オデーサ(英語表記)Odesa

デジタル大辞泉 「オデーサ」の意味・読み・例文・類語

オデーサ(Odesa/Одеса)

 
貿19052023992008  

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オデーサ」の意味・わかりやすい解説

オデーサ
Odesa

 
 Odessa西 31km 443km
14 Khadzhibey14801789179217929317941795 Odessos19 1866190519252
1957 20km西21IT
 18651809 2023沿 10158262021  

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「オデーサ」の意味・わかりやすい解説

オデーサ
おでーさ
Одеса/Odesa


102900020019938312018


歴史

古くはタタール人の集落カチベイとして、またその崩壊後、トルコ人の集落ハジベイとして知られた。トルコとの戦争の結果、1791年にロシア領となった。古代ギリシアの植民地オデッソスOdessosがあった場所と推定されて、1795年にオデッサと改称。資本主義の発展に伴い、19世紀末までにサンクト・ペテルブルグに次ぐロシア第二の商港、人口では第四の大都市に成長した。とくに小麦の輸出で重要な役割を演じた。文化面でも、1865年に大学が設立され、ロシア人、ユダヤ人、ギリシア人などの民族的接触のなかから独自のものが生まれた。革命運動の舞台でもあり、とくに1905年のロシア革命(第一次)における戦艦ポチョムキン号の反乱で有名である。さらに、1917年の革命後の内戦(対ソ干渉戦争)期にはドイツ・オーストリア軍、イギリス・フランス軍、デニキン白衛軍に相次いで占領された。また第二次世界大戦期には73日間にわたるオデッサ防衛戦の舞台となり、「英雄都市」の称号を受けた。

[原 暉之]

 2023年1月、歴史地区が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産(文化遺産)に登録、また同時に危機遺産にも登録された。

[編集部 2023年5月18日]

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