日本大百科全書(ニッポニカ) 「メキシコ史」の意味・わかりやすい解説
メキシコ史
めきしこし
メキシコの歴史は、(1)古代文明(メソアメリカ文明)期、(2)植民地時代、(3)独立からメキシコ革命まで、(4)メキシコ革命以後、(5)第二次世界大戦後の5期に区分できる。
[野田 隆]
古代文明期
植民地時代
独立からメキシコ革命まで
メキシコ革命以後
1910年に民族資本家のマデロが民主化を要求して蜂起し、貧農のビリャやサパタの協力を得て翌年ディアス独裁を打倒して始まったメキシコ革命であったが、マデロは1913年ウエルタ将軍Victoriano Huerta(1854―1916)の反革命クーデターにより殺害された。しかし、革命は自由主義的大地主のカランサ、富農のオブレゴンÁlvaro Obregón(1880―1928)、ビリャやサパタに引き継がれ、1年余りの激戦の後、1914年ふたたび勝利した。その後革命勢力はカランサ‐オブレゴン派(上・中流層中心)とビリャ‐サパタ派(下層農民中心)に分裂して内戦となったが、都市労働者や知識人の支持も得た前者が勝利し、1917年には天然資源のメキシコ化や土地改革、労働者の諸権利などが明記された民主的かつ民族主義的な現行憲法が制定された。しかし大統領カランサ(在任1915~1920)は社会経済改革に消極的で、改革はほとんど実施されなかった。オブレゴン政権期(1920~1924)には教育の改善に尽くした当時のメキシコ大学総長バスコンセロスJosé Vasconcelos(1881―1959)が文部大臣を務め、壁画運動(リベラ、オロスコ、シケイロスの三大壁画家が有名)などを通じて民族文化が再認識された。カリェス政権期(1924~1928)にはモローネスの指導するメキシコ労働者地域総連合(CROM)が重要な政治的役割を演じ、カトリック教会やカトリック系労働組合への規制が強化されたため、カトリック支持派の大反乱(クリステロの乱、1926~1929)が起こった。1928年にはオブレゴンが大統領に再選されたが暗殺され、これを機に1929年には革命指導者を結集した国民革命党(PNR)が結成されて中央集権化が進んだ。この間、農地改革も少しずつ実施され、石油の国有化も試みられたが、これはアメリカの強硬な反対を受けて実現しなかった。
1929年の世界大恐慌によって輸出中心のメキシコ経済は大打撃を被り、やがて経済自立と社会改革の要求が高まり、カルデナス政権(1934~1940)のもとで大規模な社会経済改革と工業化政策が推進された。カルデナスは労働運動を保護育成し、1936年にはマルクス主義の労働運動家ロンバルド・トレダーノVicente Lombardo Toledano(1894―1968)の指導の下にメキシコ労働者総連合(CTM)を結成させ、貧農や農業労働者には6年間に約2000万ヘクタールの土地を分配、1938年には全国農民総連合(CNC)を組織させた。カルデナス政権は1937年に鉄道、1938年にはアメリカ、イギリス、オランダの石油会社に支配されていた石油産業を国有化して、メキシコ石油公社(PEMEX(ぺめっくす))を設立した。他方では国立投資銀行による融資や産業基盤の充実、保護関税など、民族産業の保護育成政策(輸入代替工業化政策)を推進し、国民教育の拡充にも努力した。このような政策を背景に、1938年には与党を改組、すなわち、労働部会(CTM中心)、農民部会(CNC中心)、一般組織部会(中産階級や小規模経営者など)、軍部会の4部会で構成されるメキシコ革命党(PRM)に改組し、階級協調的大連合を完成させた。しかしインフレもあって、これ以後カルデナスは改革を減速し、石油国有化以来悪化していた対米関係も修復、対米協調路線へ政策を転換した。
[野田 隆]