによれば,人間はだれしも自分のおかれた状況に条件づけられ,拘束されているが,同時にあくまでも自由な存在である。…

【意識】より


︿︿︿︿

【現象学】より


(1927)︿ 1930(1943)(1942)(1945)20

【コギト】より

… (1)コギトを重んずる現代の哲学としては,何よりもまず実存主義の哲学があげられる。例えばハイデッガーは,人間をたえず〈前存在論的〉に〈自己了解〉しているものととらえ,そうした人間の在り方を〈実存〉と呼んだが,サルトルはそのような自己了解を〈非定立的自己意識〉と規定して,実存をコギトに直結させようとした。われわれは自分自身を反省するまでもなく,いつもすでにおのれを非対象的,非定立的に意識しており,したがって人間のどんな在り方も自由な選択の結果にほかならないというわけであった。…

【実存主義】より


︿1(1927)︿F.(1929)︿G.︿(1946)

【ジュネ】より

…ジューベにより劇作《女中たちLes bonnes》が初演された1947年は,また小説《葬儀》と《ブレストの乱暴者》が刊行された年だが,同時にジュネは窃盗常習犯として終身刑に処せられる。コクトー,J.P.サルトル,F.モーリヤック,P.クローデルらによる大統領への特赦請願が功を奏して,以後,ジュネは作家として生活するようになる。だがガリマール社による小説《泥棒日記Journal du voleur》の刊行(1949)と,同社刊の《ジュネ全集》の巻頭を飾るはずのサルトルの《聖ジュネ――役者にして殉教者Saint Genet――comédien et martyre》(1952)が,小説家ジュネの活動には終止符を打ってしまう。…

【西洋哲学】より

…自然的事物に関しては,形相と質料の区別と同様にその〈である=本質存在〉と〈がある=事実存在〉とを区別して考えることは困難だからである。 現代の哲学者,たとえばサルトルが〈事実存在〉に対して〈本質存在〉を優先させてきた西洋哲学の伝統に逆らい――話を人間の存在に限ってのことではあるが――〈本質存在〉に〈事実存在〉つまり〈実存〉を優先させ,そうすることによって人間の根源的自由を主張する実存主義を提唱したことはすでに知られていよう(《実存主義とは何か》)。 同じような企てはすでに19世紀初頭のシェリングの後期思想にも見られる。…

【想像力】より

…このようにしてカントは,想像力を,それによって総合されるべき〈多様なもの〉に関しては感性に依存しながら,その〈知性的な総合の統一〉に関しては悟性に依存するものと考え,そこに感性と悟性を媒介する基本的な働きを認めたのである。 これとほぼ同じ洞察を現象学的方法によってより厳密化したのが,サルトルである。彼によれば,例えばX氏の想像とは,われわれが自分の頭の中にあるX氏の像を見たりすることではなく,X氏その人に思いをはせることである。…

【ニヒリズム】より


西 

 ︿

【ヒューマニズム】より


 ︿︿︿︿(1949)︿

【無】より


︿néant néantisant 

 

【無神論】より

…ニーチェの無神論は後に通俗化されてナチスのイデオロギーを支えた。 サルトルに代表される実存主義的無神論は,神の死後人間を宗教的・道徳的次元に閉じこめておくことは不可能という信念をニーチェと共有しているが,ニヒリズムという人間存在にとってまったく新しい状況からの脱却に関しては彼と袂を分かつ。実存主義的無神論は,人間的実存の完全性を保つために,〈本質と実存〉の統一という,従来神が引き受けてきた思想を拒否する。…

【メルロー・ポンティ】より


1930(1942)(1945)454849()5221945()52

 ︿

※「サルトル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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