化政文化(読み)カセイブンカ

デジタル大辞泉 「化政文化」の意味・読み・例文・類語

かせい‐ぶんか〔クワセイブンクワ〕【化政文化】

 
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精選版 日本国語大辞典 「化政文化」の意味・読み・例文・類語

かせい‐ぶんかクヮセイブンクヮ【化政文化】

  1. 〘 名詞 〙 文化・文政年間(一八〇四‐三〇)に江戸を中心に栄えた町人文化。近世後期文化の頂点を示す。文学では読本・滑稽本・人情本・合巻のほか俳諧・雑俳などが流行。また、浄瑠璃・歌舞伎・文人画(南宗画)・浮世絵も盛んであった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「化政文化」の意味・わかりやすい解説

化政文化
かせいぶんか

文化・文政(ぶんかぶんせい)(1804~1830)ころの江戸中心の町人文化。大江戸文化ともいう。しかし広義には、18世紀後半から19世紀前半の長い時代文化のことをさすので、その様式も広範囲にわたり、その内容も複雑多岐になる。その中心は小市民的な合理主義や美的情緒であるが、幕藩制社会の弛緩(しかん)の時代にあたるため、一方で生活的・娯楽的要素が強いとともに、他方で政治的・批判的要素を含むのが特色である。

[高尾一彦]

日常生活の余裕文化


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外なる未知の体験


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非日常的世界の創造


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経験的合理主義の前進

民衆生活の余裕や外なる世界への体験を可能としたのは、諸産業の発達やそれに伴う海陸交通路の整備である。なかでも鎖国下における食料の自給自足と増産はその基礎であった。大蔵永常(おおくらながつね)の『農具便利論』(1822)は省力と地域性尊重の特筆すべき書であり、また『広益国産考(こうえきこくさんこう)』(1842)をその代表的成果とすることができる。なお諸産業発達のイラスト情報『日本山海名物図会』(1754)、『山海名産図会』(1799)は、版を重ねて発行部数が多い。それらは、都市農村を問わず小市民社会の拡大によって経験的合理主義が発達し、近代的知性に接近するものである。すでに科学的啓蒙(けいもう)活動家として平賀源内(ひらがげんない)や司馬江漢があり、科学的啓蒙的情報として江漢の『春波楼筆記(しゅんぱろうひっき)』や杉田玄白(すぎたげんぱく)の『蘭学事始(らんがくことはじめ)』などがある。民衆にもっとも身近な医学や天文暦学の進歩は、まさに市民的な経験的合理主義に支えられた知性の産物である。

 医学では吉益東洞(よしますとうどう)『医事或問(いじわくもん)』、前野良沢(まえのりょうたく)らの『解体新書』、宇田川玄随(うだがわげんずい)『西説内科選要(せいせつないかせんよう)』があり、薬学では古医方の東洞『薬徴』の恩恵が大きい。天文暦学では志築忠雄(しづきただお)『暦象新書(れきしょうしんしょ)』のニュートン力学の研究、高橋至時(たかはしよしとき)『ラランデ暦書管見(れきしょかんけん)』の近代天文学ノートなど高い水準を示す。稲村三伯(いなむらさんぱく)らの『ハルマ和解(わげ)』は蘭学のための辞書として役だった。これに比べると人文社会科学方面は近代的知性にまだ遠いが、山片蟠桃(やまがたばんとう)『夢之代(ゆめのしろ)』の仏儒教学的権威批判や、三浦梅園『玄語』の壮大な気の哲学、本多利明(ほんだとしあき)『経世秘策(けいせいひさく)』の重商主義的政策の主張、本居宣長(もとおりのりなが)『古事記伝』など国学の思想的構築だけは、ぜひあげておかねばならない。いずれも封建政治批判の役割を果たしている。

[高尾一彦]

『林屋辰三郎著『化政文化の研究』(1976・岩波書店)』『西山松之助著『大江戸の文化』(1981・日本放送出版協会)』『西山松之助着『江戸学入門』(1981・筑摩書房)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「化政文化」の意味・わかりやすい解説

化政文化
かせいぶんか

江戸時代後期,文化文政時代 (1804~30) に江戸を中心として展開した文化をいう。同じ町人文化でも,元禄文化が上方を中心としたのと対比される。武士を含めた町人層が,生産を離れた消費生活のなかで生み出した享楽的色彩の強い文化で,とりわけ文芸の面では,安永・天明期 (1772~89) の洒落本,黄表紙のあとをうけて,読本 (滝沢馬琴,山東京伝) ,滑稽本 (十返舎一九,式亭三馬) ,人情本 (柳亭種彦,為永春水) が盛んとなり,それらが歌舞伎と結びつき,また上方落語が江戸に移植され,川柳,狂歌などとともに庶民層に歓迎された。洋学が普及して幕府も蕃書和解御用をおき,また都市中心の文化が,地方に普及した。 (→江戸文学 , 大御所時代 )  

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旺文社日本史事典 三訂版 「化政文化」の解説

化政文化
かせいぶんか

文化・文政時代(1804〜30)を中心とした,江戸時代後期の町人文化
都市の発展,生活の向上,交通の発達,教育の普及などを背景とし,特に江戸の盛況から,元禄文化の上方中心に対し江戸が中心となった。田沼時代の商業政策と豪富を誇る江戸札差 (ふださし) の好みを原型とするが,寛政の改革の倹約令・風俗取締り・出版統制など政治的な制約もうけた。文芸では読本 (よみほん) のほか,これまでの黄表紙・洒落本が合巻・滑稽本・人情本に変化。演劇では,中心が人形浄瑠璃から歌舞伎へと移り,音曲 (おんぎよく) も発達した。絵画では錦絵 (にしきえ) が発達し,美人画・役者絵・風景画に名作が出現,写生画・文人画も盛んで洋画も登場した。工芸では装身具類に精巧な技法を生んだ。また川柳 (せんりゆう) ・狂歌のような皮肉や洒落 (しやれ) が好まれ,洗練された感覚を「粋 (いき) 」として重んじたが,健康的な明るさは失われ,技巧的・退廃的で,行きづまった時代の気風を反映した。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「化政文化」の解説

化政文化
かせいぶんか

江戸後期,文化・文政期(1804~30)の前後に,江戸町人を中心に開花した文芸・歌舞伎・浮世絵などの各分野にわたる文化活動の総称。広く一般庶民を対象とした読本・滑稽本・合巻(ごうかん)などの文芸書を書いた曲亭馬琴・式亭三馬・柳亭種彦や,浮世絵では風景画を描き人気を博した葛飾北斎・歌川(安藤)広重らが活躍した。元禄文化に比べ,受容する層が広がった一方,享楽的な傾向が強まった。

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改訂新版 世界大百科事典 「化政文化」の意味・わかりやすい解説

化政文化 (かせいぶんか)

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世界大百科事典(旧版)内の化政文化の言及

【江戸時代】より

…これは集団が生み出した体制的秩序が,逆に集団を規制することによって生じる矛盾であり,以上に述べたような時代の特質は実にこの矛盾から発しているのである。幕藩体制
【文化】
 江戸時代の文化は,桃山文化に接続する初期,元禄文化を中心とする中期,化政文化(文化文政時代)に代表される後期,の3期に区分される。 桃山文化を象徴する城郭の建築は江戸時代になっていっそう盛んとなり,それに伴って江戸,名古屋をはじめとして各地に城下町が新たに建設され,時代の支配者となった武士やそれと結びついた豪商の気風を引きつづき表現する場となった。…

【文化文政時代】より


 

 19退調

※「化政文化」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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