リシュリュー(英語表記)Armand Jean du Plessis de Richelieu

デジタル大辞泉 「リシュリュー」の意味・読み・例文・類語

リシュリュー(Armand Jean du Plessis de Richelieu)

 
158516421624131635  

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精選版 日本国語大辞典 「リシュリュー」の意味・読み・例文・類語

リシュリュー

  1. ( Armand Jean du Plessis, Duc de Richelieu アルマン=ジャン=デュ=プレッシ、デュク=ド━ ) フランスの政治家。一六二四年以後ルイ一三世の宰相として中央集権化に努め、対外的にはフランスの国際的地位の向上をはかって三〇年戦争に干渉し、植民政策を進め、フランス絶対主義の基礎を築いた。(一五八五‐一六四二

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「リシュリュー」の意味・わかりやすい解説

リシュリュー(Armand Jean du Plessis de Richelieu)
りしゅりゅー
Armand Jean du Plessis de Richelieu
(1585―1642)


()西1607161413()16161617()131316221624

 Raison d'Etat131620()162711629()13161716301011163216411642

 1618163416351642124

 ()1624163016351639貿

 La Gazette1635L'Instruction du chrétien ou Catéchisme de Leçon1619




リシュリュー(Armand Emmanuel du Plessis, duc de Richelieu)
りしゅりゅー
Armand Emmanuel du Plessis, duc de Richelieu
(1766―1822)

フランスの政治家。大革命の初期に亡命し、ロシア軍隊に入る。その勇敢さと高潔な人格をロシア皇帝アレクサンドル1世に認められて1803年オデッサ(現、オデーサ)の知事に任ぜられ、この地の経済発展に尽くした。王政復古とともに帰国し、1815年首相となる。翌1816年の選挙で議会の多数を占めた立憲王党派に依拠して中道政策を進め、1818年までにナポレオン戦争の賠償金の支払いと外国軍隊の撤退を実現した。1820年王位継承者ベリー公暗殺後の反動化の時期にふたたび首相の任を帯びたが、ビレールら過激王党(ユルトラ)派の攻勢を支えきれず1821年末辞職した。

[服部春彦]

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改訂新版 世界大百科事典 「リシュリュー」の意味・わかりやすい解説

リシュリュー
Armand Jean du Plessis de Richelieu
生没年:1585-1642


西16071413Marie de Médicis1722243016321642162729貿宿351635-371639

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百科事典マイペディア 「リシュリュー」の意味・わかりやすい解説

リシュリュー

 
16141622162413()1635
 

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リシュリュー」の意味・わかりやすい解説

リシュリュー
Richelieu, Armand Jean du Plessis, Cardinal et Duc de

 
[]1585.9.9. 
[]1642.12.4. 
131816141315 () 16 C.201322242835 (1639) 貿貿 J. (35) 稿 Testament politique  

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「リシュリュー」の解説

リシュリュー
Armand-Jean du Plessis de Richelieu


15851642

1614171322241331

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デジタル大辞泉プラス 「リシュリュー」の解説

リシュリュー〔高速戦艦〕

《Richelieu》フランス海軍の戦艦。リシュリュー級の1番艦で、1939年進水の高速戦艦。名称はルイ13世の宰相リシュリューの名にちなむ。同型艦に、ジャン・バール、クレマンソーがある。1940年に就役し、同年のドイツ軍のフランス侵攻により、フランスから脱出。1942年より、連合国軍に加わり、対独、対日の戦闘に参加。第二次世界大戦後はインドシナ戦争などに参加。1967年退役、翌年解体。

リシュリュー〔装甲艦〕

《Richelieu》フランス海軍の装甲艦。1876年竣工。排水量、約8,900トン。名称は、ルイ13世の宰相リシュリューの名にちなむ。1900年除籍。

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旺文社世界史事典 三訂版 「リシュリュー」の解説

リシュリュー
Armand Jean du Plessis da Richelieu

1585〜1642
フランスの政治家
ルイ13世の宰相(在任1624〜42)となって新教徒(ユグノー)を弾圧し,大貴族の勢力を抑え,高等法院の権限を縮小するなど,絶対主義の基礎を築く。ハプスブルク家に対抗して三十年戦争に介入。アカデミー−フランセーズを設立。

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世界大百科事典(旧版)内のリシュリューの言及

【ベルサイユ宮殿】より

…パリ南西郊ベルサイユにある,ルイ14世の造営になる宮殿。東端に位置する宮殿château,その背後に広がる庭園,離宮グラン・トリアノン,プチ・トリアノンなどからなる。 騒擾(そうじよう)事件が頻発し衛生状態のよくないパリの町を嫌ったルイ14世は,郊外の森に囲まれた田園地帯に,ルイ13世時代の狩りの館を大々的に作りかえる形で,まったく新しいタイプの宮殿,そしてそれに付属する都市を構想し,その意匠を王宮建築家たちにゆだねた。…

【アカデミー・フランセーズ】より

…フランス学士院Institut de Franceにある五つのアカデミーのうち最古のもの。1633年ごろ,詩人コンラールValentin Conrart(1603‐75)の家で文芸同好会のような集りがあるのを知った宰相リシュリューが,これを公的機関に制定し,フランス語の統一と純化という文化政策の一環に組み入れようとした。同会は〈アカデミー・フランセーズ〉の名で35年に正式に発足。72年,国王ルイ14世自身が庇護者となって以来,歴代の国家元首の管轄下に置かれている。…

【古典主義】より




 19()17︿

【パリ】より


11105km2213(1994)170km西西400km350km10.913.1719.0

【糞】より


便尿尿2

【ベルサイユ宮殿】より

…パリ南西郊ベルサイユにある,ルイ14世の造営になる宮殿。東端に位置する宮殿château,その背後に広がる庭園,離宮グラン・トリアノン,プチ・トリアノンなどからなる。 騒擾(そうじよう)事件が頻発し衛生状態のよくないパリの町を嫌ったルイ14世は,郊外の森に囲まれた田園地帯に,ルイ13世時代の狩りの館を大々的に作りかえる形で,まったく新しいタイプの宮殿,そしてそれに付属する都市を構想し,その意匠を王宮建築家たちにゆだねた。…

【ルイ[13世]】より

…フランス国王。在位1610‐43年。アンリ4世とマリー・ド・メディシスの長子として生まれ,1610年アンリ4世が暗殺されるとともに9歳で即位した。政治の実権は摂政であった母后とそのお気に入りのイタリア人コンチーニ夫妻が握っていたが,国王は成年に達するとこれを不満とし,17年寵臣リュイヌの手をかりてコンチーニを暗殺し,母后もブロアに追放した。こうして親政が開始されたものの,王国は,国王の未成年時代からこれを幸いとして不穏な動きを示し始めていた大貴族とユグノーの反抗のために,危機的な状況にあった。…

【ルノード】より

…フランス最初の新聞《ガゼットGazette》の創刊者。ルーダンに生まれる。1605年,古い歴史と自由な空気を誇るモンペリエ大学医学部卒業後,故郷で外科を開業。失脚中のリシュリューの知遇を得,その政界復帰(1624年にルイ13世の宰相となる)とともにルノードもパリに移住した。王や宰相を後ろだてに,かねて関心のあった貧民救済やさまざまな事業に手をつけた。なかでも後世への影響が最大だったのが,31年5月30日の週刊紙《ガゼット》の創刊である。…

【ルメルシエ】より

…フランスの建築家。ポントアーズの建築家一家の出身。作風は古典主義的傾向を示す。イタリアで修業した後,パリで数々の大造営事業にかかわるようになる。ルイ13世の命によりルーブル宮殿の増築を手がけ,カリアティード(女人柱)で名高い時計の楼館(1641)などを実現した。またリシュリュー枢機卿との関係が深く,彼の館パレ・ロアイヤル(1624‐36),彼の寄進になるソルボンヌの礼拝堂(1626‐42)などを設計し,さらにトゥール南西方のリシュリューRichelieuに彼のための城館と都市を建設。…

※「リシュリュー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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