明治天皇(読み)メイジテンノウ

デジタル大辞泉 「明治天皇」の意味・読み・例文・類語

めいじ‐てんのう〔メイヂテンワウ〕【明治天皇】

 
18521912122186719122()()()()31867()()  

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精選版 日本国語大辞典 「明治天皇」の意味・読み・例文・類語

めいじ‐てんのうメイヂテンワウ【明治天皇】

 

(一)()
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「明治天皇」の意味・わかりやすい解説

明治天皇
めいじてんのう
(1852―1912)


12218671912()2()()()()()5922()18601()186621218671()10()()1218681()1869()()()()()1871()()1873西()使1875()調18811882()1884()

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改訂新版 世界大百科事典 「明治天皇」の意味・わかりやすい解説

明治天皇 (めいじてんのう)
生没年:1852-1912(嘉永5-大正1)


1221868601662122567191012681︿697175退

 188178828990尿1912730

 

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百科事典マイペディア 「明治天皇」の意味・わかりやすい解説

明治天皇【めいじてんのう】

 
()186018671()121868912()()18691889︿︿10()
 

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「明治天皇」の解説

明治天皇
めいじてんのう

1852.9.22~1912.7.29

在位1867.1.9~1912.7.30

近代国家形成期の天皇。日本最初の立憲君主。名は睦仁(むつひと)。幼称は祐宮(さちのみや)。孝明天皇の第2皇子。母は権大納言中山忠能(ただやす)の女慶子(よしこ)。京都の中山邸で生まれる。1860年(万延元)親王宣下。幕末の倒幕運動の高まりのなかで孝明天皇が急死し,67年(慶応3)1月践祚(せんそ)して皇位を継承。徳川慶喜(よしのぶ)の大政奉還後,同年12月,王政復古により新政府を樹立。68年9月,明治と改元。翌10月,京都から東京に移り江戸城(のち宮城)に入った。近代国家の建設が進むなかでヨーロッパ的君主としての教育をうけた。89年(明治22)欽定憲法として発布された大日本帝国憲法により,天皇は国の元首で統治権の総攬(そうらん)者と定められ,文武官の任免,陸海軍の統帥と編制,条約の締結,宣戦・講和など大きな権限を保持し,国務大臣の輔弼(ほひつ)と帝国議会の協賛によりこれを行使した。94~95年の日清戦争には広島の大本営に起居し国務・統帥にあたった。1912年7月29日死去(宮内省の公式発表は7月30日)。9月13日大葬。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「明治天皇」の意味・わかりやすい解説

明治天皇
めいじてんのう

 
[]5(1852).9.22. 
[]1912.7.30. 
 122 ( 18671912) 2 ()  ()  () 3 (1867) 1 18818990  

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「明治天皇」の解説

明治天皇 めいじてんのう

1852-1912 第122代天皇。在位1867-1912。
嘉永(かえい)5年9月22日生まれ。孝明天皇の第2皇子。母は中山慶子(よしこ)。父の死により16歳で践祚(せんそ)。その10ヵ月後幕府は大政を奉還。五箇条の誓文を公布し,新政府の基本方針をしめす。明治と改元して一世一元とさだめ,京都から東京へ遷都。欧米の制度や文化をみならい,政治,経済,社会,教育,軍事を改革し,大日本帝国憲法や教育勅語などを発布して,立憲国家・近代国家確立に献身した。在位中,日清(にっしん)・日露両戦争,大逆事件がおこり,韓国併合がおこなわれた。和歌をこのみ,約10万首の詠歌をのこした。明治45年7月29日死去。61歳。墓所は伏見桃山陵(ふしみのももやまのみささぎ)(京都市伏見区)。幼称は祐(さちの)宮。諱(いみな)は睦仁(むつひと)。
【格言など】四方(よも)の海みなはらからと思ふ世になど波風の立ち騒ぐらむ

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旺文社日本史事典 三訂版 「明治天皇」の解説

明治天皇
めいじてんのう

1852〜1912
明治時代の天皇(在位1867〜1912)
孝明天皇の皇子。1867年即位。討幕派に擁されて王政復古を実現。旧江戸城を皇居として統治権を総轄し,軍人勅諭・大日本帝国憲法・教育勅語などを制定し,神聖不可侵の天皇の権威を確立した。また資本主義の発達をはかり,日清・日露両戦争に勝ち,条約改正・韓国併合などを行って強力な明治国家を確立した。陵墓は京都府の伏見桃山陵。

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デジタル大辞泉プラス 「明治天皇」の解説

明治天皇〔ドナルド・キーン〕

ドナルド・キーンによる著作。訳:角地幸男。2001年刊行。2002年、第56回毎日出版文化賞(人文・社会)受賞。

明治天皇〔山岡荘八〕

山岡荘八の長編歴史小説。1968年刊行。

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367日誕生日大事典 「明治天皇」の解説

明治天皇 (めいじてんのう)

生年月日:1852年9月22日
第122代天皇。諱は睦仁(むつひと)
1912年没

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世界大百科事典(旧版)内の明治天皇の言及

【御真影】より

…天皇が写真化されると,写真という複製メディアの性格によって全国に配付可能になり,有効な権力の視覚的中心になる。明治天皇がはじめて写真に撮られたのは1872年(明治5),まだ和装であった。翌年,断髪した天皇は,今度は洋装での写真を撮られ,それがかなり長期間使用される。…

【生祠】より


︿2

【天長節】より

…天長の語は《老子》の〈天は長く地は久し〉に由来し,すでに中国の皇帝もその誕辰の日を天長節と称していたが,日本では,775年(宝亀6)9月光仁天皇が,10月13日の誕辰の日を天長節と称し,その日百官に酺宴(ほえん)を賜い,天下諸寺の僧尼に経を読み仏道を行い,国家安泰,聖寿万歳の祈禱を行わしめ,あわせて殺生を禁断させると勅し,ついで同年10月13日初めて天長節が祝われたのが起源である。その4年後にも天長節を祝った記事が正史にあるが,以後永くすたれ,1868年(明治1)9月22日明治天皇の誕辰を天長節と称して復活した。この間,室町時代から江戸時代の記録に,天皇の誕生日に読経や内々の祝宴,祝品の贈答の行われたことがうかがえるが,宮中行事として内々天皇の誕辰が祝われていたにとどまり,国家的行事となったのは明治の復活以後である。…

※「明治天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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