翻訳|Saarland
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ザールラントの名称は、1918年までは行政上も、政治的にも、歴史的にも存在しない。帝国騎士の小所領からなるこの地域は、17世紀の三十年戦争以後フランスの影響を受け、ルイ14世に一時占領された(1680~97)。フランス革命期にはライン左岸地域とともにフランスに併合されたが、ナポレオン敗北後のパリ条約(1815)で、その大部分がプロイセンに、南東部がバイエルンに編入された。プロイセン・オーストリア戦争の際、ナポレオン3世はここをうかがうが、その関心は石炭など重要資源にあった。第一次世界大戦後フランスはここを併合しようとするが失敗し、ベルサイユ条約で国際連盟監督下の自治地域となり、1935年住民投票の結果ドイツに復帰した。第二次世界大戦後フランスはここをドイツから分離し経済的に統合しようとするが、1954年のザール地位協定が翌年の住民投票で否決されると断念し、56年10月ザール条約を結び、ザールラントはドイツ連邦共和国に編入された。
[吉田輝夫]
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