丹後国(読み)タンゴノクニ

デジタル大辞泉 「丹後国」の意味・読み・例文・類語

たんご‐の‐くに【丹後国】

丹後

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日本歴史地名大系 「丹後国」の解説

丹後国
たんごのくに

古代

〔国の成立〕

(())

()()()()()()()()()()()()()()()()姿
<資料は省略されています>

また「日本書紀」顕宗天皇(弘計天皇)前紀に

<資料は省略されています>



()
〔律令制時代〕


出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「丹後国」の意味・わかりやすい解説

丹後国 (たんごのくに)




71365︿544700︿


12931西鹿

 鹿鹿1342-451363182512144012西3

1457-60300西

 ︿殿︿1573-92158082


1582216005025292123175832287817535000131673-8131759971668810124800099000171724202021

163815綿綿︿5203

 21720西1861-64869︿18192退沿1600使3

18391017555

 165438111714418225︿1500017331856

 186817111768

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「丹後国」の意味・わかりやすい解説

丹後国
たんごのくに


()7136()()()()()5()()()()()()()()()()()()()()()65()()()()()()()

 ()139293()()15787967()()()80()12300078200()35000()()130003()()670003()18714()76

 ()()171636西()



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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「丹後国」の意味・わかりやすい解説

丹後国
たんごのくに

 
6 (713)  ()  ()  ()  () 535 4756 () 5 (863) 7 (929) 使3 (1221) 4 (1306)  ()  () 5 (1600) 12 300036 (66) 88 (1758) 4 (1871) 71118768  

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藩名・旧国名がわかる事典 「丹後国」の解説

たんごのくに【丹後国】

 
()()()()()()()()()18714()18769()()  

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「丹後国」の解説

丹後国
たんごのくに

山陰道の国。現在の京都府北部。713年(和銅6)丹波国から加佐・与謝(よさ)・丹波・竹野(たかの)・熊野の5郡を割き成立。「延喜式」の等級は中国。「和名抄」に国府所在地は加佐郡と記されるが,旧与謝郡(現,宮津市)に府中の地名や国分寺跡があり,時期による移転説もある。一宮は籠(この)神社(現,宮津市)。「和名抄」所載田数は4756町余。「延喜式」では調は綾・絹・帛,庸は米・韓櫃(からびつ)など,中男作物として椎子(しいのみ)・烏賊(いか)など。明徳の乱後,山名氏にかわり一色氏が守護となる。応仁・文明の乱で一時守護職を奪われるが復帰,分国支配を行った。織田信長による制圧後,細川氏が宮津城へ入る。江戸時代には京極高知(たかとも)が支配し,のち宮津・田辺・峰山の3藩が分立,ほかに但馬出石(いずし)藩領や久美浜(くみはま)代官所領が存在した。1871年(明治4)廃藩置県により宮津県・舞鶴県・峰山県が成立。まもなく豊岡県に統合され,76年京都府に編入された。

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百科事典マイペディア 「丹後国」の意味・わかりやすい解説

丹後国【たんごのくに】

 
5()3
 

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