デジタル大辞泉
「フレーブニコフ」の意味・読み・例文・類語
フレーブニコフ(Velimir Khlebnikov)
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
フレーブニコフ
- ( Viktor Vladimirovič Hljebnikov ビクトル=ウラジミロビチ━ ) ロシアの詩人。ロシア未来派創始者の一人。作品に「笑いののろい」など。(一八八五‐一九二二)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
フレーブニコフ
ふれーぶにこふ
Велемир Хлебников/Velemir Hlebnikov
(1885―1922)
ロシア・ソ連の詩人。本名ビクトル・ウラジーミロビチВиктор Владимирович/Viktor Vladimirovich。アストラハン近郊の鳥類学者の家に生まれる。カザンとペテルブルグの大学で数学、生物学などを学ぶ。初めソログープやV・イワーノフの影響で象徴派風の作品を書いたが、1910年代に入り、新造語やザーウミ︵超意味言語︶を駆使した実験的作品を次々と発表、未来派詩人として一躍脚光を浴びた。﹁笑い﹂という一語の自在な語根変化からなる﹃笑いの呪文(じゅもん)﹄︵1910︶はとくに名高い。﹃鶴(つる)﹄︵1910︶、﹃シャーマンとビーナス﹄︵1912︶など原始主義的傾向を示す初期の作品では、古代やスラブ異教への回帰、アジアへの憧憬(しょうけい)などが歌われているが、その根底には西欧近代への強い否定的意識があった。﹃ネズミ取りの中の戦争﹄︵1919︶、﹃塹壕(ざんごう)の夜﹄︵1921︶など中期以降の作品では、激動期のロシアの現実が孤独な放浪者の目を通してリアルに描かれている。また、1905年の日露戦争をきっかけに長年﹁時間の周期律﹂の発見にいそしみ、晩年の傑作﹃ラドミール﹄︵1920︶、﹃ザンゲジ﹄︵1922︶では、そうした独自の予定調和論に立脚した壮大なユートピア像が描かれている。マヤコフスキー、パステルナークらとともに20世紀ロシア詩を代表する詩人の一人としてその声価は著しく高い。
﹇亀山郁夫﹈
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
フレーブニコフ
Velemir Khlebnikov
生没年:1885-1922
ロシア・ソ連邦の詩人。本名はViktor Vladimirovich Khlebnikov。アストラハン県に生まれ,カザンとペテルブルグの大学で数学,言語学などを学ぶ。マヤコーフスキーとともに1910年代ロシアの未来派を代表する詩人の一人であり,ザーウミ︵超意味言語︶や新造語を駆使した実験的作風によって,ロシア前衛芸術の成立に大きな役割を演じた。︽笑いの呪文︾︵1910︶は文学史上とくに名高い。︽鶴︾︵1910︶,︽シャーマンとビーナス︾︵1912︶に代表される初期の作品はおおむね原始主義的傾向を示しているが,中期から晩年にかけては,激動期のロシアの現実を壮大な叙事詩に描き上げた。代表作にはソビエト社会の未来像を描いた︽ラドミール︾︵1920︶ほか,劇詩︽ザンゲジ︾︵1922︶や︽運命の板︾︵1922︶がある。
執筆者‥亀山 郁夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
百科事典マイペディア
「フレーブニコフ」の意味・わかりやすい解説
フレーブニコフ
ロシアの詩人。本名Viktor Vladimirovich Khlebnikov。アストラハンの貴族の家に生まれ,カザンとペテルブルグの大学で数学や言語学を学んだ。1910年ごろから詩を書きはじめ,1910年代初めに起きた前衛的な芸術運動〈未来派〉において,マヤコーフスキーらとともにロシアを代表する詩人と目されるに至った。〈笑い〉という1語の語幹をさまざまに変化させて書いた詩《笑いの呪文》(1910年)で名高く,ほかにもザーウミ(超意味言語)や新造語を駆使して実験的な詩を試みた。初期の作品には《鶴》(1910年)や《シャーマンとビーナス》(1912年)などがある。晩年にかけては激動するロシアを描いた意欲的な長詩が見られ,ソビエト社会の未来像を描いた代表作《ラドミール》(1920年)のほか,劇詩《ザンゲジ》(1922年)や《運命の板》(1922年),《空の爪痕》(遺作)などがある。ほとんど放浪生活を送ったが,1921年,一兵士としてペルシア出兵に参加,発疹チフスにかかり,モスクワ帰還後に死亡した。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
フレーブニコフ
Khlebnikov, Viktor Vladimirovich
[生]1885.11.9. アストラハン
[没]1922.6.28. ノブゴロド
ロシア,ソ連の詩人。鳥類学者の家庭に生れ,カザン大学で自然科学を学び,特に動物学に熱中したが,学生運動に参加,投獄された。 1908年頃から詩作を始め,V.マヤコフスキーとともに未来派の中心メンバーとなった。大胆な言語実験を試み,20世紀ロシア詩に大きな影響を与えた。代表作は長詩『ラドミル』 Ladomir (1920) 。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内のフレーブニコフの言及
【未来派】より
…ロシア語ではfuturizm。D.D.ブルリューク,マヤコーフスキー,フレーブニコフ,A.E.クルチョーヌイフ,V.V.カーメンスキーらを中心とする〈立体未来派kubofuturizm〉(別名〈ギレヤGileya〉),I.セベリャーニンらの〈自我未来派egofuturizm〉,V.G.シェルシェネビチの〈詩の中二階mezonin poezii〉,パステルナーク,アセーエフに代表される〈遠心分離機tsentrifuga〉など,おもに四つのグループが活動した。なかでも立体未来派は,過去の文化的遺産の全面的な否定を旗印に,真に自立的な芸術の創造をめざし,M.F.ラリオーノフ,K.S.マレービチら同時代の前衛画家たちとも連帯しながら《裁判官の飼育場》(1910),《社会の趣味への平手打ち》(1912)など数多くの詩集を刊行した。…
※「フレーブニコフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」