改訂新版 世界大百科事典 「人情噺」の意味・わかりやすい解説
人情噺 (にんじょうばなし)
本来は続物で,︽塩原多助一代記︾︽業平文治漂流奇談︵なりひらぷんじひようりゆうきだん︶︾︽名人長二︾などのように,落ち︵さげ︶がなくて,人生や社会を如実にえがく実のある噺をいったが,現在では,︽芝浜︾︽鰍沢︵かじかざわ︶︾︽火事息子︾︽文七元結︵ぶんしちもつとい︶︾などのように,落ちはあっても,人情味のある一席物の噺を人情噺といっている。江戸における続物人情噺の祖は,文化・文政︵1804-30︶ごろに活躍した2代石井宗叔︵そうしゆく︶であり,また上方で人情噺を始めたのは,享和・文化︵1801-18︶ごろの司馬芝叟︵しばしそう︶︵芝屋勝助ともいう︶だった。医者から落語家に転じた宗叔に対して,芝叟は浄瑠璃作者であり,歌舞伎作者でもあり,中国小説に取材した長噺︵ながばなし︶︽油︾は劇化もされた。上方落語︽油屋与兵衛︾としても伝わるその続物の人情噺は,人物描写その他に高度の話術を必要とするために,明治時代までは,その巧拙が落語家の一つの評価基準となっていた。人情噺の名手としては,みずから︿人情噺の祖﹀と称していた柳派の開祖初代麗々亭柳橋︵れいれいていりゆうきよう︶︵?-1840︶,初代春風亭柳枝︵りゆうし︶,初代談洲楼燕枝︵だんしゆうろうえんし︶などが有名だが,自作自演の多くの人情噺を持つ三遊亭円朝が最高の名人だった。なお,近年では,5代古今亭志ん生,6代三遊亭円生,林家彦六などが代表的演者だったが,彼ら亡きあとは,5代三遊亭円楽がこの分野に意欲を示している。
→落語
執筆者‥興津 要
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報