日本大百科全書(ニッポニカ) 「マチエ」の意味・わかりやすい解説
マチエ
まちえ
Albert Mathiez
(1874―1932)
フランスの歴史家。高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリュール)卒業︵1897︶後、地方やパリのリセの教師を経て1911年ブザンソン大学教授、19年からディジョン大学教授。一時︵1919~22︶共産党に入党。26年からパリ大学︵ソルボンヌ︶で講師としてフランス革命の講義を続けた。初めパリ大学のオーラールに師事し、1904年フランス革命期の宗教問題の研究で学位を得たが、まもなくダントンやロベスピエールの評価などで師と対立して決別し、08年﹁ロベスピエール研究会﹂の設立に参加、機関誌﹃革命年報﹄︵1924年から﹃フランス革命史年報﹄と改称︶の責任編集者として活動した。革命史家としての業績は、ロベスピエールの復権、ダントン非難のほか、ジョレスの影響を受けて社会経済問題、階級闘争、経済統制などに関する数多くの論著がある。﹃フランス革命﹄三巻︵1922~27︶︵邦訳、岩波文庫︶、﹃恐怖政治下の生活苦と社会運動﹄︵1927︶などのほか、ロベスピエール研究が多い。32年、パリ大学で講義中に急死。
﹇前川貞次郎﹈
﹃ねづまさし・市原豊太訳﹃フランス大革命﹄︵岩波文庫︶﹄