デジタル大辞泉
「ヒトラー」の意味・読み・例文・類語
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ヒトラー
( Adolf Hitler アドルフ ━ )[ 異表記 ] ヒットラー ドイツの政治家。ナチスの指導者。オーストリアの生まれ。一九一九年ナチスに入党し、二一年党首、三三年政権を掌握した。三四年総統となり、独裁的な全体主義体制を確立、対外侵略を強行して第二次世界大戦 を引き起こしたが、ベルリン 陥落直前に自殺。(一八八九‐一九四五 )
出典 精選版 日本国語大辞典 精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
ヒトラー ひとらー Adolf Hitler (1889―1945)
ドイツの政治家。第三帝国の総統兼首相、ナチスの指導者。
[村瀬興雄]
オ ー ス ト リ ア ・ ハ ン ガ リ ー 帝 国 の 税 関 吏 の 子 と し て 4 月 20 日 ブ ラ ウ ナ ウ ︵ 現 オ ー ス ト リ ア ︶ に 生 ま れ る 。 若 く し て 両 親 を 失 い 、 ウ ィ ー ン で 画 家 に な ろ う と し て 失 敗 し 、 同 市 の 公 営 施 設 を 定 宿 と し て 、 絵 を 描 い て 売 っ た り 、 両 親 の 遺 産 に 頼 っ た り し て 生 活 し た 。 そ の 間 に 下 層 社 会 や 大 衆 の 心 理 に つ い て 体 験 し た こ と が 、 の ち に 政 治 活 動 を す る う え で 役 だ っ た 。 オ ー ス ト リ ア ・ ハ ン ガ リ ー 帝 国 内 の 民 族 闘 争 に 巻 き 込 ま れ て ド イ ツ 民 族 至 上 主 義 者 と な り 、 国 際 主 義 的 な マ ル ク ス 主 義 を 憎 み 、 ユ ダ ヤ 人 と ス ラ ブ 民 族 を 憎 む よ う に な っ た 。 オ ー ス ト リ ア で 兵 役 に つ く こ と を 嫌 っ て 1 9 1 3 年 春 に ド イ ツ の ミ ュ ン ヘ ン に 逃 れ 、 第 一 次 世 界 大 戦 が 始 ま る と ド イ ツ 軍 に 志 願 兵 と し て 入 隊 し 、 と く に 伝 令 兵 と し て 功 を た て て 一 級 鉄 十 字 章 を 受 け た 。 軍 隊 内 の 戦 友 愛 や 規 律 、 団 結 の 精 神 が 人 生 の 規 範 と な る べ き だ と 考 え る よ う に な っ た 。 ド イ ツ 革 命 ︵ 1 9 1 8 ~ 1 9 1 9 ︶ の の ち に ミ ュ ン ヘ ン の 軍 隊 内 で 、 軍 人 の た め の 政 治 思 想 講 習 会 に 出 席 し て 民 族 主 義 思 想 を 固 め 、 1 9 1 9 年 9 月 、 ド イ ツ 労 働 者 党 ︵ 後 の 国 家 社 会 主 義 ド イ ツ 労 働 者 党 、 す な わ ち ナ チ ス ︶ と い う 国 家 主 義 と 社 会 改 良 主 義 を 結 び 付 け る 小 党 に 入 党 し た 。
﹇ 村 瀬 興 雄 ﹈
雄 弁 の 才 能 を も っ て お り 、 い つ も 演 説 会 で 聴 衆 を 熱 狂 さ せ た 。 そ し て 精 力 的 に 宣 伝 活 動 を 行 っ て 党 の 勢 力 を 拡 張 し 、 1 9 2 0 年 3 月 末 に は 軍 隊 を 退 い て 政 治 活 動 に 専 念 し た 。 1 9 2 1 年 7 月 に は 党 内 独 裁 者 と な り 、 軍 部 や 保 守 派 と 結 ん で 強 大 な ド イ ツ の 再 建 、 ベ ル サ イ ユ 条 約 の 打 破 、 民 主 共 和 制 の 打 倒 と 独 裁 政 治 の 確 立 、 ユ ダ ヤ 人 排 斥 を 説 い た が 、 そ の ほ か に 中 産 階 級 の 保 護 、 社 会 政 策 の 充 実 、 民 族 共 同 体 の 樹 立 を 訴 え て 、 中 産 階 級 を 中 心 と す る 国 民 各 層 の 支 持 を 確 保 し 、 大 衆 集 会 を 頻 繁 に 開 い て 党 勢 を 急 速 に 拡 大 し た 。 1 9 2 3 年 11 月 8 日 か ら 9 日 に か け て 、 ミ ュ ン ヘ ン で 一 揆 ( い っ き ) を 起 こ し た ︵ ヒ ト ラ ー 一 揆 ︶ 。 し か し 、 頼 み と し て い た バ イ エ ル ン 軍 部 と 官 僚 の 支 持 を 得 ら れ ず に 失 敗 し 、 翌 1 9 2 4 年 12 月 20 日 ま で ラ ン ツ ベ ル ク 獄 中 に い た 。
出 獄 後 、 党 を 再 建 し 、 合 法 運 動 に よ っ て 民 主 共 和 制 を 内 部 か ら 征 服 し よ う と し た 。 ﹃ わ が 闘 争 ﹄ ︵ 1 9 2 5 ~ 1 9 2 6 ︶ を 出 版 し て 、 東 ヨ ー ロ ッ パ を 征 服 し て 生 存 圏 を 東 方 に 大 拡 張 す る プ ラ ン を 示 し た 。 ま た 党 内 の い ろ い ろ な 傾 向 を 巧 み に ま と め 上 げ て 、 国 民 の 各 階 層 、 と く に 中 産 階 級 の 支 持 を 確 保 し 、 1 9 3 0 年 9 月 の 総 選 挙 に 大 勝 し て ナ チ ス を 第 二 党 に 躍 進 さ せ た 。 連 立 内 閣 へ の 誘 い を 断 っ て ナ チ ス の 独 裁 支 配 を 要 求 し 、 1 9 3 2 年 春 の 大 統 領 選 挙 で は 3 6 . 8 % ︵ 1 3 4 0 万 票 ︶ の 支 持 を 得 た が 、 ヒ ン デ ン ブ ル ク に 敗 れ た 。 し か し 同 年 7 月 の 総 選 挙 で は ナ チ ス が 3 7 . 3 % を 得 て 第 一 党 と な り 、 支 配 勢 力 各 層 の 有 力 者 が 彼 を 支 持 す る よ う に な っ た の で 、 1 9 3 3 年 1 月 30 日 、 首 相 に 任 命 さ れ た 。 保 守 派 と 一 般 国 民 の 支 持 の 下 に 反 対 派 を 弾 圧 し 、 一 党 独 裁 体 制 を 確 立 し た ︵ 第 三 帝 国 ︶ 。
﹇ 村 瀬 興 雄 ﹈
1 9 3 4 年 8 月 に は ヒ ン デ ン ブ ル ク の 死 と と も に 大 統 領 を 兼 ね て ﹁ 総 統 兼 首 相 ︵ 総 統 と 略 す ︶ ﹂ F ü h r e r u n d R e i c h s k a n z l e r と 称 し た 。 民 主 共 和 制 時 代 に 蓄 え ら れ た ド イ ツ の 生 産 力 や 技 術 を フ ル に 活 用 し 、 支 配 勢 力 の 支 持 を 得 て 国 力 を 発 展 さ せ た 。 失 業 者 に 職 を 与 え 、 工 業 を 再 建 し て 繁 栄 を も た ら し 、 軍 備 を 大 拡 張 し 、 国 力 を 発 展 さ せ た の で 、 外 交 上 で 矢 つ ぎ ば や に 成 功 を 収 め る 基 礎 が で き た 。 ド イ ツ は ヨ ー ロ ッ パ 第 一 の 強 国 と な っ た 。 ﹁ ド イ ツ 労 働 戦 線 ﹂ ﹁ 歓 喜 力 行 団 ﹂ そ の 他 の 勤 労 者 団 体 の 努 力 に よ っ て 国 民 の 生 活 水 準 も い ち お う 向 上 し 、 社 会 習 慣 の 近 代 化 も 行 わ れ た の で 、 国 民 の 広 範 な 支 持 が 生 ま れ た 。 し か し 厳 し い 弾 圧 と 統 制 、 各 種 の 奉 仕 活 動 、 準 軍 事 訓 練 、 絶 え 間 な い 募 金 活 動 が 日 常 生 活 を 圧 迫 し 、 重 苦 し い 不 快 感 を 与 え た た め 、 政 府 に 対 す る 民 衆 の 小 さ な 反 抗 が 至 る 所 で 起 こ り 、 政 治 的 無 関 心 と 個 人 生 活 へ の 退 却 な ど の 現 象 も ま た 広 が っ た 。
第 三 帝 国 の 前 期 に は 、 保 守 帝 政 派 を 外 相 に 任 じ て 、 支 配 勢 力 主 流 の 要 求 す る 比 較 的 協 調 的 な 外 交 政 策 を 展 開 し た が 、 国 力 が 強 化 さ れ る に つ れ て 強 硬 外 交 を 主 張 す る 者 が 国 内 で 増 大 し 、 つ い に 1 9 3 9 年 9 月 ド イ ツ 軍 を ポ ー ラ ン ド に 侵 入 さ せ て 、 第 二 次 世 界 大 戦 に 突 入 し た 。 彼 は 作 戦 に 干 渉 し 、 そ の 指 令 は 対 フ ラ ン ス 戦 に お い て は 効 果 を あ げ た 。 独 ソ 戦 で は 、 1 9 4 1 年 末 に ソ 連 軍 の 反 撃 を 受 け て 戦 線 が 混 乱 し た と き 、 退 却 を 禁 ず る こ と に よ っ て 敗 北 を 小 規 模 に と ど め た が 、 1 9 4 2 年 11 月 ~ 1 9 4 3 年 1 月 の ス タ ー リ ン グ ラ ー ド の 戦 い に お け る 敗 北 の 前 後 か ら 、 現 実 を 無 視 し た 指 令 を 出 し て 敗 戦 を 重 ね た 。 1 9 4 4 年 7 月 20 日 に 将 軍 た ち や 保 守 政 治 家 が 反 乱 を 起 こ し た が 、 大 戦 末 期 に 至 る ま で 、 一 般 民 衆 の 個 人 的 人 気 は い ち お う 保 っ て い た 。 1 9 4 5 年 4 月 30 日 、 ベ ル リ ン 陥 落 直 前 に 自 殺 し た 。
﹇ 村 瀬 興 雄 ﹈
長 く 独 身 で あ っ た が 、 姪 ( め い ) の ア ン ゲ ラ ・ ラ ウ バ ル A n g e l a R a u b a l ︵ 1 9 0 8 ― 1 9 3 1 ︶ を 愛 し 、 彼 女 が 自 殺 し た あ と で は 、 エ バ ・ ブ ラ ウ ン E v a B r a u n ︵ 1 9 1 2 ― 1 9 4 5 ︶ を 愛 し て 、 自 殺 の 前 日 に 結 婚 し た が 、 エ バ も と も に 自 殺 し た 。 菜 食 主 義 を 実 行 し 、 酒 と た ば こ を 飲 ま ず 、 夜 は 明 け 方 の 3 時 か 4 時 ご ろ ま で 起 き て い て 、 側 近 と 談 笑 し た 。 し た が っ て 朝 は 正 午 近 く ま で ベ ッ ド に い た 。 生 涯 を 通 じ て 芸 術 の 保 護 者 と 自 認 し た が 、 現 代 文 学 や 絵 画 な ど は ﹁ ユ ダ ヤ 的 ﹂ ﹁ ニ グ ロ 的 ﹂ と 断 定 し て 、 19 世 紀 的 芸 術 を 推 賞 し た 。 各 種 の 政 策 決 定 に は 迷 い 抜 い て 、 多 く の 決 断 は 専 門 家 ︵ 支 配 勢 力 の 主 流 ︶ に ゆ だ ね た の で 、 独 断 で 決 定 し た 政 策 は 世 上 で 考 え ら れ て い る よ り も は る か に 少 な い 。 い ろ い ろ な 圧 力 団 体 や 利 益 団 体 か ら は 独 立 し た 立 場 に い た の で 、 ﹁ ド イ ツ 労 働 戦 線 ﹂ の 労 働 者 本 位 の 活 動 を あ る 程 度 は 許 す な ど の 政 策 を と り 、 ﹁ 公 平 な ﹂ 指 導 者 と し て 国 民 に 信 頼 さ れ た 。 狂 気 で も 、 性 的 異 常 者 で も な か っ た と 、 い ま で は 説 か れ て い る 。
﹇ 村 瀬 興 雄 ﹈
﹃ J ・ C ・ フ ェ ス ト 著 、 赤 羽 龍 夫 ・ 関 楠 生 ・ 永 井 清 彦 ・ 佐 瀬 昌 盛 訳 ﹃ ヒ ト ラ ー ﹄ 上 下 ︵ 1 9 7 5 ・ 河 出 書 房 新 社 ︶ ﹄ ▽ ﹃ 村 瀬 興 雄 著 ﹃ ア ド ル フ ・ ヒ ト ラ ー ﹄ ︵ 中 公 新 書 ︶ ﹄ ▽ ﹃ A ・ ヒ ト ラ ー 著 、 平 野 一 郎 ・ 将 積 茂 訳 ﹃ わ が 闘 争 ﹄ 上 下 ︵ 角 川 文 庫 ︶ ﹄
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ヒトラー Adolf Hitler 生没年:1889-1945
目次 思想,性格
ド イ ツ の 政 治 家 。 ナ チ ス ︵ ナ チ 党 ︶ 党 首 ︵ 1 9 2 1 - 4 5 ︶ , 第 三 帝 国 の 総 統 ︵ 1 9 3 4 - 4 5 ︶ 。 オ ー ス ト リ ア の ブ ラ ウ ナ ウ に 税 関 吏 の 息 子 と し て 生 ま れ る 。 小 学 校 卒 業 後 , 実 科 学 校 に 進 学 , 成 績 不 良 の た め 中 退 。 1 9 0 8 年 ウ ィ ー ン に 居 住 し , そ の 前 後 に 2 度 , 造 形 美 術 大 学 を 受 験 し て 失 敗 す る 。 定 職 に つ か ず , 両 親 の 遺 産 や 孤 児 年 金 を 支 え に 芸 術 家 気 ど り の 生 活 を 送 り , の ち 肉 体 労 働 や 絵 葉 書 を 描 い て 生 計 を た て る 。 13 年 ミ ュ ン ヘ ン に 移 住 。 14 年 第 1 次 世 界 大 戦 が 勃 発 す る と , バ イ エ ル ン 軍 に 志 願 し て 従 軍 。 戦 功 に よ り , 第 1 級 鉄 十 字 勲 章 を 授 与 さ れ る 。 大 戦 後 も , バ イ エ ル ン 軍 に ひ き つ づ い て 勤 務 し , 兵 士 に 反 社 会 主 義 的 , 国 粋 的 な 政 治 思 想 を 注 入 す る 任 務 に 従 事 し た 。 1 9 1 9 年 ド イ ツ 労 働 者 党 ︵ ナ チ ス の 前 身 ︶ に 入 党 。 21 年 党 首 に 就 任 し , 党 指 導 の 全 権 を 掌 握 す る 。 ベ ル サ イ ユ 条 約 の 廃 棄 , 激 烈 な 反 ユ ダ ヤ 主 義 を 唱 え て 注 目 を ひ く 。 23 年 11 月 ミ ュ ン ヘ ン 一 揆 を 企 て て 失 敗 , 党 は 解 散 さ れ , 自 身 は 禁 固 刑 に 処 せ ら れ る 。 24 年 末 に 釈 放 。 25 年 2 月 ナ チ ス を 再 建 し , あ ら た に 北 部 ・ 西 部 ド イ ツ に 党 勢 を 拡 大 す る 。 経 済 恐 慌 が 深 刻 化 す る 中 で 30 年 9 月 の 国 会 選 挙 で 1 0 7 議 席 を 獲 得 し , 一 躍 第 二 党 の 地 位 に 進 出 。 31 年 ブ リ ュ ー ニ ン グ 内 閣 に 反 対 し , 右 派 勢 力 と ハ ル ツ ブ ル ク 戦 線 を 結 成 。 32 年 7 月 の 国 会 選 挙 で 第 一 党 の 地 位 を 確 保 し た が , ヒ ト ラ ー は , パ ー ペ ン 内 閣 へ の 入 閣 を 拒 否 。 32 年 12 月 シ ュ ラ イ ヒ ャ ー 首 相 に よ る G . シ ュ ト ラ ッ サ ー 入 閣 の 画 策 の 失 敗 後 , 33 年 1 月 30 日 大 統 領 ヒ ン デ ン ブ ル ク に よ り 首 相 に 任 命 さ れ る 。
1 9 3 3 年 3 月 5 日 の 国 会 選 挙 で ナ チ ス は 6 4 7 議 席 の う ち 2 8 8 議 席 を 獲 得 し , 同 年 3 月 23 日 の 授 権 法 に よ り 議 会 政 治 を 排 除 , 5 月 以 降 , 政 党 , 労 働 組 合 の 解 散 を 強 行 し , ナ チ ス に よ る 一 党 支 配 を 確 立 し た 。 34 年 6 月 レ ー ム , シ ュ ラ イ ヒ ャ ー , G . シ ュ ト ラ ッ サ ー な ど 潜 在 的 な 敵 対 者 を 粛 清 ︵ レ ー ム 事 件 ︶ 。 同 年 8 月 大 統 領 ヒ ン デ ン ブ ル ク の 死 後 , ︿ 総 統 に し て ド イ ツ 国 首 相 ﹀ と し て , 党 首 , 政 府 首 領 , 国 家 元 首 の 地 位 を 一 身 に 結 合 , ま た 国 防 軍 の 最 高 指 揮 官 と し て 軍 か ら の 忠 誠 の 宣 誓 を う け る 。 35 年 一 般 兵 役 義 務 を 再 び 導 入 , ま た 軍 拡 経 済 に よ り 大 量 失 業 の 克 服 に 成 功 す る 。 対 外 政 策 で は ヨ ー ロ ッ パ 東 部 に ド イ ツ 民 族 の ︿ 生 存 圏 ﹀ 樹 立 の 政 策 に 邁 進 し , そ の 手 は じ め に 38 年 オ ー ス ト リ ア , ズ デ ー テ ン 地 方 を 併 合 , 39 年 3 月 チ ェ コ ス ロ バ キ ア を 軍 事 占 領 す る 。 同 年 8 月 独 ソ 不 可 侵 条 約 締 結 後 , 9 月 ポ ー ラ ン ド へ 侵 攻 。 40 年 6 月 フ ラ ン ス を 征 服 , 41 年 6 月 ソ 連 と 開 戦 し ウ ク ラ イ ナ の 広 大 な 地 域 を 占 領 し , 彼 の ︿ 生 存 圏 ﹀ 構 想 は 一 時 , 成 功 し た か に み え た 。 だ が 43 年 2 月 ス タ ー リ ン グ ラ ー ド 攻 防 戦 , 5 月 北 ア フ リ カ 戦 線 で の 敗 北 後 , 戦 況 は 悪 化 。 こ の 間 , 占 領 地 で 残 虐 な 民 族 抑 圧 政 策 を 実 施 , ユ ダ ヤ 人 絶 滅 に 着 手 。 44 年 7 月 20 日 ヒ ト ラ ー 暗 殺 の 陰 謀 が お き る が , 奇 跡 的 に 助 か っ た 。 45 年 4 月 29 日 ソ 連 軍 包 囲 下 の ベ ル リ ン で エ バ ・ ブ ラ ウ ン E v a B r a u n と 結 婚 , 翌 30 日 と も に 自 殺 。 そ の 遺 言 に お い て も , 反 ユ ダ ヤ 主 義 と ︿ 生 存 圏 ﹀ 樹 立 の 必 要 を 強 調 し た 。
思 想 , 性 格
︽ わ が 闘 争 ︾ ︵ 1 9 2 5 - 2 6 ︶ か ら ︽ 第 二 の 書 ︾ ︵ 1 9 2 8 年 夏 執 筆 完 了 。 た だ し 刊 行 さ れ ず , 第 2 次 大 戦 後 に 草 稿 が 発 見 さ れ , 61 年 に 公 刊 ︶ の 執 筆 の 間 に 世 界 観 を 確 立 し た 。 そ の 根 底 に ︿ 自 然 ﹀ の 意 志 を す え , こ の 意 志 は 生 物 界 に 普 遍 的 に 働 く と み な し た 。 ヒ ト ラ ー は , 生 物 の ︿ 自 己 保 存 衝 動 ﹀ を も っ と も 根 源 的 な 欲 求 と と ら え , こ の 衝 動 に も と づ く 闘 い , 強 者 に よ る 弱 者 の 支 配 ・ 駆 逐 を ︿ 自 然 ﹀ の 摂 理 と し て 肯 定 し , こ の 論 理 を 人 間 界 の 個 人 と 人 種 の 双 方 に 適 用 し た 。 こ の よ う な 社 会 ダ ー ウ ィ ニ ズ ム の 世 界 観 か ら , 個 人 ・ 民 族 間 の 平 等 , 民 主 主 義 , 議 会 主 義 , 人 道 主 義 , 国 際 平 和 を 否 認 し , 卓 越 し た 個 人 に よ る 独 裁 的 統 治 , 反 ユ ダ ヤ 主 義 を 唱 え , ま た 人 種 の ︿ 自 己 保 存 衝 動 ﹀ を 充 足 す る 基 盤 と し て ︿ 生 存 圏 ﹀ の 樹 立 を 主 張 し た 。 ヒ ト ラ ー は , 友 人 と の 親 密 な 交 際 , 家 庭 生 活 で の 団 欒 の 体 験 を 欠 き , 個 人 生 活 の 内 容 は 貧 弱 で あ っ た が , 自 己 の 目 標 達 成 の た め の 緻 密 な 策 略 と 聴 衆 を 酔 わ せ る 演 説 の 才 能 を も ち あ わ せ て い た 。
→ 第 三 帝 国 → ナ チ ス
執 筆 者 ‥ 中 村 幹 雄
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ヒトラー Adolf Hitler
1 8 8 9 ~ 1 9 4 5
ド イ ツ の 政 治 家 。 オ ー ス ト リ ア の ブ ラ ウ ナ ウ に 生 ま れ , 青 年 時 代 を ウ ィ ー ン の 貧 民 街 で 過 ご し た 。 ド イ ツ に 移 住 し て 第 一 次 世 界 大 戦 中 は 兵 士 と な り , 1 9 1 9 年 ド イ ツ 労 働 者 党 ( 20 年 ナ チ 党 に 改 称 ) に 入 り , 弁 舌 の 才 で 頭 角 を 現 し , ま も な く 党 の 独 裁 者 と な っ た 。 23 年 11 月 , ヒ ト ラ ー 一 揆 を 起 こ し て 失 敗 , 1 年 弱 入 獄 , こ の 間 自 伝 的 政 論 書 ﹃ わ が 闘 争 ﹄ を 執 筆 し た 。 出 獄 後 , 合 法 活 動 に よ っ て 勢 力 を 拡 張 し , 33 年 1 月 首 相 と な り , 第 三 帝 国 を 建 設 し た 。 景 気 を 振 興 し , 経 済 建 設 に 成 功 し て , 外 交 上 で も 成 功 を 重 ね , 国 民 の 支 持 を 高 め た 。 34 年 8 月 以 来 大 統 領 を 兼 ね て 総 統 ( フ ュ ー ラ ー ) と 称 し , 未 曾 有 の 独 裁 政 治 を し い て 国 民 生 活 を ナ チ 化 し た 。 東 ヨ ー ロ ッ パ を 征 服 し て ド イ ツ 民 族 の ﹁ 生 存 圏 ﹂ を 拡 大 す る 目 的 で 第 二 次 世 界 大 戦 を 勃 発 さ せ , ポ ー ラ ン ド と ソ 連 の 西 半 を 占 領 し , ユ ダ ヤ 人 を 虐 殺 し ( ホ ロ コ ー ス ト ) , ス ラ ヴ 民 族 に 奴 隷 的 強 制 労 働 を 強 い , か つ 全 ヨ ー ロ ッ パ の 占 領 地 か ら 物 資 を 無 慈 悲 に 略 奪 し た 。 戦 争 に 敗 れ , 45 年 4 月 末 , ベ ル リ ン 陥 落 直 前 に 女 秘 書 と 結 婚 し て と も に 自 殺 し た 。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」 山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
ヒトラー Adolf Hitler
1889〜1945 ドイツの政治家。ナチスの指導者。第三帝国の総統(在1934〜45) オーストリアに生まれ,ウィーンの貧民街で画工・日雇労務者としての生活を送ったことが,後年のドイツ優越・反ユダヤ・反社会主義・反議会主義の思想的基盤を体得した原因といわれる。第一次世界大戦に志願し,兵長に昇進して負傷。敗戦後はナチスの前身であるドイツ労働者党(1920年,国民社会主義ドイツ労働者党と改称)に加入し,まもなくその雄弁によって党首になった。ルーデンドルフをたてて1923年ミュンヘン一揆を起こしたが失敗し,獄中で『わが闘争』を執筆した。1年余で出獄後は合法活動に転じ,党組織を整備した。1929年の世界恐慌後,ナチスは中産層・農民の支持を得,重工業資本の援助も受けて第一党に躍進。1933年に首相に就任すると,ただちに一党独裁の全体主義体制を確立,ユダヤ人の迫害を合法化し,経済建設と軍備拡張をはかった。1934年ヒンデンブルク大統領の死後総統となり,再軍備強行などヴェルサイユ体制の打破をはかった。1939年9月第二次世界大戦に突入し,41年6月にはソ連にも侵入,一時ほとんど全ヨーロッパを占領した。また,各地に強制収容所を設置して,ユダヤ人やスラヴ人を虐殺した。スターリングラードの戦いでの敗北を機にドイツは劣勢となり,1944年6月,連合軍のノルマンディー上陸作戦で東西から挾撃された。7月,国防軍の反ヒトラー派によるヒトラー爆殺事件は奇跡的に切り抜けたが,1945年4月30日,ベルリンの陥落直前に愛人エヴァとともに自殺した。
出典 旺文社世界史事典 三訂版 旺文社世界史事典 三訂版について 情報
ヒトラー Hitler, Adolf
[ 生 ] 1 8 8 9 . 4 . 2 0 . オ ー ス ト リ ア , ブ ラ ウ ナ ウ
[ 没 ] 1 9 4 5 . 4 . 3 0 . ベ ル リ ン
ド イ ツ の 政 治 家 。 第 1 次 世 界 大 戦 に 志 願 し て 出 征 。 1 9 1 9 年 9 月 ド イ ツ 労 働 者 党 に 入 党 , の ち そ の 独 裁 的 指 導 者 と な り , こ れ を 国 家 社 会 主 義 ド イ ツ 労 働 者 党 ( ナ チ ス ) と 改 名 。 23 年 11 月 ミ ュ ン ヘ ン 一 揆 を 起 し て 失 敗 し 投 獄 さ れ た 。 出 獄 後 は 合 法 的 大 衆 運 動 と し て 党 を 再 組 織 し , 保 守 派 , 軍 部 , 大 資 本 家 の 援 助 に よ り , 32 年 に は 大 統 領 選 挙 に 出 馬 し た が 落 選 。 そ の 後 ナ チ ス は 第 一 党 と な り , 33 年 首 相 。 34 年 8 月 P . フ ォ ン ・ ヒ ン デ ン ブ ル ク 大 統 領 の 死 後 , 大 統 領 を 兼 ね て 総 統 ( フ ュ ー ラ ー ) と 称 し た 。 以 後 独 裁 政 治 に よ っ て 軍 備 を 拡 大 し , ベ ル サ イ ユ 条 約 を 破 棄 し , 侵 略 主 義 を 推 進 し て ド イ ツ を 全 体 主 義 国 家 に し た 。 39 年 9 月 ポ ー ラ ン ド に 侵 入 し 第 2 次 世 界 大 戦 を 開 始 , 45 年 4 月 敗 戦 を 目 前 に 自 殺 。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ヒトラー Adolf Hitler
1889〜1945 ドイツの独裁政治家。ナチス党首 オーストリアの下級官吏の家に生まれ,第一次世界大戦に参加。敗戦後,ドイツ労働者党(のちのナチス)に加入し,1921年同党党首となる。世界恐慌後のナチ党の躍進により,'33年首相,'34年総統に就任し,以来徹底したファシズム政治体制を確立した。対外侵略を行い,日本・イタリアと枢軸陣営を形成して,'39年第二次世界大戦に突入。'45年にドイツ降伏直前に自殺。主著に『わが闘争』。
出典 旺文社日本史事典 三訂版 旺文社日本史事典 三訂版について 情報
ヒトラー Adolf Hitler
1889.4.20~1945.4.30
国民社会主義ドイツ労働者党党首。1933年1月にドイツ首相就任,翌年8月には大統領職を兼任,総統と称した。独特の人種イデオロギーと生存圏理論にもとづき外交・戦争政策を展開し,日本とも防共協定と日独伊防共協定により同盟関係を形成した。39年9月ポーランドに侵攻して第2次大戦の火蓋を切り,戦時中にはユダヤ系市民を強制収容所で大量虐殺する政策を推進した。45年4月末に自殺。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」 山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
世界大百科事典(旧版)内の ヒトラーの言及
【言論統制】より
…他の諸国も第1次大戦の時よりいっそう大がかりな統制を行った。20世紀で最も組織的な言論統制を実施したのはナチス・ドイツで,ヒトラーは1933年2月政権獲得直後,国会放火事件を〈でっちあげ〉てワイマール憲法の保障する新聞出版の自由を大統領令によって停止させ,これにもとづいて,共産党および社会民主党系新聞約180紙の発行を禁止し,一瞬にして社会主義的新聞を葬った。さらに同年5月10日,左翼はむろんトーマス・マンやヘレン・ケラーなど自由主義者の著書や出版物を没収して焼きすてた。…
【国家総動員】より
… 第2次世界大戦では,その開始に先立って総力戦のための国家総動員の必要が,とくにファシズム諸国で力説された。ナチス・ドイツでは,1933年のヒトラーの政権掌握直後から失業対策と秘密再軍備のために統制経済が発足し,1936年には本格的な戦争準備をめざす4ヵ年計画がゲーリングを大臣として開始された。宣伝相ゲッベルスの手で大規模な宣伝による大衆操作がすすめられ,ニュルンベルクの党大会の演出と宣伝には著名な建築家,音楽家,映画監督らが動員された。…
【人種問題】より
… 第 1 の 神 話 は , 人 種 と 文 化 が ス ト レ ー ト に 関 連 す る と す る も の で あ り , 第 2 の 神 話 は , あ る 人 種 は 知 的 に す ぐ れ て い る と い う も の で あ る 。 ヒ ト ラ ー は , ヨ ー ロ ッ パ 白 色 人 種 に 根 づ く 有 色 人 種 劣 等 思 想 ( 19 世 紀 末 , フ ラ ン ス 人 J . A . d e ゴ ビ ノ ー に よ っ て 頂 点 に 達 し た ) を 根 拠 に 記 し た ︽ わ が 闘 争 M e i n K a m p f ︾ ( 1 9 2 5 ‐ 2 7 ) に お い て , 人 種 主 義 を 唱 え て い る 。 ︿ わ れ わ れ が 今 日 , 人 類 文 化 に つ い て , つ ま り 芸 術 , 科 学 お よ び 技 術 の 成 果 に つ い て 目 の 前 に 見 出 す も の は , ほ と ん ど , も っ ぱ ら ア ー リ ヤ 人 種 の 創 造 的 所 産 で あ る ﹀ ︿ ア ー リ ヤ 人 種 の 輝 く 額 か ら は , い か な る 時 代 に も つ ね に 天 才 の 神 的 ひ ら め き が と び で る ﹀ 。 …
【第三帝国】より
…1933年1月の[ヒトラー]内閣の成立で始まり,45年5月の第2次世界大戦におけるドイツの敗北によって崩壊した,ナチズム体制の公式の名称。ヒトラーは彼の帝国を,962年に始まる神聖ローマ帝国,および1871年にビスマルクの強力な指導力のもとに成立した第二帝制の後を継ぐドイツ民族による3度目の帝国とみなしたのである。…
【第2次世界大戦】より
…[ドイツ] 第2次世界大戦は,1933年1月政権を獲得したナチズムが引き起こした戦争であった。ヒトラーは明確な外交構想をもってそれを段階的に実現していった。ヒトラーは政権を獲得するまえに,すでに《わが闘争》(1925‐27)や1928年に書かれた《第2の書》(未公表)で示したように,二つの大構想を抱いていた。…
【チャップリンの独裁者】より
…サウンド版の《モダン・タイムス》(1936)に続くチャールズ・[チャップリン]の最初のトーキー映画。チャップリンの4日後に同じ貧困と無名のうちに生まれ,チャップリンとはいわば正反対の方向に進んで世界制覇の野望に燃えたヒトラーとそのファシズムに対して,チャップリンが〈たった1人の戦争〉をいどんだ作品で,〈時代の歴史〉に対するもっとも痛烈な風刺喜劇として評価されている。 そもそもの着想はイギリスのプロデューサー,アレクサンター・[コルダ]によるもので,その内容が表ざたになると,駐英ドイツ大使の抗議,ヒトラーとゲッベルスからの直接的な圧力をはじめ脅迫状や製作中止勧告が相次いだが,チャップリンは独裁者ヒンケルとユダヤ人の床屋の二役をみごとに演じて,誇大妄想狂の〈独裁者〉の内面をあばいてみせた。…
【ナチス】より
…最初ドイツ労働者党Deutsche Arbeiterparteiと名のり,《ミュンヘン・アウクスブルク夕刊》紙のスポーツ担当記者ハラーの仲介で反革命結社〈トゥーレ協会Thulle Gesellschaft〉の援助を受け,かつ活動もハラーの方針に従い小規模な人数の演説集会に終始した。19年9月[ヒトラー]がドイツ労働者党へ入党,宣伝担当の役をまかされる。党の大衆化の方針をめぐってヒトラーはハラーと対立,20年1月ハラーは離党。…
【ファシズム】より
… ︿ フ ァ シ ズ ム ﹀ と い う 語 が 生 ま れ た の は , ム ッ ソ リ ー ニ を 指 導 者 と す る イ タ リ ア の ︿ フ ァ シ ズ ム ﹀ 運 動 の 台 頭 に よ っ て で あ る 。 イ タ リ ア で は , 第 1 次 大 戦 直 後 の 混 乱 の な か で , 1 9 2 2 年 10 月 31 日 に 早 く も ム ッ ソ リ ー ニ 内 閣 が 成 立 し た が , そ の 後 29 年 に 始 ま る 世 界 恐 慌 を 背 景 に , 33 年 1 月 30 日 ド イ ツ で は ヒ ト ラ ー 内 閣 が 生 ま れ た 。 20 年 代 か ら 30 年 代 に か け て ヨ ー ロ ッ パ の 広 範 な 諸 国 に こ の ム ッ ソ リ ー ニ の ︿ フ ァ シ ズ ム ﹀ や ヒ ト ラ ー の ︿ ナ チ ズ ム ﹀ に 類 似 し た 政 治 的 急 進 主 義 の 動 き が 芽 生 え て い た が , 第 2 次 大 戦 の 緒 戦 に お け る ド イ ツ の 軍 事 的 勝 利 に も 支 え ら れ て , 42 年 夏 に は , こ の 種 の 動 き が 全 ヨ ー ロ ッ パ を 支 配 し て し ま う よ う に さ え み え た 。 …
【マブゼ博士】より
…オリジナル版は,〈偉大な賭博者――ある時代の表象〉と〈地獄――ある時代の人びと〉の二部構成で,二夜連続で上映された。第1次世界大戦後ドイツの混乱した退廃的な社会で催眠術と変相術を巧みにつかい,強大な組織をあやつって闇の世界を支配しようとし,追いつめられたあげく狂人となって発見される心理学博士マブゼは,いわば《[カリガリ博士]》と同一の系列にある人物であり,すでにヒトラーのイメージを引きずっているといわれ,犯罪は大規模であるほど成功するというヒトラーの《わが闘争》の理論を先取りしているとも評された。そして,あきらかにマブゼとヒトラーの二重像をつくりあげたトーキー版の続編《怪人マブゼ博士》(原題《Das Testament von Dr.Mabuse(マブゼ博士の遺言)》1932)は,ナチスによる最初の上映禁止映画になった。…
【ミュンヘン一揆】より
…1923年11月8~9日,政権奪取をめざして[ヒトラー]がミュンヘンで起こした一揆。23年1月ドイツの賠償支払遅滞への制裁として,フランス・ベルギー軍がルール地方を占領すると,ベルリンの中央政府は,〈受身の抵抗〉でこれに対抗。…
【ユダヤ人】より
…ユダヤ人とは自由主義者,列強協調論者,議会政治家,マルクス主義者,ボリシェビキ,都市インテリ,大資本・大商人,国際的金融資本,西欧帝国主義者であり,ドイツ国民に敗戦と過酷な賠償による塗炭の苦しみと底知れぬ屈辱を味わわせている張本人であった。ヒトラーはこのような反ユダヤ主義のデマゴギーを中間層,農民,労働者の獲得と動員のために徹底的に利用した。とくに彼は広範な社会層にみられた資本主義に対する批判,議会制民主主義への失望を,〈ユダヤ人資本家〉〈ユダヤ人議会政治家〉に対する攻撃によってとらえ,同時にドイツ的国民社会主義すなわちナチズムを,〈ユダヤ的〉国際主義的社会主義と対置することにより民衆の社会主義への志向をすくい取ろうとした。…
【ロンギヌス】より
…一説にはアリマタヤの[ヨセフ]が〈聖杯〉と〈聖槍〉をイングランドにもたらしたといわれ,アーサー王伝説の中にもとり込まれた。またカール大帝がこの聖槍の効験でイスラム軍を撃退したとか,聖槍の所有者が世界征服を達成するなどの伝承が古くからあり,ヒトラーの野望は彼がウィーンのホーフブルク宮にある〈聖槍〉の霊感に打たれたときに始まるとする説まである。〈聖槍〉はバチカンのサン・ピエトロ大聖堂ほかヨーロッパ各地に今も残る。…
※「ヒトラー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」