スペイン国王(在位1808、1814~33)。カルロス4世の子。父王の成り上がり寵臣(ちょうしん)ゴドイを憎む諸階層を結集して、フェルナンド派を結成した。1808年のアランフエスの暴動により、ゴドイは失脚し、王も退位した結果、フェルナンドが民衆の期待を担って王位についた。しかし、すぐにバイヨンヌの会議でナポレオン1世に退位させられ、フランスに幽閉された。14年スペインが対ナポレオンの独立戦争に勝利を収めるとスペインに戻り、民主的内容をもつスペイン最初の憲法たる「1812年憲法」を尊重することを条件に復位した。しかし、帰国後、国内の複雑な政治情勢をみると、憲法を廃止し絶対王政へ復帰した。自由主義者を弾圧し反動政治を行ったため、有能な政治的人材を失った。政治が陰謀と無用の議論に終始している間に、アメリカの植民地は漸次独立し、対仏独立戦争によって疲弊した経済を再建できなかった。
[芝 修身]
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…14世紀初頭ディニス王治世下に最盛期を迎えた。 ブルゴーニュ朝はカスティリャではペドロ1世の暗殺死(1369)によって,ポルトガルでは男子後継者のいなかったフェルナンド1世の死(1383)によって,それぞれ断絶した。【小林 一宏】【金七 紀男】。…
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[アビス朝の成立と大航海時代]
1348年に始まる黒死病(ペスト)はポルトガルの人口を3分の1以上も減少させ,深刻な社会的・経済的危機を引き起こした。さらに,69年から国王フェルナンドは隣国カスティリャの王位継承戦争に介入したが,敗北を喫して唯一の王位継承者ベアトリス王女をカスティリャ王フアン1世に嫁がせる破目に陥り,王朝の断絶という政治的危機に見舞われた。83年国王の死後,国内は親カスティリャ派の大貴族と,独立を守ろうとする中小貴族,ブルジョアジー勢力に二分されたが,海港都市としてスペインのセビリャに対抗するリスボンの商人層の主導の下に,85年4月開催されたコルテスはアビス騎士団長ドン・ジョアンを国王に選定した。…
※「フェルナンド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
タコノキ科の常緑高木。小笠原諸島に特産する。幹は直立して太い枝をまばらに斜上し,下部には多数の太い気根がある。葉は幹の頂上に密生し,長さ1〜2m,幅約7cmで,先は細くとがり,縁には鋭い鋸歯(きょし)...
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