ムンク(英語表記)Munk, Walter

デジタル大辞泉 「ムンク」の意味・読み・例文・類語

ムンク(Edvard Munch)

 
18631944  

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精選版 日本国語大辞典 「ムンク」の意味・読み・例文・類語

ムンク

  1. [ 一 ] ( Edvard Munch エドバルト━ ) ノルウェーの画家。表現主義の先駆をなす独特な色彩・構図で、人間の不安・孤独を示す象徴的作品を描き、主題・表現の上で現代美術の流れに大きな影響を与えた。版画も多い。代表作に「叫び」など。(一八六三‐一九四四
  2. [ 二 ] ( Kaj Munk カイ━ ) デンマークの牧師、劇作家。宗教界・思想界に指導的役割を果たし、ドイツ軍の進駐に際してはドイツ侵略に抵抗した中世の国民的英雄を主人公とした戯曲「ニルス=エッベセン」を書く。ナチスにより暗殺された。(一八九六‐一九四四

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ムンク」の意味・わかりやすい解説

ムンク
Munk, Walter

 
[]1917.10.19. 
 Walter Heinrich Munk1932退1939194019471954193919394519491950調 "The Rotation of the Earth: A Geophysical Discussion"G.J.F.19601975"Ocean Acoustic Tomography"19951968198919931999  
 


Munch Edvard

 
[]1863.12.12. 
[]1944.1.23. 
 18818419081892 1908080910151000 450063 (188586)  (93)   
 


Munk Kaj

 
[]1898.1.13. 
[]1944.1.4. 
5 En Idealist (1928) 8 Cant (31)  Sejren (36)  Han sidder ved Smeltediglen (38)  Niels Ebbesen (42)  Ordet (32)  Foråret så sagte kommer (42)  Ved Babylons Floder (41)   
 


Munch Peter Rochegune

 
[]1870.7.25. 
[]1948.1.12. 
1909 C.132029402040  
 


Munch Peter Andreas

 
[]1810.12.15. ()
[]1863.5.25. 
 Det norske Folks Historie (8185263)   

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改訂新版 世界大百科事典 「ムンク」の意味・わかりやすい解説

ムンク
Edvard Munch
生没年:1863-1944

ノルウェーの画家。貧しい医者の子としてロイテンに生まれる。幼くして母と姉を結核で失い,彼自身も13歳で喀血。病気と死への不安が,彼の性格と作品を支配することになる。1864年から一家が移住したクリスティアニア(現,オスロ)で,美術工芸学校に入るが(1881-84),これにあきたらずクリスティアニア・ボヘミアンと呼ばれるアナーキーな新世代の画家グループに属した。しかし1889-90年のパリ体験を転機に,写実や印象主義的な芸術を超え,自己の内面の孤独と不安,肉親の死の記憶を表現する絵画を目ざす。92年のベルリン美術家協会招待展では〈生命のフリーズ〉と総称される55点の作品を出品したが,流動する曲線と強烈で単純化された色彩によって描き出される《叫び》《マドンナ》《嫉妬》など愛と死と不安のモティーフは,スキャンダルを巻き起こした。しかしこれ以来,J.A.ストリンドベリ,G.ビーゲラン,マラルメ,イプセンら支持者,友人を得,主としてドイツを中心に国際的に活躍,世紀末の象徴主義から表現主義への芸術動向に決定的な影響を与えた。94年からは版画(木版,石版)も手がけ,大胆な省略による象徴的表現がさらに開花する。1908-09年精神病院に入院ののち,ノルウェーに戻る。一時,写実的な作風で農民や労働者の力強い姿を描くが,晩年はオスロ近郊にアトリエをもち,世間から隔絶した生活のうちに,再び象徴的画風に加えて,死への予感を秘めた作品を描き孤独のうちに没した。
執筆者:


ムンク
Kaj Munk
生没年:1898-1944

デンマークの劇作家。〈殉教者〉としての使命感に生きた牧師。《理想主義者》(1928),のちに映画化された現代の奇跡を描いた《言葉》(1932)など古典的な戯曲を書く。はじめ英雄や独裁者に魅力を感じたが,ドイツ軍占領下の1940年代には教会での説教や作品を通じてみずからレジスタントの代弁者となったため,ナチスはその国民への影響を恐れて彼を射殺した。抒情詩集,説教集,随筆があり,回想録《春は静かにやってくる》(1942)を残す。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「ムンク」の意味・わかりやすい解説

ムンク

 
5193019288193219382194219441942  

ムンク

現代ノルウェーの代表的画家。オスロの美術学校をへて,1889年―1890年パリに滞在。1892年ベルリンで〈生のフリーズ〉と総称される55点の作品を発表。《叫び》《マドンナ》《嫉妬》等,存在の不安や恐怖を強烈な色彩と流動する曲線によって描いてスキャンダルとなる。その後主にドイツを中心に活躍し,世紀末の象徴主義から表現主義への芸術動向に影響を与えた。版画も多く手がけている。
→関連項目ディリアス

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ムンク」の解説

ムンク
Edvard Munch

1863~1944

ノルウェーの画家で,表現派の父といわれる。哀感のただよう独特な線と色彩で,好んで病児や恋愛を主題に描いた。

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世界大百科事典(旧版)内のムンクの言及

【精神分裂病】より

…現存在分析を創始したスイスの精神医学者ビンスワンガーの主著で,1957年に単行本の形で刊行された。5例の精神分裂病のくわしい症例研究からなるが,30年代に著者が独自の人間学的方法を確立したのち,数十年にわたる臨床活動の総決算として44年から53年にかけて集成したもの。ここでは,分裂病は人間存在に異質な病態としてではなく,人間から人間へ,現存在から現存在への自由な交わりをとおして現れる特有な世界内のあり方として記述される。…

【ノルウェー】より

…国民的ロマン主義は各分野にすぐれた芸術家を育成する。美術では,ダールの後,デュッセルドルフ・アカデミーに学んだ画家たち,たとえば《ハルダンゲルの婚礼》を合作したティデマンAdolph Tidemand(1814‐76)とギューデHans Gude(1825‐1903),音楽では民謡演奏を土台にした名バイオリニストのブルOle Bullや作曲家のヒェルルフHalfdan Kjerulf,文学では親デンマーク派のウェルハーベンと激しく対立した熱血詩人ウェルゲラン,膨大な《ノルウェー国民の歴史》8巻を書いた歴史家ムンクPeter Andreas Munch(1810‐63)らが現在まで続くこの国のロマン的性格の基を築いた。第2次大戦中の反ナチス抵抗運動,1970年代のEC(ヨーロッパ共同体)参加拒否の姿勢を支えるものでもある。…

【表現主義】より

…歴史的にはマティスのフォービスムについて初めて用いられたがフランスでは定着せず,1911年ころからベルリンで前衛的な美術を中心に音楽,文学,演劇,映画,建築に及ぶ革新的芸術の合言葉として広まった。したがって,現象としてはムンク,アンソールからルオー,エコール・ド・パリのシャガール,スーティンらに至る個々の画家やマティスらのフォービスト,ピカソらの前期キュビストなどをヨーロッパの表現主義として取り上げることもできるが,狭義には主として1905年ごろからドイツ革命期に至る時期に展開されたドイツの芸術をいう。ドイツではフォービスムやキュビスムの絵画構成上のゆがみが情念的な表現上のゆがみととらえられ,原始的土着的な要素やバロックにつながる精神性が強調された。…

※「ムンク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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