リービヒ(読み)りーびひ(英語表記)Justus von Liebig

精選版 日本国語大辞典 「リービヒ」の意味・読み・例文・類語

リービヒ

  1. ( Justus Freiherr von Liebig ユストゥス=フライヘア=フォン━ ) ドイツの化学者。有機化合物の基本的研究から、その農業への応用をはかった。また、実験重視の研究法を化学者の養成に採り入れた。主著「化学通信」。(一八〇三‐七三

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「リービヒ」の意味・わかりやすい解説

リービヒ
りーびひ
Justus von Liebig
(1803―1873)


()921820Wilhelm Gottlob Kastner178318571822A182418251852

 200(1)(2)(3)(4)(5)

 182418261831使1832尿

 1837()1857

 18401842

 18261839Annalen der chemie und Pharmacie1840Liebigs Annalen der ChemieW1837()1844

 20181213

2781958J. VolhardJustus von Liebig1909, LeipzigGünther BuggeDas Buch der grossen Chemiker Bd. 1930, Verlag Chemie, Weinheim

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改訂新版 世界大百科事典 「リービヒ」の意味・わかりやすい解説

リービヒ
Justus von Liebig
生没年:1803-73


H.Y.1822L.J.J.L.242552

 1830便使F.radicalH.39J.J.

 40︿theory of humus

 A.W.vonC.F.A.W.E.F.A.Liebigs Annalen der Chemie1844

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百科事典マイペディア 「リービヒ」の意味・わかりやすい解説

リービヒ

 
182518521826183118321840尿
 

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リービヒ」の意味・わかりやすい解説

リービヒ
Liebig, Justus von

[生]1803.5.12. ダルムシュタット
[没]1873.4.18. ミュンヘン
ドイツの化学者。薬剤師の子として早くから化学に興味をもつ。ボン大学,エルランゲン大学で化学を学ぶが,大学での化学教育に満足せず中退。その後 J.ゲイ=リュサックに認められ指導を受けた。ギーセン大学助教授 (1824) ,同教授 (26) 。ここで近代的な化学実験室をつくり,学生自身による実験研究を中心とした化学教育を推進し,大学科学教育の歴史に画期的な一歩を記した。また並行して化学の理論的研究にも成果をあげ,1845年男爵に叙せられた。ミュンヘン大学教授 (52) 。バイエルン・アカデミー会長,内閣顧問などを歴任。有機化合物の元素分析法の改良 (31) ,安息香酸の研究と根理論 (32) ,尿酸 (38) ,酸の水素説の確立 (38) ,発酵の研究 (39) などのほかに,農芸化学,生理学の化学的研究などの応用面でもすぐれた業績を残している。化学雑誌『化学年鑑』の編集のほかに,膨大な数の論文,著書があって,化学啓蒙書『化学通信』 Chemische Briefe (44) は広く親しまれている。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「リービヒ」の解説

リービヒ
Justus Freiherr von Liebig

1803~73

ドイツの化学者,農芸化学の創始者。チタンを分離し,クロラールを発見しているが,主業績は有機化学の分野にあり,初めて肥料の理論を樹立し,また三大栄養素を確定して栄養化学の祖ともなった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「リービヒ」の解説

リービヒ
Justus Freiherr von Liebig

1803〜73
ドイツの化学者
ベンゾール基の存在を示して有機化合を体系化した。また有機化学を用いて土壌・農作物の分析を行い化学肥料をつくった。

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世界大百科事典(旧版)内のリービヒの言及

【イノシット】より

…イノシトールinositolとも呼ぶ。1871年にJ.F.vonリービヒにより,酵母などの発育促進因子としてその存在が予想され,20世紀に入り,その実体がシクロヘキサンヘキサオールであることがわかった。ビタミンB2群の一員で,欠乏によって脱毛などが起こる。…

【イノシン酸】より

…ヒポキサンチン,リボース,リン酸からなるヌクレオチド。天然物から単離されたヌクレオチドとしては最も古く,1847年にJ.vonリービヒによって初めて筋肉から抽出されている。リン酸の結合する位置により,2′‐,3′‐,および5′‐の3種があるが,一般には5′‐イノシン酸またはイノシン‐5′‐リン酸(IMP)を指す。…

【栄養素】より

…植物は空気中の分子状の窒素(N2)を直接利用することはできないので,植物が利用できるNはもとをただせば窒素固定を行う微生物が固定したNに由来している。 1843年にドイツの農芸化学者J.F.vonリービヒは〈植物がどれだけ生長できるかは,必要な元素のうち最も不足しているものの量で決められる〉(リービヒの最小律)ことを示した。施肥は,この最小のものの量を増大させて増収をはかろうとしていることにほかならない。…

【科学教育】より

…19世紀前半は中等・高等教育機関の中に自然科学の教育が徐々に浸透していった時期ということができる。優れた科学者を集めた世界最初の専門科学教育機関といえば,フランス大革命中の1794年に発足したエコール・ポリテクニクÉcole polytechniqueであるし,大学に初めて実験室を設けて実験室教授法をとり入れたのはドイツのギーセン大学のリービヒであった(1825)。 そして,19世紀半ばごろになると,イギリスでも科学技術の教育が産業技術の発展,ひいては一国の繁栄に少なからぬ役割を果たすことが認められるようになって,全学校教育の全面的再編成が始まることになった。…

【ギーセン】より

…その後自然科学や農林・畜産学を中心とする大学になった。化学者J.vonリービヒはここの教授で,現在は医学部もあるこの大学の正式名称〈ユストゥス・リービヒ大学〉にその名を残す。第2次大戦中市街の3分の2が破壊され,戦後の復興はあったものの,大学以外に特に見るべきものはない。…

【キノン】より

…芳香族化合物中のベンゼン環上の水素2原子が酸素2原子で置換された一群の化合物をいう。キノンの名称は,J.vonリービヒの研究室で1838年,キナ酸quinic acidを二酸化マンガンと硫酸で酸化することにより初めて得られたことに由来する。キノン類は,フェノール類,キノール類,芳香族アミン類の酸化によって容易に合成できる。…

【最少養分律】より

…最少律ともいう。植物の無機栄養説を提唱したJ.F.vonリービヒは〈植物の生育はその植物に供給される諸養分のうち,その量が最少のものに制限される〉という説を唱えた。これはリービヒの最少養分律といわれ,植物の生育を制限している養分は最少養分といわれる。…

【農学】より


A.J.H.von(17831850)︿︿J.von(180373)︿︿︿

【肥料】より

…すでに1804年に植物が光合成によって炭酸ガスを吸収していることはスイスのソシュールNicolas Théodore de Saussure(1767‐1845)によって証明されていたが,なお植物は炭素その他の養分を土壌中の腐植から得ているというA.D.テーアらの〈腐植説〉が広く一般に信じられていた。この腐植説に対してドイツのJ.F.vonリービヒが,水と炭酸ガスといくつかの無機塩で植物は育つという〈無機栄養説〉を提唱したのは40年であった。60年にはザックスJulius von Sachs(1832‐97)が水耕法で植物を育て,窒素,リン,カリウム,硫黄,カルシウム,マグネシウム,鉄が必要なことを示した。…

【薬用植物】より

…化学成分の研究は1803年F.ゼルチュルナーがアヘンからモルヒネを単離して以来,キナ皮からキニーネ,タバコからニコチン,吐根からエメチン,コカ葉からコカイン,さらにストリキニーネ,アトロピン,ヒヨスチアミン,エフェドリンといった重要な,生理活性の強いアルカロイドがいろいろな薬用植物から次々と単離された。さらに1837年J.F.リービヒとF.ウェーラーがアミグダリンを加水分解して糖を得たことから,配糖体が薬効成分として大きな位置を占めることが知られるようになった。脂肪が脂肪酸とグリセリンのエステルの混合物であり,精油は種々のテルペノイドの複雑な混合物であることも判明した。…

【ローマ没落史観】より

…ギボンが強調した宗教的要因は,近年モミリアーノA.Momiglianoによりキリスト教会への最良者の吸収という形で再評価された。自然科学的方法の援用は,19世紀末から20世紀初頭にかけて,地力消耗を没落原因とするJ.vonリービヒやシンコービチG.Simkhovitch,気候変動と没落の関連を説くE.ハンティントンらの自然的要因を重視する見解を生んだが,これらに対してはM.I.ロストフツェフによる鋭い批判がある。医学や生物学の進歩は人間的要因にも目を向けさせ,ゼークO.Seeckの〈最良者の絶滅〉論,人種混交によるローマ市民団の劣性化を説くフランクT.FrankやニルソンM.P.Nilssonの説を生んだが,これらも厳しい批判を浴び,ことにナチズムによる罪禍ののちは影を潜めた。…

※「リービヒ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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