デジタル大辞泉
「ジョーンズ」の意味・読み・例文・類語
ジョーンズ(Hank Jones)
[1918~2010]米国のジャズピアニスト。本名、ヘンリー=ジョーンズ(Henry Jones)。1950年代のジャズ黄金期とされる時代から晩年まで長く活躍した。
ジョーンズ︵Daniel Jones︶
﹇1881~1967﹈英国の音声学者。ジョーンズ式音声表記法を作った。著﹁英語発音辞典﹂﹁英語音声学概論﹂など。
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ジョーンズ
(一)[ 一 ] ( Inigo Jones イニゴー━ ) イギリスの宮廷建築家。イギリスに古典主義の伝統を導入、後世に大きな影響を与えた。代表作にグリニッジの王妃宮、聖ポール教会堂など。︵一五七三‐一六五二︶
(二)[ 二 ] ( Daniel Jones ダニエル━ ) イギリスの音声学者。イギリス派実用音声学の確立者。ロンドン大学教授。著に﹁英語発音辞典﹂﹁英語音声学概説﹂など。︵一八八一‐一九六七︶
(三)[ 三 ] ( Richard Jones リチャード━ ) イギリスの古典経済学者。中世や東洋社会の比較史的視点をとり入れ、資本主義経済の歴史的性格を解明。主著﹁富の分配と租税の源泉についての論究﹂。︵一七九〇‐一八五五︶
(四)[ 四 ] ( Robert Edmond Jones ロバート=エドモンド━ ) アメリカの舞台美術家。単純な造形による装置で写実主義中心であったアメリカの舞台美術を刷新した。主著に﹁劇的想像力﹂。︵一八八七‐一九五四︶
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ジョーンズ
Inigo Jones
生没年:1573-1652
イギリスにはじめて古典主義の伝統を確立した建築家。ロンドン生れ。最初は劇作家ベン・ジョンソンと組んだ宮廷仮面劇の舞台装置や衣装の製作で名声を得る。そこでの遠近法を用いた背景づくりが,建築設計への志向を高めたとみられる。2度目のイタリア旅行︵1613-15︶では,第1回の大陸旅行︵1598-1603︶で入手したパラディオの︽建築四書︾︵1570︶を携えて,その作品や古代遺構を研究し,古典主義を修得。1615年,国王ジェームズ1世により建築総監に任命され,清教徒革命後に解任︵1643︶,投獄︵1644-45︶されるまで,宮廷を中心に主としてロンドンで建築活動を続けた。バンケッティング・ハウス︵1622︶やクイーンズ・ハウス︵グリニジ,1635。現,国立海事博物館︶など,細部意匠はパラディオやセルリオらの建築を手本としながら,全体構成では重厚で,整然とした造形を追求。パラディオに基づきトスカナ式オーダーを復元したセント・ポール教会︵1637︶を含む,コベント・ガーデンCovent Gardenにおけるイギリス最初の広場計画,ホワイトホール宮殿計画案︵1638ころ︶,セント・ポール大聖堂の修復︵1642。1666焼失︶などが主要作である。ジョージ王時代に流行する都市住宅の先駆けといえるリンゼー・ハウス︵1640ころ︶も彼の作とされ,18世紀の,とくにパラディオ主義の建築に強い影響を与え,イタリアの古典主義建築家と並ぶ尊敬と評価を受けた。古代遺跡,ストーンヘンジの研究者としても知られ,著作は死後,弟子のJ.ウェッブにより刊行された。
執筆者‥星 和彦
ジョーンズ
Jasper Johns
生没年:1930-
アメリカの画家。サウス・カロライナに生まれる。1955年ころからアメリカ国旗,数字,アルファベット,標的,地図などを蜜蠟をまぜた絵具で稠密︵ちゆうみつ︶に描きはじめる。58年,抽象表現主義の全盛期に開かれた最初の個展は,そのモティーフの卑俗さのために,ネオ・ダダと酷評された。しかし,ジョーンズが,旗などの“平たい”イメージを描いたのは,二次元の画面には二次元のイメージしか描かないという,きわめて意識的な,自己抑制的な戒律からだった。絵画は三次元の現実を二次元に投影した“影”でありつづけたが,彼の︿旗﹀は,すばらしい絵画的表現であると同時に,恣意を排した,本物の旗という事物になったのである。作品をそれ自体で自立した事物に化そうとする現代美術の原点がここにある。また日常的な世界に注目したという点で,ロバート・ラウシェンバーグとともにポップ・アートへの道を開いたともいえよう。60年代半ばから,彼の作品には,流動的な表現に加えて,脚などの鋳型やビール缶などのオブジェが登場する。その“晦渋さ”には世界の不可知なあいまいさをそのままにとらえようという意識が反映している。ひとつの見方では世界はとらえられないことを,ジョーンズは,錯綜し多重化した画面を通じて,見る者に暗示するのである。70年代以降は,せめぎ合う線の羅列や,ゆがんだ四角形の目だつ“抽象的”なスタイルに変わってくる。また版画作品の質の高さも定評のある画家である。
→ポップ・アート
執筆者‥東野 芳明
ジョーンズ
LeRoi Jones
生没年:1934-
アメリカの黒人文学者。小説,詩,劇,文学評論,社会評論等幅広い分野で活躍し,R.ライト,R.エリソン,J.ボールドウィンに次いで現れた才人として注目されている。ニュージャージー州ニューアーク市の生れ。1950年代末ころからニューヨーク市のグリニチ・ビレッジの前衛的芸術家とともに詩作や劇作を試みはじめ,︽ダッチマン︾︽トイレット︾︽奴隷︾︵いずれも1964初演︶をたてつづけに発表,オフ・ブロードウェーの問題作家として脚光をあびた。また小説︽ダンテの地獄組織︾︵1965︶,評論集︽根拠地︾︵1966︶などでしだいにラジカルな姿勢を明確にした。1967-68年の黒人解放闘争の高揚期には,急進的黒人文学者グループの旗頭的存在として実際行動に挺身した。︿革命の武器としての文学﹀を唱え,一時はマルクス主義を経て毛沢東主義へ傾斜し,名前もアラビア語のバラカAmiri Barakaに変えて,白人的価値観の廃絶をつよく主張している。また,︿白いアメリカの黒い音楽﹀の副題をもつ︽ブルースの魂︾︵1963︶は,ジャズとブルースを歴史社会的にとらえた好著である。
執筆者‥浜本 武雄
ジョーンズ
Daniel Jones
生没年:1881-1967
イギリスの音声学者。ロンドン生れ。1921年から49年の間,ロンドン大学教授として,同大学における音声学の研究を確立した。同時にヨーロッパ大陸の学者ともよく交わり,国際音声学協会でも会長その他重職に就き,イギリス音声学の水準を高めた。またアメリカやインドにも渡り,広く講演を行っている。日本には特に,その《英語発音辞典》(1917,14版1977)を通じて大きな影響を与え,国際音声字母に即した〈ジョーンズ式発音記号〉は大正年間に紹介されると大いに普及して,それまでの〈ウェブスター式〉にとって代わり多くの英語辞書に用いられた。上記辞典は現在は弟子のA.C.ギムソンにより改訂され,使用記号が少し異なっているが,日本では初版の方式が普及していて,これによりアメリカ発音を表記する方法もくふうされ,定着している。彼の学問はよい意味での実用性を備えており,《英語音声学大要》《英語の発音》《音素--その性質と用途》などの著書により,独特ながらも均衡がとれ有益な考察を発表している。
執筆者:三宅 鴻
ジョーンズ
Ernest Jones
生没年:1879-1958
イギリスの精神分析学者。ウェールズに生まれ,1900年ロンドン大学医学部卒。はじめ神経病医として開業したが成功せず,09年から12年までカナダのトロント大学精神科に奉職。その後フェレンツィに教育分析を受け,ロンドンで精神分析者として開業。フロイト理論の解説と普及以外にさしたる理論的業績はないが,イギリス精神分析学会,国際精神分析学会の会長を長くつとめ,︽国際精神分析誌︾︵英語版︶を編集し,M.クラインをロンドンに招いて︿イギリス学派﹀の創立を助け,多くのユダヤ人精神分析学者,とりわけフロイトのロンドンへの亡命に尽力するなど,社会的には大いに活躍した。フロイトの伝記作者としても有名。
執筆者‥岸田 秀
ジョーンズ
Henry Arthur Jones
生没年:1851-1929
イギリスの劇作家。社会性のある問題を扱った戯曲によって,メロドラマが支配していた19世紀後半の劇壇に新風を吹きこんだ。しかし,今日から見ると,問題の追求には深みが欠け,むしろメロドラマ風の劇作術と自然主義的なせりふが作品を支えていたことがわかる。代表作は聖職者の姦通を扱った︽マイケルと彼の失われた天使︾︵1896︶や︽デーン夫人の弁護︾︵1900︶など。G.B.ショーは彼を高く評価した。
執筆者‥喜志 哲雄
ジョーンズ
Eli Stanley Jones
生没年:1884-1973
アメリカの大衆伝道者。宣教師を輩出したアズベリー大学を卒業(1906),翌年インドへ宣教師として赴く。メソディスト教会の監督に選ばれたが(1928),これを辞して,世界各地に活発な伝道を始める。日本にも1949年以後2年ごとに来て各派協同の大伝道会を指導した。著書《インド途上のキリスト》(1925)は世界中で読まれて大衆伝道の動力となった。
執筆者:小倉 義明
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ジョーンズ
米国の画家。サウス・カロライナ州生れ。1955年ころから星条旗,標的,数字,アルファベットなどの二次元的な事物を蝋絵具で緻密に描き始める。1958年に開かれた初個展では,これらはモティーフの︿卑俗さ﹀により︿ネオ・ダダ﹀と酷評されたが,三次元の事象を二次元に再現するものと考えられていた絵画に二次元の事物を描くことによって絵画の物質性をあらわにし,後の美術の展開への分岐点となった。またありふれた主題を画面に取り込む操作は,ラウシェンバーグとともにポップアートの先駆的役割も果たした。1960年代半ばにはビール缶などのオブジェも制作。その後は平行斜線で画面を埋め尽くした︽薄雪︾︵1982年,セゾン現代美術館蔵︶などの抽象的絵画をへて,過去の自作のモチーフなどを引用した複雑な構成の作品を展開している。版画作品の質の高さでも知られる。
→関連項目ネオ・ダダ
ジョーンズ
,トランペット奏者。10代にトランペットの演奏を習い,作曲・編曲を学ぶ。1952年から2年間L.ハンプトンの楽団に在籍し,1956年にはD.ガレスピーの楽団の音楽監督,編曲者,トランペット奏者に就任。後にマーキュリー社のプロデューサーとして活躍し1964年には副社長に昇進した。同社を退いて後も,映画音楽やレコード製作に取り組み,ジャズ・ギター奏者のジョージ・ベンソンGeorge Benson︹1943-︺やM.ジャクソンなどを育てている。代表作は︽私の考えるジャズThis Is How I Feel About Jazz︾︵1956年︶。映画音楽では1967年の︽夜の大捜査線In The Heat Of The Night︾などを手掛けている。
ジョーンズ
英国の建築家。ロンドン生れ。絵画を学ぶためイタリアに遊学したが,建築に転じ,2度目の遊学後パラディオの古典主義を英国に導入した。作品にロンドンのホワイトホール宮殿の計画案,コベント・ガーデンのセント・ポール大聖堂の修復︵1666年焼失︶などがある。劇作家ベン・ジョンソンと組んだ宮庭仮面劇など舞台芸術家としても活躍した。
ジョーンズ
アメリカの女優。子どものころから両親の巡業劇団で舞台に立つ。ハリウッドのプロデューサー,デビット・O・セルズニックに見出され,《聖処女》(1943年)でアカデミー主演女優賞。セルズニックと自身二度目の結婚をし,1940年代から50年代に数々の映画に出演してたびたびアカデミー賞にノミネートされ,ハリウッドの代表的女優となった。ハン・スーインの自伝をもとにした,国共内戦時代の香港を舞台とするメロドラマ《慕情》(1954年)は,主題歌とともに世界的なヒットとなった。他の主演作品に《白昼の決闘》(1946年),《ボヴァリー夫人》(1949年),《終着駅》(1954年),《武器よさらば》(1957年)。
ジョーンズ
ニュージーランド出身の数学者。ギスボーン生れ。オークランド大学卒業後,ジュネーブ大学物理学大学院へ入学するが途中から数学大学院へ転科。ペンシルベニア大学準教授等を経て,カリファルニア大学バークレー校数学教室教授。フォン・ノイマン環に関する業績,および結び目不変量としてのジョーンズ多項式を発見したことにより,1990年フィールズ賞。
→関連項目結び目理論
ジョーンズ
英国の音声学者。ケンブリッジ大学数学科卒。ロンドン大学音声学教授,国際音声学協会主事さらに会長を務め,音声学の普及,音韻論の発達,発音教育に貢献した。主著は,英語の標準的発音を示した《英語発音辞典》(1917年),独自の音韻論《音素》(1950年)など。
ジョーンズ
米国の小説家。第2次大戦に従軍,真珠湾攻撃前後のハワイを舞台にした小説《地上より永遠に》(1951年)で知られる。
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ジョーンズ
William Jones
1746~94
イギリスの法律家,インド学者。アラビア語,ペルシア語を学んだのち法律を学び,1783年カルカッタの裁判官となる。ベンガル・アジア協会を創設し,インド学の基礎を築いた。1786年アジア協会での講演でサンスクリットと古代ギリシア語などの間の類似性を明らかにし,インド・ヨーロッパ語比較言語学の基礎をも築いた。マヌ法典,カーリダーサの﹃シャクンタラー﹄などの原典,翻訳を出版した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
ジョーンズ
生年月日:1819年1月26日
イギリスのチャーティスト運動の指導者,詩人,小説家
1869年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内のジョーンズの言及
【音声学】より
…これに対し後舌母音では,[u]→[o]→[ɔ]→[ɑ]の順に舌が下がっていく。このためイギリスの音声学者D.ジョーンズは図8のような母音四角形を提示している。これによると前舌母音系列は[i]と[a]の間が[e]と[ɛ]で3等分され,後舌母音系列では[u]と[ɑ]の間が[o]と[ɔ]で3等分されている。…
【音素】より
…この音素の規定は1930年代から40年代にかけて言語学の主要課題であった。音素については,これを具体的音声から抽出された音声概念とするポーランドの言語学者[ボードゥアン・ド・クルトネ]の素朴な見解から,一方では心理的実在としてある型をなすものとするE.サピアの説および同質の音声のグループと解するD.ジョーンズの見方に進み,ついに音素は虚構であるというアメリカの言語学者トウォデルW.F.Twaddell(1906‐ )の極論にいたった。これに対し,L.ブルームフィールドは音素を物理的実体としてとらえる立場を表明した。…
【イギリス美術】より
…ルネサンス様式と後期ゴシック(垂直様式)の混交した16世紀前半の︿[チューダー様式]﹀の後,エリザベス1世の時代(1558‐1603)には,イタリア風のシンメトリーも取り入れた︿[エリザベス様式]﹀が行われた。17世紀に入るとI.ジョーンズがイギリス建築に新紀元を開く。彼は40歳のとき,2度目のイタリア旅行でイタリア・ルネサンスの建築家A.パラディオの作品に感激し,イギリスにおける[パラディオ主義]の最初の大建築家となった。…
【ジャコビアン様式】より
…同王はP.P.ルーベンス,ベルニーニ,ファン・デイクの名品収集やマントバのゴンツァーガ家の有名なコレクションの購入など,芸術を擁護したが,このとき夥しく導入されたイタリア・ルネサンス絵画,特に[ベネチア派]の名画はイギリス美術の展開に大きく影響した。当時最大の建築家イニゴ・[ジョーンズ]も2度のイタリア遊学によって古典古代の建築法と[パラディオ]の建築作品に親しみ,明快典雅な作風を獲得し,帰国後王室建築総監督に就任してイギリス・ルネサンスの始祖となった。現在国立海事博物館となっているグリニジのクイーンズ・ハウスは彼が王妃アンのために建てたもので,イタリアのビラvilla形式にのっとった対称的形体をもつ。…
【パラディオ主義】より
…パラディオの理論や技法は一見単純で,作品もいくつかの典型的条件に対応する現実的な型としてとらえられ,しかもその開放的空間理念が魅力的であったために,ヨーロッパ各地に模倣・追随者を生み出した。なかでも,パラディオ没後ベネト地方の建築界に君臨した[スカモッツィ],イギリス近世建築の祖イニゴ・[ジョーンズ]らは有名。特殊な例として,1720‐60年ころにかけて,イギリスの[バーリントン伯]爵の企てた建築界全体のパラディオ化があり,この結果,有産階級がこぞってパラディオ風の[カントリー・ハウス]を建てた。…
【ブラック・ミュージック】より
…〈黒人音楽〉と訳されるが,1967年に黒人の詩人でジャズ批評家であるリロイ・ジョーンズLeRoi Jones(1934‐ )がこの語をタイトルとした本を出すまで,ほとんど使われたことのない言葉だった。ジョーンズはそれまでの〈ジャズ〉に代わる言葉として使ったが,1970年代以降,アフリカ音楽をも含めたさまざまな黒人音楽がクローズアップされるに及んで,この語はより広い意味で盛んに使われるようになった。…
【黒人文学】より
…彼の︽アメリカの息子︾(1940)その他の作品によってアメリカ黒人文学は一躍世界の注目をあびることになった。第2次大戦後,ユダヤ系アメリカ人の文学とならんで,[R.エリソン],[J.ボールドウィン],L.ジョーンズらの活躍によりアメリカ文学そのものの様相が大きく変わるまでに力を発揮するようになった。さらに60年代半ばからの黒人運動の高まりにつれて,文学の方面でも黒人作家の活動がめざましくなる。…
【ブラック・ミュージック】より
…〈黒人音楽〉と訳されるが,1967年に黒人の詩人でジャズ批評家であるリロイ・ジョーンズLeRoi Jones(1934‐ )がこの語をタイトルとした本を出すまで,ほとんど使われたことのない言葉だった。ジョーンズはそれまでの〈ジャズ〉に代わる言葉として使ったが,1970年代以降,アフリカ音楽をも含めたさまざまな黒人音楽がクローズアップされるに及んで,この語はより広い意味で盛んに使われるようになった。…
※「ジョーンズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」