小説(読み)ショウセツ(英語表記)roman

デジタル大辞泉 「小説」の意味・読み・例文・類語

しょう‐せつ〔セウ‐〕【小説】

 
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精選版 日本国語大辞典 「小説」の意味・読み・例文・類語

しょう‐せつセウ‥【小説】

 

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(2)
(3)novel fable, fiction, romance, story, tale 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「小説」の意味・わかりやすい解説

小説
しょうせつ
roman
novel


192021

 


神話から文学へ




 2

 

 ()


プラトン対話篇の形式

()

 

 7

 Aristophanēs450388

 ()

 


その小説性

このプラトンの悲劇および喜劇批判は、対話篇という形式についての、プラトンのはっきりした意図を物語っている。彼自身は、対話篇とは詩と散文の「中間のもの」だ、といったそうであるが、この「中間のもの」は、詩にも散文にも属さないジャンルということだろう。もちろん、悲劇にも喜劇にも属さない。しかも、ただ属さないだけでなく、それらの、すでにあるジャンルを批判するジャンルである。そして、その点において、プラトンの対話篇はもっとも小説的だといえる。つまり、既成の、先行するさまざまなジャンルを批評することによって出現した新しいジャンル、それが世界の文学史にもっとも遅れて登場した小説というジャンルにほかならないからである。

 これは、小説がすべてプラトンの対話篇のような哲学的なものだ、ということではない。また、それ以前にあった他のジャンルよりも上位に属する高等なる文学ということでもない。要するに、兄弟でいえば末っ子のようなものであって、よくもあしくも、兄や姉たちのさまざまな性質や要素を吸収し、その影響を受け、それらを模倣しながら、同時にそれらを批評することによってしか存在しえない、といった性質のジャンルだということである。

[後藤明生]

小説の性格とその誕生

20

 西西1096


十字軍とロマンスの隆盛

西貿()()

 使

 ()200


活版印刷の発明

1415


デカメロンとノベル

こうして、中世騎士道という「勧善懲悪」をたてまえにしたメロドラマ=ロマンスは産業化されたが、14世紀なかばごろ、イタリアにロマンスとは別の新しいジャンルが生まれた。ボッカチオの『デカメロン』である。これは別名「十日物語」とよばれるように、ペストを逃れて別荘に避難した10人の男女が、退屈しのぎに1人ずつなにか物語をするという形式で、それぞれの物語の内容は、ロマンス的なもの、エロティックなもの、滑稽(こっけい)なものなどの集合体であり、王侯貴族から僧侶(そうりょ)、商人、芸人、農民、料理人その他、当時のイタリアのさまざまな階層に属する人物が登場する。

 この新しいジャンルはイタリア語で「ノベルラ」novellaとよばれた。これは英語の「ノベル」で、「新奇なるもの」を意味する。そして、西洋文学においては、このロマンスとノベルが小説の二つの源流だとされている。虚構を意味する英語のフィクションは、その両者をあわせたものと考えてよいだろう。そして、そのロマンスとノベルという英語を、坪内逍遙(しょうよう)は『小説神髄』のなかで「小説」と翻訳した。

[後藤明生]

『小説神髄』における小説

()

 西()()


中国と日本

小説と小説家

()()()()()

 ()

 1000


中国の小説

しかし中国における小説の扱われ方は、小説というものの発生、変成の典型的な過程を示すものといえる。最初それは、文学でもなく、歴史でもなく、思想でもなかった。それらのどの部類にも分類されない、体系外の雑物として扱われてきた。それが、六朝(りくちょう)に入ると、その内容によって「志怪」と「志人」に分類された。「志怪」は、幽鬼物語、異類婚、変形譚(たん)、転生伝説などの怪異譚であり、「志人」は、ある人物の品評、エピソード、滑稽譚などである。唐代に入ると、これに「伝奇」が加わった。「伝奇」も怪異譚であるが、「志怪」の「志」が記録の意味であるのに対して、「伝奇」の「伝」は「物語る」の意味をもつ。つまり、そこにようやく、単なる記録ではない、「物語る」者=個人の作意、主観が認められたわけである。ここで、最初は市中の稗史であった「小説」に、虚構の要素が加わった。また、その虚構の作者の存在が加わった。宋(そう)代を経て明(みん)代に入ると、瞿佑(くゆう)(1341―1427)が『剪燈新話(せんとうしんわ)』を書き、また『三国志演義』(1494)、『水滸伝(すいこでん)』(1510)、『金瓶梅(きんぺいばい)』(1600ころ)とともに中国四大奇書とよばれる『西遊記(さいゆうき)』(1570ころ)が書かれた。

[後藤明生]

『西遊記』変成のプロセス

()西()()()()

 西900西


日本文学の発生と文字

712()()

 15004

 

 900使3()()3


『源氏物語』と虚構性

()

 ()()


「説話」集にみる批評性

()()()()31()()()()()()()

 1000()()

 

 ()brutality()()


『平家物語』の普遍性

貴族にかわって新興階級となった武士が支配した鎌倉時代には、『平家物語』が生まれた。これは、「読む」物語『源氏物語』に対して、「平曲」として琵琶(びわ)にあわせて「語る」ための物語であって、そこから「語物」とよばれる独自の文体が生まれた。

 七五調を基本にした和漢混交文で、節をつけて歌う韻文でもなく、単なる「会話」的な散文でもなく、両者の中間である。漢詩と和歌を複合した「和漢混血」の韻律といってもよいだろう。「語り手」は盲目の琵琶法師たちで、これはヨーロッパ中世の吟遊詩人や旅芸人にあたる。『平家物語』は彼らによってさまざまに変奏され、語り替えられ、増殖し続けた。そして貴族文学とは無縁であった大衆が新しい物語ファン層を形成した。新興勢力である武士と、没落していく貴族の物語が大衆の娯楽となりえたのは、琵琶という音楽との結び付きも大きかった。しかしそれだけではなく、「おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」という、階級を超えた普遍的なテーマによる。

[後藤明生]

江戸文学の特色

江戸時代の散文作品は、「物語」から「戯作」に変わった。徳川300年の政治は、対外的には鎖国、国内では士農工商の身分制度のうえで安定した。戦争がなくなり、武士は身分的には最上位に置かれながら、単なる制度上の存在となった。反対に、身分として最下位に置かれた町人は、経済力をもち、幕府や大名はその経済力に依存しなければやってゆけないという、制度と実体とが逆転した社会が出現した。文学の世界も同様で、武士階級の文学は漢詩文、和歌であり、これが上位に置かれた。それらの制度上の「上位」文学の下位に属する読み物が「戯作」である。

 そこには前の時代までにはなかった「遊び」の精神が強く反映している。「物語」も「説話」も「平曲」も、室町期に現れた「御伽草子(おとぎぞうし)」や「説経節」なども、それぞれ庶民大衆の娯楽であった。ただ、それらが、なんらかの形で宗教、道徳、人生的教訓を含んだ「生活のための娯楽」であったのに対して、「戯作」は「娯楽のための娯楽」だといえる。いわば娯楽としての読み物の純粋化であり、娯楽の独立である。遊里案内、遊女評判記などを主とした「浮世草子」はその代表といえるだろう。これは現代のタウン情報誌的性格をもっている。また、都市小説的性格をもっている。そして、それらの新しい条件を土台にして、それを超えたのが井原西鶴(さいかく)の『好色一代男』(1682)である。

[後藤明生]

『好色一代男』における時間の問題

西鶴は談林派の俳諧(はいかい)から出発した。これは、当時の生活に困らない町人子弟の、いわば標準的な文芸入門コースであり、同時に遊民入門コースであったらしい。『好色一代男』の文体は、普通、俳文とよばれているが、それは、散文の間に俳句を挟んだ、散文と俳句の混合・折衷ではない。俳句と散文との混血による新しい散文の方法である。この西鶴の方法は、文体だけでなく、作品全体の構成についてもいえる。『好色一代男』は、主人公世之介(よのすけ)の7歳から60歳までの女性遍歴物語である。つまり、7歳から60歳までの54年間がこの物語の現実的な時間で、きちんと1年刻みのカレンダー式章立てになっている。しかし、その極端にリアルな時間的章立てとは正反対に、各章つまり1年は、たった一つのエピソードによって語られている。その年、ある場所における一つの事件=世之介と女性とのエピソードによって1年が終わる。したがって、物語のなかの時間は1年が1日、あるいはその女性とのエピソードに要する数時間にすぎない。これはカレンダー式時間の反対の時間である。

[後藤明生]

阿部次郎の批評

()()

 西Bildungsroman西

 11


吉行淳之介の解釈



 20


『源氏物語』のパロディー

545454()

 西()()西


西鶴の笑い

西()西()

 西西


『雨月物語』の意味

()10017769西()()()()

 9()

 


文体の特徴

()


人物にみる近代性

2()宿()()()

 ()3()()()

 3

 使


ヨーロッパとアメリカ

活版印刷は小説を産業化し、だれでも買える値段で量産される小説は、ルネサンス以後、急速に発展した市民階級の一般的娯楽として大いに普及した。そして、この量産のシステムは、近代、現代においても同様である。しかし、小説そのものは時代とともに変化する。いつまでも騎士道物語が続くわけではない。「知的世界観に関する限り、近代は17世紀に始まった」と、ラッセルBertrand Arthur William Russell(1872―1970)はその『西洋哲学史』に書いている。そして、ティコ・ブラーエの天体観測データを基にしてケプラーが発見した惑星運動の三法則を紹介している。すなわち、惑星の軌道は楕円(だえん)であり、太陽はその焦点の一つにすぎない、というものである。ケプラーによるこの宇宙楕円説は、完全なるもの=円という、それまでの観念を打ち砕いた。世界の中心は一つではない。つまり、世界の形が変わったのである。

[後藤明生]

近代小説元年とドン・キホーテ

1605161516novela picaresca()

 50()()()2


「ロマンス」のパロディー

1605


普遍的テーマとして

()()

 ()宿


18世紀とルソー

18

 ()


ルソーのロマン主義



 18()


小説の黄金時代

19

 2()()()()()


ボバリー夫人は私

宿()退2

 ()

 ()

 退退

 

 


ドイツ教養小説

177017801796


ポーと都市性

181920

 ()183950


超ジャンルを呑(の)む『白鯨』

19()

 201333

 ()

 18611865


ペテルブルグとロシア文学

117121315250西250

 西湿()()()

 西()()

 西19西19()

 西

 


『エウゲーニー・オネーギン』

18251832()

 ()

 西


ゴーゴリと都市小説

()1831

 ()

 1()


『鼻』と『外套』の方法

20191940調()

 


『貧しき人々』の内面性

1846

 ()18491859


ドストエフスキーのテーマ

ドストエフスキーの作中人物の意識や思想やイデオロギーや行動は、文芸評論家や専門の研究家だけでなく、世界中の哲学者、宗教学者、精神分析学者などによってさまざまに分析されたり、定義づけられたりしてきた。しかし、その最大のテーマは、『地下室の手記』の「語り手」=「私」による次のことばによって総括できる。「ヨーロッパの知識教養を身につけたために、ロシアの大地と国民的本質から切り離された人間、それがわがロシアの知識人である」。

 すなわちそれは、スラブと西欧との混血=分裂のテーマであり、「露魂」と「洋才」との混血=分裂のテーマであり、楕円形ロシアのテーマである。プーシキンの『オネーギン』以来のこのテーマは、『地下室の手記』と『悪霊』にもっともはっきりと表れている。そしてドストエフスキーはこのテーマを、ロシア・フォルマリストの一人ミハイル・バフチンが、その『ドストエフスキイ論――創作方法の諸問題』のなかで「ポリフォニー」(多声法)と名づけた方法によって表現したのである。

[後藤明生]

その意識と方法



 西()西1920


21世紀に向かって

外国文学の受容と日本

明治以後の日本の近代小説は、これまで紹介してきた外国文学抜きには考えられない。そのなかでロシア文学をいくぶん詳しく紹介したのは、ほかでもない、明治維新(1868)以後の日本の近代化が、ピョートル大帝によるロシアの近代化にほとんどそっくりだといえそうだからである。

[後藤明生]

ロシア文学と二葉亭

()()

 

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二葉亭の挫折

イギリスでコンスタンス・ガーネット夫人がゴーゴリ、ドストエフスキーを英訳し始めたのは20世紀の第一次世界大戦前後で、リットン・ストレーチーがガーネット訳『悪霊』の書評「ロシアのユーモリスト」を書いたのは1914年(大正3)である。『浮雲』発表当時の日本においてドストエフスキー作品の喜劇構造が理解されなかったのは、無理からぬことであったというべきかもしれない。二葉亭自身、『浮雲』を1887年(明治20)から3年がかりで発表したあと、1906年(明治39)に『其面影(そのおもかげ)』を『朝日新聞』に連載するまで、小説への意志を断念していた。そしてこの挫折(ざせつ)は、日本の近代小説を特殊な性格へと方向づける結果になった。

 それは『浮雲』とは正反対に、『あひびき』その他の翻訳が明治文壇に大歓迎されたことと、そのまま結び付く。『あひびき』は、ツルゲーネフの叙情的かつ人道主義的な田園スケッチ連作『猟人日記』中の一小品であるが、その訳文の影響は、国木田独歩(どっぽ)から永井荷風(かふう)にまで幅広く及んでいる。これは、なんとも皮肉であると同時に、明治近代小説の限界を象徴するものだといえる。つまり、ロシア文学は大いに愛読されたが、プーシキン、ゴーゴリ、ドストエフスキーたちの「方法」は理解されず、もっぱらツルゲーネフやトルストイの叙情や人道主義(ヒューマニズム)だけが受け入れられたのである。

[後藤明生]

フランス文学への誤解



 18使


私小説の成立

()

 100()()()()()()()使

 ()193510202


20世紀文学の作家たち

19


「私」の解体から

19()2020

 31920


ジョイス、プルースト、カフカら

ジョイスのいわゆる「意識の流れ」はヘンリー・ジェームズの影響によるともいわれているが、『ドン・キホーテ』の出現以後、『ドン・キホーテ』を意識しない近代小説がありえなくなったように、ジョイス、プルースト、カフカの小説を意識しない20世紀小説はありえなくなった。つまり、先にあげた彼らの小説は、すでに単なる一作品であることを超えて、それぞれ20世紀小説の普遍的なテーマとなった。『贋金(にせがね)つかい』を書いたジッドは、その20世紀小説の運命にもっとも忠実な一人であった。プルーストが、「私」とはなんであったのだろう、「小説」とはなんであったのだろう、と考えたとすれば、ジッドは、「小説」とはいまなんであるのか、それを書いている「私」とはいまなんであるのか、とプルーストを意識しながら考えた、といえるかもしれない。

[後藤明生]

芥川と横光

20()192723()20


小説のあいまいな現状



 


小説の衰弱と復興

()

 ()

 


復興への道

2020

 

 20192021



GS1980西31982WS西1982TBS19691981A19671976198519781974GS19676 1982197119681976198119841969 131982X 51971198319951998西19831982鹿1983

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改訂新版 世界大百科事典 「小説」の意味・わかりやすい解説

小説 (しょうせつ)


西19SF

 ︿roman︿︿novel︿novella︿︿

 西19E.T.︿︿西︿︿︿西novelromanshort storyconte

161718

 17姿1718使1819

 1920

 20V.T.姿西


︿︿︿18174317531758︿1749︿︿1765︿︿

 ︿︿︿︿西︿1880西︿︿︿︿︿︿︿︿︿︿10︿︿︿︿︿

 ︿


16︿︿

 使︿︿︿︿︿20

 ︿︿︿︿1611917

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小説」の意味・わかりやすい解説

小説
しょうせつ
novel

 

11 M. (11605) 姿西1718 D.S.H.19
SF19 C.W.M.G. H.G.É. I.L.F. N.H.
20J.M.F.V.D.20
20  

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百科事典マイペディア 「小説」の意味・わかりやすい解説

小説【しょうせつ】

 
214︿novellanovel︿romaniceroman1316()1718 ︿
 

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普及版 字通 「小説」の読み・字形・画数・意味

【小説】しよう(せう)せつ

 
()()()()()()

 

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知恵蔵 「小説」の解説

小説

小説(novel)は「新しい話」の意である、イタリア語のnovellaより。novellaは元来、ボッカッチョ『デカメロン』(1353年)のような短い話を寄せ集めたものを指した。今日的意味での小説は、市民階級の勃興と歩調を合わせて、18世紀イギリスで成立。以後、たちまち世界中に広がり、近現代の最もよく流通した文学ジャンルとなった。しばしば、荒唐無稽な想像力の産物であるロマンスと対比させて、人間や社会を写実的に描いた散文ジャンル、のように定義される。形式、長さ、テーマ設定、叙述法も自由かつ融通無碍(むげ)で、あらゆる内容を盛り込むことができる。それゆえ小説は発生以来、常に小説とは何かを問いながら、映画などの隣接する表現形式と相互に影響し合いつつ、展開してきた。西欧近代社会において、小説は劇、詩、エッセイと並び、文芸の主要4ジャンルを形成する。日本では、明治初期に導入された西洋近代小説の理念と方法は、たちまち他の3ジャンルを圧して王座に君臨、今日に至っている。なお物語(narrative)とは、小説、自伝から民話、伝承に至る、文字通り、物語られるもの全般、を指す。物語の構造・機能の分析・研究を、物語論(narratology)と呼ぶ。

(井上健 東京大学大学院総合文化研究科教授 / 2007年)

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旺文社世界史事典 三訂版 「小説」の解説

小説
しょうせつ

 

 () 西 ()  ()  ()  ()   

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世界大百科事典(旧版)内の小説の言及

【講史】より


(9601127)()(11271276)()

【詩学】より


()()︿︿Ars poetica()

【小説家】より


︿︿()︿()()()()(︿西)

【説話】より

…その具体的内容や芸人の名前は,開封のようすを書いた《東京夢華録》,杭州に関する記録である《都城紀勝》《西湖老人繁勝録》《夢粱録》《武林旧事》の諸書にみえ,とくに《都城紀勝》と《夢粱録》では,説話を4家に分類している。ただし,その分け方は明確さを欠き,いくつかの解釈が可能であるが,〈小説〉〈説経〉〈講史書〉の3家は,どの解釈によっても共通する。 小説は一名〈銀字児〉ともいい,市井のさまざまな物語を語る短編の話で,内容によって,さらに煙粉(恋愛物),霊怪,伝奇,公案(裁判物),鉄騎児(軍記物)などに細分される。…

【中国文学】より

…《玉台新詠》は宮体詩を主とする選集であるが,唐以後も読者は少なくなく,早く日本にも伝わっている。
[歴史と小説]
 漢の司馬遷の《史記》はそれまでの編年史(年代記)と違った新しい形式(紀伝体)の歴史書である。人間の歴史と運命についての深い思索が全部をつらぬくが,対話の劇的構成にすぐれ,それによって人物の性格描写に成功した。…

【伝奇】より




 324

【稗史】より


︿︿

【フィクション】より



※「小説」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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