ジンバブエ

精選版 日本国語大辞典 「ジンバブエ」の意味・読み・例文・類語

ジンバブエ

 

(一)( Zimbabwe )
(二)[  ] 
(三)[  ] 
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジンバブエ」の意味・わかりやすい解説

ジンバブエ(国)
じんばぶえ
Zimbabwe


Republic of Zimbabwe西1980418390757130633.4/2012

 2022622

自然


809002592

 11331158911

 ()Great Dyke

 45111700108Mosi-oa-Tunya()1989

 2022622

歴史


3

 10

 ()沿111315殿()1986

 退15171819

 19British South Africa CompanyBSACBSAC1923

 195331963

 19601965Zimbabwe African People's UnionZAPUZimbabwe African National UnionZANU197219791219802-Zimbabwe African National Union-Patriotic FrontZANU-PF418

 2022622

政治


55

 ZANU-PF1987ZANU-PFZAPU1989調

 

 60004095198019901990

 2000261999Movement for Democratic ChangeMDCMDC1990

 20007Fast Track Land Reform Programme退20083ZANU-PFMDCMDCMorgan R. Tsvangirai19522018退

 2008620092201376

 Grace N. Mugabe1965 Emmerson D. Mnangagwa1942 201711613姿142137()201711242018

 2022622

経済・産業


綿19992008GDP2009201210201352019COVID()-19

 200020087231002009120161120196202032017

 退2003貿

 2022622

社会・文化


西

 7642GCEGeneral Certificate of EducationOA

 2022622

日本との関係

日本は1980年の独立と同時にジンバブエを承認し、以降、両国の関係は続いている。日本からの輸入は15.9億円、主要品目は自動車、医薬品などである(2020)。日本への輸出は36億円、主要品目は葉タバコ、合金鉄、粗鉱物などである(2020)。

[伊藤千尋 2022年6月22日]



ジンバブエ(遺跡)
じんばぶえ
Zimbabwe

南アフリカ、ジンバブエ国の南部にある石造建築群で著名な遺跡。1986年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。高さ10メートルぐらいの石壁に囲まれた「神殿」と、そびえ立つ花崗(かこう)岩の巨石を利用した砦(とりで)のような「アクロポリス」、二つを結ぶ谷間に点在する石造建築群「谷の遺跡」の三つで構成される。19世紀中ごろ、ドイツの地理学者カール・マウフKarl Gottlieb Mauch(1837―75)によって発見された。当初、これらはフェニキア人によってつくられたと考えられたが、のちにアフリカ人の手で残されたものとわかった。「アクロポリス」はカランガ人の建てたモノモタパ王国の首都で12~15世紀のもの、「神殿」は、これを滅ぼしたロズウィ人のもので18世紀まで存続していた。

[山下秀樹]


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百科事典マイペディア 「ジンバブエ」の意味・わかりやすい解説

ジンバブエ

 
Republic of Zimbabwe39757km213062012Harare14920127020Robert Gabriel Mugabe192419803198012198712201376519804198789360210520137GDP502006GNP340200560.92003寿58.860.8201351201091.92009        5001000m2595m綿 191889191119231953196319651979︿19802ZANU41987200312退
 

ジンバブエ(遺跡)【ジンバブエ】

アフリカ南部,ジンバブエ共和国の首都ハラレ南方,約300kmにある巨大な石造建築の遺跡。丘の上の城塞(じょうさい)跡,平野の神殿跡,両者の中間にある住居跡からなる。19世紀にヨーロッパ人の探検家が発見,20世紀以降数回にわたる考古学的な調査が行われた。バントゥー系種族により,10―18世紀に建築されたと推定される。1986年世界文化遺産に登録。
→関連項目アフリカショナジンバブエモノモタパ王国

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジンバブエ」の意味・わかりやすい解説

ジンバブエ
Zimbabwe

 
  Republic of Zimbabwe
 39757km2
 139820002021
 

 Rhodesia西 5001500m西151315貿1518551890 192319531964 1965 1970 5%19804 1990916  

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旺文社世界史事典 三訂版 「ジンバブエ」の解説

ジンバブエ
Zimbabwe

中世の巨大石造建築遺跡で有名な,南部アフリカの内陸国。首都ハラーレ
【中世ジンバブエ】ジンバブエとはショナ語で「石の家」を意味する。ザンベジ・リンポポ川流域では700年ころから社会が形成され,のち集権的国家(900〜1250 (ごろ) )に発展。9世紀以後,高度の文明が存在し,インド産のガラス玉や中国製の陶器が出土して,インド洋交易の波及が確認されている。1075年ころからジンバブエ伝統の元祖とされる国家マプングブエが成立し,1250年ころから都市グレート−ジンバブエで巨大な石の壁建設が始まる。15世紀にその最盛期を迎えるが,商業ルートの変化や人口集中による環境破壊などが要因とされ,15世紀半ば,高原地帯北東部にモノモタパ(ムタパ)王国,高原地帯西部にトルワ国が生まれた。石壁建築の伝統を継承するこれらの国に繁栄を奪われ,グレート−ジンバブエは1500年ころ没落した。その後,草原地帯でトルワ国が繁栄するいっぽう,モノモタパ王国は新たに進出してきたポルトガルと抗争するなか,徐々に衰退して18世紀初めにはザンベジ川谷に遷都した。
【近代と独立】1850年代にイギリス人リヴィングストンの探検が行われ,のちにセシル=ローズによって開発が進められ,89年イギリス南アフリカ会社の支配下に置かれた。1923年南ローデシア自治政府が設立され自治植民地となった。1953年北ローデシア(現ザンビア),ニヤサランド(現マラウイ)とともに中央アフリカ連邦を結成(1963年解体)。1965年,南ローデシアの白人スミス政権がアパルトヘイト維持のため,イギリスの承認をへず一方的に独立を宣言。1972年ころからジンバブエ−アフリカ人民同盟(ZAPU)とジンバブエ−アフリカ民族同盟(ZANU)の両組織がゲリラ戦を開始。1976年両組織を中心にジンバブエ解放戦線が結成され,80年4月,アフリカ人主権国家ジンバブエとして独立。ZANUのムガベ議長が首相に選出され(1987年から大統領に就任),非同盟主義のもと社会主義路線を採択した。1988年にZAPUがZANUに吸収されて事実上1党支配が確立された。その後,南アフリカ共和国でのアパルトヘイトの終焉とマンデラ政権誕生で,1994年南アフリカ共和国と国交を樹立。また,国際的な冷戦体制の崩壊後,経済開発推進のため,欧米諸国との関係強化につとめている。1996年ムガベ大統領が3選された。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ジンバブエ」の解説

ジンバブエ
Zimbabwe


()()1889192363(53)657980

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