加藤景正(読み)カトウカゲマサ

デジタル大辞泉 「加藤景正」の意味・読み・例文・類語

かとう‐かげまさ【加藤景正】

 
 

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精選版 日本国語大辞典 「加藤景正」の意味・読み・例文・類語

かとう‐かげまさ【加藤景正】

 

(一)()
 

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改訂新版 世界大百科事典 「加藤景正」の意味・わかりやすい解説

加藤景正 (かとうかげまさ)


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日本大百科全書(ニッポニカ) 「加藤景正」の意味・わかりやすい解説

加藤景正
かとうかげまさ

生没年など不詳。愛知県の瀬戸焼の陶祖。正しくは加藤四郎左衛門景正といい、藤四郎と称する。加藤景正が実在したという確かな証拠はない。文献では江戸前期1678年(延宝6)の『森田久右衛門日記』に、瀬戸焼は藤四郎が根元であり、鎌倉将軍2、3代目(源頼家(よりいえ)・実朝(さねとも))の事とし、450年ほど前の人物と記しているのが最初例である。これは、藤四郎が1223年(貞応2)に入宋(にっそう)した道元禅師に従って渡航し、陶技を学んで帰国したとする伝承と、ほぼ時期は一致する。確かに鎌倉時代の瀬戸焼は中国陶磁を写して開窯するが、専門的技術では中国陶磁と異なる。しかし考古学調査では、景正の入宋時期と開窯時期がおおむね一致している。

[矢部良明]

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百科事典マイペディア 「加藤景正」の意味・わかりやすい解説

加藤景正【かとうかげまさ】

瀬戸焼の陶祖と称される伝説的人物。加藤四郎左衛門景正,略して藤四郎(とうしろう)という。1223年道元に従って中国に渡り,陶法を習得し,帰国後瀬戸に良土を発見して製陶したといわれる。
→関連項目古瀬戸

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「加藤景正」の解説

加藤景正
かとうかげまさ

生没年不詳。鎌倉時代に瀬戸焼を開いた陶祖とされる伝説的人物。加藤四郎左衛門景正といわれ,略称藤四郎。1223年(貞応2)に道元に従って中国に渡り,陶磁の技法を伝えたという。「森田久右衛門日記」延宝6年(1678)条には「瀬戸焼物と申者(もうすは),藤四郎根元。但四百五拾年余ほど,鎌倉二三代め事」と記す。瀬戸焼の開窯は13世紀前半であり伝承と一致するが,瀬戸焼に中国陶磁技術が反映されていないことも確かである。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「加藤景正」の解説

加藤景正 かとう-かげまさ

?-? 鎌倉時代の陶工。
瀬戸焼の陶祖とつたえられるが,実在の人物かどうかたしかでない。伝承によれば,道元にしたがって宋(そう)(中国)にわたり,帰国してその製陶法を瀬戸につたえ,みずからも窯をひらいたという。通称は藤四郎,四郎左衛門。号は春慶,俊慶。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「加藤景正」の意味・わかりやすい解説

加藤景正
かとうかげまさ

 
[]?
[]1(1249).3.19.
2 (1223)   

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旺文社日本史事典 三訂版 「加藤景正」の解説

加藤景正
かとうかげまさ

 


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