デジタル大辞泉 「三木卓」の意味・読み・例文・類語 みき‐たく【三木卓】 ﹇1935~2023﹈小説家・詩人。東京の生まれ。本名、富田三(み)樹(き)。﹁鶸(ひわ)﹂で芥川賞受賞。﹁小噺集﹂で芸術選奨。他に小説﹁震える舌﹂﹁路地﹂﹁裸足と貝殻﹂、詩集﹁東京午前三時﹂﹁わがキディ・ランド﹂など。児童文学・評論・翻訳など幅広く活躍。平成11年︵1999︶紫綬褒章受章。同19年芸術院恩賜賞。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
日本大百科全書(ニッポニカ) 「三木卓」の意味・わかりやすい解説 三木卓みきたく(1935―2023) 詩人、小説家。本名冨田三樹(とみたみき)。東京生まれ。早稲田(わせだ)大学露文科卒業。少年時代の満州︵現、中国東北地方︶での生活体験に基づいて、戦争の無残さと自身の身体的不自由さとによる内面性が、まず詩作品の﹃東京午前三時﹄︵1966。H氏賞︶、高見順(たかみじゅん)賞受賞の﹃わがキディ・ランド﹄︵1970︶に結実する。その後小説に転じ、﹃鶸(ひわ)﹄︵1972︶で芥川(あくたがわ)賞を受賞。連作小説集﹃砲撃のあとで﹄︵1973︶のほか﹃震える舌﹄︵1975︶、﹃胸、くるしくて﹄︵1976︶、﹃かれらが走りぬけた日﹄︵1978︶、﹃野いばらの衣﹄︵1979︶、﹃馭者(ぎょしゃ)の秋﹄︵1985。平林たい子賞︶、﹃小噺(こばなし)集﹄︵1988︶、﹃野鹿のわたる吊橋(つりばし)﹄︵1992︶などがある。また、1994年︵平成6︶心臓発作で緊急入院した体験を経て﹃生還の記﹄︵同年︶を刊行した。その後も﹃路地﹄︵1997。谷崎潤一郎賞︶、﹃裸足(はだし)と貝殻﹄︵2001。読売文学賞︶、﹃わが青春の詩人たち﹄︵2002︶を発表、活発に活動を続けていた。2006年度︵平成18︶日本芸術院恩賜賞受賞。 ﹇金子昌夫﹈ ﹃﹃三木卓詩集1957~1980﹄︵1981・れんが書房新社︶﹄▽﹃﹃小噺集﹄︵1988・文芸春秋︶﹄▽﹃﹃路地﹄︵1997・講談社︶﹄▽﹃﹃裸足と貝殻﹄︵1999・集英社︶﹄▽﹃﹃わが青春の詩人たち﹄︵2002・岩波書店︶﹄▽﹃﹃野いばらの衣﹄︵講談社文芸文庫︶﹄▽﹃﹃馭者の秋﹄﹃野鹿のわたる吊橋﹄︵集英社文庫︶﹄▽﹃﹃生還の記――心筋梗塞に襲われて﹄︵河出文庫︶﹄▽﹃﹃砲撃のあとで﹄﹃かれらが走りぬけた日﹄︵集英社文庫︶﹄▽﹃﹃震える舌﹄︵新潮文庫︶﹄▽﹃宮下拓三著﹃三木卓の文学世界﹄︵1995・武蔵野書房︶﹄ 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三木卓」の解説 三木卓 みき-たく 1935- 昭和後期-平成時代の詩人,小説家。 昭和10年5月13日生まれ。幼年期を満州(中国東北部)ですごす。早大在学中﹁文学組織﹂,卒業後﹁氾﹂などにくわわる。昭和42年私的体験を形而上的表現にたかめ,やさしい共生感覚をしめした詩集﹁東京午前三時﹂でH氏賞。48年小説﹁鶸(ひわ)﹂で芥川賞,平成元年﹁小噺集﹂で芸術選奨,9年﹁路地﹂で谷崎潤一郎賞,12年﹁裸足と貝殻﹂で読売文学賞。17年﹁北原白秋﹂で藤村記念歴程賞,蓮如賞。18年﹁北原白秋﹂で毎日芸術賞。19年芸術院恩賜賞,同年芸術院会員。25年﹁K﹂で伊藤整文学賞。東京出身。本名は冨田三樹(みき)。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例