上東門院(読み)ジョウトウモンイン

デジタル大辞泉 「上東門院」の意味・読み・例文・類語

じょうとう‐もんいん〔ジヤウトウモンヰン〕【上東門院】

 
9881074()()()()()()  

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精選版 日本国語大辞典 「上東門院」の意味・読み・例文・類語

じょうとう‐もんいんジャウトウモンヰン【上東門院】

  1. 藤原道長の長女で、一条天皇の中宮彰子(しょうし)の院号。

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朝日日本歴史人物事典 「上東門院」の解説

上東門院

 
1.10.3(1074.10.25)
2(988)
1(999)2111,40,西2,,1(),5(1008)()(),,,,6,,()8, ,2(1018),殿,2(1022)寿3(1026)6,,2001(1037),3,87,  
()
 

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「上東門院」の意味・わかりやすい解説

上東門院
じょうとうもんいん

[生]永延2(988).京都
[没]承保1(1074).10.3. 京都
一条天皇の中宮藤原彰子。父は関白藤原道長,母は左大臣源雅信の娘倫子。長保1 (999) 年従三位に叙せられ,一条天皇の女御となり,翌年皇后に冊立 (さくりつ) され中宮職を付せられ,和泉式部紫式部らの才女が仕えていた。一条天皇には皇后に藤原定子 (ていし) がいたので,2后が並立することになったが,その所生の敦成,敦良親王が後一条天皇,後朱雀天皇と相次いで即位するに及んで,外祖父道長の全盛時代を招来した。長和1 (1012) 年皇太后,寛仁2 (18) 年太皇太后となった。万寿3 (26) 年出家し,同時に上東門院の院号を賜わった。陵墓は京都府宇治市木幡の宇治陵。

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改訂新版 世界大百科事典 「上東門院」の意味・わかりやすい解説

上東門院 (じょうとうもんいん)
生没年:988-1074(永延2-承保1)

平安中期の皇后。藤原道長の長女。名は彰子。法名清浄覚。999年(長保1)一条天皇に女御として入内,翌年中宮となり敦成(後一条天皇),敦良(後朱雀天皇)両親王を生んだ。紫式部が彰子に仕えたことは有名。1012年(長和1)天皇の死とともに皇太后,26年(万寿3)出家して門院号を受け,晩年は法成寺内に東北院を建てて住み,大女院と呼ばれ,国母と仰がれた。聡明・穏良の人柄でもあったが,晩年は肉親に多く先立たれて寂寥の影が濃い。
執筆者:

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「上東門院」の解説

上東門院
じょうとうもんいん

988~1074.10.3

一条天皇の中宮。名は彰子。父は藤原道長。母は源雅信の女倫子。999年(長保元)女御(にょうご)となり,翌年,中宮定子(藤原道隆の女)が皇后となり,彰子が新たに中宮とされた。1008年(寛弘5)敦成(あつひら)親王(後一条天皇)を,翌年敦良(あつなが)親王(後朱雀天皇)を生んだ。12年(長和元)に皇太后,18年(寛仁2)に太皇太后となり,26年(万寿3)院号をうけた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上東門院」の解説

上東門院 じょうとうもんいん

988-1074 平安時代中期,一条天皇の中宮(ちゅうぐう)。
永延2年生まれ。藤原道長の長女。母は源倫子(りんし)。長保元年入内(じゅだい),翌年中宮となり,後一条天皇,後朱雀(ごすざく)天皇を生む。長和元年皇太后,万寿3年出家,院号をうける。紫式部,和泉(いずみ)式部が女房としてつかえた。承保(じょうほう)元年10月3日死去。87歳。名は彰子。法名は清浄覚。

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百科事典マイペディア 「上東門院」の意味・わかりやすい解説

上東門院【じょうとうもんいん】

藤原彰子

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「上東門院」の意味・わかりやすい解説

上東門院
じょうとうもんいん

藤原彰子

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旺文社日本史事典 三訂版 「上東門院」の解説

上東門院
じょうとうもんいん

藤原彰子

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世界大百科事典(旧版)内の上東門院の言及

【女院】より

…以後,1850年(嘉永3)2月,孝明天皇の生母藤原雅子が新待賢門院の院号を宣下されるまで,詮子も含めて女院号を授けられた者は107名(このうち2度院号宣下を被った者があり,院号例は108)である。 院号宣下は,初例の東三条院の場合は出家による后位の停廃に基づき,第2例の太皇太后藤原彰子も1026年(万寿3)1月出家により上東門院の号を授けられたが,第3例の禎子内親王が陽明門院の女院号宣下を被ったのは1069年(延久1)2月で,すでに出家から二十数年を経ており,以後,出家と女院号宣下は必ずしも関係はなくなった。ただ以上の3例はいずれも天皇の生母で,后位にあるのを共通とする。…

【紫式部】より

…10年(寛弘7)夏ごろ《源氏物語》を完成し,さらに同年末までに《紫式部日記》をまとめたらしい。一条天皇没後も上東門院彰子に仕え,《小右記》長和2年(1013)5月25日条に〈為時女〉の文字が見える。同年10月ごろから長期間宮仕えを中断したあと,19年(寛仁3)1月に再び彰子のもとに出仕しているが,それ以降は明らかでない。…

※「上東門院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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