改訂新版 世界大百科事典 「シャンプラン」の意味・わかりやすい解説
シャンプラン
Samuel de Champlain
生没年:1570ころ-1635
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
フランスの探検家。1603年、フランス王アンリ4世の派遣により、北アメリカのセント・ローレンス川流域の測量に赴き、そこにフランスの北アメリカ植民地設立の可能性をみいだす。08年、現ケベック市に砦(とりで)を建設、以後150年間にわたる植民地経営の基礎を築いた。27年にニュー・フランス総督となる。28~32年のイギリスによる占領期を除き、ケベックで没するまで北アメリカ大陸北部の探検とこの地におけるフランスの覇権確立に尽力。彼は「ニュー・フランスの父」とよばれる。
[大原祐子]
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1567?~1635
フランスの探検家。1608年に現在のケベック市に交易所を設け,先住民との毛皮取引を拡大した。のちに最初の総督となってヌーヴェル・フランス植民地の建設に尽力し,「ヌーヴェル・フランスの父」と呼ばれる。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…同じ頃のちにカナダの一部を形成するニューファンドランドはイギリス領と宣言され,イギリスの海外植民地の最初となる。 フランスの北アメリカ植民地に入植が始まったのは1603年であったが,失敗を繰り返した後,〈ニューフランスの父〉サミュエル・ド・シャンプランは08年ケベック要塞を設け,ここが150年余りに及ぶフランスの北アメリカ統治のかなめとなった。フランス人が北アメリカで利益を見いだしたものは,豊富なタラと良質の毛皮であった。…
…セント・ローレンス河口から約600km上流の川が狭まる地点に位置し,〈アメリカのジブラルタル〉とも呼ばれる。1608年フランス人シャンプランが町を建設,以後北アメリカのフランス植民地の中心として発展した。住民の大部分がフランス系で,モントリオールとともにフランス系カナダの中心都市。…
※「シャンプラン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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