日本大百科全書(ニッポニカ) 「上田篤」の意味・わかりやすい解説
上田篤
うえだあつし
(1930― )
建築家、都市計画家。工学博士。大阪府生まれ。1954年︵昭和29︶京都大学工学部建築学科卒業、1956年同大学院工学研究科建築学専攻修了。同年建設省住宅局入局︵~1965︶。京都大学教授、大阪大学教授を経て、1987年、京都精華大学教授。2001年︵平成13︶、同大学名誉教授。
建築設計、地域計画に携わるが、建築批評に始まり、都市計画論、都市論、文化論を広く展開する総合的な批評家として知られる。その論理の展開と批評の方法は建築家、都市計画家としての視点からだけではなく、民俗学、地理学、文化人類学の知識と方法を用いる。
1972年、日本初の歩行者専用道路旭川買物公園︵北海道︶を計画するが、それは欧米の都市計画をそのまま輸入したのではなかった。都市の原形を近代化される以前の都市や生活空間、生活習慣に求め、それを現代の都市と生活の中でどのように再構成するか、という方法をとったのである。その後の上田の建築設計活動は同じように文化創造センター︵1983、広島県︶や京都の町家﹁西陣の町屋﹂︵1991︶など地域の伝統的な建築を手がかりに、現代都市にどのようにそれを再生し、適用するかをテーマとする。また鎮守の森、橋、水辺など、現代の都市のなかで隅に追いやられ、消滅の危機に瀕している環境とそれにまつわる文化、すなわち日本的な都市文化を断片的になってしまった要素を手がかりに再構築することを提唱する。
そのほかの建築作品としては、日本万国博覧会お祭り広場︵1970。丹下健三、磯崎新(あらた)と共同、日本建築学会特別賞︶、藤沢市太陽の家︵1975︶、橋の博物館︵1987、岡山県︶、京都精華大学キャンパス︵1988、1993︶、茨城県営古河平和町アパート︵1989︶、星の動物園﹁みさと天文台﹂︵1995、和歌山県︶などがある。
主な著書には、﹃日本の住宅問題﹄︵1960︶、﹃日本人とすまい﹄︵1974︶、﹃生活空間の未来像﹄︵1981︶、﹃橋と日本人﹄︵1984︶、﹃流民の都市とすまい﹄︵1985︶、﹃五重塔はなぜ倒れないか﹄﹃日本の都市は海から作られた﹄︵1996︶、﹃建築家の学校﹄︵1997︶、﹃鎮守の森は蘇(よみがえ)る﹄︵2001︶、﹃呪術がつくった国日本﹄︵2002︶などがある。
﹇鈴木 明﹈
﹃﹃日本の住宅問題﹄︵1960・三一書房︶﹄▽﹃﹃日本人とすまい﹄︵1974・岩波書店︶﹄▽﹃﹃生活空間の未来像﹄︵1981・紀伊國屋書店︶﹄▽﹃﹃流民の都市とすまい﹄︵1985・駸々堂出版︶﹄▽﹃﹃五重塔はなぜ倒れないか﹄︵1996・新潮社︶﹄▽﹃﹃建築家の学校﹄︵1997・住まいの図書館出版局︶﹄▽﹃﹃鎮守の森は蘇る﹄︵2001・思文閣出版︶﹄▽﹃﹃呪術がつくった国日本﹄︵2002・光文社︶﹄▽﹃﹃橋と日本人﹄︵岩波新書︶﹄▽﹃﹃日本の都市は海から作られた﹄︵中公新書︶﹄
[参照項目] |
|