二宮尊徳(読み)ニノミヤソントク

デジタル大辞泉 「二宮尊徳」の意味・読み・例文・類語

にのみや‐そんとく【二宮尊徳】

 
17871856  

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「二宮尊徳」の意味・読み・例文・類語

にのみや‐そんとく【二宮尊徳】

 

(一)()
 

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「二宮尊徳」の意味・わかりやすい解説

二宮尊徳 (にのみやそんとく)
生没年:1787-1856(天明7-安政3)


600


1018891894︿︿92

 30190004使4190211︿姿1

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「二宮尊徳」の意味・わかりやすい解説

二宮尊徳
にのみやそんとく
(1787―1856)


()()()()()()17()()2418181()()1820()1822()()()183121833()()()18371840()1842()()18441()()()()()31020()70()()()()

 61822594()()()



26 19701975

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典 「二宮尊徳」の解説

二宮尊徳

没年:安政3.10.20(1856.11.17)
生年:天明7.7.23(1787.9.4)
江戸後期の農政家,報徳主義の創唱者。通称金次郎,諱は尊徳。身長5尺5,6寸(167~170cm),筋骨たくましい偉丈夫と伝えられる。相模国足柄上郡栢山村(小田原市)の百姓利右衛門,よしの長男。14歳で父を失い,その2年後に母が死に,伯父の家に預けられたが,奮励努力して没落した生家を20歳で再興した。文化9(1812)年小田原藩家老服部十郎兵衛家の若党となり,文政1(1818)年服部家の財政立て直しを依頼され,倹約と借入金の運用によりそれを成功させた。同5年その功により小田原藩に登用され,藩主の分家旗本宇津氏の領地下野国桜町領(栃木県真岡市,二宮町)の難村復興を命ぜられ,天保8(1837)年にかけて報徳仕法のモデルといわれる桜町仕法を施して成功。天保4年以降,旗本川副氏の領地常陸国青木村,細川氏の谷田部・茂木藩,宇津氏の一族である大久保氏の烏山藩,石川氏の下館藩,真岡・東郷両代官所支配の幕領,日光神領など,現在の茨城・栃木県下の北関東各地の仕法を手がけた。のちに二宮門四大人と呼ばれる富田高慶,斎藤高行,福住正兄,岡田良一郎はいずれもこの間に教えを受けた門弟である。子の弥太郎尊行も尊徳をたすけ,娘文子は富田高慶に嫁した。尊徳は晩年,御普請役格20俵2人扶持の幕臣に取り立てられ,日光領仕法中,下野国今市で病没。これらの領主層から依頼され領主の趣法あるいは主法として行った難村復興事業を行政式仕法というが,そのほか地主,豪農が中心となり,村民の自主的な組織である報徳結社によって報徳の教えを実践する結社式仕法が各地に普及した。 報徳仕法が成功した要因のひとつは,事前に詳細な調査を行ってプランをたて,領主をはじめ地主,農民の分に応じた消費を規定した「分度」を画定し,余財を自己の将来や他人のために「推譲」することとし,報徳金と称する領主と農民との中間に位置する資金を創設運用したこと,もうひとつは,窮乏する共同体の経済から上昇農民の自立を目指す「勤労」エネルギーを褒賞制度などによってひき出したことである。もともと報徳思想は神儒仏3教の折衷より成るが,自然の天道に対し衣食住を生み出す人道を対置し,生産労働と生活規律を重視するなど,民衆の生活意識に根ざす規範を創出した点に新時代へ向けた思想化をみることができる。 明治以降,内村鑑三『代表的日本人』(1894)などは,経済行為の基礎としての道徳を説いた尊徳を肯定的に評価した。他方,明治政府は国民教化の観点から尊徳を顕彰し,明治37(1904)年以降,修身教科書に孝行,学問,勤勉,精励,節倹など,多くの徳を備えた人物として登場させた。昭和初年以降,小学校校庭の「負薪読書」の金次郎像も一般化する。これらは貧しい民衆の能動的エネルギーを開発しつつ,これを体制内にとどめおこうとする支配層の意図にもとづく。戦後の一時期,平和と民主主義のシンボルとしての二宮尊徳像が再生し,1円札の肖像案(1946)ともなったが,今日でも勤倹節約の模範人物としてのイメージが強く残っている。<参考文献>『二宮尊徳全集』全36巻,佐々井信太郎『二宮尊徳伝』,奈良本辰也『二宮尊徳』

(海野福寿)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

百科事典マイペディア 「二宮尊徳」の意味・わかりやすい解説

二宮尊徳【にのみやそんとく】

江戸後期の農政家,農村復興の指導者。通称は金次郎。相模国栢山(かやま)村の人。早く父母を失い,伯父の家を手伝いながら学問に励んだ。のちに家を再興,その後,小田原藩士服部家の再建(1818年より)や同藩領下野(しもつけ)国桜町領の農村復興(1837年より)に成功した。これらの経験をもとに報徳仕法とよばれる独自の農村改良策をもって小田原ほか烏山・下館・相馬各藩の疲弊した農村約600村を再建した。ついで1853年日光神領の立直しに取かかり,奔走中に没した。その思想と業績は明治以後も報徳社が受け継いだ。→報徳思想
→関連項目岡田良一郎酒匂川二宮[町]

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「二宮尊徳」の意味・わかりやすい解説

二宮尊徳
にのみやそんとく

[生]天明7(1787).7.23. 相模,栢山
[没]安政3(1856).10.20. 下野
江戸時代末期の農民思想家。通称,金次郎。 14歳のとき父を,16歳のとき母を失い,田畑は酒匂 (さかわ) 川の洪水によって流失して伯父の家に寄食。苦学して一家を再興し,田畑約4町歩をもつ地主となった。文政1 (1818) 年旧主小田原藩家老服部家の家政改革を託され,その手腕を認められて小田原城主大久保忠真から模範篤農家として表彰された。さらに小田原藩領下野桜町,駿河,相模,伊豆の3国,常陸国真壁,芳賀両郡,幕府の日光神領 90ヵ村などの復興に従事。天保 13 (42) 年御普請役格に任じられたが,安政3 (56) 年日光神領の復旧に参与中,病死。弟子富田高慶述の『報徳記』,弟子福住正兄筆記の『二宮翁夜話』がある。 (→報徳思想 )  

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「二宮尊徳」の解説

二宮尊徳
にのみやそんとく

1787.7.23~1856.10.20

江戸後期の農村復興の指導者。通称金次郎。公人としては尊徳を使用。諱である尊徳の正式の読みは「たかのり」。相模国足柄上郡栢山(かやま)村生れ。少年期に父母を失い,災害で没落した家を独力で再興。この体験をもとに天地人三才の徳に報いることを説く報徳思想を形成,また家・村を復興し興国安民を実現する仕法を体系化した。1822年(文政5)に小田原藩に登用され,42年(天保13)には普請役格の幕臣となる。関東と周辺の諸藩領・旗本領・幕領・日光神領の復興や個別の家・村の再建を依頼されて指導。下野国今市(いまいち)の仕法役所で没す。その思想・仕法は報徳社に受け継がれた。著作・仕法書類は「二宮尊徳全集」所収。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「二宮尊徳」の解説

二宮尊徳 にのみや-そんとく

 
17871856 
7723,()(),()(),3102070()()
,  

二宮尊徳 にのみや-たかのり

にのみや-そんとく

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

旺文社日本史事典 三訂版 「二宮尊徳」の解説

二宮尊徳
にのみやそんとく

 
17871856

 ()   

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

367日誕生日大事典 「二宮尊徳」の解説

二宮尊徳 (にのみやそんとく)

生年月日:1787年7月23日
江戸時代後期の農政家
1856年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の二宮尊徳の言及

【今市[市]】より


1696(9)宿186371855(2)5618898

【恩】より

…もっとも日本の儒学は中国の場合と同様に恩をあまり問題にすることがなかったが,近世の中江藤樹や貝原益軒にいたって恩の考えが積極的にとりあげられ,忠孝があらゆる徳目の根源とされた。近世末になって二宮尊徳が天地人の三才の徳に報ずることを説いたのも,そのような精神がうけつがれたためと考えられる。 こうして主君にたいする報恩()と父母にたいする報恩()の強調は,制度的には人倫の上下関係を秩序づけるとともに,家父長制と封建体制の安定化に貢献した。…

【経世済民論】より


(17871856)︿

【下館[市]】より


18(183044) 

【植物】より


︿使(︿)︿

【二宮[町]】より


()1822(5)

【報徳社】より

二宮尊徳の報徳主義を実践するための結社。報徳とは《論語》における〈以徳報徳〉に由来するもので,天・地・人三才の徳に報いるに,実践的徳行をもってすることを意味する。…

※「二宮尊徳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

五節舞


 () ...


コトバンク for iPhone

コトバンク for Android