マムルーク朝(読み)マムルークチョウ(英語表記)Mamlūk

デジタル大辞泉 「マムルーク朝」の意味・読み・例文・類語

マムルーク‐ちょう〔‐テウ〕【マムルーク朝】

 
︿mamlūk1250西貿1517  

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精選版 日本国語大辞典 「マムルーク朝」の意味・読み・例文・類語

マムルーク‐ちょう‥テウ【マムルーク朝】

 

(一)西
 

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改訂新版 世界大百科事典 「マムルーク朝」の意味・わかりやすい解説

マムルーク朝 (マムルークちょう)
Mamlūk


1250-1517Barī Mamlūk1250-1390Burjī Mamlūk1382-15172

 1250251西西14貿1347-48

 1498貿161516Marj Dābiq1

 1


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日本大百科全書(ニッポニカ) 「マムルーク朝」の意味・わかりやすい解説

マムルーク朝
まむるーくちょう
Mamlūk


1250151712501390138215172125051()14貿

 1382︿14()()15151498貿15161

 ()



19701976

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マムルーク朝」の意味・わかりやすい解説

マムルーク朝
マムルークちょう
Mamlūk

 
 (12501517)  (12501390)  (13821517) 2 ()  () 4 ( 126077) 1260 (8090)  ( 130940) 貿退 ( 146896) 15171  

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旺文社世界史事典 三訂版 「マムルーク朝」の解説

マムルーク朝
マムルークちょう
Mamlūk

 
12501517

退12605貿14退西貿1509西171  

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百科事典マイペディア 「マムルーク朝」の意味・わかりやすい解説

マムルーク朝【マムルークちょう】

エジプトを中心にシリア,アラビア半島のヒジャーズ地方を支配したスンナ派イスラム王朝。1250年―1517年。首都はカイロ。マムルークとはトルコ系,スラブ系,クルド系など〈白人〉の奴隷をさす。アイユーブ朝の奴隷であったトルコ系マムルークが反乱を起こして創建。14世紀初頭に最盛期を迎え,インド洋・地中海交易で栄えた。スルタンから分与地(イクター)を受けたマムルーク軍人が見返りに軍事的奉仕をするイクター制が王朝の基盤をなした。1382年,チェルケス系マムルークが政権を握って後期マムルーク朝を開いたが,オスマン帝国に滅ぼされた。
→関連項目イブン・ハルドゥーンエジプト(地域)

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「マムルーク朝」の解説

マムルーク朝(マムルークちょう)
Mamlūk


12501517

()1382()()西

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世界大百科事典(旧版)内のマムルーク朝の言及

【イスラム美術】より


︿ (12501517)(ablaq)(1285)(1359)

【インド洋】より

…彼らの運送したインド綿布(13世紀中ごろと推定される糸車の導入で生産が増加した)は,東アフリカで黒人奴隷や象牙の購入に用いられるなど,インド洋全域への最も重要な商品であったが,特に東南アジア産の丁子(クローブ),ニクズク(ナツメグ)などの香料入手に不可欠で,彼らは新興のマラッカ王国で大きな影響力をもった。 15世紀初めに経済危機に悩むエジプトのマムルーク朝が香料の国家専売制を導入したことが,結果的に15世紀末のポルトガル人のアフリカ南端迂回ルートによるインド洋への進出を招いた。船上での火器の使用技術に優れたポルトガルの香料貿易独占政策にもかかわらず,16世紀後半には紅海経由のコショウ貿易が復活した。…

【シリア】より

…しかしこの繁栄も政治的不安定のために長続きせず,エジプトおよびその首都カイロに主導権を取られてしまった。 13世紀の中ごろにアイユーブ朝に代わってマムルーク朝が成立したが,マムルーク朝(1250‐1517)時代のシリアは,モンゴルの侵入,疫病の流行,マムルーク朝諸侯間の抗争,15世紀初頭のティムールの侵入,地中海貿易での地位の低下,そして経済力の全体的衰退などにより,徐々にその重要性を失っていき,停滞の時期に入っていった。【湯川 武】
【オスマン帝国時代】
 オスマン帝国(1299‐1922)は,マムルーク朝から1516年にシリアを奪い,17年には同朝を倒してエジプト,ヒジャーズの支配権を得たが,イスタンブールの中央政府にとって,シリアの重要性には時代的・地域的変化がみられる。…

※「マムルーク朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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