フンボルト(英語表記)Alexander von Humboldt

デジタル大辞泉 「フンボルト」の意味・読み・例文・類語

フンボルト(Humboldt)

 
Karl Wilhelm von 17671835使使
Alexander von 17691859  

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精選版 日本国語大辞典 「フンボルト」の意味・読み・例文・類語

フンボルト

 

(一)[  ] ( Karl Wilhelm Freiherr von Humboldt === ) 
(二)[  ] ( Friedrich Heinrich Alexander Freiherr von Humboldt ==== ) [  ]
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「フンボルト」の意味・わかりやすい解説

フンボルト(Alexander von Humboldt)
ふんぼると
Alexander von Humboldt
(1769―1859)


W177918041830184819Kosmos518451862

 Raum

 2018821

フンボルト(Karl Wilhelm Freiherr von Humboldt)
ふんぼると
Karl Wilhelm Freiherr von Humboldt
(1767―1835)


A()17901791退179417971799使18011808180918101810使使1819

 2018720


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改訂新版 世界大百科事典 「フンボルト」の意味・わかりやすい解説

フンボルト
Alexander von Humboldt
生没年:1769-1859


K.W.von1799-1804AiméBonpland1773-1858調351805-3418025810m調1807J.W.1808

 1804-27273034C.L.J.G.51845-62


フンボルト
Karl Wilhelm von Humboldt
生没年:1767-1835


A.vonÜber die Kawisprache auf der Insel Jawa1836-40︿F.de

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大学事典 「フンボルト」の解説

フンボルト
Karl Wilhelm von


181921769-1859

 201使18010918091181019
: 

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百科事典マイペディア 「フンボルト」の意味・わかりやすい解説

フンボルト

 
調355K.W.v.
 
 

 
調18101819A.
 

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フンボルト」の意味・わかりやすい解説

フンボルト
Humboldt, (Karl) Wilhelm, Freiherr von

 
[]1767.6.22. 
[]1835.4.8. 
 A. 180208使 () 退 Über die Kawisprache auf der Insel Java (3183640)   
 


Humboldt Alexander von

 
[]1769.9.14. 
[]1859.5.6. 
 W.179297991804調082729 Kosmos (5184562)   

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旺文社世界史事典 三訂版 「フンボルト」の解説

フンボルト
Alexander von Humboldt

1769〜1859
ドイツの地理学者・博物学者
南北アメリカ・中央アジアその他を踏査し,気象学・海洋学を創設。また,博物学研究の成果を大著『宇宙』にまとめた。「近代地理学の父」と呼ばれる。

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世界大百科事典(旧版)内のフンボルトの言及

【クレレ】より

…これらの雑誌に才能ある青年学者たちの寄稿を私心なく呼びかけ,N.H.アーベル,C.G.J.ヤコビ,シュタイナーJacob Steiner(1796‐1863)らの才能を世に認知させる役割を果たした。フンボルトF.W.H.A.von Humboldt(1769‐1859)と共同して,プロイセン改革期の科学振興に尽力し,ベルリン科学アカデミーほか,数多くの各国科学アカデミー会員に選出された。【佐々木 力】。…

【オリノコ[川]】より

…1498年コロンブスの第3次航海の際オリノコ河口が発見され,1560年エル・ドラドをめざしたスペイン人コンキスタドール,ロペ・デ・アギレが川の大部分を探検したとされる。その後1799年にはドイツの博物学者アレクサンダー・フォン・フンボルトが上流域を調査し,アマゾン川との連絡点を発見したが,源流域が突き止められたのは1950年代になってからである。中・下流域は冬季には北東貿易風の影響で著しく乾燥するが,夏季には多量の雨が降る。…

【相観】より


19A.von19formation

【地理学】より

…このほか,ビュアシュP.Buache(1700‐73)やガッテラーJ.C.Gatterer(1727‐99)による自然地理的地域区分の提唱,ビュシングA.F.Büsching(1724‐93)の世界地誌,J.G.vonヘルダーの歴史哲学的著書などは,それぞれ近代地理学の成立に影響を与えた。 19世紀の前半は,A.vonフンボルトとK.リッターによって代表される近代地理学の草創期である。フンボルトは,熱帯アメリカにおいて科学的な野外調査の模範を示し,自然現象の専門的観測調査の成果を総合して,生きた自然世界の全体像を把握しようと努め,ライフワーク《コスモス》を著した。…

【チンボラソ[山]】より

…雪線高度は約4800m。1802年A.フンボルトによって科学的調査と登山が試みられた。80年にはイギリスのE.ウィンパーが山頂に達している。…

【天然記念物】より


 A.von17991804

【肥料】より

…いわゆる販売肥料の普及である。19世紀初頭の1802年ころにはA.vonフンボルトによって,南アメリカのペルーで多量の海鳥糞の堆積物が発見され,ペルー・グアノとして輸入され広く販売されるようになった。30年ころからは,そのころチリで発見されたチリ硝石の販売,使用が行われている。…

【フォルスター】より

…その影響は近代地理学の成立期にとくに目だつ。A.vonフンボルトは,90年,マインツからオランダ,イギリスへ旅行したゲオルクに同行して感銘をうけた。ゲオルクの《ニーダーラインの展望》をはじめ自然的世界誌ともいうべき諸著は,フンボルトの《コスモス》の先蹤となる。…

【ボリーバル】より

…03年再びマドリードに行き,そこからさらにパリを訪れた彼は,ナポレオンが皇帝になったのを見て革命の理念を裏切ったものとして強い幻滅を感じた。パリで当時中南米の旅行から帰ったA.vonフンボルトに会い,イスパノ・アメリカ植民地の独立の機が熟していると伝えられた。その後イタリアの各地を訪れてローマに行き,そこでイスパノ・アメリカの独立に身をささげる決意をして07年にカラカスに戻った。…

【プロイセン】より

…これらの改革は,あくまで君主制の枠内で,諸大臣の責任に基づいて行われた〈上からの革命〉であったが,これによって旧来の身分制度が原理的に否定され,経済の自由化への道が開かれたことの意義は大きい。またそれと並んで行われたシャルンホルストらの軍制改革,K.W.vonフンボルトによる教育改革も,近代的な国民意識の育成を促すこととなった。ナポレオンに対する解放戦争でプロイセンが主役を演ずることができたのは,こうした改革のたまものである。…

※「フンボルト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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