近畿地方(読み)キンキチホウ

デジタル大辞泉 「近畿地方」の意味・読み・例文・類語

きんき‐ちほう〔‐チハウ〕【近畿地方】

京都大阪滋賀兵庫奈良和歌山三重の2府5県からなる地域。

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精選版 日本国語大辞典 「近畿地方」の意味・読み・例文・類語

きんき‐ちほう‥チハウ【近畿地方】

  1. 本州中央部、京都・大阪・兵庫・奈良・和歌山・滋賀・三重の二府五県から成る地方。大和朝廷成立以来、日本における政治・文化の中心となる。大阪、京都、神戸などの大都市、阪神工業地帯などの臨海工業地帯が発達。近畿。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「近畿地方」の意味・わかりやすい解説

近畿地方
きんきちほう


13525

 ()85001400()()()()西()()()()()()()()()()55()()()()()1525

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自然

地形

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気候

近畿地方は、日本海斜面の日本海気候区、太平洋斜面の太平洋気候区と、両者に挟まれた瀬戸内気候区に分けられる。日本海気候区は瀬戸内海沿岸を除く北部山地一帯を含む。冬の北西季節風の影響を直接受け降雪が多いため、降水量は夏よりも冬に多い。冬の気温はそれほど低くないが、晴れる日は少ない。これに対し、太平洋気候区に属する紀伊半島は冬に比較的暖かいが、夏には南東季節風や台風の影響で雨量が多く、半島南部は年間4000ミリメートルを超える多雨地帯で、南海型気候の特徴を示す。瀬戸内気候区は中央低地を主とする瀬戸内海から伊勢湾に至る地域で、南北山地によって季節風が遮られ、気温は温暖であるが、年降水量は1200ミリメートル以下の寡雨地帯で、灌漑(かんがい)用溜池(ためいけ)が多いので知られる。伊勢湾沿岸はやや雨量が多く、瀬戸内気候と太平洋気候の遷移地帯である。また内陸の諸盆地は気温較差が大きく内陸性の特徴を示す。近畿地方の植生は、本来暖帯の照葉樹林帯に属し、クス、ツバキ、カシなどはなお各地に自生するが、スギ、ヒノキなどの針葉樹の人工樹林が多くなった。温暖な紀伊半島にはマキの自然林もあり、海岸にはアコウ、オオタニワタリなどの熱帯性植物もみられ、北部山地にもブナなどの原始林が残っている。紀伊半島沿海には串本(くしもと)、二木(にぎ)島などにサンゴその他熱帯性生物がみられ、海域公園に指定されているところもある。

[小池洋一]

産業


199467861865340.9

 321996沿7855502054280199519966.641.41791995()()()19963122

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交通


西()()()沿()19968105315.7

 2()4貿19957119987119856()19984沿()319949西


開発

古代国家の成立後、平安遷都に至るまで都城の造営はほぼ60回に及ぶが、近江の一部を除けばすべて畿内(きない)の地に限られている。それらは畿内各地の開発に、当時大きな影響を与えたものと思われる。とくに南北4.6キロメートル、東西3.1キロメートルの平城京、南北5.3キロメートル、東西4.7キロメートルの平安京という大規模な都城の造営は、その建築用材の調達に限っても、近畿各地の山林開発と水陸にわたる運搬路の開発を進める要因となった。これを支えた生産力の基盤となる耕地の開発は、畿内を中心として条里地割の遺構分布によってしのぶことができる。またこれに伴う瀬戸内寡雨気候克服のための農用溜池(ためいけ)の稠密(ちゅうみつ)な分布と用水路の築造も、古代以来の近畿地方の開発の進度を示すものである。中世においては広大な荘園(しょうえん)支配を背景とした社寺の造営、近世における各地城下町の経営、交通路、交通施設の整備など、近畿地方における開発の先進性をうかがうことができる。近世における新田の開発も各地で進められたが、1704年(宝永1)に完成した大和川付け替えと、これに伴う1063町歩の新田開発はその白眉(はくび)である。また断層盆地である京都盆地の遺跡湖として残った巨椋池(おぐらいけ)には、かつて宇治川、木津川が流入していたが、豊臣(とよとみ)秀吉が伏見築城の際、宇治川を分離、1933年(昭和8)木津川を分離すると同時に干拓を進め、1941年に完成して700ヘクタールの水田が造成された。

 明治以後の近代化に伴い、鉄道など交通路の整備、工場地帯の造成と市街地の開発が進められ、阪神都市圏が形成された。第二次世界大戦中空襲によって大阪市をはじめ多くの戦災地を生じ、戦後復興の第一に行われた国土総合開発法による吉野熊野特定地域の開発は、1950年(昭和25)以来主として十津川(とつがわ)・熊野川の河川開発として進められ、猿谷(さるたに)ダムなど防災、発電用ダムの完成と紀の川への流域変更により、大和盆地への分水も行われた。また大阪湾、伊勢湾での大規模な埋立てによる工場用地造成、千里(せんり)、泉北、北摂(ほくせつ)、西神をはじめとする大規模住宅団地の造成も行われた。これらは1963年の近畿圏整備法を基盤とし、また水資源開発を中心とした琵琶湖総合開発も1972年以来進められているが、公害発生など開発に対する反省も高まり、環境保全と住民福祉に重点が置かれてきた。関西復権を目ざした計画として泉州沖に関西国際空港が建設され(1994)、京阪奈丘陵における関西文化学術研究都市の整備も進められている。

[小池洋一]

人口


331008.82006227617.820051687338239251237558332813151113720051019957調958173362424037

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歴史


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民俗


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社会生活

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人の一生

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年中行事

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民話

大正年間に『有田童話集』『南紀土俗資料』『丹波口碑集』が編まれ、昭和初年代に『牟婁(むろ)口碑集』『大和昔譚(むかしばなし)』『播州小河地方の昔話』などが刊行されて、この地方は早くから民話に関心が向けられてきた。古くから栄えた都の文化と、その周辺にある山海村の民俗が互いに交差した特有の話がみられる。たとえば「喰(く)わず女房」の多くが五月節供の由来を説くが、一方でヨモギ、ショウブを持って山入りする山中生活者の作法を語り、さらに農民が自在鉤(かぎ)に小魚を挟む大歳(おおとし)の魔除けの民俗の説明伝承にもなっている。また奈良県吉野郡下で知られるものに「猫と茶釜(ちゃがま)」における一本足の猫、「牛方山姥(やまんば)」の一本足の山姥、そして弘法(こうぼう)大師や源義経(よしつね)が12月20日にやはり一本足で出現すると語られる。これらは、古来神々が巡行すると信じられたコトの20日と結んだ伝承であり、そこには、その夜、忌籠(いみこも)って神々を遇した民俗や、外に出るのを戒めた禁忌が昔話と合致して語られている。この地方は古くから宗教の拠点として隆昌(りゅうしょう)をみた土地がらを映して、神仏にかかわる伝説的な色合いを帯びる話が多い。奈良県明日香(あすか)村の岡寺縁起を語る「大歳の火」は三重県下に行われて注目される。より広範な伝承として、三井寺(みいでら)の霊験譚(たん)と結んだ「蛇(へび)女房」、三輪山(みわやま)の古伝承をいう「蛇聟入(へびむこいり)」などはその典型的な例である。また唱導説教の流れをくむものも多い。泉州信太の森(しのだのもり)の聖(ひじり)神社、葛葉(くずは)社の由来にも説かれる「狐(きつね)女房」「聴耳(ききみみ)」は、説経浄瑠璃(せっきょうじょうるり)として流行をみ、五説経の一つにあげられている。しかも、陰陽師(おんみょうじ)の管掌した語り物として喧伝(けんでん)され、『臥雲(がうん)日件録』『ほき抄』にも収められる。一方で上方(かみがた)話の影響も大きく「和尚(おしょう)と小僧」などの笑話、世間話がなべて好まれた傾向にある。近江に残る「大木の秘密」は、『今昔(こんじゃく)物語集』所収の巨樹伝承を母体にするが、『古風土記(こふどき)逸文考証』『三国伝記』中、すでに今日の原型が確認できる話であることは、特記すべきであろう。

[野村純一]

『宮本又次他著『郷土の歴史 近畿編』(1959・宝文館)』『『日本地理風俗大系 近畿地方』上下(1959・誠文堂新光社)』『『図説日本文化地理大系 近畿Ⅰ・Ⅱ』(1960、1962・小学館)』『『風土記日本 近畿編』(1960・平凡社)』『『日本の地理 近畿編』(1960・岩波書店)』『日本地誌研究所編『日本地誌13~15巻 近畿地方』(1981、1982・二宮書店)』『大明堂編集部編『新日本地誌ゼミナール5 近畿地方』(1986・大明堂)』『宮本又次著『関西文明と風土』(1970・至誠堂)』『田中久夫他著『近畿の歳時習俗』(1976・明玄書房)』『原田伴彦他著『関西の風土と歴史』(1976・山川出版社)』『藤岡謙二郎著『河谷の歴史地理』(1958・菊書房)』『山口恵一郎他編『日本図誌大系』(1973・朝倉書店)』『編纂委員会編『日本地名大辞典』(1985・角川書店)』『直木孝次郎、森杉夫他監修『日本歴史地名大系』(1983・平凡社)』『井上頼寿著『京都民俗誌』(1968・平凡社)』『『兵庫探検』民俗編(1971・神戸新聞社)』『肥後和男著『近江に於ける宮座の研究』(1973・臨川書店)』『『日本の民俗』滋賀・京都・大阪・兵庫・和歌山(1972~1975・第一法規)』『田中久夫他著『近畿の民間信仰』(1973・明玄書房)』『久下隆史他著『近畿の民間療法』(1977・明玄書房)』『酒向伸行他著『近畿の祝事』(1978・明玄書房)』『井阪康二他著『近畿の葬送・墓制』(1979・明玄書房)』『辰巳衛治他著『近畿の生業』(1980・明玄書房)』『久下隆史他著『近畿地方の住い習俗』(1984・明玄書房)』『久下隆史他著『近畿地方の火の民俗』(1985・明玄書房)』『酒向伸行他著『近畿地方の石の民俗』(1987・明玄書房)』『田中久夫著『年中行事と民間信仰』(1985・弘文堂)』『久下隆史著『村落祭祀と芸能』(1989・名著出版)』『網野善彦他編『日本民俗文化大系 全14巻・別巻1』(1994・小学館)』『田中久夫著『金銀銅鉄伝承と歴史の道』(1996・岩田書院)』『田中久夫他著『ふるさと兵庫 暮しの四季彩』(1997・旺文社)』『田中久夫著『祖先祭祀の展開―日本民俗学の課題』(1998・清文堂)』

 

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改訂新版 世界大百科事典 「近畿地方」の意味・わかりやすい解説

近畿地方 (きんきちほう)


西2533120km29%5101903

 1963253西

西西西1915m鹿西沿

 5000mm西沿西西

 

便橿宿

 綿西

貿19372沿西沿沿沿1964

 ︿2︿

1970西

 1874JR西JRJRJR西沿

 ︿西西

9%227620101618%23679/km274650/km2西23230/km219501:10951:201960

 

9%10%2530%50%

 ︿


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「近畿地方」の意味・わかりやすい解説

近畿地方
きんきちほう

 
西25西西西33119.82km2 223116952020  

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百科事典マイペディア 「近畿地方」の意味・わかりやすい解説

近畿地方【きんきちほう】

 
西西()()()2533125.70km2227578972010  

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