デジタル大辞泉 「相模」の意味・読み・例文・類語 さがみ【相模/相摸】 旧国名の一。今の神奈川県の大部分に相当する。相州。 ﹁相模女﹂の略。 さがむ【相模】 相模さがみの古称。「―嶺ねの小峰見隠し」〈万・三三六二〉 さがみ︻相模︼ 平安中期の女流歌人。相模守大(おお)江(えの)公(きん)資(より)の妻であったことからその名がある。脩(しゅ)子(うし)内親王に仕え、多くの歌合に参加。家集に﹁相模集﹂がある。生没年未詳。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「相模」の意味・読み・例文・類語 さがみ【相模・相摸】 (一)[1] (一)[ 一 ] 東海道十五か国の一つ。相武(さがむ)・師長(しなが)の二国と鎌倉別(かまくらのわけ)を合わせて、大化改新後一国となる。平安末期から平氏・藤原氏の一族が開発。鎌倉時代には幕府の直轄領となり、南北朝以後関東管領上杉氏の管轄下に置かれ、江戸時代には小田原藩が支配。明治四年︵一八七一︶の廃藩置県後、小田原・足柄県を経て同九年神奈川県に編入。相州。 (二)[ 二 ] 平安後期の女流歌人。相模守大江公資(きんより)の妻。脩子内親王に仕えて、長元八年︵一〇三五︶の高陽院水閣(かやのいんすいかく)歌合以下数多くの歌合に参加し、能因や和歌六人党の藤原範永(のりなが)や藤原経衡(つねひら)などと交渉があった。家集に﹁相模集﹂がある。生没年未詳。 (二)[2] ﹁さがみおんな︵相模女︶﹂または﹁さがみげじょ︵相模下女︶﹂の略。 (一)[初出の実例]﹁五六年いるに相模の名もたてず﹂(出典‥雑俳・川柳評万句合‐宝暦八︵1758︶梅) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本大百科全書(ニッポニカ) 「相模」の意味・わかりやすい解説 相模さがみ 生没年不詳。平安中期の女流歌人で、中古三十六歌仙の一人。源頼光(よりみつ)の娘︵養女とも︶。母は慶滋保章女(よししげのやすあきらのむすめ)。初め皇太后妍子(けんし)に仕え乙侍従(おとじじゅう)とよばれたが、相模守(さがみのかみ)大江公資(きんより)と結婚して任地に下向、上京後、藤原定頼(さだより)との恋愛を経て公資と離別、一品宮修子(いっぽんのみやしゅうし)内親王に仕えて相模とよばれた。歌人としては寛弘(かんこう)︵1004~12︶末年からの詠歌が知られ、長元(ちょうげん)8年︵1035︶﹁賀陽院水閣歌合(かやのいんすいかくうたあわせ)﹂、永承(えいしょう)4年︵1049︶﹁内裏(だいり)歌合﹂、同6年﹁四条宮春秋(しじょうのみやしゅんじゅう)歌合﹂などに活躍、能因とともに和歌六人党歌人の指導者でもあった。家集に﹃相模集﹄﹃思女(しじょ)集﹄などがあり、﹃後拾遺(ごしゅうい)集﹄以下の勅撰(ちょくせん)集に110首をとどめる。詠風は繊細にして清新、完成度の高いものである。 恨みわびほさぬ袖(そで)だにあるものを恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ ﹇犬養 廉﹈ 小倉百人一首(65) 歌人/相模 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
朝日日本歴史人物事典 「相模」の解説 相模 没年‥康平4以降(1061) 生年‥生年不詳 平安時代の歌人。源頼光の娘,養女ともいう。母は慶滋保章 の娘。最初女房として出仕,乙侍従と呼ばれたが,大江公資の妻となり,夫の任国の相模に下向,相模と呼ばれる。夫との仲は破綻し,箱根権現参詣の際に奉納した﹁走湯百首﹂には満たされない心中を訴えた作が多い。これに対し権現の僧より返歌100首が寄せられ,相模は再度100首を奉納。百首歌の贈答は例が少なく,ひたむきに心情を訴えたその作風とともに注目される。帰京後,思いを寄せていた藤原定頼と一時交渉を持ち,やがて脩子内親王家に出仕。長元8(1035)年の賀陽院水閣歌合で賞賛を受け,以後多くの歌合に出詠。男性歌人と並ぶ歌壇の中心として活躍,藤原範永など若い受領層歌人たちの指導者ともなった。﹃後拾遺集﹄以下の勅撰集に100首以上が入集。﹃相模集﹄などの家集が残る。<参考文献>武内はるゑ他﹃相模集全釈﹄ (山本登朗) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「相模」の解説 相模 さがみ ?-? 平安時代中期の歌人。 長徳4年(998)ごろの生まれ。一説に源頼光(よりみつ)の養女。乙侍従(おとじじゅう)とよばれたが,相模守(さがみのかみ)大江公資(きんより)と結婚して相模とよばれる。のち公資と不仲となり,脩子(しゅうし)内親王につかえ,内裏歌合(だいりうたあわせ)などで歌をよんだ。﹁後拾遺和歌集﹂などの勅撰集に100首以上おさめられている。中古三十六歌仙のひとり。家集に﹁相模集﹂。 ︻格言など︼恨みわび干さぬ袖だにあるものを恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ(﹁小倉百人一首﹂) 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「相模」の意味・わかりやすい解説 相模さがみ 平安時代中期の女流歌人。乙侍従 (おとじじゅう) ともいう。父は源頼光 (よりみつ) といわれる。相模守大江公資 (きんすけ) の妻。一条天皇皇女脩子 (しゅうし) 内親王に出仕。長元8 (1035) 年﹃賀陽院水閣歌合﹄,天喜4 (56) 年﹃皇后宮寛子歌合﹄などに出詠し,﹃後拾遺集﹄以下の勅撰集に 110首近く入集。家集に﹃相模集﹄﹃思女 (しじょ) 集﹄があり,百首歌も詠んでいる。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報