日本大百科全書(ニッポニカ) 「全日本海員組合」の意味・わかりやすい解説
全日本海員組合
ぜんにほんかいいんくみあい
船舶の乗組員を組合員とする全国組織の産業別組合。略称海員または海員組合。組合員数約3万人︵2011年3月︶。日本労働組合総連合会︵連合︶加盟組合。1921年︵大正10︶に結成された日本海員組合を引き継ぎ、1945年︵昭和20︶10月5日、第二次世界大戦後もっとも早く結成された労働組合。企業単位ではなく最初から﹁日本船員﹂を組織対象とした日本では珍しい個人加盟の産業別単一組織で、各船主団体と統一労働協約を結び、統一交渉・統一闘争が基本となっている。1946年のゼネスト闘争では、左派が一時的に勢力を得ていたが、海員は一貫して右派の立場を守り、日本労働組合総評議会︵総評︶、全日本労働組合会議︵全労会議︶の結成に重要な役割を果たした。1946年9月の人員整理反対闘争の勝利、1965年11月末から翌1966年1月末にかけて闘われた労働協約改定要求の長期波状スト、1972年4月から7月にかけての約90日間﹁賃上げ・人間性回復・合理化対策﹂をスローガンとして闘われた長期ストなど、その産業別組織としての役割は高く評価された。
1973年には政党支持自由の方針を打ち出し、右派の反対にあっているが、そのような方針提起の背景には海運合理化の進展に伴う船員の雇用や労働条件の不安定化の問題があった。1980年代に入ると海運合理化はさらに進行し、自国船員の乗り組みを義務づけられない便宜置籍船︵便宜上船籍を自国以外の国に置く︶が活用され、東南アジアなどの低賃金船員が増えて日本人船員が大幅に削減され、1970年代には16万人以上を擁した組合員は、1990年代に入るころから7万人を割るようになった。また1990年代にはいわゆる近代化船︵自動化により乗組員を削減︶の導入により、海員組合はさらに人員削減を迫られた。なお、1972年に船舶通信士の船舶通信士労働組合︵通信士組合︶が分離・独立した。国際組織では、国際運輸労連︵ITF︶に加盟している。
また、海上労働の特異性から船員の労働条件や労働関係は船員法に規定され、労働委員会も船員労働委員会︵中央・地方︶が別に設置されており、それらは国土交通省の所管となっている。
﹇川崎忠文﹈
[参照項目] |
| | |