デジタル大辞泉
「パリ」の意味・読み・例文・類語
パリ【Paris】[書名]
モ ー ツ ァ ル ト の 交 響 曲 第 31 番 ニ 長 調 の 通 称 。 1 7 7 8 年 作 曲 。 全 3 楽 章 。 パ リ の オ ー ケ ス ト ラ 、 コ ン セ ー ル ス ピ リ チ ュ エ ル の た め の 作 品 。 自 身 の 交 響 曲 と し て 初 め て ク ラ リ ネ ッ ト が 用 い ら れ た 。
出典 小学館 デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
パリ ぱり Paris
フ ラ ン ス の 首 都 。 同 国 北 部 、 パ リ 盆 地 の 中 央 部 に 位 置 し 、 セ ー ヌ 川 が 市 内 を 貫 流 す る 。 人 口 市 域 2 1 2 万 5 2 4 6 、 首 都 圏 9 6 4 万 4 5 0 7 ︵ 1 9 9 9 ︶ 、 市 域 2 2 0 万 6 4 8 8 、 首 都 圏 1 0 7 0 万 6 0 7 2 ︵ 2 0 1 5 セ ン サ ス ︶ 。 欧 州 諸 国 の う ち で も 統 一 の 早 か っ た こ の 国 の あ ら ゆ る 面 に お け る 中 心 都 市 と し て 発 展 し 、 現 在 な お 政 治 、 経 済 、 工 業 そ し て 文 化 、 科 学 、 芸 術 な ど す べ て の 部 門 に お け る 活 動 は 他 国 に 例 の み ら れ な い ほ ど パ リ に 集 中 し て お り 、 世 界 の 大 都 会 の な か で も っ と も 典 型 的 な 意 味 に お け る ﹁ 首 都 ﹂ で あ る 。 そ の 歴 史 の 各 時 期 を 通 じ て 変 わ る こ と な く 続 い た こ の 特 性 は 、 現 在 の 都 市 構 成 お よ び 市 民 生 活 一 般 の う ち に も 明 ら か に 反 映 し て お り 、 パ リ の 魅 力 も こ こ に あ る 。 市 街 を 弧 状 に 貫 流 し て そ の 景 観 に 深 い 情 緒 を 添 え て い る セ ー ヌ 川 は 、 そ の 水 運 を 通 じ て パ リ の 発 生 と 発 展 の 原 動 力 と な っ た が 、 現 在 な お こ の 役 目 を 果 た し な が ら ︵ パ リ 河 港 の 年 間 荷 扱 量 2 1 3 0 万 ト ン 、 1 9 9 4 ︶ 、 一 方 で は 息 詰 ま り が ち な 大 都 会 の 住 人 の た め に 憩 い の 空 間 を 提 供 し て い る 。
﹇ 日 高 達 太 郎 ﹈
パ リ は 北 緯 48 度 50 分 、 東 経 2 度 20 分 に 位 置 し 、 ほ ぼ 六 角 形 の 国 土 の 中 心 か ら は 約 2 0 0 キ ロ メ ー ト ル も 北 に 偏 っ て い る 。 し か し 、 セ ー ヌ 川 お よ び パ リ 付 近 で こ れ に 合 流 す る 諸 支 流 の 存 在 が 、 肥 沃 ( ひ よ く ) な パ リ 盆 地 を も た ら し 、 河 川 を 連 絡 路 と し て 盆 地 を 支 配 で き る と い う 好 条 件 を パ リ に 与 え た 。 こ れ に よ り パ リ は 古 く か ら 他 市 を 排 し て 首 都 と な る こ と が で き た 。 市 街 中 心 部 セ ー ヌ 河 畔 の 標 高 は 26 メ ー ト ル に す ぎ な い が 、 周 囲 に は 1 0 0 メ ー ト ル 前 後 の 丘 が 五 つ あ る 。 パ リ 盆 地 の 南 北 方 向 の 主 要 連 絡 路 は 、 モ ン マ ル ト ル と シ ョ ー モ ン の 丘 の 間 の ﹁ 峠 ﹂ を 通 過 し 、 セ ー ヌ 川 の 中 の 島 シ テ 島 を 飛 び 石 と し て こ の 谷 を 渡 り 、 南 側 で は サ ン ト ・ ジ ュ ヌ ビ エ ー ブ の 丘 と モ ン パ ル ナ ス の 間 の ビ エ ー ブ ル の 谷 を さ か の ぼ っ て 広 い 台 地 の 上 に 出 る も の で あ っ た 。
オ ア ー ズ 川 、 マ ル ヌ 川 な ど の セ ー ヌ 支 流 は 東 方 お よ び 北 方 の 両 地 域 と の 連 絡 路 と な っ た 。 こ の 天 然 の 十 字 路 と も い う べ き 立 地 が 、 パ リ の 経 済 的 発 展 と 政 治 的 影 響 力 の 全 国 浸 透 に 大 き な 役 割 を 果 た す 。 周 囲 の 丘 は 、 石 材 、 漆 食 ( し っ く い ) な ど 建 築 材 料 を 提 供 し て 都 市 建 設 に 役 だ っ た 。
気 候 条 件 も 、 北 緯 50 度 に 近 い に も か か わ ら ず 、 西 に 向 か っ て 開 い て い る 盆 地 内 に あ っ て 大 西 洋 と イ ギ リ ス 海 峡 か ら の 影 響 を 受 け る お か げ で け っ し て 厳 し い も の で は な い 。 平 均 気 温 は 1 月 の 3 . 4 ℃ 、 7 月 の 1 9 . 1 ℃ 、 年 降 水 量 は 6 4 1 ミ リ メ ー ト ル 、 降 雨 日 数 1 7 1 日 。 と く に 春 に 天 候 が 不 安 定 に な る 海 洋 性 の 温 帯 気 候 に 属 し て い る 。
﹇ 日 高 達 太 郎 ﹈
19 世 紀 な か ば の パ リ 市 街 は 、 現 在 の 第 1 区 か ら 第 10 区 ま で に 相 当 す る 中 心 部 、 約 25 平 方 キ ロ メ ー ト ル に す ぎ な か っ た 。 つ い で そ の 外 側 に 第 11 区 か ら 第 20 区 ま で の 手 工 業 を 主 と す る 地 区 が 発 展 、 産 業 革 命 と と も に 、 工 業 地 帯 が 輸 送 に 便 利 な セ ー ヌ 下 流 に 向 か っ て 延 び る 一 方 、 鉄 道 に 沿 っ て 放 射 状 に 広 が っ た 。 他 方 、 19 世 紀 な か ば に は パ リ 周 辺 地 区 の 森 林 を 切 り 開 く 宅 地 造 成 に よ り 、 小 さ な 庭 を も っ た 郊 外 個 人 住 宅 地 が 現 れ 、 第 一 次 世 界 大 戦 後 は 大 規 模 な 宅 地 造 成 が 耕 作 地 に も 及 ぶ 。 第 二 次 世 界 大 戦 を 機 に 、 ト ラ ッ ク に よ る 貨 物 輸 送 の 発 展 、 自 家 用 自 動 車 の 普 及 な ど に よ り 、 工 場 、 新 都 市 の 建 設 地 選 択 は か な り 自 由 と な り 、 近 郊 に 残 っ て い た 緑 地 の 一 部 も 都 市 化 さ れ た 。 か く し て パ リ を 中 心 と す る 都 市 圏 の 広 が り は 、 約 1 世 紀 の 間 に 、 ﹁ 小 冠 ﹂ P e t i t e C o u r o n n e ︵ ま た は 都 市 域 冠 C o u r o n n e U r b a i n e ︶ に 属 す る セ ー ヌ ・ サ ン ・ ド ニ 、 バ ル ・ ド ・ マ ル ヌ 、 オ ー ・ ド ・ セ ー ヌ 3 県 と ﹁ 大 冠 ﹂ G r a n d e C o u r o n n e ︵ ま た は 副 都 市 域 冠 C o u r o n n e S u b u r b a i n e ︶ に 属 す る バ ル ・ ド ア ー ズ 、 セ ー ヌ ・ エ ・ マ ル ヌ 、 イ ブ リ ー ヌ 、 エ ソ ン ヌ 4 県 を 擁 す る イ ル ・ ド ・ フ ラ ン ス 全 域 ︵ 面 積 1 万 2 0 1 2 平 方 キ ロ メ ー ト ル ︶ に お よ び 、 人 口 は 2 0 0 万 強 か ら 約 1 0 0 0 万 に 膨 張 し た 。 全 国 土 の 2 % に あ た る 土 地 に フ ラ ン ス 全 人 口 の 1 8 . 5 % が 集 中 し て い る こ と に な る 。 こ の 約 1 世 紀 間 の 人 口 増 加 は 、 郊 外 地 区 で は 約 15 倍 で あ る の に 対 し 、 パ リ 市 域 で は 約 50 % 増 に す ぎ な い 。
行 政 上 の パ リ 市 ︵ 20 区 内 ︶ は 、 現 在 も 1 8 4 0 年 の 城 壁 跡 の 環 状 大 通 り の 内 側 に と ど ま っ て い る 。 そ の 広 が り は 東 西 12 キ ロ メ ー ト ル 、 南 北 9 キ ロ メ ー ト ル 、 こ れ に 西 側 の ブ ロ ー ニ ュ の 森 8 4 6 ヘ ク タ ー ル と 東 側 の バ ン セ ン ヌ の 森 9 9 5 ヘ ク タ ー ル が 加 わ り 、 面 積 は 約 1 0 5 平 方 キ ロ メ ー ト ル 、 大 国 の 首 都 と し て は 小 さ い 都 市 で あ る 。 こ の 小 さ な パ リ 市 は 政 府 所 在 地 と し て 特 別 市 を 形 成 し 、 同 時 に パ リ 県 を も な し 、 市 長 を 議 長 と す る 市 議 会 が 県 行 政 も 行 っ て い る が 、 近 年 は し だ い に 一 般 の 市 の 行 政 形 態 に 近 づ く 傾 向 が あ る 。
い わ ゆ る ﹁ 花 の 都 パ リ ﹂ と し て 世 界 に 知 ら れ る 中 心 部 は 、 16 、 17 世 紀 の 国 王 に よ る 首 都 建 設 を 基 盤 と し て い る 。 し か し 現 在 の 姿 は 、 ま ず 19 世 紀 中 葉 の オ ス マ ン 知 事 に よ る 大 胆 な 都 市 計 画 に 始 ま っ て 20 世 紀 初 頭 ま で 、 老 朽 家 屋 の 密 集 地 区 の 取 り 壊 し と そ の 住 民 の 市 域 外 縁 へ の 移 転 、 大 通 り の 貫 通 な ど 、 多 く の 改 新 、 建 設 工 事 に よ る 近 代 化 の 結 果 で あ る 。 パ リ の 歴 史 的 建 築 物 の 大 部 分 は 、 第 1 区 か ら 第 6 区 ま で を 構 成 す る こ の 核 心 部 に 集 中 し て お り 、 都 市 機 能 も セ ー ヌ 右 岸 の 商 業 ・ 金 融 ・ 手 工 業 地 域 と 、 左 岸 の 教 育 ・ 文 化 地 域 に 分 か れ て い る な ど 、 中 世 以 来 の 伝 統 を 反 映 し て い る 。 こ の 西 側 に 、 エ ト ア ー ル 凱 旋 門 ( が い せ ん も ん ) を 中 心 に 発 す る 12 本 の 大 通 り を 骨 格 と し た い わ ば ブ ル ジ ョ ア 地 区 が あ り 、 な か で も ブ ロ ー ニ ュ の 森 に 接 す る 第 16 区 は 高 級 住 宅 地 と し て 発 展 し た 。 東 側 と 南 北 両 側 に は 中 級 以 下 の 住 宅 、 小 工 場 、 倉 庫 な ど が 多 く 、 近 年 に 至 っ て 老 朽 、 非 衛 生 的 地 区 を 対 象 と し た 大 刷 新 工 事 が 行 わ れ 、 メ ー ヌ ・ モ ン パ ル ナ ス 地 区 、 第 15 区 セ ー ヌ 左 岸 地 区 な ど 、 パ リ と し て は 異 様 と も い え る 高 層 建 築 物 が 出 現 し た 所 も 少 な く な い 。
﹇ 日 高 達 太 郎 ﹈
水 道 は 、 飲 用 水 道 延 長 1 7 5 0 キ ロ メ ー ト ル 、 非 飲 用 水 道 1 6 1 0 キ ロ メ ー ト ル 、 有 名 な 下 水 道 2 2 0 0 キ ロ メ ー ト ル を 備 え る 。 道 路 は 5 9 5 9 本 、 そ の 延 長 は 1 9 0 1 キ ロ メ ー ト ル 。 ほ か に 、 セ ー ヌ 河 岸 自 動 車 専 用 道 路 15 キ ロ メ ー ト ル 余 、 市 域 を 完 全 に 取 り 巻 く 高 速 道 路 35 キ ロ メ ー ト ル な ど が あ る が 、 市 内 自 動 車 交 通 と 公 害 の 増 大 に 直 面 し て い る 。 う ち 3 3 1 キ ロ メ ー ト ル の 歩 道 上 に は 計 10 万 本 の 並 木 、 7 0 3 2 の ベ ン チ 、 市 域 総 面 積 の 25 % に あ た る 2 2 1 4 ヘ ク タ ー ル に 達 す る 各 種 公 園 緑 地 を 確 保 し て い る 。
公 共 交 通 機 関 の 重 要 性 が 増 大 し て い る 今 日 、 パ リ 市 交 通 公 団 地 下 鉄 ︵ 通 称 メ ト ロ ︶ は 15 路 線 、 延 長 2 0 2 キ ロ メ ー ト ル 、 週 日 に は 1 日 当 り 4 5 6 万 人 を 輸 送 し て い る 。 同 公 団 バ ス は 、 55 路 線 の 網 目 を 張 り 、 延 長 5 1 0 キ ロ メ ー ト ル を 連 絡 、 年 間 3 億 3 2 0 0 万 人 余 の 足 と な っ て い る 。 さ ら に 、 バ ス 専 用 レ ー ン も 通 れ る 1 万 4 9 0 0 台 の タ ク シ ー ︵ 個 人 営 業 8 6 0 0 台 ︶ が 、 4 6 8 の 専 用 駐 車 場 に 分 散 し て 、 1 日 平 均 33 万 回 利 用 さ れ て い る ︵ 以 上 の 数 値 は ほ と ん ど 1 9 9 4 年 ま た は 1 9 9 5 年 ︶ 。
市 内 に 通 う 郊 外 居 住 者 の た め に は 、 高 速 道 路 に よ る 連 絡 に 続 い て 、 郊 外 電 車 と 地 下 鉄 を 結 び 付 け た R E R ︵ 首 都 圏 急 行 網 ︶ も 発 展 、 週 日 に は 1 日 当 り 1 4 0 万 人 、 1 日 当 り 平 均 11 キ ロ メ ー ト ル に 及 ぶ 移 動 を 受 け も っ て い る 。 中 央 集 権 の 強 化 に も 役 だ っ た パ リ 中 心 の 全 国 鉄 道 網 と は 、 方 角 に よ り 六 つ の タ ー ミ ナ ル 駅 で 結 ば れ 、 列 車 本 数 は 1 日 平 均 6 2 8 、 年 間 乗 客 数 は 計 8 8 2 0 万 人 に 達 す る 。 こ れ ら 六 つ の 共 用 駅 の ほ か 三 つ の 専 用 駅 を も ち 、 パ リ を 中 心 に 50 キ ロ メ ー ト ル 圏 内 を 結 ぶ 郊 外 線 ︵ 28 路 線 、 延 長 1 2 8 5 キ ロ メ ー ト ル ︶ が 通 じ て い る 。 そ の 列 車 本 数 は 日 に 5 1 0 0 、 年 間 利 用 者 数 は 5 億 4 0 0 0 万 余 人 で あ る ︵ 以 上 1 9 9 4 年 の 数 値 ︶ 。
国 内 諸 地 方 は も と よ り ヨ ー ロ ッ パ 諸 国 と は 、 20 本 の 幹 線 国 道 と 東 西 南 北 に 向 か う 4 本 の 高 速 道 路 に よ っ て 結 ば れ る 。 南 の 高 速 道 路 は コ ー ト ・ ダ ジ ュ ー ル へ 観 光 客 を 導 く の み な ら ず 、 首 都 の 胃 袋 が 必 要 と す る 南 フ ラ ン ス の 生 鮮 食 料 の 大 部 分 を 輸 送 し て い る 。 パ リ 向 け 食 料 品 全 体 の 60 % は 、 各 地 方 か ら の ト ラ ッ ク 輸 送 に よ っ て い る 。 北 と 東 の 高 速 道 路 は ベ ル ギ ー 、 ド イ ツ か ら 輸 入 さ れ る 工 業 製 品 の ル ー ト で あ る 。 空 路 で は 、 市 街 中 心 か ら 北 東 25 キ ロ メ ー ト ル に ロ ア シ ー ︵ シ ャ ル ル ・ ド ゴ ー ル ︶ 、 南 約 15 キ ロ メ ー ト ル に オ ル リ ー の 2 国 際 空 港 が あ る 。 シ ャ ル ル ・ ド ゴ ー ル 空 港 は 年 間 に 旅 客 4 3 4 4 万 人 、 貨 物 98 万 ト ン を 扱 う ︵ 1 9 9 9 ︶ 。 ほ か に 自 家 用 機 、 試 験 飛 行 用 の 小 空 港 も 首 都 圏 内 に い く つ か あ る 。
﹇ 日 高 達 太 郎 ﹈
中 世 以 来 の 伝 統 的 ﹁ パ リ 製 品 ﹂ と し て 宝 石 細 工 、 貴 金 属 細 工 、 楽 器 、 高 級 家 具 、 香 水 、 高 級 衣 装 な ど が あ る ほ か 、 精 密 器 具 、 出 版 物 、 音 楽 産 業 、 映 画 な ど が 広 く 知 ら れ て い る 。 こ れ ら の 産 業 は 、 パ リ の 商 業 、 文 芸 活 動 、 観 光 な ど 、 い わ ば パ リ 的 人 間 活 動 に 密 接 に 結 び 付 い て い る だ け に 、 古 く か ら 市 内 あ る い は そ の 外 縁 近 く に 集 中 し て い た 。 現 在 な お マ レ 地 区 、 タ ン プ ル 地 区 の 貴 金 属 細 工 、 サ ン タ ン ト ア ー ヌ 地 区 の 調 度 品 、 左 岸 ラ テ ン 区 ︵ カ ル チ エ ・ ラ タ ン ︶ の 出 版 な ど 、 典 型 的 な 例 も 残 っ て い る 。 一 方 、 首 都 圏 全 体 は 同 国 経 済 活 動 人 口 の 25 % を 擁 す る 最 大 か つ 多 様 な 工 業 地 域 を 形 成 し て い る 。 こ れ も 自 然 立 地 の ほ か 、 人 口 、 資 本 の 集 中 、 行 政 機 能 な ど 、 中 央 集 権 国 家 の 首 都 と し て の 特 恵 的 諸 条 件 に よ る と こ ろ が 大 き い 。
パ リ 工 業 地 帯 発 展 の 原 動 力 と し て は 、 18 世 紀 以 来 の 研 究 と 資 本 と を 生 か し た 化 学 工 業 、 19 世 紀 中 葉 以 後 の パ リ を 起 点 と す る 鉄 道 建 設 、 鉄 骨 建 築 の 発 展 な ど に 伴 う 鉄 工 業 な ど が あ り 、 さ ら に 20 世 紀 初 頭 以 来 の 電 気 、 自 動 車 、 航 空 機 な ど 、 時 代 の 先 端 を 行 く 諸 工 業 が こ れ に 加 わ っ て い る 。
パ リ 市 内 で は 小 工 場 が し だ い に 住 宅 あ る い は 事 務 所 に 転 換 さ れ 、 ﹁ 非 工 業 化 ﹂ が 緩 慢 に 行 わ れ て い る 一 方 、 現 在 も 東 と 北 側 の 遠 郊 工 業 地 帯 の 建 設 が 進 ん で い る 。 こ れ ら の 工 業 地 帯 は 、 石 塀 と 煙 突 に 工 員 住 宅 と い う 伝 統 的 な も の と は 異 な り 、 芝 生 と 広 い 駐 車 場 に 囲 ま れ た 機 能 的 で 明 る い 工 場 が 並 ん で お り 、 従 業 員 は 多 少 と も 離 れ た 静 か な 環 境 の う ち に 住 ん で い る 。 こ れ ら 工 業 地 帯 の 立 地 も 景 観 も 、 技 術 、 運 輸 手 段 、 通 信 網 の 発 展 、 生 活 水 準 の 向 上 な ど 、 社 会 条 件 の 変 革 の 反 映 で あ る 。
第 三 次 産 業 部 門 に お い て も 、 パ リ は 全 国 最 大 の 産 業 都 市 で あ る 。 政 府 と 公 共 機 関 は 、 首 都 圏 活 動 人 口 の 20 % を 吸 収 し て い る 。 ま た 、 ユ ネ ス コ 本 部 を は じ め 4 0 0 を 超 え る 国 際 機 関 の 存 在 は 国 際 都 市 の 名 に ふ さ わ し い 。 通 信 ・ 報 道 、 出 版 、 演 劇 、 芸 術 、 観 光 な ど の 諸 部 門 が 発 展 し て い る し 、 さ ら に は 銀 行 、 保 険 会 社 の 本 社 、 大 企 業 の 本 部 と 研 究 部 門 の 存 在 な ど が 第 三 次 産 業 を 支 え て い る 。
﹇ 日 高 達 太 郎 ﹈
フ ラ ン ス の 知 的 活 動 と 文 化 財 も パ リ に 集 中 し て い る 。 パ リ 第 一 ~ 第 十 三 大 学 ま で の パ リ 大 学 と 4 大 学 校 ︵ 理 工 科 大 学 ︿ エ コ ー ル ・ ポ リ テ ク ニ ク ﹀ 、 高 等 師 範 学 校 ︿ エ コ ー ル ・ ノ ル マ ル ・ シ ュ ペ リ ュ ー ル ﹀ 、 国 立 行 政 学 校 ︿ エ コ ー ル ・ ナ シ ョ ナ ル ・ ダ ド ミ ニ ス ト ラ シ オ ン ﹀ 、 工 業 専 門 学 校 ︿ エ コ ー ル ・ サ ン ト ラ ル ﹀ ︶ に は 計 約 30 万 に 及 ぶ 学 生 が 通 い 、 そ の 3 分 の 1 以 上 が 地 方 あ る い は 外 国 出 身 で あ る 。 主 要 な 調 査 研 究 機 関 の 大 部 分 が パ リ 市 内 と そ の 近 郊 に あ り 、 市 内 に は 市 立 図 書 館 64 、 博 物 館 ・ 美 術 館 1 3 4 、 劇 場 1 4 1 が あ る 。
多 く の 観 光 客 が 訪 れ る パ リ に は 歴 史 的 建 造 物 が 豊 富 で あ る 。 そ の 主 要 な も の を あ げ れ ば 以 下 の と お り で あ る 。 ゴ シ ッ ク 様 式 の ノ ー ト ル ・ ダ ム 大 聖 堂 ︵ 12 ~ 13 世 紀 ︶ は 、 パ リ 発 祥 の 地 シ テ 島 に 建 ち 、 ル ー ブ ル 宮 殿 ︵ 現 、 ル ー ブ ル 美 術 館 。 16 ~ 19 世 紀 ︶ と と も に パ リ の 象 徴 的 存 在 で あ る 。 ア ン バ リ ッ ド ︵ 廃 兵 院 ︶ は 17 世 紀 古 典 様 式 の 完 成 例 で 、 ル イ 14 世 の 命 に よ り 建 築 さ れ た 。 ノ ー ト ル ・ ダ ム 大 聖 堂 に 近 い セ ー ヌ 右 岸 に 建 つ 市 庁 舎 は 、 19 世 紀 ル ネ サ ン ス 様 式 を 模 し た 宮 殿 建 築 。 ネ オ ・ バ ロ ッ ク 様 式 の オ ペ ラ 座 も 同 時 期 の も の で あ る 。 こ れ ら に 対 し て 、 大 革 命 1 0 0 年 記 念 の 万 国 博 で 建 て ら れ た エ ッ フ ェ ル 塔 ︵ 1 8 8 9 ︶ や 、 モ ン マ ル ト ル の 丘 の 頂 上 に 白 く 輝 く サ ク レ ・ ク ー ル 大 聖 堂 ︵ 1 8 7 6 ~ 1 9 1 9 ︶ な ど は 、 近 代 パ リ を 象 徴 す る 建 築 物 と な っ て い る 。
﹇ 日 高 達 太 郎 ﹈
さまざまな歴史的建造物が建ち並ぶセーヌ川河岸は1991年、ユネスコ(国連教育科学文化機関)により「パリのセーヌ河岸」として世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。
[編集部]
パ リ 盆 地 に は 旧 石 器 時 代 か ら の 生 活 の 跡 が 認 め ら れ て い る が 、 都 市 と し て の 直 接 の 淵 源 ( え ん げ ん ) は 、 紀 元 前 3 世 紀 こ ろ ケ ル ト 系 の パ リ シ イ 人 P a r i s i i が 後 の シ テ 島 を 中 心 に 住 み 着 い た こ と に あ る 。 パ リ の 名 も そ れ に 由 来 す る 。 初 め 漁 労 生 活 を 営 ん で い た 彼 ら は 、 じ き に セ ー ヌ 川 を 使 っ て 商 業 活 動 に も 入 っ た 。 こ の 地 は ロ ー マ 人 に よ っ て ル テ チ ア L u t e t i a と よ ば れ 、 前 50 年 代 の カ エ サ ル に よ る ガ リ ア 征 服 と と も に ロ ー マ 帝 国 支 配 下 に 置 か れ る 。 紀 元 後 3 世 紀 に か け て 、 お も に セ ー ヌ 川 左 岸 を 中 心 に 発 展 し た ロ ー マ 都 市 ル テ チ ア に は 、 す で に 水 上 商 人 組 合 が つ く ら れ て い た 。 現 在 で も 、 円 形 闘 技 場 跡 や 、 ク リ ュ ニ ー 修 道 院 ︵ 現 、 ク リ ュ ニ ー 美 術 館 ︶ 内 の 浴 場 跡 に 、 当 時 の お も か げ が 残 さ れ て い る 。 聖 ド ニ S a i n t D e n i s が 初 代 司 教 と し て 布 教 し 、 殉 教 の 逸 話 を 残 し た の も 3 世 紀 な か ば で あ っ た 。
4 世 紀 に な る と ゲ ル マ ン 人 、 と り わ け フ ラ ン ク 人 の 侵 入 が 激 し く な り 、 そ の 対 応 の た め に ロ ー マ か ら 派 遣 さ れ た ユ リ ア ヌ ス は こ の 地 に 居 を 定 め 、 3 6 0 年 に 皇 帝 に 推 挙 さ れ た 。 シ テ 島 を 中 心 に 集 住 化 が 進 み 、 5 世 紀 初 め に は 最 初 の 市 壁 が つ く ら れ た が 、 ロ ー マ の 支 配 は 実 質 上 終 わ り を 告 げ て ゆ く 。 5 世 紀 な か ば に は ア ッ テ ィ ラ の 率 い る フ ン 人 の 襲 来 を 受 け 、 パ リ は ふ た た び 脅 威 に さ ら さ れ る が 、 そ の 攻 撃 を 退 け た 聖 女 ジ ュ ヌ ビ エ ー ブ は 、 そ の 後 パ リ の 守 護 聖 人 と し て 崇 ( あ が ) め ら れ る こ と に な る 。
6 世 紀 初 め か ら ク ロ ー ビ ス に よ っ て メ ロ ビ ン グ 朝 の 首 都 と さ れ 、 商 業 を 中 心 に 左 岸 の み で な く 右 岸 に も 町 が 広 が り 、 修 道 院 の 建 立 な ど も み て 宗 教 的 に も 重 要 に な っ て い っ た 。 有 名 な サ ン ・ ジ ェ ル マ ン ・ デ ・ プ レ 修 道 院 も こ の 時 代 に 起 源 を も つ 。 だ が メ ロ ビ ン グ 朝 末 期 か ら カ ロ リ ン グ 朝 時 代 に は 政 治 の 中 心 か ら 外 さ れ 、 カ ー ル 大 帝 は ア ー ヘ ン ︵ 現 、 ド イ ツ ︶ を 首 都 と し た 。 そ し て 9 世 紀 後 半 に ノ ル マ ン 人 、 い わ ゆ る バ イ キ ン グ が セ ー ヌ 河 口 か ら さ か の ぼ っ て 襲 来 し 、 ガ リ ア ・ ロ ー マ 時 代 か ら の 都 市 周 辺 部 は 壊 滅 的 な 打 撃 を 被 る 。
﹇ 福 井 憲 彦 ﹈
最 終 的 に ノ ル マ ン 人 の 攻 撃 を 退 け る こ と が で き た パ リ は 、 そ の 声 望 を 高 め た 。 8 8 8 年 パ リ 伯 ユ ー ド E u d e s ︵ 8 5 2 ? ― 8 9 8 ︶ が フ ラ ン ク 国 王 と な り 、 そ の 子 孫 ユ ー グ ・ カ ペ ー が 9 8 7 年 に カ ペ ー 朝 を 始 め る こ ろ に は 、 王 国 の 中 心 と し て の 位 置 は 揺 る ぎ な い も の に な り つ つ あ っ た 。
12 世 紀 前 半 、 カ ペ ー 朝 の ル イ 6 世 L o u i s Ⅵ ︵ 1 0 8 1 ― 1 1 3 7 ︶ の こ ろ か ら 、 周 辺 の 農 業 生 産 の 発 展 を 背 景 に 経 済 的 に も 飛 躍 を 示 す 。 右 岸 に あ る 現 在 の 市 庁 舎 前 広 場 に 発 展 し だ し た 市 場 は 、 の ち に ﹁ パ リ の 胃 袋 ﹂ と よ ば れ る こ と に な る レ ・ ア ル ︵ 中 央 市 場 ︶ の 場 所 に 移 さ れ 、 フ ィ リ ッ プ 2 世 の も と で 13 世 紀 初 め に は 本 格 的 に 取 引 の 中 心 に な っ た 。 イ ン グ ラ ン ド 王 と 争 っ て フ ラ ン ス 王 国 の 領 土 を 拡 張 、 封 建 諸 侯 を 抑 え て 国 王 の 権 勢 を 強 め 、 尊 厳 な る 王 ︵ オ ー ギ ュ ス ト ︶ と よ ば れ た フ ィ リ ッ プ 2 世 は 、 パ リ の 周 囲 を 市 壁 で 固 め 、 街 路 に 舗 石 ( ほ せ き ) を 敷 き 、 セ ー ヌ 川 に は 橋 を 架 け さ せ た 。 中 世 の 橋 は 木 造 で 、 橋 上 に は 家 屋 が し つ ら え ら れ て お り 、 と き に は 火 災 で 焼 失 も し た が 、 シ テ 島 を 中 央 に 左 右 両 岸 が 連 結 し て 発 展 の 途 に つ く 。 彼 は ま た シ テ 島 の 王 宮 と 並 ん で 右 岸 に ル ー ブ ル 宮 を 建 て 、 商 人 ギ ル ド に 特 権 を 付 与 し て 経 済 の 活 性 化 を 図 っ た 。 左 岸 で は 、 サ ン ト ・ ジ ュ ヌ ビ エ ー ブ の 丘 に か け て パ リ 大 学 の 基 礎 が 築 か れ 、 や が て 中 世 末 に は ス コ ラ 学 の 総 本 山 と し て 諸 国 か ら 学 者 を ひ き つ け る こ と に な る 。 知 的 ・ 文 化 的 中 心 と し て の い わ ゆ る カ ル チ エ ・ ラ タ ン の 成 立 で あ る 。 す で に 12 世 紀 な か ば か ら 、 パ リ 司 教 座 教 会 と し て ノ ー ト ル ・ ダ ム 大 聖 堂 の 建 築 が 始 ま っ て お り 、 ゴ シ ッ ク 建 築 の 偉 容 が 宗 教 的 中 心 の 地 位 を 象 徴 す る こ と に な る 。
こ う し て 中 世 都 市 と し て の 姿 を 整 え て い っ た パ リ に は 、 13 世 紀 の 聖 王 ル イ 9 世 の も と で 高 等 法 院 と 会 計 院 が 置 か れ 、 さ ら に 商 業 の 発 展 と 相 ま っ て 人 口 も 10 万 を 超 え た と い わ れ る 。 力 を 蓄 え た 商 人 た ち は 都 市 と し て の 自 治 権 を 王 か ら 認 め ら れ 、 プ レ ボ と よ ば れ る 代 表 を 市 長 と し て 選 任 す る よ う に な る 。 1 3 0 2 年 、 教 皇 と 対 立 し て い た 国 王 フ ィ リ ッ プ 4 世 は 、 僧 侶 ( そ う り ょ ) ・ 貴 族 と 並 ん で 市 民 代 表 に も 支 援 を 求 め 、 最 初 の 三 部 会 を パ リ に 開 い た 。 こ れ は 市 民 の 財 力 の 強 さ を 意 味 す る が 、 ま た こ れ 以 後 パ リ は 国 王 の 重 税 に 苦 し む こ と に も な る 。 中 世 末 の 百 年 戦 争 に 伴 う 周 辺 農 村 の 荒 廃 、 食 料 不 足 と 物 価 高 騰 、 重 税 と い っ た 経 済 的 困 難 に 、 ペ ス ト 流 行 に よ る 大 量 死 の 恐 怖 が 加 わ っ た 。
政 治 の 改 革 を 求 め た パ リ は 市 長 の E ・ マ ル セ ル の 指 揮 下 に 1 3 5 8 年 、 大 規 模 な 反 乱 を 起 こ す が 、 賢 明 な る 王 と 称 さ れ た シ ャ ル ル 5 世 が こ れ を 鎮 圧 し 、 い っ た ん 平 穏 が 戻 る 。 彼 は 右 岸 の 市 壁 を 広 げ て 商 工 業 の 発 展 へ の 対 応 を 用 意 し 、 シ テ 島 の 王 宮 に は 秩 序 と 革 新 の 象 徴 と も い え る 時 計 塔 を つ く ら せ た 。
し か し シ ャ ル ル 5 世 死 後 ま た 混 迷 が 訪 れ 、 14 世 紀 初 め に 20 万 と い わ れ た 人 口 は 、 同 世 紀 末 に は 半 減 し て い た 。 し か も ア ル マ ニ ャ ッ ク 派 と ブ ル ゴ ー ニ ュ 派 に 分 裂 し て 全 国 で 争 っ て い た 貴 族 の う ち 、 15 世 紀 初 め に 一 時 パ リ は イ ギ リ ス 軍 と 通 じ る ブ ル ゴ ー ニ ュ 派 に 支 配 さ れ て 荒 廃 と 混 迷 を 極 め 、 市 内 に す ら オ オ カ ミ が 出 没 す る ほ ど だ っ た と い わ れ て い る 。
﹇ 福 井 憲 彦 ﹈
王 権 強 化 に 腐 心 し た フ ラ ン ソ ア 1 世 は 、 1 5 2 8 年 パ リ に 本 拠 を 定 め た 。 市 内 に は ル ネ サ ン ス 様 式 の 建 物 が 新 築 さ れ 、 人 文 主 義 の 風 が パ リ に も 及 ぶ 。 G ・ ビ ュ デ を 指 導 者 と し て 1 5 3 0 年 、 王 立 教 授 団 が 設 置 さ れ 、 い ま に 続 く コ レ ー ジ ュ ・ ド ・ フ ラ ン ス の 前 身 と な り 、 商 業 も 繁 栄 し て 人 口 は ま た 増 加 し た 。 し か し 同 時 に 下 層 民 も 多 く 流 入 し 、 狭 い 路 地 が 入 り 組 む 街 区 に は 、 フ ラ ン ソ ア ・ ビ ヨ ン が 詩 に 歌 っ た よ う な 怪 し げ な 別 世 界 が 首 都 の 下 層 に 張 り 付 く 。 こ れ 以 後 パ リ に と っ て 、 堆 積 ( た い せ き ) す る 下 層 民 の 問 題 は 深 刻 な も の で あ り 続 け る 。
16 世 紀 末 の 約 30 年 間 、 宗 教 戦 争 は ま た し て も 首 都 を 混 乱 に 陥 れ 、 カ ト リ ッ ク 勢 力 の 支 配 下 に 、 1 5 7 2 年 に は サ ン ・ バ ル テ ル ミ ー の 虐 殺 が 起 こ っ た 。 こ の 宗 教 対 立 を 収 拾 し た ア ン リ 4 世 統 治 下 か ら 、 近 代 都 市 へ の 整 備 と 脱 皮 が 徐 々 に 進 み だ す 。 現 在 も 美 し い 姿 を み せ る ボ ー ジ ュ 広 場 ︵ 当 時 は ロ ア イ ヤ ル 広 場 ︶ や ド フ ィ ー ヌ 広 場 は 、 そ の 産 物 で あ る 。 彼 は 工 事 中 の ポ ン ・ ヌ フ ︵ 新 橋 ︶ を 完 成 さ せ 、 歩 道 を 設 け 、 道 路 管 理 や 塵 芥 ( じ ん か い ) 処 理 、 さ ら に 都 市 生 活 の 命 綱 で あ る 上 水 道 の た め の 政 策 に も 力 を 入 れ た 。 1 6 4 8 年 の フ ロ ン ド の 乱 で ま た し て も パ リ は 王 権 と 衝 突 す る が 、 そ の 前 の ル イ 13 世 時 代 に は 宰 相 リ シ ュ リ ュ ー の 下 で 、 そ し て 17 世 紀 後 半 か ら の ル イ 14 世 治 下 に も 、 区 画 整 理 や 再 開 発 は 続 行 し 、 貴 族 な ど 上 流 階 層 の 住 む 西 寄 り の 街 区 が と く に 整 備 さ れ て い っ た 。 ル イ 14 世 自 身 は 反 抗 的 な パ リ を 好 ま ず 、 1 6 7 7 年 に は ベ ル サ イ ユ に 移 り 、 1 6 8 2 年 に そ こ を 政 府 本 拠 と し た が 、 パ リ は 商 業 は も と よ り 、 宗 教 や 文 化 ・ 文 芸 の 都 と し て 全 ヨ ー ロ ッ パ に 名 が 響 く 。 約 50 万 の 人 口 を 抱 え る 都 市 へ の 物 資 受 け 入 れ 口 で あ る セ ー ヌ 河 港 は 、 大 い に に ぎ わ っ た 。
啓 蒙 ( け い も う ) 主 義 の サ ロ ン に 哲 学 者 や 文 人 た ち が 集 ま っ た 18 世 紀 に 、 町 は さ ら に 西 に 広 が り 、 現 在 の コ ン コ ル ド 広 場 や シ ャ ン ゼ リ ゼ 大 通 り の 原 型 も こ の 時 代 に つ く ら れ た 。 膨 張 し た 都 市 の 機 能 を よ く す る た め の 区 画 整 理 、 街 頭 照 明 、 保 健 衛 生 な ど へ の 配 慮 が 強 ま り 、 警 察 機 構 も ヨ ー ロ ッ パ 諸 国 の モ デ ル に さ れ た 。
し か し こ う し た 都 市 整 備 の 試 み も 、 流 入 す る 人 口 の 多 さ や 問 題 の 山 積 に 追 い 付 か ず 、 公 衆 衛 生 や 貧 民 問 題 は 解 決 さ れ な い ま ま 、 旧 体 制 ︵ ア ン シ ャ ン ・ レ ジ ー ム ︶ の 全 般 的 危 機 は フ ラ ン ス 革 命 を 惹 起 ( じ ゃ っ き ) し た 。
﹇ 福 井 憲 彦 ﹈
1 7 8 9 年 バ ス チ ー ユ 襲 撃 に 始 ま り 、 パ リ 市 民 と サ ン ・ キ ュ ロ ッ ト が 活 躍 し た 大 革 命 下 に 、 パ リ は ふ た た び 首 都 に な っ た 。 革 命 直 前 に 約 65 万 か ら 70 万 と 推 定 さ れ る 人 口 は 、 や が て 1 8 4 6 年 に 約 1 0 5 万 、 周 辺 町 村 合 併 後 の 1 8 6 1 年 に 約 1 7 0 万 、 1 9 0 1 年 に は 2 7 0 万 余 と 急 増 す る 。 そ の 増 加 は 大 部 分 が 労 働 階 層 で あ っ た が 、 都 市 整 備 は 人 口 急 増 に 追 い 付 か ず 、 西 の 裕 福 な ブ ル ジ ョ ア 地 区 と 、 北 や 東 に 多 い 下 層 労 働 者 地 区 の 落 差 は 大 き か っ た 。 と く に 19 世 紀 前 半 に 労 働 階 層 は ﹁ 危 険 な 階 層 ﹂ と し て 支 配 階 層 に 恐 れ ら れ 、 実 際 1 8 3 0 年 代 か ら は 労 働 運 動 や 社 会 主 義 運 動 の 中 心 に も な り 始 め た 。 19 世 紀 の パ リ は 、 1 8 3 0 年 の 七 月 革 命 、 1 8 4 8 年 の 二 月 革 命 と 六 月 事 件 、 1 8 7 1 年 の パ リ ・ コ ミ ュ ー ン を は じ め 、 フ ラ ン ス 全 体 の 政 治 や ヨ ー ロ ッ パ 全 体 を も 震 撼 ( し ん か ん ) さ せ る 社 会 運 動 に 揺 れ る 激 動 の 首 都 と な る 。
パ リ が 現 在 の も と に な る 姿 を と る の は 、 第 二 帝 政 下 に 開 始 さ れ た ﹁ オ ス マ ン 化 ﹂ と よ ば れ る 都 市 改 造 か ら で あ る 。 周 辺 町 村 を 合 併 し て 現 在 の 面 積 に な り 、 全 体 を 20 の 行 政 区 に 、 各 区 を 4 カ ル チ エ ︵ 区 ︶ に 分 け る 制 度 も 1 8 6 0 年 か ら で あ る 。 帝 政 の 強 権 下 に 幅 の 広 い 大 通 り が 旧 街 区 を 貫 き 、 入 り 組 ん だ 路 地 や 古 い 建 物 が 中 心 部 か ら 一 掃 さ れ て 第 二 帝 政 様 式 と い わ れ る 建 物 が 新 築 さ れ 、 ユ ゴ ー の ﹃ レ ・ ミ ゼ ラ ブ ル ﹄ で 有 名 な 下 水 道 の 整 備 も 本 格 化 す る 。 一 時 コ ミ ュ ー ン 蜂 起 ( ほ う き ) で 中 断 さ れ る が 、 第 三 共 和 政 下 に も 改 造 は 続 行 さ れ 、 基 本 的 に 現 代 の 姿 を と っ た パ リ は 、 19 世 紀 末 に は エ ッ フ ェ ル 塔 や 地 下 鉄 な ど 鉄 と 電 気 に 示 さ れ る 工 業 文 明 に よ っ て 、 そ の 変 化 を 加 速 す る 。 1 9 0 5 年 か ら は 乗 合 自 動 車 ︵ バ ス ︶ も 登 場 し た 。 こ の 産 業 化 開 始 の 時 期 に は 、 革 命 的 サ ン ジ カ リ ズ ム と し て 高 揚 し た 労 働 運 動 の 中 心 地 と も な っ た 。
20 世 紀 に 入 っ て 首 都 圏 と し て 発 展 し 始 め た パ リ は 、 二 度 の 世 界 大 戦 や 人 民 戦 線 、 1 9 6 8 年 ﹁ 五 月 革 命 ﹂ な ど の で き ご と で 政 治 の 檜 ( ひ の き ) 舞 台 で あ り 続 け た ば か り で は な く 、 シ ュ ル レ ア リ ス ム で 有 名 な よ う に 世 界 各 地 か ら 前 衛 的 芸 術 家 を 集 め 、 文 学 者 を ひ き つ け る 芸 術 の 都 で も あ っ た 。 世 界 各 地 へ の 多 極 化 の 動 き は 明 確 で あ る が 、 い ま で も パ リ は フ ァ ッ シ ョ ン の 中 心 で あ り 、 ま た 学 問 研 究 や 現 代 思 想 の 新 し い 動 き の 震 源 地 で あ り 続 け て い る 。
﹇ 福 井 憲 彦 ﹈
﹃ 日 高 達 太 郎 著 ﹃ 素 顔 の パ リ ― ― P a r i s s a n s f o r d ﹄ ︵ 1 9 7 3 ・ 座 右 宝 刊 行 会 ︶ ﹄ ▽ ﹃ E ・ H ・ ア ッ カ ー ク ネ ヒ ト 著 、 館 野 之 男 訳 ﹃ パ リ 病 院 ― ― 1 7 9 4 ~ 1 8 4 8 ﹄ ︵ 1 9 7 8 ・ 思 索 社 ︶ ﹄ ▽ ﹃ 喜 安 朗 著 ﹃ パ リ の 聖 月 曜 日 ― ― 1 9 世 紀 都 市 騒 乱 の 舞 台 裏 ﹄ ︵ 1 9 8 2 ・ 平 凡 社 ︶ ﹄ ▽ ﹃ H ・ サ ー ル マ ン 著 、 小 沢 明 訳 ﹃ パ リ 大 改 造 ― ― オ ー ス マ ン の 業 績 ﹄ ︵ 1 9 8 3 ・ 井 上 書 院 ・ T h e C i t i e s = N e w I l l u s t r a t e d S e r i e s ︶ ﹄ ▽ ﹃ 堀 井 敏 夫 著 ﹃ パ リ 史 の 裏 通 り ﹄ ︵ 1 9 8 4 ・ 白 水 社 ︶ ﹄ ▽ ﹃ ミ シ ェ ル ・ ダ ン セ ル 著 、 蔵 持 不 三 也 編 訳 ﹃ 図 説 パ リ 歴 史 物 語 + パ リ 歴 史 小 事 典 上 ﹄ ︵ 1 9 9 1 ・ 原 書 房 ︶ ﹄ ▽ ﹃ 地 図 資 料 編 纂 会 編 ﹃ 革 命 期 19 世 紀 ― ― パ リ 市 街 地 図 集 成 ﹄ ︵ 1 9 9 5 ・ 柏 書 房 ︶ ﹄ ▽ ﹃ 高 橋 伸 夫 ・ 手 塚 章 、 ジ ャ ン ・ ロ ベ ー ル ・ ピ ッ ト 編 ﹃ パ リ 大 都 市 圏 ― ― そ の 構 造 変 容 ﹄ ︵ 1 9 9 8 ・ 東 洋 書 林 ︶ ﹄ ▽ ﹃ 今 橋 映 子 著 ﹃ パ リ ・ 貧 困 と 街 路 の 詩 学 ― ― 1 9 3 0 年 代 外 国 人 芸 術 家 た ち ﹄ ︵ 1 9 9 8 ・ 都 市 出 版 ︶ ﹄ ▽ ﹃ ポ ー ル ・ ロ レ ン ツ 監 修 、 F ・ ク ラ イ ン ・ ル ブ ー ル 著 、 北 沢 真 木 訳 ﹃ パ リ 職 業 づ く し ― ― 中 世 か ら 近 代 ま で の 庶 民 生 活 誌 ﹄ 新 装 版 ︵ 1 9 9 8 ・ 論 創 社 ︶ ﹄ ▽ ﹃ 鹿 島 茂 著 ﹃ 職 業 別 パ リ 風 俗 ﹄ ︵ 1 9 9 9 ・ 白 水 社 ︶ ﹄ ▽ ﹃ ジ ャ ン ・ ロ ベ ー ル ・ ピ ッ ト 編 、 木 村 尚 三 郎 監 訳 ﹃ パ リ 歴 史 地 図 ﹄ ︵ 2 0 0 0 ・ 東 京 書 籍 ︶ ﹄ ▽ ﹃ ア ル フ レ ッ ド ・ フ ィ エ ロ 著 、 鹿 島 茂 監 訳 ﹃ パ リ 歴 史 事 典 ﹄ ︵ 2 0 0 0 ・ 白 水 社 ︶ ﹄ ▽ ﹃ ピ エ ー ル ・ ラ ヴ ダ ン 著 、 土 居 義 岳 訳 ﹃ パ リ 都 市 計 画 の 歴 史 ﹄ ︵ 2 0 0 2 ・ 中 央 公 論 美 術 出 版 ︶ ﹄ ▽ ﹃ シ モ ー ヌ ・ ル ー 著 、 杉 崎 泰 一 郎 監 修 、 吉 田 春 美 訳 ﹃ 中 世 パ リ の 生 活 史 ﹄ ︵ 2 0 0 4 ・ 原 書 房 ︶ ﹄ ▽ ﹃ M ・ ラ ヴ ァ ル 著 、 小 林 善 彦 ・ 山 路 昭 訳 ﹃ パ リ の 歴 史 ﹄ ︵ 白 水 社 ・ 文 庫 ク セ ジ ュ ︶ ﹄ ▽ ﹃ イ ヴ ァ ン ・ コ ン ボ ー 著 、 小 林 茂 訳 ﹃ パ リ の 歴 史 ﹄ 新 版 ︵ 白 水 社 ・ 文 庫 ク セ ジ ュ ︶ ﹄ ▽ ﹃ R ・ ド ゥ ・ ベ ル ヴ ァ ル 著 、 矢 島 翠 編 訳 ﹃ パ リ 1 9 3 0 年 代 ﹄ ︵ 岩 波 新 書 ︶ ﹄ ▽ ﹃ 玉 村 豊 男 著 ﹃ パ リ 旅 の 雑 学 ノ ー ト ﹄ ︵ 新 潮 文 庫 ︶ ﹄ ▽ ﹃ ア ン ド レ ・ ヴ ァ ル ノ 著 、 北 沢 真 木 訳 ﹃ パ リ 風 俗 史 ﹄ ︵ 講 談 社 学 術 文 庫 ︶ ﹄
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) 日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
パリ Paris
目次 市街 歴史 古代 中世 ルーブル宮とパリ大学の創建 自治体制の盛衰 セーヌ川と住民の暮し アンシャン・レジーム期 宗教戦争の嵐 アンリ4世とポン・ヌフ 富裕層と民衆層の住分け 都市施設の整備 公衆衛生と《百科全書》 近・現代 100万都市の水問題 警視総監の役割 居酒屋と革命と オスマンのパリ改造 総合都市計画の立遅れ
フ ラ ン ス の 首 都 。 行 政 上 は 1 市 1 県 で , 面 積 1 0 5 k m 2 , 人 口 2 1 6 万 ︵ 1 9 9 9 ︶ 。 フ ラ ン ス 北 部 , イ ギ リ ス 海 峡 に 注 ぐ セ ー ヌ 川 の 河 口 か ら 直 線 距 離 で 約 1 7 0 k m , イ ル ・ ド ・ フ ラ ン ス 地 方 の パ リ 盆 地 の 中 央 , セ ー ヌ 川 と マ ル ヌ 川 の 合 流 点 の 西 に 広 が る 。 パ リ 盆 地 は 東 西 4 0 0 k m , 南 北 3 5 0 k m で , セ ー ヌ 川 と そ の 支 流 が 蛇 行 し な が ら 流 れ , 古 く か ら 水 上 交 通 路 と し て 利 用 さ れ て き た 。 年 平 均 気 温 は 1 0 . 9 ℃ , 最 寒 月 の 1 月 の 平 均 気 温 は 3 . 1 ℃ , 最 暖 月 の 7 月 は 1 9 . 0 ℃ で あ る 。 冬 か ら 春 に か け て 北 東 風 , 夏 か ら 秋 に か け て 南 西 風 が 卓 越 す る 。 市 街 地 は セ ー ヌ 川 流 域 の 南 北 に 広 が り , 北 を 右 岸 ︵ リ ー ブ ・ ド ロ ア ト ︶ , 南 を 左 岸 ︵ リ ー ブ ・ ゴ ー シ ュ ︶ と 呼 ぶ 。 市 の 南 北 周 辺 は ゆ る い 丘 陵 地 と な り , ビ ュ ッ ト ・ シ ョ ー モ ン , ビ ュ ッ ト ・ モ ン マ ル ト ル , ビ ュ ッ ト ・ シ ャ イ ヨ ー , モ ン ・ パ リ , モ ン パ ル ナ ス な ど の 丘 が あ る 。
市 街
パ リ 市 街 は 1 8 5 9 年 ま で 1 ~ 12 区 の 約 1 5 k m 2 に す ぎ ず , 13 ~ 20 区 は 郊 外 に あ っ た が , 現 在 は そ の 全 区 域 に 加 え て , パ リ 近 郊 3 県 の オ ー ・ ド ・ セ ー ヌ , セ ー ヌ ・ サ ン ・ ド ニ , バ ル ・ ド ・ マ ル ヌ が , 完 全 に 市 街 地 化 し て 連 な っ て い る 。 近 郊 は 幅 約 1 0 k m の 内 帯 を な し , 面 積 3 5 5 k m 2 , 人 口 2 9 3 万 ︵ 1 9 8 2 ︶ を 擁 し て , パ リ と 一 体 化 し て い る 。 こ れ を 囲 ん だ 郊 外 は , 幅 3 5 k m の 外 帯 を な し , バ ル ・ ド ア ー ズ , イ ブ リ ー ヌ , エ ッ ソ ン ヌ , セ ー ヌ ・ エ ・ マ ル ヌ 県 に は み 出 し て , 面 積 5 4 0 k m 2 , 人 口 2 0 6 万 ︵ 1 9 8 2 ︶ を 擁 し て い る 。 以 上 に パ リ 市 の 2 1 7 . 6 万 ︵ 1 9 8 2 ︶ を 加 え る と 人 口 7 1 7 万 , 面 積 1 0 0 0 k m 2 に な る 。 パ リ 市 は そ の 中 心 部 に す ぎ ず , 郊 外 を 含 め た パ リ 大 都 市 圏 の 住 民 全 体 が パ リ ジ ャ ン と 呼 ば れ て い る 。 こ れ ら 諸 県 全 体 が ︿ イ ル ・ ド ・ フ ラ ン ス 地 域 ﹀ を 形 成 し , パ リ 県 知 事 が 地 域 知 事 と な っ て 地 域 計 画 を 進 め て い る 。 た だ し パ リ 市 長 は 市 民 か ら 選 出 さ れ , 県 知 事 は 政 府 が 任 命 す る た め , 二 重 行 政 の か た ち を と っ て い る 。
パ リ 市 の 人 口 は 1 9 3 1 年 を 頂 点 と し て 減 少 し 始 め , 都 市 成 長 は 周 辺 部 に 移 っ て き た 。 し か し , そ れ で も 人 口 密 度 は 東 京 よ り は る か に 高 く , 9 区 の ロ シ ュ ・ シ ュ ア ー ル 地 区 で は 5 万 人 / k m 2 を 数 え , ブ ー ロ ー ニ ュ と バ ン セ ン ヌ の 森 を 除 い て 平 均 2 . 5 万 人 / k m 2 で あ る 。 市 内 , 近 郊 は 地 域 別 機 能 分 化 , 住 分 け が 進 み , 郊 外 の 高 級 住 宅 地 , ル ・ ベ ジ ネ で は わ ず か 3 0 0 0 人 / k m 2 で あ る 。
市 内 で は , セ ー ヌ 川 右 岸 の 中 心 部 1 , 2 区 か ら 西 側 の 8 , 9 区 に か け て 銀 行 , 保 険 会 社 や さ ま ざ ま な 大 企 業 の 中 枢 管 理 機 能 が 集 中 し , 一 部 は 西 郊 の デ フ ァ ン ス , 左 岸 の モ ン パ ル ナ ス に み ら れ る 。 パ リ で 最 も 交 通 が 混 雑 す る 部 分 は サ ン ・ ラ ザ ー ル 駅 , コ ン コ ル ド 広 場 , シ ャ ン ゼ リ ゼ 大 通 り を 結 ん だ 三 角 形 の パ リ 核 心 部 で あ る 。 左 岸 5 , 6 区 の カ ル テ ィ エ ・ ラ タ ン は 文 教 地 区 , 7 区 は 政 府 ・ 官 庁 地 区 で 第 2 の 核 心 を な し て い る 。 政 治 , 外 交 , 経 済 , 文 化 に 関 連 す る 重 要 な 諸 施 設 が 集 中 し , 外 国 人 観 光 客 を 含 む 多 く の 人 々 が こ こ を 訪 れ る 。 こ れ ら の 人 々 を 対 象 と す る 高 級 服 飾 店 や デ パ ー ト , 画 廊 , 宝 石 商 な ど の 集 ま る 通 り が 右 岸 に , 本 屋 , 宗 教 用 品 な ど の 専 門 店 街 や 出 版 社 が 左 岸 に み ら れ る 。 こ の 核 心 部 に 通 勤 す る 幹 部 職 員 の 多 い 高 級 住 宅 街 は , 16 , 17 区 と そ の 南 西 側 の オ ー ・ ド ・ セ ー ヌ 県 に 広 が り , ま た バ ン セ ン ヌ な ど の 公 園 周 辺 や マ ル ヌ 川 な ど に 臨 む 環 境 に 恵 ま れ た 地 に 飛 地 状 に 広 が っ て い る 。
パ リ 市 の 東 半 分 , 3 , 4 , 11 , 12 , 19 , 20 区 な ど で は , 縫 製 , 印 刷 , 木 工 や ︿ パ リ 製 ﹀ と 銘 打 っ た 雑 貨 の 製 造 , 卸 小 売 が 行 わ れ , 零 細 な 町 工 場 が 労 働 者 住 宅 と 混 在 し , 一 部 で は サ ン タ ン ト ア ー ヌ 通 り の 家 具 街 , タ ン プ ル 地 区 の 衣 類 ・ 服 飾 品 卸 街 , パ ラ デ ィ 通 り の ガ ラ ス ・ 陶 器 街 な ど の 特 化 し た 専 門 店 街 を 形 成 し て い る 。 こ の 地 域 は 外 国 人 観 光 客 は ほ と ん ど 訪 れ な い が , 外 国 人 労 働 者 の 流 入 が 多 い 。 東 側 各 区 や 北 東 の オ ベ ル ビ リ エ , 北 部 の サ ン ・ ド ニ な ど 周 辺 に は 北 ア フ リ カ の 人 が 多 く , 13 区 の 南 東 部 に は 中 国 人 ・ ベ ト ナ ム 人 街 が 形 成 さ れ つ つ あ る 。 そ の 他 外 国 人 の 集 住 地 区 は , マ レ 地 区 の ユ ダ ヤ 人 街 , パ ッ シ ー の ス ペ イ ン 人 街 , モ ン パ ル ナ ス の ロ シ ア 人 街 な ど が あ げ ら れ る が , こ れ ら は 東 側 各 街 区 の 下 町 に 比 べ て , 労 働 者 階 層 が 少 な い 。 パ リ 市 の 20 区 だ け を と れ ば , 19 万 5 0 0 0 人 が 外 国 人 で , 郊 外 を 含 む パ リ 地 域 の 移 民 人 口 は 1 0 0 万 人 ︵ 人 口 の 1 8 % ︶ に 達 す る ︵ 1 9 9 0 ︶ 。
こ の ほ か , 工 業 地 帯 が 近 郊 の 内 帯 に 拡 大 し て お り , 労 働 者 が 多 く 左 翼 の 有 力 な 地 盤 で あ る た め ︿ 赤 い 帯 ﹀ と も 呼 ば れ , 保 守 派 が シ ャ ン ゼ リ ゼ で 行 進 す れ ば , 左 派 は バ ス テ ィ ー ユ や 北 郊 の サ ン ・ ド ニ に 集 ま る の も 地 盤 の 関 係 で あ る 。 ま た 7 月 14 日 の 革 命 記 念 日 に は , 市 の 西 側 の 住 民 は バ カ ン ス に 出 か け て 残 っ て い る 者 は 少 な い が , 東 側 に は 住 民 が 多 く 残 っ て お り , た と え ば 12 区 の ア リ グ ル 広 場 は 住 民 た ち で に ぎ わ い を み せ , 庶 民 的 な 親 し さ を 感 じ さ せ る 。 外 帯 の 郊 外 に 向 か っ て 南 東 の セ ー ヌ 上 流 や 北 の サ ン ・ ド ニ 方 向 に は 化 学 工 業 や 食 品 加 工 業 な ど が 発 展 し , ブ ー ロ ー ニ ュ ・ ビ ヤ ン ク ー ル か ら 北 西 の セ ー ヌ 下 流 方 向 に は 自 動 車 を は じ め 各 種 の 機 械 工 業 が 広 が り , パ リ 港 , 火 力 発 電 所 や 石 油 精 製 工 場 な ど が 広 い 敷 地 を 占 め て い る 。 こ れ ら 多 様 な 工 業 活 動 も , 1 9 5 5 年 以 来 と ら れ て い る 工 業 の 地 方 分 散 政 策 に よ っ て パ リ で の 工 場 新 設 ・ 拡 大 を 禁 じ ら れ た こ と , 第 3 次 産 業 の 発 展 に 伴 う 事 務 所 街 の 発 展 に よ っ て 地 価 が 上 昇 し て い る こ と な ど か ら , 郊 外 の 外 帯 や 地 方 に 転 出 す る 工 場 が 増 大 し て い る 。 資 力 の あ る 発 展 し つ つ あ る 工 業 が 市 外 に 転 出 す る 一 方 , 零 細 な 町 工 場 と 建 設 ・ 土 木 業 関 係 の 企 業 だ け が 市 内 に 残 る た め , と く に パ リ 東 部 で は 職 場 を 失 う 人 , 低 賃 金 の 職 場 に 転 職 す る 人 が 多 く な っ て い る 。 そ れ に 伴 っ て パ リ 市 内 の 人 口 は 減 少 し , 外 帯 の 人 口 が 増 加 し て い る 。 他 方 , パ リ 西 部 で は , 第 3 次 産 業 の 発 展 に よ る 中 産 階 級 の 通 勤 が 遠 距 離 化 し , 昼 食 に 帰 宅 す る 伝 統 的 な 生 活 様 式 を 維 持 で き る 人 々 が 減 少 し , 職 員 食 堂 が 増 加 し て い る 。 ま た 近 年 は 遠 い 郊 外 に 住 み , ウ ィ ー ク デ ー だ け パ リ に い る 人 , い わ ば パ リ に ︿ 別 荘 ﹀ を も つ 人 も 増 加 し , こ う い う ︿ 別 荘 ﹀ が 市 内 で 5 万 戸 に 達 し て お り ︵ 1 9 8 2 ︶ , と く に シ ャ ン ゼ リ ゼ , サ ン ・ ジ ェ ル マ ン , モ ン マ ル ト ル に 多 い 。
こ れ ら の 都 市 問 題 を 解 決 す る た め , パ リ 市 内 に お け る 事 務 所 機 能 の 拡 大 を 抑 制 し , む し ろ 工 業 ・ 手 工 業 機 能 を 確 保 し , 再 開 発 に よ る 住 環 境 を 整 備 す る 一 方 , 近 郊 か ら の 通 勤 を 容 易 に す る た め に 地 域 高 速 鉄 道 網 ︵ R E R ︶ を 完 成 さ せ , さ ら に 工 業 団 地 , 県 庁 な ど 行 政 機 関 , 大 学 , 商 業 ・ 各 種 サ ー ビ ス セ ン タ ー を 備 え た ニ ュ ー タ ウ ン を 建 設 し て , パ リ へ の 昼 間 人 口 の 集 中 を 抑 え よ う と し て い る 。 代 表 的 な ニ ュ ー タ ウ ン は , パ リ か ら 1 7 k m の マ ル ヌ ・ ラ ・ バ レ , 次 い で サ ン ・ カ ン タ ン ・ ア ン ・ イ ブ リ ー ヌ , エ ブ リ , セ ル ジ , ポ ン ト ア ー ズ , そ し て 4 0 k m 離 れ た ム ラ ン , セ ナ ー ル な ど で あ る 。 計 画 と し て は , 増 加 す る 人 口 の 3 分 の 2 , 新 築 家 屋 の 4 分 の 1 , 事 務 所 面 積 の 3 分 の 1 , 工 場 面 積 の 3 分 の 2 を こ れ ら ニ ュ ー タ ウ ン が 引 き 受 け る と し て い る 。 ニ ュ ー タ ウ ン は , し ば し ば 実 験 的 ・ 前 衛 的 建 築 か ら な っ て お り , パ リ 市 内 の 古 び た 建 物 か ら は 想 像 で き な い 色 彩 と 形 状 を 備 え て い る 。 実 際 , 市 内 の 建 築 の 約 8 0 % が 1 9 4 8 年 以 前 に 建 設 さ れ た も の で あ っ て , 現 代 の フ ラ ン ス を 理 解 す る う え で も , ニ ュ ー タ ウ ン を 見 の が す こ と は で き な い 。
な お , 空 港 は 市 の 南 1 4 k m に あ る オ ル リ ー 空 港 と , 北 東 2 5 k m に あ る シ ャ ル ル ・ ド ・ ゴ ー ル 空 港 が あ る 。 ま た , 1 9 9 4 年 開 通 の ユ ー ロ ト ン ネ ル に よ り , パ リ ~ ロ ン ド ン は 約 3 時 間 で 結 ば れ る こ と に な っ た 。
執 筆 者 ‥ 田 辺 裕
歴 史
古 代
パ リ 盆 地 に は , ロ ー マ 人 の ガ リ ア 征 服 に よ り 約 2 0 0 0 年 も 前 か ら 定 住 者 が い た と 推 定 さ れ る が , 最 初 に セ ー ヌ 川 の 現 在 の シ テ 島 に 住 み つ い た の は , ケ ル ト 系 の パ リ シ イ 族 P a r i s i i で あ っ た 。 彼 ら は , カ エ サ ル の ガ リ ア 征 服 の 半 世 紀 ほ ど 前 に は , 工 芸 品 と も い え る み ご と な 金 貨 を 鋳 造 し , セ ー ヌ 川 に よ っ て 交 易 し て い た と さ れ る 。 し か し 侵 入 し た ロ ー マ 軍 の 圧 力 で パ リ シ イ 族 は こ の 島 を 放 棄 し , 以 後 ロ ー マ 人 は こ の 地 を ル テ テ ィ ア L u t e t i a と 称 し た 。 こ れ か ら 半 世 紀 後 に い た っ て , ロ ー マ 人 は こ の 地 に 都 市 を 築 い た 。 東 西 , 南 北 に 伸 び る 街 路 , シ テ 島 か ら セ ー ヌ 川 左 岸 に か け て の 野 外 劇 場 , 集 会 場 , 浴 場 , そ れ に 北 方 の ラ ン ジ ス の 台 地 の 泉 を こ の 都 市 に 導 入 す る た め の 全 長 1 5 k m の 水 道 な ど が 建 設 さ れ た 。 3 世 紀 半 ば , 聖 ド ニ ら に よ っ て こ の 地 に キ リ ス ト 教 が も た ら さ れ る が , こ の 世 紀 末 期 の ゲ ル マ ン 人 の 移 動 で , フ ラ ン ク 族 , ア ラ マ ン 族 が 侵 入 し , ロ ー マ 人 の 都 市 は 破 壊 さ れ た 。 ロ ー マ 人 は シ テ 島 に 退 い て 城 砦 を 築 き , 3 5 6 年 に ユ リ ア ヌ ス を 派 遣 し て 防 衛 に あ た っ た が , か つ て の 都 市 を 再 現 す る に は 至 ら な か っ た 。
メ ロ ビ ン グ 朝 が 成 立 し , ク ロ ー ビ ス が パ リ に 宮 殿 を 建 て た こ と で , こ の 地 は 小 康 を 得 , キ リ ス ト 教 が 確 固 と し た 基 盤 を 固 め た 。 セ ー ヌ 川 右 岸 に 大 小 さ ま ざ ま の 修 道 院 が つ く ら れ , 左 岸 に も 後 に サ ン ・ ジ ェ ル マ ン ・ デ ・ プ レ 修 道 院 に 発 展 す る 小 修 道 院 が 建 て ら れ た 。 し か し 次 の カ ロ リ ン グ 朝 は パ リ を 重 視 せ ず , 8 4 5 年 か ら 8 8 6 年 ま で の 間 し ば し ば ノ ル マ ン 人 の 侵 入 を 受 け た 。 こ の ノ ル マ ン 人 の 攻 撃 に 対 し て パ リ を 防 衛 し た 指 導 的 人 物 の パ リ 伯 ウ ー ド は , 8 8 8 年 に フ ラ ン ク 国 王 に な る 。 こ の 子 孫 の ユ ー グ ・ カ ペ ー が 9 8 7 年 に 聖 俗 貴 族 の 集 会 で 推 挙 さ れ て カ ペ ー 王 朝 が 成 立 す る と , パ リ は 新 し い 発 展 の 段 階 を 迎 え る 。
中 世
ル ー ブ ル 宮 と パ リ 大 学 の 創 建
カ ペ ー 朝 の ル イ 6 世 ︵ 在 位 1 1 0 8 - 3 7 ︶ の 頃 よ り , パ リ は 国 王 の 恒 常 的 な 居 住 地 と な っ た 。 農 村 共 同 体 の 出 現 に よ っ て 農 業 生 産 は 飛 躍 的 に 上 昇 す る と と も に , そ れ を 基 盤 と し て 封 建 諸 侯 が 出 現 し , 国 王 は 封 建 諸 侯 の 推 挙 に よ っ て そ の 頂 点 に 立 っ た 。 農 村 共 同 体 の 成 立 と と も に , パ リ 周 辺 で は 修 道 院 を 中 心 に 農 地 の 開 墾 が 盛 ん に 行 わ れ , パ リ を 中 心 と す る 物 資 の 流 通 も 発 展 し た 。 後 に グ レ ー ブ 広 場 と な る セ ー ヌ 川 右 岸 の 河 岸 に 市 場 が 開 か れ た が , ル イ 6 世 は 1 1 3 7 年 に こ の 市 場 を 当 時 シ ャ ン ポ ー と 呼 ば れ た 場 所 に 移 転 さ せ て 規 模 を 拡 大 し , さ ら に フ ィ リ ッ プ 2 世 ︵ 在 位 1 1 8 0 - 1 2 2 3 ︶ は , 市 外 の サ ン ・ ラ ド ル 市 場 も そ こ に 併 せ , 高 い 屋 根 の 別 棟 を 二 つ 建 て た 。 こ れ が 1 9 6 9 年 ま で 維 持 さ れ た レ ・ ア ル ︵ パ リ 中 央 市 場 ︶ の 起 源 で あ る 。 こ の と き レ ・ ア ル の 周 辺 に は , こ れ ま で シ テ 島 内 に あ っ た 肉 屋 や 毛 織 物 な ど の 同 職 組 合 が 移 り , 街 路 に そ れ ぞ れ の 業 種 の 名 を 付 し た 。 ま た シ テ 島 内 に は M . シ ュ リ に よ っ て ノ ー ト ル ・ ダ ム 大 聖 堂 が 建 て ら れ た 。
フ ィ リ ッ プ 2 世 は 1 1 9 0 年 第 3 回 十 字 軍 に 出 発 す る に 際 し , パ リ に 城 壁 を 築 く こ と を 命 じ , シ テ 島 内 の 王 宮 の ほ か に セ ー ヌ 川 右 岸 に ル ー ブ ル 宮 を 建 て た 。 ま た 市 内 の 道 路 の 舗 装 に も 着 手 し た 。 さ ら に こ の 時 代 に パ リ 大 学 の 基 礎 が 確 立 さ れ た 。 サ ン ト ・ ジ ュ ヌ ビ エ ー ブ の 丘 の 周 辺 ︵ 現 , カ ル テ ィ エ ・ ラ タ ン ︶ に 集 ま っ て い た 司 教 学 校 や 修 道 院 学 校 の 教 授 や 学 生 が , フ ィ リ ッ プ 2 世 か ら 特 許 状 を 得 て , 国 王 裁 判 権 を 免 れ た 一 つ の 社 団 を 形 成 し て , 大 学 の 自 治 を 出 現 さ せ た の が そ れ で あ る 。
自 治 体 制 の 盛 衰
こ う し て 中 世 都 市 に 発 展 し た パ リ は , 国 王 の 任 命 す る パ リ 奉 行 p r é v ô t d e P a r i s の 裁 判 権 と 行 政 権 の 下 に 服 し て い た 。 国 王 は 初 め の う ち は パ リ 奉 行 を 富 裕 な 市 民 に 請 け 負 わ せ て い た が , 13 世 紀 半 ば よ り 最 高 の 国 王 役 人 を 任 命 す る よ う に な っ た 。 ル イ 9 世 ︵ 在 位 1 2 2 6 - 7 0 ︶ 治 下 に こ の 職 に 任 命 さ れ た É . ボ ア ロ ー が , 王 命 に よ っ て ︽ 同 職 組 合 の 書 ︾ を 著 し , パ リ の 同 職 ギ ル ド の 慣 習 の 一 覧 を 作 成 し た こ と は よ く 知 ら れ て い る 。 パ リ の 市 民 で あ る 手 工 業 者 や 商 人 は そ れ ぞ れ の 業 種 の 同 職 組 合 に 依 存 し て 活 動 し た が , こ う し た 勢 力 を 背 景 に , 商 人 の 代 表 が プ レ ボ ・ デ ・ マ ル シ ャ ン p r é v ô t d e s m a r c h a n d s と な っ た 。 こ れ は パ リ 奉 行 の 支 配 下 に あ り な が ら , 商 事 裁 判 権 を 握 り , 商 取 引 を 規 制 す る な ど の 自 治 権 を も っ て い た 。 こ の 自 治 の 起 源 は , セ ー ヌ 川 の 舟 運 と 商 取 引 を 独 占 し て い た 水 上 商 人 組 合 が 中 心 と な っ て , 1 2 1 0 年 こ ろ に 有 力 な 同 職 組 合 を 連 合 さ せ , 市 場 の 統 制 ・ 管 理 に 乗 り 出 し た こ と に あ っ た 。 こ う し た 経 緯 か ら プ レ ボ ・ デ ・ マ ル シ ャ ン の 地 位 は 水 上 商 人 組 合 の 長 が 就 任 す る も の と み な さ れ た 。 こ の い わ ば パ リ 市 長 と も い え る 代 表 者 の も と で の 自 治 は , 商 取 引 の 規 制 の ほ か に , 市 壁 , 道 路 舗 装 , 河 岸 , 港 , 下 水 , 給 水 泉 な ど 市 の 公 共 施 設 の 維 持 に も 及 ん だ と さ れ る 。
14 世 紀 に 入 る と , フ ラ ン ス は 領 主 制 の 危 機 , 百 年 戦 争 , ジ ャ ッ ク リ ー の 乱 に 直 面 し , 国 家 と 社 会 の 変 動 期 を 迎 え る が , パ リ で は 同 職 組 合 が 質 量 と も に そ の 力 を 増 大 さ せ , 商 人 ブ ル ジ ョ ア の 経 済 力 が 高 ま り , 土 地 を 購 入 し て 地 主 化 す る 富 裕 な 市 民 も 発 生 す る よ う に な る 。 人 口 は ヨ ー ロ ッ パ の 都 市 の な か で 最 大 の 20 万 に 達 し た と い わ れ る 。 こ う し た 背 景 の も と で プ レ ボ ・ デ ・ マ ル シ ャ ン と な っ た É . マ ル セ ル は , 1 3 5 7 年 に パ リ で 開 か れ た 全 国 三 部 会 を 動 か し て , 王 権 に 対 し て 国 制 改 革 を 約 束 さ せ た が , こ の ︿ 大 勅 令 ﹀ が 拒 否 さ れ る と 翌 年 に 反 乱 を 起 こ し た 。 し か し 64 年 に 即 位 し た シ ャ ル ル 5 世 は , 絶 対 王 政 に 向 か っ て 中 央 集 権 化 に 努 め , フ ラ ン ス に 小 康 を も た ら し た 。 彼 は セ ー ヌ 川 右 岸 の 商 工 業 地 域 の 拡 大 に 対 応 し た 新 た な 城 壁 を 築 き , ま た バ ス テ ィ ー ユ 城 塞 を 建 設 し て パ リ の 反 乱 に 備 え た 。 し か し 彼 の 死 後 , パ リ は マ イ ヨ タ ン 一 揆 ︵ 1 3 8 2 ︶ や カ ボ シ ュ ー 一 揆 ︵ 1 4 1 3 ︶ を 発 生 さ せ , 一 時 は パ リ 奉 行 も 廃 止 さ れ る と い う 事 態 も 起 こ り , パ リ と 王 権 の 対 立 は 深 ま っ た 。 加 え て 諸 貴 族 は ア ル マ ニ ャ ッ ク 家 と ブ ル ゴ ー ニ ュ 家 の 両 陣 営 に 分 か れ て 全 国 で 戦 い , こ れ に 百 年 戦 争 が か ら ん で 混 乱 し た 政 治 状 況 が 生 ま れ た 。 経 済 的 困 難 に 加 え , ペ ス ト の 流 行 と 戦 争 の な か で 人 口 は 1 3 8 0 年 か ら 1 4 0 0 年 に か け て 半 減 し た と み ら れ て お り , 一 地 方 都 市 に な っ た か に み え た パ リ は , よ う や く ア ラ ス の 和 約 の 後 , 1 4 3 6 年 に シ ャ ル ル 7 世 を パ リ に 迎 え 入 れ , こ の 王 権 の 下 で の 国 家 統 一 を 支 持 す る に い た り , 手 工 業 者 や 商 人 に 対 す る 王 権 の 支 配 が 強 化 さ れ た 。
セ ー ヌ 川 と 住 民 の 暮 し
こ こ で 中 世 末 期 の 都 市 パ リ の 景 観 を み て お こ う 。 パ リ の 動 脈 は つ ね に セ ー ヌ 川 で あ っ た 。 穀 物 や ブ ド ウ 酒 4 ~ 5 樽 を 積 ん だ 小 舟 が 河 岸 の 港 に 着 き , パ リ 市 民 の 生 活 を 支 え て い た 。 シ テ 島 を 通 っ て セ ー ヌ の 両 岸 に 通 じ て い た 橋 は ま だ 二 つ し か な く , 上 流 の そ れ は ノ ー ト ル ・ ダ ム 橋 と そ れ に 続 く プ チ ・ ポ ン , 下 流 の 橋 は ポ ン ト ー ・ シ ャ ン ジ ュ 橋 と そ れ に 続 く サ ン ・ ミ シ ェ ル 橋 で あ っ た 。 こ れ ら の い ず れ の 橋 の 上 に も 家 屋 が 建 て ら れ て い た 。 橋 を 渡 る 者 に は 通 行 税 が 課 せ ら れ て い た が , 学 生 だ け は 免 除 さ れ た 。 セ ー ヌ 川 は し ば し ば 洪 水 を 起 こ し た が , 1 4 9 9 年 に は ノ ー ト ル ・ ダ ム 橋 が 橋 上 の 家 も ろ と も 流 失 し た 。 翌 年 に 再 建 工 事 が 始 ま り , こ れ ま で の 木 造 の 橋 に 代 わ っ て 六 つ の ア ー チ に 支 え ら れ た 石 橋 が 出 現 し た 。 橋 上 の 両 側 に は 26 軒 ず つ 3 階 建 て の 家 屋 が 建 ち , そ の 1 階 が ア ー ケ ー ド 付 き の 店 舗 と な り , 人 々 の 目 を み は ら せ た 。 当 時 の 一 般 の 家 屋 は 木 骨 で , 壁 面 に そ れ が 露 出 し た 造 り で あ る 。 こ う し た 造 り の 4 ~ 5 階 建 て の 家 屋 が 街 路 に 建 ち 並 ぶ と い う 状 態 も 一 部 に 出 現 し て い た 。
街 路 は , サ ン ・ マ ル タ ン 通 り や サ ン ・ ジ ャ ッ ク 通 り で 8 ~ 9 m の 幅 を も っ て い た が , シ テ 島 内 は ほ と ん ど 1 ~ 1 . 5 m で あ っ た 。 パ リ 奉 行 の 下 に は 道 路 管 理 官 が 置 か れ , 路 上 の 状 態 の 取 締 り に あ た っ て い た 。 窓 か ら 水 を 捨 て る 場 合 , 住 民 は ︿ 水 に 注 意 ! ﹀ と 3 度 叫 ぶ こ と を 義 務 づ け ら れ て い た と い う 。 台 所 の 塵 芥 を 路 上 に 捨 て る こ と は 禁 止 さ れ , 各 世 帯 は 自 宅 前 の 路 上 の 清 掃 に 責 任 を 負 い , さ ら に 自 己 負 担 で 塵 芥 を 市 外 に 捨 て に 行 か ね ば な ら な か っ た 。 そ の た め 住 民 は 共 同 で 塵 芥 運 搬 用 の 車 を 借 り た り し て い た 。
生 活 に 必 要 な 水 は セ ー ヌ 川 と 井 戸 に た よ っ て い た 。 セ ー ヌ の 水 を 桶 に 汲 ん で 市 中 を 売 り 歩 く 水 売 り の 姿 は , 13 世 紀 に す で に み ら れ る 。 ま た 修 道 院 が 地 下 水 路 を つ く っ て ベ ル ビ ル の 台 地 の 泉 か ら 水 を 市 内 に 引 き 入 れ , プ レ ・ サ ン ・ ジ ェ ル ベ の 村 落 の 泉 か ら は 鉛 の 導 管 で 水 を 引 い て い た 。 こ の 水 は 特 権 階 層 が 優 先 的 に 使 用 し た た め , 13 世 紀 に 市 内 に 三 つ の 公 共 用 の 給 水 泉 が 初 め て 設 け ら れ た に も か か わ ら ず , 給 水 泉 か ら 水 が 出 な い と い う 状 態 だ っ た 。
ア ン シ ャ ン ・ レ ジ ー ム 期
宗 教 戦 争 の 嵐
16 世 紀 に は い る と フ ラ ン ス は ル ネ サ ン ス 文 化 の 洗 礼 を 受 け る 。 フ ラ ン ソ ア 1 世 ︵ 在 位 1 5 1 5 - 4 7 ︶ は 王 権 の 強 化 に 努 め る 一 方 で , そ の 宮 廷 に 文 人 や 美 術 家 を 招 い た が , そ の 一 人 G . ビ ュ デ は , 1 5 3 0 年 パ リ に コ レ ー ジ ュ ・ ド ・ フ ラ ン ス の 前 身 で あ る 王 立 教 授 団 を 設 立 し , ユ マ ニ ス ト の 拠 点 と し た 。 し か し , こ の 頃 よ り 宗 教 改 革 運 動 の 波 が パ リ に も 及 び , 新 教 派 ユ グ ノ ー と カ ト リ ッ ク の 対 立 が 激 化 し 始 め た 。 パ リ は ソ ル ボ ン ヌ と パ リ 高 等 法 院 を 支 え と し て カ ト リ ッ ク の 力 が 強 く , 宗 教 戦 争 の 発 生 で 王 権 が 危 機 に 陥 る 状 態 の な か で , パ リ の 手 工 業 者 も カ ト リ ッ ク 側 に 加 担 し て い く 。 そ し て 72 年 に は つ い に パ リ で サ ン ・ バ ル テ ル ミ の 虐 殺 が 発 生 し た 。 バ ロ ア 王 朝 断 絶 の 後 , 新 教 派 の ア ン リ 4 世 が 新 王 の 宣 言 を す る と , こ れ に と り わ け 反 発 し た の が パ リ の 旧 教 同 盟 で , 市 内 16 街 区 の 代 表 が ︿ 16 人 会 ﹀ を 組 織 し て , 抗 戦 の 体 制 を つ く っ た 。 し か し ア ン リ 4 世 は 戦 況 を 有 利 に 展 開 し つ つ , 自 ら は カ ト リ ッ ク に 改 宗 し て , ブ ル ボ ン 王 権 に よ る 国 家 統 治 の 実 現 を 目 ざ し た 。 こ う し て ア ン リ 4 世 は 94 年 パ リ に 入 城 す る 。
ア ン リ 4 世 と ポ ン ・ ヌ フ
こ の と き , ア ン リ 4 世 は 最 初 の 布 告 の な か で , 水 の 不 足 に 悩 む パ リ 市 民 の た め に 給 水 泉 の 修 復 を 命 じ , 併 せ て こ れ ま で 特 権 階 層 が も っ て い た 取 水 の 優 先 権 を 制 限 し た 。 ま た 給 水 泉 の 工 事 の た め の ブ ド ウ 税 を 新 設 し た 。 こ う し て , ア ン リ 4 世 は , 宗 教 戦 争 で 荒 廃 し た パ リ に 王 権 に よ る 支 配 を 確 立 し よ う と す る 強 い 意 志 を 示 し た の で あ る 。 国 王 は 新 た な 都 市 建 設 に 努 め , シ テ 島 西 端 に ド フ ィ ー ヌ 広 場 を , サ ン タ ン ト ア ー ヌ 街 に ロ ア イ ヤ ル 広 場 ︵ 現 , ボ ー ジ ュ 広 場 ︶ を 設 け た 。 ま た シ テ 島 西 端 に す で に 工 事 中 だ っ た ポ ン ・ ヌ フ を 完 成 さ せ , 橋 上 に は こ れ ま で の よ う に 家 屋 を 建 て さ せ ず , 歩 道 と 欄 干 を 備 え さ せ た 。 さ ら に こ の 橋 に パ リ で 最 初 の 水 力 ポ ン プ 揚 水 場 を 建 設 し , セ ー ヌ 川 の 水 を ル ー ブ ル 宮 と チ ュ イ ル リ ー 庭 園 に 導 い た 。 こ の 新 し い 橋 と い い , 橋 上 の 揚 水 場 の 堂 々 た る 建 物 と い い , ル ー ブ ル 宮 殿 か ら の 展 望 に 偉 観 を 加 え る も の で , パ リ 市 民 に 新 し い 王 権 の 力 を 誇 示 し よ う と す る も の で あ っ た 。
一 般 庶 民 の 生 活 に 直 結 す る 道 路 の 管 理 に も 力 が 入 れ ら れ た 。 1 5 6 3 年 以 来 パ リ 16 街 区 の 各 区 に 2 人 ず つ の 塵 介 掃 除 人 が 配 置 さ れ て い た が , ア ン リ 4 世 は , 家 屋 の 窓 か ら 物 を 投 げ 捨 て る こ と を 厳 禁 し , 塵 介 は 路 上 に 備 え た 籠 に 集 積 す る も の と し , 収 集 車 を 毎 日 巡 回 さ せ て , 市 外 の 投 棄 場 所 に 運 搬 す る こ と に し た 。
富 裕 層 と 民 衆 層 の 住 分 け
ル イ 13 世 ︵ 在 位 1 6 1 0 - 4 3 ︶ の 下 で 宰 相 と な っ た リ シ ュ リ ュ ー は , 絶 対 王 権 の 確 立 に 力 を 尽 く し た 。 パ リ の 市 街 は さ ら に 発 展 を 遂 げ , サ ン ・ ル イ 島 や フ ォ ー ブ ー ル ・ サ ン ・ ジ ェ ル マ ン 街 が 富 裕 階 層 の 街 区 と し て 出 現 し た ほ か , 新 し い 市 街 地 の た め の 区 画 整 理 が 行 わ れ , 投 機 の 対 象 と も な っ た 。 リ シ ュ リ ュ ー 自 身 , 後 に パ レ ・ ロ ア イ ヤ ル と な る 自 邸 を 建 て , そ の 周 囲 の 街 区 の 整 備 に 力 を 入 れ , 新 し い 屋 敷 町 を 実 現 し た 。 ま た リ シ ュ リ ュ ー は ソ ル ボ ン ヌ を 再 建 し , ル イ 13 世 は 新 た に パ リ の 城 壁 を 築 い た 。
パ リ は こ う し た 都 市 建 設 で う る お い , 豊 か に な っ た ブ ル ジ ョ ア 層 の な か に は パ リ 周 辺 の 土 地 を 取 得 し , ま た 官 職 を 買 い 取 っ て 身 分 的 上 昇 を 遂 げ る 者 も 出 て き た 。 ロ ア イ ヤ ル 広 場 の 周 辺 に も , こ う し た 富 裕 層 が 住 み つ く よ う に な り , こ の 広 場 や パ レ ・ ロ ア イ ヤ ル 界 隈 ︵ か い わ い ︶ の に ぎ わ い は , パ リ の 伝 統 的 手 工 業 が 生 み 出 す 奢 侈 品 に 販 路 を 開 く こ と に な っ た 。
5 歳 で 即 位 し た ル イ 14 世 の 下 で , リ シ ュ リ ュ ー の 後 を う け て 宰 相 と な っ た マ ザ ラ ン は , 三 十 年 戦 争 の 戦 費 負 担 の 問 題 で 1 6 4 8 年 に パ リ 高 等 法 院 を 中 心 と す る 法 官 の 反 抗 に 遭 い , 次 い で パ リ 民 衆 も 重 税 に 反 対 し て 反 乱 を 起 こ し た 。 こ の フ ロ ン ド の 乱 で ル イ 14 世 は 一 時 パ リ を 離 れ た が , 翌 年 パ リ で 妥 協 が 成 立 し た 。 地 方 の フ ロ ン ド の 乱 を 平 定 し た マ ザ ラ ン が 61 年 に 死 去 す る と , ル イ 14 世 の 親 政 が 始 ま り , フ ラ ン ス は 内 外 と も に 安 定 す る 。 ル イ 14 世 は 70 年 に パ リ の 城 壁 の 撤 去 を 命 じ , そ の 跡 を 幅 3 6 m の 並 木 道 , い わ ゆ る ブ ー ル バ ー ル と し て 造 成 し , 以 後 パ リ の 住 民 の 散 策 の 場 と し て 発 展 す る こ と に な る 。
1 7 0 2 年 市 内 は 20 街 区 に 分 け ら れ た が , こ の う ち 15 街 区 が セ ー ヌ 右 岸 に あ っ た 。 人 口 は ア ン リ 4 世 の 時 代 か ら み る と 倍 増 し て 42 万 5 0 0 0 と な っ て い た 。 そ し て 富 裕 層 が 多 く 住 む 街 区 と 民 衆 層 が 多 く 住 む 街 区 に 分 か れ , そ れ ぞ れ 異 な っ た 特 色 の あ る こ と が パ リ の 地 図 の 上 に 鮮 明 に な っ て き た 。 リ シ ュ リ ュ ー が 形 成 し た パ レ ・ ロ ア イ ヤ ル 界 隈 や フ ォ ー ブ ー ル ・ サ ン ・ ジ ェ ル マ ン 街 , サ ン ト ノ レ 街 な ど が 貴 族 や 上 層 ブ ル ジ ョ ア の 住 む 街 区 と し て 美 し く 飾 ら れ て い く 一 方 で , フ ォ ー ブ ー ル ・ サ ン タ ン ト ア ー ヌ 街 の よ う な 手 工 業 者 ・ 民 衆 の 街 区 が ひ ら け て い っ た 。
こ の フ ォ ー ブ ー ル ︵ 城 外 区 ︶ は , 中 世 に サ ン タ ン ト ア ー ヌ 修 道 院 を 中 心 に 形 成 さ れ た が , 17 世 紀 に な る と 王 の 特 許 状 を 得 た 家 具 職 人 が 集 ま り 住 む よ う に な っ た 。 18 世 紀 初 頭 に は 家 具 商 や 材 木 商 も 住 み つ い て , こ の 街 の 特 色 が で き あ が っ た 。 さ ら に コ ル ベ ー ル が 創 設 し た 王 立 ガ ラ ス 工 場 で は , 18 世 紀 に な る と 5 0 0 人 の 労 働 者 が 働 い て い た 。 ま た フ ラ ン ス 革 命 直 前 に レ ベ イ ヨ ン 事 件 で 有 名 に な る 壁 紙 工 場 も こ こ に 立 地 し て い た 。 王 権 の 産 業 育 成 策 に よ っ て , フ ォ ー ブ ー ル に は マ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア 形 態 の 工 場 も 設 け ら れ た 。 セ ー ヌ 川 左 岸 の サ ン ・ マ ル セ ル も こ う し た フ ォ ー ブ ー ル で あ り , ビ エ ー ブ ル 川 沿 い の 地 区 に は , 毛 織 物 の 仕 上 工 場 や 皮 革 製 造 所 が 建 ち 並 び , 王 立 ゴ ブ ラ ン 織 工 場 も こ こ に 設 置 さ れ て い る 。
都 市 施 設 の 整 備
1 6 6 1 年 , ル イ 14 世 の 親 政 が 始 ま る と , 人 口 の 増 大 に 伴 っ て パ リ の 行 政 と 治 安 の た め の 施 策 は い ち だ ん と 強 化 さ れ た 。 67 年 に ル イ 14 世 は パ リ 警 視 総 監 を 置 い た が , そ の 権 限 は し だ い に 拡 大 し , 70 年 の 布 告 で は , パ リ 市 民 の 日 常 生 活 か ら 宗 教 , 科 学 , 産 業 を も 取 り 締 ま る も の と さ れ た 。 総 監 は 多 数 の 警 視 を 擁 し , 独 自 の 法 廷 を 開 き , 国 王 の 名 に お い て 投 獄 , 追 放 を 命 ず る 封 印 状 を 発 す る こ と が で き た 。 増 大 す る 浮 浪 者 な ど の い わ ゆ る マ ル ジ ノ ー 取 締 り が 強 化 さ れ , 1 6 5 7 年 に は オ ピ タ ル ・ ジ ェ ネ ラ ル と 称 さ れ る 強 制 収 容 所 が パ リ に も 設 置 さ れ た 。 そ こ に は 4 万 8 0 0 0 人 と い わ れ た 浮 浪 者 の う ち 1 万 人 を 収 容 し た と い う 。
ま た 都 市 施 設 の 管 理 に も 力 が 入 れ ら れ る 。 コ ル ベ ー ル は 1 6 6 6 年 に , パ リ に は 22 の 給 水 泉 し か な く , 50 ~ 60 は 必 要 で あ る と 警 察 の 会 議 で 述 べ た が , 7 1 - 7 2 年 に ノ ー ト ル ・ ダ ム 橋 の 上 に 2 台 の 水 力 ポ ン プ 揚 水 場 を 設 置 し て , 市 内 に 15 の 給 水 泉 を 出 現 さ せ た 。 彼 の 死 後 の 95 年 に も ト ゥ ー ル ネ ル 橋 に 同 様 の 揚 水 場 が で き た 。 そ し て 18 世 紀 に 入 る と パ リ は 50 の 給 水 泉 を も つ よ う に な る 。
17 世 紀 に は 街 灯 が 現 れ た 。 道 路 中 央 の 柱 や 壁 か ら 出 た 腕 木 に ろ う そ く の カ ン テ ラ を 下 げ た も の だ っ た が , 18 世 紀 に な る と 灯 油 が 使 用 さ れ る よ う に な っ た 。 1 7 6 9 年 , 街 灯 は 会 社 の 運 営 と な り , そ の と き の 総 数 は 6 0 0 0 で あ っ た 。 街 路 名 が 四 つ 辻 に 掲 げ ら れ る よ う に な る の が 1 7 2 8 年 , 一 般 の 家 屋 に 番 地 が 付 け ら れ る の が 79 年 , 街 路 と 街 区 は こ の よ う に し て 管 理 さ れ る よ う に な る 。
公 衆 衛 生 と ︽ 百 科 全 書 ︾
し か し 18 世 紀 の 人 口 は さ ら に 増 大 し , 60 万 ~ 70 万 と 推 定 さ れ て い る 。 新 し い 街 区 の 建 設 も 進 ん だ が , 老 朽 化 し た 家 屋 , 不 完 全 な 下 水 道 や 街 路 の 状 態 な ど , パ リ の 衛 生 状 態 が 医 学 の 問 題 と し て も 取 り 上 げ ら れ る よ う に な っ た 。 こ う し た 状 態 は 庶 民 の 生 活 に 重 く の し か か り , 1 7 7 0 年 に 1 0 0 0 人 の 新 生 児 の 平 均 寿 命 は 29 歳 , こ の う ち 1 年 以 上 を 生 き た 3 分 の 2 に つ い て の 平 均 寿 命 は 40 歳 に 達 し な か っ た 。
こ の 当 時 の 手 工 業 の 親 方 は 3 万 ~ 4 万 人 と さ れ , 職 人 は そ の 2 ~ 3 倍 の 数 に 達 し て い た 。 そ の ほ か に 臨 時 の 雑 業 に 従 う 日 傭 い や 人 夫 な ど の 下 層 労 働 者 , ま た プ チ ・ メ チ エ と 称 さ れ る 路 上 の 呼 売 り な ど で そ の 日 を 暮 ら す 貧 民 が い た 。 労 働 人 口 の 約 半 数 は こ う し た 下 層 労 働 者 や 貧 民 で あ っ た 。 都 市 の 施 設 は こ う し た 庶 民 の 生 活 環 境 を 改 善 す る に は 不 十 分 で あ っ た 。 基 本 的 な 生 活 用 水 の 確 保 に つ い て み て も , 18 世 紀 に は 目 だ っ た 前 進 は な か っ た 。 1 7 7 8 年 か ら 81 年 に か け て , よ う や く セ ー ヌ 川 右 岸 の シ ャ イ ヨ に 蒸 気 ポ ン プ の 揚 水 場 が で き , 87 年 に は 左 岸 の グ ロ ・ カ イ ユ ー に 同 様 の 揚 水 場 が 完 成 し た が , こ れ を 経 営 し た 会 社 は 破 産 し て し ま っ た 。
そ れ に も か か わ ら ず 18 世 紀 の パ リ は ︿ 啓 蒙 の 都 市 ﹀ と 呼 ば れ る こ と が あ る 。 確 か に パ リ に は ア カ デ ミ ー や 学 会 が 多 数 で き て 活 動 し , 科 学 者 , 哲 学 者 , 文 人 が 集 ま っ て サ ロ ン で の 議 論 に 加 わ っ た 。 さ ま ざ ま な 協 会 や ク ラ ブ が 成 立 し , ダ ラ ン ベ ー ル ら の ︽ 百 科 全 書 ︾ を は じ め , 出 版 活 動 が 盛 ん と な り , 日 刊 紙 も 出 現 し た 。 18 世 紀 末 に は , オ デ オ ン 座 や コ メ デ ィ ・ フ ラ ン セ ー ズ 座 な ど も 新 た に 劇 場 を 完 成 さ せ , オ ペ ラ 座 の 発 展 も 見 の が せ な い 。 こ の よ う に 進 ん だ 文 化 が , 自 ら の 足 も と で あ る パ リ の 状 況 に 無 関 心 で あ っ た わ け で は な い 。 た と え ば ︽ 百 科 全 書 ︾ に 象 徴 さ れ る 新 し い 知 の 体 系 の な か か ら , パ リ の 病 理 を 追 究 す る 公 衆 衛 生 学 が 出 て く る の で あ る 。
近 ・ 現 代
1 0 0 万 都 市 の 水 問 題
19 世 紀 に 入 っ た パ リ は , 1 7 8 4 ~ 90 年 に 築 か れ た ︿ 徴 税 請 負 人 の 壁 ﹀ と 称 さ れ る 市 壁 に よ っ て 囲 ま れ て い た 。 こ の 市 壁 に は 60 ば か り の 市 門 が あ り , そ こ で 市 内 に 入 る 生 活 必 需 品 の 入 市 税 が 徴 収 さ れ た 。 こ の た め 市 壁 に 対 す る パ リ 民 衆 の 評 判 は 悪 く , フ ラ ン ス 革 命 の 際 に は パ リ 民 衆 に よ っ て い く つ か の 市 門 が 襲 撃 さ れ , 91 年 か ら 96 年 ま で 入 市 税 は 廃 止 さ れ た 。 し か し こ の 税 金 は , 19 世 紀 に 入 っ て 急 激 に 人 口 が 増 大 し て い く パ リ の 都 市 機 能 を ま が り な り に も 維 持 し て い く 主 要 な 財 源 と な っ て い た 。
1 8 0 1 年 に は 54 万 6 0 0 0 で あ っ た 人 口 は , 51 年 に は 1 0 5 万 3 0 0 0 に 膨 張 し た が , こ れ は ナ ポ レ オ ン 帝 政 以 降 の 産 業 発 展 に よ っ て , 稼 ぎ 口 を 求 め る 人 々 が 再 び パ リ に 流 入 し て き た こ と に よ る 。 フ ラ ン ス 革 命 期 に 後 退 し た 奢 侈 品 や 家 具 な ど の 伝 統 的 な 工 業 が 活 気 を 取 り 戻 し , 1 8 0 7 年 に は 建 築 業 で 2 万 5 0 0 0 , 被 服 産 業 や 食 品 業 で 各 1 万 5 0 0 0 , 金 属 産 業 で 1 万 の 労 働 者 が 働 き , 全 人 口 の 半 数 が 工 業 で 生 活 す る に い た っ た 。 パ リ は 48 街 区 に 分 か れ て い た が , 中 心 部 の 諸 街 区 , と く に 市 庁 の あ る オ テ ル ・ ド ・ ビ ル , そ の 西 隣 の ア ル シ , シ テ 島 内 の シ テ は , 超 過 密 状 態 と な り , 古 い 家 屋 は 貧 民 宿 と な っ て 流 入 し て き た 人 々 が 密 集 し , 外 辺 部 の い く つ か の 地 区 と と も に , 貧 困 と 犯 罪 の 巣 と な っ た と い わ れ る 。
パ リ は 膨 張 す る 人 口 を も は や 支 え き れ な く な っ て い た 。 汚 水 , 塵 介 , し 尿 な ど の 処 理 に ゆ き づ ま り , セ ー ヌ 川 の 汚 染 が 深 刻 化 し た が , パ リ 市 民 の 大 部 分 は そ の 水 を そ の ま ま 飲 料 水 と し て い た 。 1 8 0 2 年 ナ ポ レ オ ン の 決 断 で ウ ル ク 運 河 の 工 事 が 始 ま り , 25 年 に 9 6 k m に 及 ぶ こ の 運 河 に よ っ て パ リ に 水 が も た ら さ れ る が , そ れ で も パ リ 市 民 が 1 日 に 使 用 で き る 水 量 は 6 l だ っ た と い わ れ る 。 パ リ の 労 働 者 階 級 は 一 年 中 , ふ ろ に 入 る こ と は な か っ た 。 下 水 道 の 整 備 に も 追 わ れ た が , 汚 水 は す べ て セ ー ヌ 川 に 流 れ 込 ん だ 。 こ う し た 状 況 の な か で 32 年 に は コ レ ラ の 大 流 行 が あ り , 1 万 8 4 0 2 人 の 死 者 を 出 し た 。 公 衆 衛 生 学 者 が 対 策 や 調 査 に 活 躍 す る が , 医 学 は 病 気 の 治 療 に は 無 力 で , コ レ ラ の 特 効 薬 は シ ョ ウ ノ ウ だ と 信 じ ら れ た 。
警 視 総 監 の 役 割
都 市 の 問 題 は さ ら に 中 央 市 場 , 交 通 , 食 糧 供 給 , 貧 民 の 監 視 な ど 幾 多 の 局 面 に 及 ん だ 。 ナ ポ レ オ ン は レ ・ ア ル ︵ パ リ 中 央 市 場 ︶ の 整 備 と 分 散 を 計 画 す る が 果 た さ ず , 41 年 に レ ・ ア ル の セ ー ヌ 川 左 岸 の ブ ド ウ 酒 市 場 へ の 移 転 案 が 市 の 委 員 会 に 提 出 さ れ た が , こ れ も 実 現 し な か っ た 。 か ろ う じ て 1 8 1 0 年 に 五 つ の 屠 殺 場 が 市 内 の 外 辺 部 に 建 設 さ れ た 。 そ れ ま で は 市 の 中 心 部 の 肉 屋 の 店 先 で 屠 殺 が 行 わ れ , 市 中 を 家 畜 の 群 れ が 市 場 に 向 か う と い う 状 態 で あ っ た 。
中 央 市 場 に は 荷 車 や 馬 車 や 荷 担 ぎ 人 , 便 利 屋 な ど が 集 ま っ て く る が , 街 路 は 狭 く 交 通 が 渋 滞 し , パ リ 中 心 部 を 東 西 , ま た 南 北 に 通 り 抜 け る こ と が 不 可 能 に な っ て い た 。 貸 馬 車 や 辻 馬 車 の 増 大 , 28 年 か ら は 乗 合 馬 車 路 線 も 続 々 と 生 ま れ て , パ リ の 交 通 問 題 は い ち だ ん と 深 刻 化 し た 。 一 方 , フ ラ ン ス 革 命 期 に 食 糧 危 機 に 直 面 し た こ と が , サ ン ・ キ ュ ロ ッ ト 運 動 の 原 因 の 一 つ と な っ た こ と は 支 配 者 の 記 憶 に 新 し い と こ ろ で あ っ た か ら , 民 衆 蜂 起 の 危 険 を 避 け る た め に , パ リ 警 視 庁 は 19 世 紀 を 通 じ て パ ン 屋 と パ ン 価 格 の 統 制 に は 力 を い れ て い た 。
パ リ の 管 理 に 責 任 を 負 っ た の は 警 視 総 監 と セ ー ヌ 県 知 事 で あ っ た が , 両 者 の 権 限 は し ば し ば 衝 突 し た 。 し か し 警 視 総 監 の 活 躍 は 都 市 問 題 全 般 に わ た っ て お り , 48 街 区 の そ れ ぞ れ に 警 察 署 が 置 か れ , 多 数 の 警 視 と 機 動 隊 を 指 揮 下 に 収 め て い た 。 警 視 総 監 の 下 に は パ リ 衛 生 審 議 会 が 置 か れ , 多 く の 公 衆 衛 生 学 者 が 参 加 し て パ リ の 都 市 環 境 の 調 査 や 改 善 策 を 提 出 し , ま た 実 施 し た 。 に も か か わ ら ず , パ リ を 管 理 す る こ と は 容 易 で は な か っ た 。 い ま だ 基 本 的 な 施 設 す ら 十 分 で な か っ た か ら , 諸 施 設 の シ ス テ ム の 網 の 目 に よ っ て 住 民 の 生 活 を コ ン ト ロ ー ル し 規 律 づ け る こ と が で き な か っ た の で あ る 。
居 酒 屋 と 革 命 と
こ の よ う な 都 市 で 自 ら の 労 働 を た よ り と し て 生 き て い か ね ば な ら ぬ 民 衆 に と っ て , 支 え と な る の は 人 と 人 と の 間 の 直 接 的 な 絆 ︵ き ず な ︶ で あ っ た 。 こ の 絆 を 新 し く つ く り 出 し , ま た 保 持 す る 場 と し て 重 要 な 役 割 を 果 た し た の が 居 酒 屋 で あ っ た 。 19 世 紀 に な る と パ リ の 市 内 や , 市 門 の 外 に は 居 酒 屋 や ︿ 関 ﹀ の 酒 場 が 急 激 に 増 大 し た 。 パ リ の 民 衆 は こ う し て , 支 配 者 の 管 理 の 外 に 自 立 し た 生 活 圏 を つ く り 上 げ て い き , フ ラ ン ス 革 命 期 の サ ン ・ キ ュ ロ ッ ト 運 動 の 記 憶 と と も に , 1 8 3 0 年 , 32 年 , 34 年 , 48 年 と , 新 た な 民 衆 騒 擾 を 生 み 出 す 条 件 と な っ た 。
し た が っ て , こ れ ら の 運 動 は 都 市 騒 擾 と し て の 側 面 を 多 分 に も っ て い た 。 た と え ば 48 年 の 二 月 革 命 の 際 , 民 衆 は 市 門 の 入 市 税 徴 収 所 の ほ と ん ど す べ て を 襲 撃 し て 破 壊 し た 。 ま た 当 時 セ ー ヌ 川 に 架 け ら れ た 16 の 橋 の う ち , そ の と き ま で 渡 橋 す る 者 か ら 税 を 徴 収 し て い た 10 の 橋 の 収 税 所 を 破 壊 し , 税 金 の 徴 収 を 廃 止 さ せ た 。 ま た 民 衆 は 運 動 に 際 し , 自 分 の 住 む 街 区 の 商 店 主 層 を 中 心 に 組 織 さ れ て い た 国 民 軍 の 武 力 と も 対 決 し な け れ ば な ら な か っ た 。 こ の 国 民 軍 は 都 市 を 管 理 し よ う と す る ブ ル ジ ョ ア 層 の 最 後 の よ り ど こ ろ で あ っ た か ら で あ る 。
し か し パ リ の ブ ル ジ ョ ア 層 は , 産 業 化 す る 社 会 の 動 き を 確 実 に 自 ら の 力 と し つ つ あ っ た 。 19 世 紀 の 初 め , ブ ー ル バ ー ル の 西 側 の オ ペ ラ 座 界 隈 は 彼 ら 新 興 階 級 の 散 策 の 場 と し て 登 場 し て き た が , そ こ に は 鉄 枠 に ガ ラ ス の 入 っ た 高 い 天 井 を も っ た パ ッ サ ー ジ ュ ︵ ア ー ケ ー ド ︶ や パ ノ ラ マ 館 , 写 真 館 が 並 ん で い た 。 初 期 の 百 貨 店 や 中 国 風 浴 場 , レ ス ト ラ ン も 軒 を 連 ね た 。 パ ッ サ ー ジ ュ に は パ リ で 最 初 の ガ ス 灯 が と も り , 名 店 街 が 形 成 さ れ た 。 こ う し て こ の 界 隈 は , 新 し い 産 業 と 技 術 の 開 花 を 象 徴 す る こ と と な っ た 。
オ ス マ ン の パ リ 改 造
こ の 産 業 化 の 上 げ 潮 の な か で パ リ の 改 造 に 着 手 し た の が , ナ ポ レ オ ン 3 世 と セ ー ヌ 県 知 事 G . E . オ ス マ ン で あ る 。 ま ず シ テ 島 内 部 の 貧 民 街 を 一 掃 し , パ リ の 中 心 を 東 西 お よ び 南 北 に 貫 通 す る 大 通 り を 建 設 す る と と も に , 中 心 部 を 迂 回 す る 大 通 り , 鉄 道 駅 か ら 中 心 部 に 向 か う 交 通 路 , そ れ に 西 の エ ト ア ー ル 広 場 , 東 の ナ シ ヨ ン 広 場 を 中 心 と し て 放 射 状 に 道 路 を 配 置 す る な ど , い く つ も の 街 区 を 貫 通 す る 大 通 り の 建 設 に 力 を 注 い だ 。 水 に つ い て は 1 6 0 k m 離 れ た ヨ ン ヌ 川 な ど か ら パ リ に 送 水 す る た め 水 道 橋 を 築 き , こ れ に よ っ て パ リ の 水 量 は 倍 増 す る こ と に な っ た 。 下 水 道 に つ い て は , セ ー ヌ 川 の 両 岸 に 沿 っ て 大 下 水 道 を 建 設 し , す べ て の 下 水 を こ れ に 流 し 込 ん で 市 外 の セ ー ヌ 川 下 流 で 放 出 す る よ う に し た 。
1 8 5 9 年 の 法 令 で , 60 年 よ り パ リ の 市 域 は テ ィ エ ー ル が 1 8 4 0 年 に 築 い た 城 壁 ま で 拡 大 さ れ る こ と に な っ た 。 旧 来 の 12 区 は 20 区 に な り , 面 積 は 3 4 . 0 2 k m 2 か ら 7 8 . 0 2 k m 2 と な る 。 こ れ ま で 郊 外 の 町 で あ っ た ラ ・ シ ャ ペ ル , ベ ル ビ ル , ビ レ ッ ト , ボ ー ジ ラ ー ル な ど も パ リ 市 に 編 入 さ れ た 。 新 し く 編 入 さ れ た 地 域 の 人 口 は , す で に 1 8 3 1 年 の 7 万 5 5 7 4 か ら 56 年 の 36 万 4 2 5 7 へ と ほ ぼ 5 倍 に 激 増 し て い た 。 機 械 製 造 業 や 化 学 工 業 , 繊 維 工 業 な ど の 工 場 が こ の 地 域 に 立 地 し は じ め て い た こ と に よ る も の で あ っ た 。 オ ス マ ン は 新 市 域 に 対 す る 道 路 建 設 に も 力 を 入 れ た が 十 分 で な く , ベ ル ビ ル な ど は 水 道 も な く , パ リ の シ ベ リ ア と い わ れ た 。 61 年 , 新 し い 市 域 の 人 口 は 1 6 9 万 6 0 0 0 に 達 し た 。
総 合 都 市 計 画 の 立 遅 れ
1 8 7 0 年 の 普 仏 戦 争 と 第 二 帝 政 の 崩 壊 と い う 事 件 の な か で , パ リ は プ ロ イ セ ン 軍 の 包 囲 す る と こ ろ と な り , パ リ 市 民 の 日 常 生 活 は 解 体 す る 。 民 衆 は 今 度 は 自 ら の 手 で 国 民 軍 を 編 成 し よ う と し , し だ い に そ れ が 民 衆 生 活 と 防 衛 の 中 心 と 考 え ら れ る よ う に な っ た 。 こ こ で 明 ら か に な っ た こ と は , パ リ 改 造 に も か か わ ら ず , 民 衆 の 生 活 様 式 や 心 的 態 度 は い ま だ 変 化 し て い な い と い う こ と で あ っ た 。 71 年 の パ リ ・ コ ミ ュ ー ン は , こ う し て 民 衆 運 動 の 再 生 と し て 現 れ , 政 府 軍 の 武 力 に よ り 鎮 圧 さ れ る 。
71 年 以 後 も パ リ の 人 口 は 増 大 を 続 け , 72 年 の 1 8 5 万 が 1 9 0 1 年 に は 2 7 1 万 と な っ た 。 こ の 間 , パ リ 改 造 が つ づ け ら れ , と く に 外 側 の 諸 地 区 で の 道 路 建 設 が 進 ん だ 。 し か し こ の 第 三 共 和 政 期 の 特 徴 は , 各 街 区 ご と に 小 学 校 が 建 設 さ れ て い っ た こ と で あ る 。 こ れ は 初 等 教 育 の 義 務 化 , 無 償 化 の 進 展 に 呼 応 し た も の で , こ の 時 代 に 社 会 の 諸 制 度 の 網 の 目 が 整 え ら れ て い く こ と を 象 徴 す る も の で あ っ た 。 万 国 博 覧 会 が 1 8 7 8 年 , 89 年 , 1 9 0 0 年 と パ リ で 開 か れ る が , 78 年 に は 街 灯 に 電 灯 が 使 用 さ れ 始 め , 89 年 に は エ ッ フ ェ ル 塔 が 出 現 し , 1 9 0 0 年 に は 初 め て の 地 下 鉄 が 完 成 し て い る 。 乗 合 自 動 車 が 出 現 す る の は 1 9 0 5 年 で あ る 。 産 業 化 の 進 展 の な か で ブ ル ジ ョ ア 層 は 安 定 感 を 得 て い た が , 1 9 0 5 年 5 月 1 日 , 革 命 的 サ ン デ ィ カ リ ス ト の 8 時 間 労 働 を 要 求 す る ゼ ネ ス ト が 大 規 模 に 展 開 さ れ , 軍 隊 の 出 動 を み た 。
第 1 次 世 界 大 戦 後 に な る と パ リ の 人 口 は よ う や く 安 定 に 向 か う が , 郊 外 地 帯 が 拡 大 し て い っ た 。 と く に 北 部 は 大 工 場 地 帯 と し て 発 展 す る が , 南 部 は 郊 外 住 宅 地 と な っ て い っ た 。 オ ス マ ン の パ リ 改 造 の 構 想 の な か に は 郊 外 地 帯 を い か に 組 織 す る か と い う 考 え が 欠 け て い た と い わ れ る が , こ の 時 点 で パ リ は 郊 外 に 対 す る 都 市 計 画 の 必 要 に 直 面 し て い た の で あ っ た 。 テ ィ エ ー ル の 城 壁 は 1 9 1 9 年 に 取 壊 し が 決 ま り , 20 年 か ら 24 年 に 実 施 さ れ た 。 こ の 場 合 に も , そ の 広 大 な 跡 地 を , パ リ 市 と 郊 外 を 結 ぶ 交 通 の 要 点 と し て お さ え , 都 市 計 画 を 立 て る と い う こ と が な さ れ な か っ た 。 パ リ 市 の 中 心 に は 大 会 社 の 本 社 や 諸 官 庁 が 集 中 し , パ リ 市 の 人 口 で も こ う し た オ フ ィ ス に 勤 務 す る サ ラ リ ー マ ン 層 や 自 由 業 者 の 比 率 が 増 大 し , 逆 に 労 働 者 層 の そ れ は 減 少 し た 。 労 働 者 層 の 比 重 は 郊 外 で 増 大 し , こ う し た 地 域 の 住 宅 や 交 通 の 問 題 が 深 刻 化 し て い っ た 。
執 筆 者 ‥ 喜 安 朗
パリ Ferruccio Parri 生没年:1890-1981
イ タ リ ア の 政 治 家 。 反 フ ァ シ ズ ム 活 動 で た び た び 逮 捕 さ れ た あ と , 1 9 4 3 年 行 動 党 の 結 成 に 参 加 。 武 装 レ ジ ス タ ン ス 期 ︵ 1 9 4 3 年 9 月 ~ 45 年 4 月 ︶ に 行 動 党 を 代 表 し て 国 民 解 放 委 員 会 の 指 導 部 に 入 り , パ ル チ ザ ン 部 隊 の 指 揮 や 連 合 軍 と の 交 渉 な ど 重 要 な 役 割 を 演 じ た 。 フ ァ シ ズ ム 崩 壊 後 に 短 期 間 首 相 を 務 め ︵ 45 年 6 月 ~ 12 月 ︶ , そ の 後 も 主 と し て 独 立 左 派 の 立 場 か ら 政 治 活 動 を 続 け , 63 年 終 身 上 院 議 員 と な る 。
執 筆 者 ‥ 北 原 敦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」 改訂新版 世界大百科事典について 情報
パリ
フ ラ ン ス の 首 都 。 同 国 北 部 , パ リ 盆 地 の 中 央 , セ ー ヌ 川 中 流 の シ テ 島 を 中 心 に 同 心 円 状 に 広 が る 。 フ ラ ン ス の 政 治 , 経 済 , 文 化 の 中 心 。 北 緯 4 8 ° 5 0 ′ に あ る が , 西 岸 海 洋 性 の 温 和 な 気 候 で , 月 平 均 気 温 1 月 3 ℃ , 7 月 19 ℃ , 年 降 水 量 約 6 0 0 m m 。 セ ー ヌ 川 の 重 要 な 河 港 で , フ ラ ン ス の 鉄 道 網 の 中 心 を な し , オ ル リ ー , シ ャ ル ル ・ ド ・ ゴ ー ル な ど の 国 際 空 港 を も つ 。 機 械 , 自 動 車 , 航 空 機 , 化 学 , 建 設 資 材 , 食 品 加 工 , 印 刷 な ど の 工 業 が 郊 外 を 中 心 に 行 わ れ る が , パ リ 市 そ の も の は 人 口 が し だ い に 減 少 し , サ ー ビ ス 産 業 の 中 心 地 に な り つ つ あ る 。 服 飾 , 香 水 , 出 版 な ど は 世 界 的 に 有 名 。 市 街 は 19 世 紀 末 に 大 規 模 な 都 市 計 画 が 行 わ れ , シ ャ ル ル ・ ド ・ ゴ ー ル , バ ス テ ィ ー ユ な ど の 広 場 を 交 差 点 と す る 放 射 状 道 路 と 城 壁 跡 の 環 状 道 路 を 基 礎 に 構 成 さ れ る 。 市 内 は 20 区 に 分 け ら れ , 中 心 市 街 は シ ャ ル ル ・ ド ・ ゴ ー ル 広 場 か ら コ ン コ ル ド 広 場 に 通 じ る シ ャ ン ゼ リ ゼ 。 モ ン パ ル ナ ス , モ ン マ ル ト ル に は ナ イ ト ク ラ ブ な ど が 多 い 。 市 の 東 側 に は 町 工 場 が 集 ま っ て お り , 労 働 者 や 移 民 が 多 い 。 1 9 0 0 年 か ら メ ト ロ ︵ 地 下 鉄 ︶ が 建 設 さ れ , 延 長 約 2 0 0 k m , 市 内 交 通 で 重 要 な 役 割 を 果 た す 。 エ リ ゼ 宮 ︵ 大 統 領 官 邸 ︶ , ブ ル ボ ン 宮 ︵ 国 民 議 会 ︶ , リ ュ ク サ ン ブ ー ル 宮 殿 , ユ ネ ス コ 本 部 , 旧 パ リ 大 学 ︵ 1 2 1 5 年 創 立 ︶ , エ コ ー ル ・ ノ ル マ ル ・ シ ュ ペ リ ウ ー ル ︵ 高 等 師 範 学 校 ︶ , エ コ ー ル ・ ポ リ テ ク ニ ク ︵ 理 工 科 学 校 ︶ , ル ー ブ ル 美 術 館 , オ ル セ ー 美 術 館 , ケ ・ ブ ラ ン リ 美 術 館 , ギ メ 美 術 館 , オ ペ ラ 座 , コ メ デ ィ ・ フ ラ ン セ ー ズ な ど が あ り , ま た ノ ー ト ル ・ ダ ム 大 聖 堂 , サ ク レ ・ ク ー ル 教 会 , サ ン ・ ジ ェ ル マ ン ・ デ ・ プ レ 修 道 院 な ど の 聖 堂 も 多 く , チ ュ イ ル リ ー 宮 , エ ッ フ ェ ル 塔 の あ る シ ャ ン ・ ド ・ マ ル ス , ブ ー ロ ー ニ ュ の 森 な ど 公 園 ・ 緑 地 も 多 い 。 最 初 ケ ル ト 系 の パ リ シ イ 人 が 居 住 し て い た が , ロ ー マ 軍 が 侵 入 , 以 後 ル テ テ ィ ア と 呼 ば れ , 前 1 世 紀 半 ば カ エ サ ル に 占 領 さ れ た 。 4 世 紀 こ ろ か ら パ リ と 呼 ば れ る よ う に な り , 5 0 8 年 フ ラ ン ク 王 国 , 9 8 7 年 カ ペ ー 朝 の 首 都 と な っ て か ら は フ ラ ン ス の 中 心 。 1 2 − 1 3 世 紀 フ ィ リ ッ プ 2 世 の も と に 中 世 都 市 と し て 整 備 さ れ る 。 16 世 紀 に は ル ネ サ ン ス 文 化 の 洗 礼 を 受 け る 一 方 , 宗 教 改 革 の 波 が 押 し 寄 せ る 。 1 7 − 1 8 世 紀 に は ル イ 13 世 か ら ル イ 16 世 統 治 下 で さ ら に 膨 張 発 展 し た が , 人 口 増 加 は 貧 困 化 を 招 き , 下 水 道 の 不 備 な ど と 相 ま っ て 都 市 民 の 生 活 を 圧 迫 し た 。 こ う し た 状 況 を 背 景 と し て 1 7 8 9 年 の フ ラ ン ス 革 命 , 1 8 7 1 年 普 仏 戦 争 敗 戦 後 の パ リ ・ コ ミ ュ ー ン で は 中 心 舞 台 と な る 。 こ う し た な か , 1 8 5 0 年 代 か ら 1 8 6 0 年 代 に , ナ ポ レ オ ン 3 世 と セ ー ヌ 県 知 事 オ ス マ ン に よ っ て , 大 通 り の 建 設 や 下 水 道 の 整 備 な ど パ リ 中 心 部 の 大 規 模 な 都 市 改 造 が 行 わ れ た 。 1 8 5 5 年 以 来 数 度 の 万 国 博 覧 会 , 1 9 0 0 年 , 1 9 2 4 年 に は オ リ ン ピ ッ ク が 開 催 さ れ た 。 1 9 4 0 年 − 1 9 4 4 年 は ド イ ツ の 占 領 下 に あ っ た 。 1 9 6 0 年 代 , ア ル ジ ェ リ ア を は じ め と す る 旧 植 民 地 か ら の 移 民 労 働 者 が 激 増 。 現 在 , 郊 外 も 含 め た パ リ 地 域 の 移 民 人 口 は 1 0 0 万 人 を 超 え て い る 。 2 1 8 万 1 3 7 1 人 ︵ 2 0 0 6 ︶ 。 首 都 圏 人 口 は 1 0 1 4 万 2 9 7 7 人 ︵ 2 0 0 6 ︶ 。 ︵ 図 ︶
→ 関 連 項 目 ア ン バ リ ッ ド | ケ イ タ | パ リ オ リ ン ピ ッ ク ︵ 1 9 0 0 年 ︶ | パ リ オ リ ン ピ ッ ク ︵ 1 9 2 4 年 ︶ | パ リ の セ ー ヌ 河 岸 | フ ラ ン ス
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パリ Paris
フ ラ ン ス の 首 都 。 フ ラ ン ス 北 部 , パ リ 盆 地 の 中 心 に 位 置 す る 。 古 代 名 ル テ チ ア L u t e t i a ( ラ テ ン 語 ) , ル コ テ ィ キ ア L o u k o t i k i a ( ギ リ シ ア 語 ) 。 1 市 で 1 県 ( ビ ル ド パ リ 県 ) を 構 成 し , 20 区 に 分 か れ る 。 モ ン マ ル ト ル , シ ョ ー モ ン , パ ッ シ ー , ム ー ド ン な ど の な だ ら か な 丘 陵 が 周 囲 を 取 り 巻 き , 中 央 を ほ ぼ 東 か ら 西 に セ ー ヌ 川 が 流 れ る 。 セ ー ヌ 川 の 川 中 島 と し て シ テ , サ ン ル イ の 2 島 が あ る が , シ テ 島 は パ リ の 発 祥 地 で , 前 3 世 紀 中 頃 か ら 古 代 ケ ル ト 人 の 一 部 族 パ リ ジ イ 人 ( パ リ の 名 称 の 由 来 ) が 住 み つ い て い た 。 前 52 年 , カ エ サ ル の ロ ー マ 軍 に 征 服 さ れ て そ の 植 民 都 市 ル テ チ ア と な り , 市 街 地 は セ ー ヌ 川 左 岸 の 現 ラ テ ン 区 に 発 展 。 5 世 紀 末 パ リ と 改 称 , 以 後 6 世 紀 末 ま で フ ラ ン ク 王 国 の 首 都 。 9 8 7 年 に は ユ ー グ ・ カ ペ ー が フ ラ ン ス 最 初 の 国 王 と し て カ ペ ー 朝 を 樹 立 , パ リ を フ ラ ン ス の 首 都 と し た 。 12 世 紀 に は フ ィ リ ッ プ ・ オ ー ギ ュ ス ト が 市 街 を 整 備 , セ ー ヌ 両 岸 に ま た が る 城 壁 を 建 設 。 14 世 紀 初 頭 に は フ ラ ン ス 最 大 の 都 市 と な り , 人 口 も 急 増 し て , 右 岸 の 城 壁 は 拡 大 さ れ た 。 19 世 紀 半 ば ナ ポ レ オ ン 3 世 の 時 代 に 都 市 計 画 を 実 施 , そ の 後 も 発 展 が 続 い た 。 19 世 紀 に お け る 人 口 増 加 は 著 し く , 初 頭 は 約 50 万 人 だ っ た の に 対 し , 1 8 5 1 年 に は 約 1 3 0 万 人 , 1 8 9 6 年 に は 約 2 5 0 万 人 と ふ く れ 上 が っ た 。 20 世 紀 に 入 る と , 郊 外 に 人 が 移 る な ど し て , 1 9 2 1 年 の 2 9 0 万 人 を ピ ー ク に パ リ 市 と し て の 人 口 は 減 少 傾 向 を み せ 始 め た 。 パ リ は 政 治 , 文 化 , 経 済 , 金 融 , 産 業 な ど す べ て の 分 野 に わ た る フ ラ ン ス の 中 心 地 で あ る と と も に 観 光 , 芸 術 な ど の 面 で 世 界 有 数 の 都 市 で あ る 。 貴 金 属 加 工 や 皮 革 製 品 , 衣 服 , 陶 器 な ど の 製 造 も 盛 ん で , そ れ ら の 製 品 は 奢 侈 品 と し て 世 界 中 か ら 広 く 愛 用 さ れ て い る も の が 多 い 。 さ ら に 周 辺 地 区 で は 自 動 車 , 電 機 , 機 械 な ど を は じ め と す る 近 代 工 業 が 発 達 し て い る 。 1 9 5 5 年 以 降 は 工 場 建 設 を 規 制 し , 地 方 分 散 を 進 め , パ リ へ の 一 極 集 中 を 避 け て い る 。 商 業 で は ホ テ ル , レ ス ト ラ ン , 娯 楽 施 設 な ど 観 光 関 連 産 業 が 中 心 。 シ テ 島 は パ リ の 中 心 で , ノ ー ト ル ・ ダ ム 大 聖 堂 ( 1 1 6 3 ~ 1 3 4 5 ) , ス テ ン ド グ ラ ス の 壮 麗 な サ ン ト ・ シ ャ ペ ル ( 1 2 4 8 ) , コ ン シ エ ル ジ ュ リ ー ( 14 世 紀 。 フ ラ ン ス 革 命 時 の 牢 獄 ) が あ る 。 セ ー ヌ 左 岸 は 学 問 と 芸 術 の 町 で , ラ テ ン 区 に 世 界 最 古 の 大 学 の 一 つ で あ る パ リ 大 学 が あ る 。 こ の ほ か リ ュ ク サ ン ブ ー ル 公 園 , パ リ の 象 徴 と も い え る エ ッ フ ェ ル 塔 が あ る 。 セ ー ヌ 右 岸 は 政 治 , 経 済 の 町 で あ る が , 世 界 最 大 級 の 美 術 館 と し て 知 ら れ る ル ー ブ ル 美 術 館 , コ ン コ ル ド 広 場 , シ ャ ン ゼ リ ゼ 通 り , 凱 旋 門 , オ ペ ラ 座 が あ る ほ か , サ ク レ ・ ク ー ル 聖 堂 の あ る モ ン マ ル ト ル , ブ ー ロ ー ニ ュ の 森 な ど が 広 が る 。 こ れ ら セ ー ヌ 川 河 岸 一 帯 は 1 9 9 1 年 世 界 遺 産 の 文 化 遺 産 に 登 録 さ れ た 。 さ ら に 周 辺 に は , シ テ ユ ニ ベ ル シ テ ー ル ( 大 学 都 市 ) , デ フ ァ ン ス 地 区 再 開 発 事 業 に よ る 高 層 オ フ ィ ス ・ 住 宅 群 な ど 大 規 模 な 都 市 計 画 に よ る 新 し い 町 づ く り が み ら れ る 。 オ ル リ ー , シ ャ ル ル ド ゴ ー ル の 二 大 空 港 が 全 世 界 と 結 ん で い る 。 国 連 教 育 科 学 文 化 機 関 U N E S C O の 本 部 が あ る 。 市 域 面 積 1 0 5 k m 2 。 人 口 2 2 1 万 1 2 9 7 ︵ 2 0 0 8 ︶ 。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
パリ Paris
フ ラ ン ス の 首 都 。 セ ー ヌ 川 の シ テ 島 に ケ ル ト 系 パ リ シ イ 人 が 住 み 着 い た の が 名 前 の 由 来 。 ロ ー マ 時 代 に は ル テ テ ィ ア と 呼 ば れ た 。 中 世 初 期 , パ リ 伯 の 子 孫 が カ ペ ー 朝 を 開 き フ ラ ン ス 王 と な っ て 以 来 , パ リ は 首 都 と し て の 役 割 を 担 う と 同 時 に , 司 教 座 聖 堂 ( ノ ー ト ル ダ ム ) や 大 学 を 有 す る 宗 教 や 学 問 の 中 心 と な っ た 。 周 囲 に は 幾 度 か 城 壁 が 築 か れ , 商 工 業 者 や 商 人 た ち が 市 政 を 担 っ た が , 絶 対 王 政 下 で は 王 権 が し だ い に 都 市 支 配 を 強 化 し て い っ た 。 フ ラ ン ス 革 命 期 の パ リ は 政 治 の 重 要 事 件 の 舞 台 で , 19 世 紀 の 諸 革 命 も パ リ で 生 じ て お り , 近 代 の パ リ は 何 よ り 政 治 の 中 心 で あ っ た 。 他 方 , コ レ ラ の 発 生 を み た 19 世 紀 に は 上 下 水 道 の 整 備 や 公 衆 衛 生 に お い て 進 展 が み ら れ , 第 二 帝 政 期 に は 知 事 オ ス マ ン に よ っ て 大 規 模 な 都 市 改 造 が 行 わ れ た 。 以 来 パ リ で は 新 し い 科 学 技 術 や 最 先 端 の 流 行 が 示 さ れ , 万 国 博 覧 会 も 開 か れ た 。 第 二 次 世 界 大 戦 で は 一 時 ド イ ツ に 占 領 さ れ た が , 戦 後 は 再 び ヨ ー ロ ッ パ の 政 治 や 文 化 の 中 心 と し て の 役 割 を 果 た し て い る 。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」 山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
パリ Paris
フ ラ ン ス の 首 都 。 セ ー ヌ 川 に 面 し , ロ ー マ 時 代 に は ル テ テ ィ ア と 呼 ば れ , ガ リ ア 地 方 の 河 川 交 通 の 要 地 。 名 称 は 先 住 ケ ル ト 人 の パ リ シ イ 族 に 由 来 す る
5 0 8 年 , フ ラ ン ク 王 国 初 代 の 王 ク ロ ー ヴ ィ ス が 宮 殿 を 建 設 し , 9 8 7 年 の カ ペ ー 朝 以 後 に 首 都 と な り , 12 世 紀 に は 大 学 も 創 立 さ れ た 。 ル イ 9 世 時 代 に 発 展 し , 百 年 戦 争 で は 一 時 イ ギ リ ス の 侵 略 を 受 け た が , 16 世 紀 以 後 は フ ラ ン ス を 代 表 す る 文 化 都 市 と な っ た 。 フ ラ ン ス 革 命 の 舞 台 と な り , そ の 後 , 七 月 革 命 ・ 二 月 革 命 ・ パ リ − コ ミ ュ ー ン な ど の 中 心 と も な っ て , 革 命 の 都 と 呼 ば れ た 。 1 8 7 1 年 , 普 仏 ( ふ ふ つ ) 戦 争 で 一 時 ド イ ツ 軍 が 占 領 。 そ の 後 も 多 く の 会 議 ・ 条 約 締 結 の 場 所 と な り , ヨ ー ロ ッ パ の 文 化 や 思 想 の 中 心 と し て の 地 位 を 保 っ た 。 1 9 4 0 年 第 二 次 世 界 大 戦 で ま た ド イ ツ 軍 に 占 領 さ れ た が , 44 年 に 解 放 さ れ た 。 現 在 , ユ ネ ス コ ・ 経 済 協 力 開 発 機 構 ︵ O E C D ︶ 本 部 が あ り , 郊 外 に は ル イ 14 世 造 営 の ヴ ェ ル サ イ ユ 宮 殿 が あ る 。
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パリ〔曲名〕
オーストリアの作曲家W・A・モーツァルトの交響曲第31番K297[300a](1778)。原題《Paris》。パリのオーケストラ、コンセール・スピリチュエルのために作曲された。
パ リ ︹ 香 水 ︺
︽ P a r i s ︾ フ ラ ン ス の フ ァ ッ シ ョ ン ブ ラ ン ド 、 イ ヴ ・ サ ン ロ ー ラ ン の フ レ グ ラ ン ス 。 1 9 8 3 年 発 表 。 調 香 師 、 ソ フ ィ ア ・ グ ロ ス マ ン の 作 。
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パリ
生年月日:1838年8月24日 オルレアン公フェルディナンの長子,フランス王ルイ・フィリップの孫 1894年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」 367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の パリの言及
【区】より
…政治的には区長は地区民主党組織の利害代表であることが多い。フランスでもパリ市に20の区arrondissementが設置され,当該区選出の市会議員,市長任命の戸籍官,市議会の選出した者からなる区委員会が,一部の地域行政を処理している。イギリスでは,1963年以来,ロンドン地区に広域自治体として大ロンドン県Greater London Councilが設けられ,その下に,ロンドン市と32の区London Boroughが設けられている。…
【首都】より
…アメリカのワシントンは直接公選の首長と議会をもつが,行財政について連邦議会の承認を必要としている。フランスのパリは市および県としての機能を有する自治体である。長らくパリ市長は中央政府が任命してきたが,1977年以来市長は市議会での選挙となり,またパリの20区arrondissements municipaux委員会委員および執行部の選出も自治に基づくものへと改められた。…
【第二帝政】より
… し か し , 70 年 7 月 19 日 ビ ス マ ル ク の 策 謀 に よ っ て プ ロ イ セ ン に 宣 戦 布 告 ( 普 仏 戦 争 ) し , 9 月 2 日 に 降 伏 し た 。 そ の 知 ら せ が 9 月 4 日 パ リ に 届 く や , 民 衆 が 一 斉 に 蜂 起 し 第 二 帝 政 は あ え な く 崩 壊 し た 。
﹇ 経 済 , 社 会 ﹈
第 二 帝 政 期 は , フ ラ ン ス に お け る 経 済 的 ・ 社 会 的 転 換 期 を な し て い る 。 …
【都市計画】より
… そ し て 居 城 , 市 場 , 教 会 を 中 心 に 高 密 度 な 市 街 地 が 形 成 さ れ て い た 。 ル ネ サ ン ス 期 に な る と 商 業 の 発 達 が 著 し く , パ リ , フ ィ レ ン ツ ェ , ベ ネ チ ア な ど の 都 市 の 人 口 が 増 加 し , 中 世 の 都 市 の 改 造 が 行 わ れ は じ め た 。 16 ~ 17 世 紀 に か け て , デ ュ ー ラ ー , ス カ モ ッ ツ ィ な ど の 理 想 都 市 の 提 案 が あ っ た 。 …
【ノートル・ダム大聖堂】より
…パリのシテ島にある司教座教会。フランス・ゴシック建築のなかでは西正面が最も調和を見せている,初期ゴシック建築の壮大な作例である。…
【乗合馬車】より
… ま た , こ の 言 葉 か ら バ ス の 語 が 派 生 し た 。 哲 学 者 の パ ス カ ル が 17 世 紀 後 半 に 入 っ て 最 初 に 考 案 し た と い わ れ , そ の 計 画 は 1 6 6 2 年 に パ リ 市 内 で 実 現 さ れ , 営 業 が 認 可 さ れ た 。 こ の 乗 合 馬 車 は 19 世 紀 に 発 展 し た も の と 同 じ 性 格 を す で に も っ て お り , パ リ の 街 区 か ら 街 区 へ と 決 め ら れ た 路 線 を 定 時 運 行 し , 五 つ の 路 線 を も ち , 運 賃 は 5 ソ ル と 高 価 な も の だ っ た 。 …
【ポンピドゥー・センター】より
…パリの中心地区ボーブールBeaubourgにある芸術・文化活動の諸機能を集めたセンター。正称は〈国立ジョルジュ・ポンピドゥー芸術・文化センターCentre national d’Art et de Culture Georges‐Pompidou〉。…
※「パリ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」