改訂新版 世界大百科事典 「シンド」の意味・わかりやすい解説
シンド
Sind
パキスタン南東部の州。面積約14万km2,人口3044万︵1998︶。州都はカラチ。シンドの名はシンドゥ︵インダス川のサンスクリットによる古名で︿大洋,川﹀の意︶に由来する。地形的には,西部のキルタール山脈とその東麓の複合扇状地帯,中部のインダス川下流域の沖積平野,東部のタール砂漠西縁部の三つの南北ベルトに分かれる。インダス川は西部山地の走向に規定されてS字形に貫流し,河口部はカッチ湿地に接続する湿地帯をなす。砂漠気候に属し,北端のジャコババードの年降水量は99mmで,6月の最高気温の平均は50.0℃︵平均気温は36.8℃︶と,世界的な暑熱地である。このため農業は灌漑に依存している。インダス川のサッカル堰堤︵1932完成︶,コトリのグラーム・モハマッド堰堤︵1955完成︶,カシュモールのグドゥ堰堤︵1962完成︶から,かつての乱流あとである旧流路を利用した用水路網が走り,計360万haを灌漑する。しかし灌漑の発展につれて乾燥地特有の塩害問題が深刻である。農業は米,小麦,綿花,サトウキビを主とする。ハイダラーバード,サッカル,シカールプルなどの諸都市の主要機能は,これらの集散と加工にある。工業は港市で旧首都のカラチに集中し,軽工業のほか石油精製,製鉄業などが立地する。
インダス文明の故地として名高く,その代表的都市遺跡であるモヘンジョ・ダロは北西部のインダス川西岸にある。シンドはインド亜大陸の南西端の周辺に位置するため,マウリヤ,グプタ,ムガルなどの大王朝への短期間の臣従を除いて,ガンガー︵ガンジス︶川流域の中央勢力の支配下におかれることは少なかった。地方的な勢力として独立ないし半独立を保つことが多く,むしろ西アジア方面からの諸勢力の侵入と支配が繰り返された。前325年のアレクサンドロス大王の軍勢,711年のアラブの侵入と亜大陸における最初のムスリム根拠地の建設などがその例である。
執筆者‥応地 利明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報