道元(読み)ドウゲン

デジタル大辞泉 「道元」の意味・読み・例文・類語

どうげん〔ダウゲン〕【道元】

 
12001253()()()()()()()()()  

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精選版 日本国語大辞典 「道元」の意味・読み・例文・類語

どうげんダウゲン【道元】

 

(一)()西()
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「道元」の意味・わかりやすい解説

道元
どうげん
(1200―1253)


()()

 2017919

生涯


()11491202()11711227()()()1207()23813()()()()()1213()()11681235()()()18西()西西()118412251223224()12213()()1219()()()1224()寿1225151()()427()31227128

 12302()()12331()11941255()()()()1012431()()()()()()()()()()1244210()()()12471()12481252412537()8()28()西()54()()()()()()()()60118541()()187912()

 ()()()()1314()()12071299()()32()()

 2017919

著述・思想


9510()21()1()1()1()()()()()()6()()()375()()()

 ()()()()()()()()調

 ()調()調

 2017919

 2 1969196619881962稿1992 719791981

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改訂新版 世界大百科事典 「道元」の意味・わかりやすい解説

道元 (どうげん)
生没年:1200-53(正治2-建長5)


殿殿1212213117西232231624251

 3271302331373

 12341431337

 124646471535828宿751211115000


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百科事典マイペディア 「道元」の意味・わかりやすい解説

道元【どうげん】

 
()()西1223()12281243()()()
 

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朝日日本歴史人物事典 「道元」の解説

道元

 
5.8.28(1253.9.22)
2.1.2(1200.1.19)
,(),13,1(1213),,,西,2(1223),,2 ,3,1(1227),28,2(1230)34,,,1(1243)7,(),,54 ,,, (,),,,,,,,,,,,,, ,1,, ,(),,,,,,<参考文献>,西,,(4),,  
()
 

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「道元」の解説

道元
どうげん


1200.1.253.8.28

()13西()1223(2)533()()43()()

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「道元」の意味・わかりやすい解説

道元
どうげん

 
[]2(1200).1.2. 
[]5(1253).8.28. 
132 (1214) 西 () 2 (23) 3 (27) 2 (44)  ()   

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「道元」の解説

道元 どうげん

 
12001253 
()212()(())()()13(),()()2()(),()3()(),2()(),()582854()()()  

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旺文社日本史事典 三訂版 「道元」の解説

道元
どうげん

1200〜53
鎌倉時代の禅僧。日本曹洞宗の開祖
初め比叡山で天台宗を修め,ついで栄西に禅を学ぶ。1223年入宋し曹洞禅を修め,帰朝後,坐禅第一主義による厳格な宋風純粋禅を唱えた。公武の権力者との結びつきを避け,'43年越前(福井県)の土豪波多野義重に招かれ永平寺を創建し,弟子の養成に専念した。著書に『正法眼蔵 (しようぼうげんぞう) 』『学道用心集』など。

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367日誕生日大事典 「道元」の解説

道元 (どうげん)

生年月日:1200年1月2日
鎌倉時代前期の僧
1253年没

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世界大百科事典(旧版)内の道元の言及

【永平寺】より


1243(1)

【越前国】より

…これらの荘園の地頭は断片的にしか追認できないが,地頭による荘園侵略は進み,醍醐寺が〈一荘滅亡〉と訴えた鎌倉初期の牛原荘や,下地中分が成立した小山荘など事例は多い。曹洞宗の開祖道元は叡山の迫害をのがれて1243年(寛元1)京都から越前志比荘に下向した。これは集団で入門した越前波着(はじやく)寺の懐鑑(えかん)や道元に学んだ徹通義介ら越前と関係の深い人々の勧めに負うところが大きいと考えられるが,やはり志比荘の地頭波多野義重の勧誘も動機の一つであろう。…

【正法眼蔵】より

…日本曹洞(そうとう)宗の開祖道元の主著。95巻。…

【正法眼蔵随聞記】より

道元が嘉禎年間(1235‐38),日常その門下に語った修行の心がまえを,弟子の懐奘(えじよう)(1198‐1280)が克明に記録したもの。6冊の書冊にまとめられたのは懐奘没後のことである。…

【声明】より

… 鎌倉期に興った浄土宗,浄土真宗,日蓮宗などは教義的には天台宗の流れをくむものであり,仏教儀式や声明もそれを基盤としつつ,それぞれ独自に展開していった。また臨済宗,曹洞宗を開いた栄西(えいさい)と道元はほかの鎌倉仏教の開祖と同様に一時比叡山に学んでいるが,中国に渡り宋代の禅宗を伝え,その後臨済,曹洞両宗は天台,真言両声明の影響をうけつつ中国的な性格を含んだ仏教儀式を整えていく。江戸初期には明僧隠元が中国臨済宗の系統に属する黄檗(おうばく)宗を開き,同時に中国明代の儀式や声明(梵唄と称す)がもたらされて,現在でもなお中国的色彩の濃厚な儀式,音楽が行われている。…

【禅】より



【禅宗】より


 西調(12351308)西(866)使

【曹洞宗】より


︿綿 31227(1)33(1)()

【天童寺】より


西

【普勧坐禅儀】より

…道元が宋から帰国した1227年(安貞1)に著した,開教伝道の宣言書ともいうべきもの。1巻。…

【仏教】より

… 鎌倉新仏教のうち,残る禅宗は宋からもたらされた。臨済禅は1191年(建久2)帰国した栄西が,曹洞禅は1227年(安貞1)道元が伝えた。本来の禅は来世の概念がなく,不立文字(ふりゆうもんじ)を旨とし,坐禅や公案(こうあん)を中心として自力による悟りを自己の心中に形成することを目的とした。…

【碧巌録】より


調

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