デジタル大辞泉
「劉裕」の意味・読み・例文・類語
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りゅう‐ゆうリウ‥【劉裕】
(一)中国南朝宋の初代皇帝、武帝。廟号は高祖︵在位四二〇‐四二二︶。もと東晉に仕え、恭帝から禅譲を受け、国を宋と号した。︵三六三‐四二二︶
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劉裕
りゅうゆう
(363―422)
中国、南朝宋(そう)の第1代の天子︵在位420~422︶。諡(おくりな)は武帝。廟号(びょうごう)は高祖。微賤(びせん)な身分出身であるが、武将として功をたて、国内の反対勢力を倒し、しだいに勢力を得た。華北に出兵して南燕(なんえん)、後秦(こうしん)を滅ぼし、中原(ちゅうげん)回復の成功者という名目で東晋(とうしん)の天子から禅譲され、宋を建ててその天子となった。東晋時代、華北から東晋領に来住した者は白籍(はくせき)という戸籍につけられ︵土着の戸は黄籍︶、その庶民は徭役(ようえき)︵軍役を含む︶を免除されていた。これは、華北からきた第一流貴族層の政治的地位を、地縁を通じて支えるものでもあった。劉裕は土断を行い、ついで白籍を廃止した。貴族層との関係は比較的うまくいっていたが、自らの軍事力で新王朝を建てただけに、天子の支配権力が貴族勢力よりも優位にあることを、機に触れて打ち出している。白籍廃止もそれと関連をもつ。在位中、国力は比較的強かった。
﹇越智重明﹈
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劉裕
りゅうゆう
南朝,宋の初代皇帝,武帝︵在位420〜422︶
貧家に生まれ,東晋末期の混乱期に反逆者桓玄を討ち,揚州・広州・荊州を勢力下に置いて朝廷の実権を握り,北伐して南燕・後秦を滅ぼした。420年,東晋最後の皇帝恭帝から禅譲されて即位,宋を建国。政治面では,東晋の実力者のとき豪族を押さえ,土断法を施行した。
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世界大百科事典(旧版)内の劉裕の言及
【宋】より
…420‐479年。創業者は劉裕([武帝])。曾祖父の代に彭城(江蘇省銅山県)から京口(江蘇省鎮江)に移住。…
【武帝】より
…在位420‐422年。姓名は劉裕。[永嘉の乱]で彭城(江蘇省徐州市)から京口(江蘇省鎮江市)へ移住した貧家の出身。…
※「劉裕」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」