出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
フランスの首都パリの市内を貫流するセーヌ川の川中島。パリの第1、第4区に属し、パリ市揺籃(ようらん)の地。かつてケルト系のパリシイ人の町があり、古代ローマ人の到来後、町はセーヌ左岸に建設された。中世、とくにフンやノルマンの侵攻時には島全体が要塞(ようさい)と化した。カペー王朝は島の西端に王宮を建設、現在はパレ・ド・ジュスティス(裁判所。構内には礼拝堂サント・シャペル、付属監獄コンシェルジュリがある)とドーフィヌ広場(1607)となっている。かつては人家と多くの教会の密集地であったが、第二帝政期の改造により、プレフェクチュール・ド・ポリス(警視庁)、オテル・ディユ(公立病院)、裁判所、兵営など公共建造物が大部分を占める。島の東端にノートル・ダム大聖堂、その正面広場にフランスの距離原標がある。現存するパリ最古の橋ポン・ヌフ(1578~1604)など八つの橋で両岸と結ばれ、一つの歩道橋で東に連なるサン・ルイ島と結ばれている。
[高橋 正]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…また,1994年開通のユーロトンネルにより,パリ~ロンドンは約3時間で結ばれることになった。【田辺 裕】
〔歴史〕
【古代】
パリ盆地には,ローマ人のガリア征服により約2000年も前から定住者がいたと推定されるが,最初にセーヌ川の現在のシテ島に住みついたのは,ケルト系のパリシイ族Parisiiであった。彼らは,カエサルのガリア征服の半世紀ほど前には,工芸品ともいえるみごとな金貨を鋳造し,セーヌ川によって交易していたとされる。…
※「シテ島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
6/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
5/20 小学館の図鑑NEO[新版]昆虫を追加
5/14 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新