デジタル大辞泉
「六歌仙」の意味・読み・例文・類語
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ろっ‐かせんロク‥【六歌仙】
(一)[1]
(一)[ 一 ] 古今和歌集の序に掲げられている六人、すなわち平安初期、歌道に秀でて歌仙と称せられた在原業平・僧正遍昭・喜撰法師・大友黒主・文屋康秀・小野小町の称。
(一)[初出の実例]﹁二聖・六哥仙を始めとして其の外の人々﹂(出典‥光悦本謡曲・志賀︵1519頃︶)
(二)[ 二 ] [ 一 ]を主題とした歌舞伎所作事の通称。﹁化粧(よそおい)六歌仙﹂﹁六歌仙容彩(すがたのいろどり)﹂﹁六歌仙狂画墨塗(きょうがのすみぬり)︵通称、墨塗六歌仙︶﹂など。
(二)[2] 〘 名詞 〙 [ 一 ][ 一 ]を主題とした図柄をいう語。六人がそれぞれ足を出したり、膝を立てたりしている絵。転じて、行儀の悪いさまのたとえ。
(一)[初出の実例]﹁いづれも仇なる五六人、其品品の座住居は、六哥仙(ロッカセン)めく唄妓の気儘﹂(出典‥人情本・春色辰巳園︵1833‐35︶初)
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六歌仙 (ろっかせん)
︽古今和歌集︾の序に論評された6人の歌人。︽万葉集︾の後,和歌の道はまったくおとろえていたが,その時期に︿いにしへの事をも歌をも知れる人,よむ人多からず。……近き世にその名きこえたる人﹀としてあげられた僧正遍昭,在原業平,文屋康秀,喜撰法師,小野小町,大友黒主,の6人のこと。序の筆者紀貫之より1世代前の人々で︽古今集︾前夜の代表的歌人として︽古今集︾時代の和歌の隆盛を導いた先駆者たちである。それぞれの個性は明白であるが,共通の特色は真率︵しんそつ︶でわかりやすく,技巧が少なく,この人々によって和歌史上の一時期が形成された9世紀後半は︿六歌仙時代﹀といわれる。技巧が少ないことはかえって内容の充実を意味し,藤原定家はその著︽近代秀歌︾に︿詞は古きをしたひ,心は新しきを求め,及ばぬ高き姿をねがひて,寛平以往の歌にならはば,おのづからよろしきこともなどか侍らざらむ﹀と注意すべき見解を述べている。︿寛平以往の歌﹀とは六歌仙を意味する。この書は源実朝に与えられた書で,初学の者の和歌修業の極意は六歌仙の歌に学ぶことだ,の意である。高い評価であるが,問題はある。すなわち,6という数字には中国文化の影響︵六経︵りつけい︶とか詩の六義など︶と認められる。この時代に︽古今集︾入集の歌人はほかにもあり,六歌仙のうち喜撰,小町,黒主は伝記がほとんど不明で,喜撰は伝説中の人物のごとくにさえ見える。︽古今集︾にも1首しか採られていない。ゆえに,強いて6の数に合わせて選ばれているように見える。しかし︽古今集︾序に記されたということと藤原定家の称揚により,後世にいろいろの形で影響が見られる。すなわち,三十六歌仙というのも6を2乗した数であり,︿六家集﹀--藤原俊成︽長秋詠藻︾,藤原良経︽秋篠月清集︾,慈円︽拾玉集︾,西行︽山家集︾,藤原定家︽拾遺愚草︾,藤原家隆︽壬二集︾の六つの家集を集成したもの--というのも,六歌仙の呼称を変形踏襲したものである。また,黒主を悪人にしたてた謡曲︽草紙洗︵そうしあらい︶︾のほか︽関寺小町︾︽卒都婆小町︾など,六歌仙に材をとった謡曲は多く,︽六歌仙容彩︵すがたのいろどり︶︾など歌舞伎にも,六歌仙に材をとった作が多い。
執筆者‥奥村 恒哉
六歌仙 (ろっかせん)
歌舞伎舞踊。義太夫,長唄,清元。本名題︽六歌仙容彩︵すがたのいろどり︶︾。1831年︵天保2︶3月,2世中村芝翫︵のちの4世歌右衛門︶,2世岩井粂三郎︵のちの6世半四郎︶ほかにより江戸中村座初演。作詞松本幸二。作曲10世杵屋六左衛門,初世清元斎兵衛。振付2世藤間勘十郎,4世西川扇蔵,中村勝五郎。僧正遍照,在原業平,文屋康秀,喜撰法師,大伴黒主を踊り分ける五変化で,それぞれが小野小町︵︽喜撰︾では茶汲女,︽文屋︾では陰の存在︶に思いを寄せるが受け入れられない。最後に黒主と小町の草紙洗いで黒主の謀反が露見する。
執筆者‥如月 青子
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六歌仙【ろっかせん】
僧正遍昭,在原業平,文屋(ふんや)康秀,喜撰法師,小野小町,大友黒主をいう。︽万葉集︾から︽古今集︾への過渡期を代表する歌人たち。︽古今集︾の権威が高まるにつれて,歌仙崇拝が盛んになり,六歌仙にまつわる伝説が生み出され,多くの歌仙絵が描かれるとともに,能・狂言・歌舞伎等の素材とされた。→三十六歌仙
→関連項目歌仙|切紙
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六歌仙
ろっかせん
﹃古今(こきん)和歌集﹄の序文で﹁近き世にその名聞えたる人﹂として批評された、僧正遍昭(そうじょうへんじょう)、在原業平(ありわらのなりひら)、文屋康秀(ふんやのやすひで)、喜撰(きせん)法師、小野小町(おののこまち)、大伴黒主(おおとものくろぬし)の9世紀中葉の六歌人に対する後世の呼称。このうち家集があり歌人としての活躍が認められるのは遍昭、業平、小町で、他の3人は歌人としての実績に乏しく伝記も不明な点が多い。﹃古今集﹄序文で、遍昭﹁歌のさまはえたれどもまことすくなし﹂、業平﹁その心あまりてことばたらず﹂、康秀﹁ことば巧みにてそのさま身におはず﹂と評されている。喜撰は、歌学書﹃倭歌(わか)作式﹄︵喜撰式︶の作者に仮託されており、﹁わが庵(いほ)は都のたつみしかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり﹂の一首が残されて、﹁ことばかすかにしてはじめをはり確かならず﹂とされている。小町評は﹁あはれなるやうにて弱からず﹂。黒主は近江(おうみ)国の地主で滋賀郡大領(だいりょう)、﹃古今集﹄ほかに10首ほどの歌がみえ、﹁そのさまいやし﹂とされる。この六歌仙を倣ったものに﹁新六歌仙﹂﹁続六歌仙﹂などがある。
﹇杉谷寿郎﹈
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六歌仙
ろっかせん
歌舞伎舞踊曲。本名題﹃六歌仙容彩 (うたあわせすがたのいろどり) ﹄。五変化物。変化物のうち唯一,全曲が一貫して残る。松本幸二作,10世杵屋六左衛門,1世清元斎兵衛作曲。天保2 (1831) 年江戸中村座初演。2世中村芝翫が,僧正遍昭 (大薩摩,現在は義太夫) ,文屋康秀 (清元) ,在原業平 (長唄) ,喜撰法師 (清元,長唄の掛合) ,大伴黒主 (長唄,大薩摩) の5役を演じた。先行作1世嵐雛助の﹃化粧 (よそおい) 六歌仙﹄ (寛政1︿1789﹀) の改作で,物語を省略し,5人の歌人が小野小町を次々に口説きに来るという明快な演出となった。﹁遍照﹂の渋さ,軽妙な﹁文屋﹂,優雅な﹁業平﹂,飄々とした﹁喜撰﹂,そして貫録をみせる﹁黒主﹂と展開する変化が味わい深い。特に﹁文屋﹂では小町を陰の存在とし,色好みの公家と官女がからむ洒脱な踊りをみせ,﹁喜撰﹂では,小町の代りに茶汲み女を出し,ちょぼくれなどの街頭芸を花咲く祇園で繰広げて変化をつける。近年はこの﹁文屋﹂と﹁喜撰﹂の場面が単独で上演されることが多い。
六歌仙
ろっかせん
平安時代前期に生存した遍昭,在原業平,文屋康秀,喜撰法師,小野小町,大伴黒主の6人の歌人を一括していう呼称。『古今和歌集』の仮名,真名両序で6人の名をあげ,歌風を批評してから,初めていわれるようになった。個性的で傑出した歌人が多く,『古今集』のなかで,詠み人知らずの時代と撰者の時代との間にあって,特色ある歌風を形成して,一時期を画している。
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六歌仙
ろっかせん
平安前期(9世紀後半),6人の代表的歌人の総称
在原業平 (なりひら) ・僧正遍昭 (へんじよう) ・文屋康秀・喜撰法師・小野小町・大友黒主 (くろぬし) の6人をいう。『万葉集』以後,平安初期の漢文学の興隆によるいわば和歌の暗黒時代のあとをうけ,『古今和歌集』の前駆的位置を占める歌人。『万葉集』の素朴な歌風から理知的な趣向をこらした歌風に移行した。
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六歌仙
ろっかせん
﹁古今集﹂の序で論評された6人の歌人,遍照(へんじょう)・在原業平(なりひら)・文屋康秀(ふんやのやすひで)・喜撰(きせん)・小野小町・大友黒主(くろぬし)をいう。ただし﹁古今集﹂時代には六歌仙のいい方はなく,藤原公任(きんとう)の﹁三十六人撰﹂以前に成立した概念か。﹁古今集﹂の撰者たちより前の世代で,漢詩文に押されていた和歌の復興に力があった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
六歌仙
(通称)
ろっかせん
歌舞伎・浄瑠璃の外題。- 元の外題
- 六歌仙容彩 など
- 初演
- 天保2.3(江戸・中村座)
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
六歌仙
﹃古今和歌集﹄で紀貫之が論評した平安初期の歌人。▽在原業平、僧正遍昭、喜撰法師、大伴黒主、文屋康秀、小野小町
出典 (株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」とっさの日本語便利帳について 情報
六歌仙
山形県、六歌仙(ろっかせん)酒造協業組合の製造する日本酒。純米酒、純米吟醸酒などがある。
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世界大百科事典(旧版)内の六歌仙の言及
【古今和歌集】より
…詩は中国では士大夫の必須の教養であったが,撰者は和歌にそれと同様の位置を与えようとしたのである。集中の作者はすべて127人,代表的歌人は4人の撰者のほか,六歌仙(僧正遍昭,在原業平,文屋康秀,喜撰法師,小野小町,大友黒主),伊勢,素性法師らがあげられる。〈読人しらず〉の作は全体で6割に達し,おおむね伝承歌的な色彩があり,かなり古い時代の作を含んでいると考えられる。…
【六歌仙】より
…序の筆者紀貫之より1世代前の人々で《古今集》前夜の代表的歌人として《古今集》時代の和歌の隆盛を導いた先駆者たちである。それぞれの個性は明白であるが,共通の特色は真率(しんそつ)でわかりやすく,技巧が少なく,この人々によって和歌史上の一時期が形成された9世紀後半は〈六歌仙時代〉といわれる。技巧が少ないことはかえって内容の充実を意味し,藤原定家はその著《近代秀歌》に〈詞は古きをしたひ,心は新しきを求め,及ばぬ高き姿をねがひて,寛平以往の歌にならはば,おのづからよろしきこともなどか侍らざらむ〉と注意すべき見解を述べている。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」