柳亭種彦(読み)リュウテイタネヒコ

デジタル大辞泉 「柳亭種彦」の意味・読み・例文・類語

りゅうてい‐たねひこ〔リウテイ‐〕【柳亭種彦】

 
17831842()()()()()()()()()()()()()()()()  

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精選版 日本国語大辞典 「柳亭種彦」の意味・読み・例文・類語

りゅうてい‐たねひこリウテイ‥【柳亭種彦】

 

(一)祿()
 

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改訂新版 世界大百科事典 「柳亭種彦」の意味・わかりやすい解説

柳亭種彦 (りゅうていたねひこ)
生没年:1783-1842(天明3-天保13)


殿200︿︿1804-1818071812181318111814鹿1818-302

 1830-44綿稿調23

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「柳亭種彦」の意味・わかりやすい解説

柳亭種彦
りゅうていたねひこ
(1783―1842)

江戸後期の読本(よみほん)・合巻(ごうかん)作者。本名高屋知久(ともひさ)、通称彦四郎、別号は偐紫楼(げんしろう)、足薪翁(そくしんおう)など。代々幕府に仕え、小普請(こぶしん)組に属する食禄(しょくろく)200俵の旗本で、若年から絵画、狂歌、俳諧(はいかい)をたしなみ、ことに芝居通で役者の声色に巧みであったといわれ、当時の趣味的生活を満喫した武家出身の代表的戯作(げさく)者であった。1807年(文化4)読本『阿波之鳴門(あわのなると)』以下3作を発表して世に出るが、読本作者としてはかならずしも高い評価を得ることなく、やがて1811年に合巻初作『鱸庖丁青砥切味(すずきほうちょうあおとのきれあじ)』を出して以来合巻に新境地を開く。とくに役者似顔絵の名人歌川国貞(くにさだ)と提携し、戯曲風に構成された『正本製(しょうほんじたて)』(1815~1831)、『偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)』(1829~1842)などによって不動の名声を得た。歌舞伎(かぶき)の情調に複雑な趣向の変化を盛り込み、義理に重きを置く勧善懲悪の思想で貫かれ、こうした読本の平俗大衆化が読者に広く支持されるところであった。戯作のかたわら、『用捨箱(ようしゃばこ)』(1841)、『還魂紙料(すきかえし)』(1826)などの風俗考証の名著も残している。1842年(天保13)、おりからの天保(てんぽう)の改革にあたって、『田舎源氏』が大奥を写したとの風評がたち絶版を命じられ、憂悶(ゆうもん)のあまり発病して、7月19日没。一説には自殺とも伝えられる。赤坂一ツ木の浄土寺に葬られる。没後門弟の笠亭仙果(りゅうていせんか)が2世を継いだ。

[棚橋正博]

『伊狩章著『柳亭種彦』(1965・吉川弘文館)』


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朝日日本歴史人物事典 「柳亭種彦」の解説

柳亭種彦

 
13.7.19(1842.8.24)
3.5.12(1783.6.11)
,,,,,,,,8(1796) (1804),,宿()4(1807),(1809),,,(1811),(1815),,,,,(1826)(1841)13(1842),,,,()<参考文献>(1)
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「柳亭種彦」の意味・わかりやすい解説

柳亭種彦
りゅうていたねひこ

[生]天明3(1783).5.12. 江戸
[没]天保13(1842).7.19. 江戸
江戸時代後期の合巻 (ごうかん) 作者。本名,高屋彦四郎知久。号,偐紫楼 (げんしろう) 。旗本小普請組二百俵取りの武士。若い頃から芝居を好み,声色が巧みであった。文化4 (1807) 年に読本の創作を始めたが成功せず,同8年に合巻に筆を染めて以来本領を発揮,合巻界の第一人者となった。同 12年初編刊の『正本製 (しょうほんじたて) 』は芝居の世界を巧みに描写した合巻として人気を博した。『偐紫 (にせむらさき) 田舎源氏』は,『源氏物語』を大奥の世界になぞらえたもので,歌川国貞の華麗な挿絵とともに大好評を得,文政 12 (29) 年から天保 13 (42) 年まで 38編を連ねたが,幕府のとがめにあい絶版。一説に春本『春情妓談水揚帳』の執筆をも,あわせとがめられたために自殺したとされる。考証にもすぐれ,随筆『還魂紙料 (すきかえし) 』 (26) ,『用捨箱』 (41) などがあり,また書籍の収集にも熱心で『好色本目録』 (30~44頃) などの著がある。

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百科事典マイペディア 「柳亭種彦」の意味・わかりやすい解説

柳亭種彦【りゅうていたねひこ】

 
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「柳亭種彦」の解説

柳亭種彦
りゅうていたねひこ

1783.5.12~1842.7.19

江戸後期の戯作者。本名は高屋彦四郎知久。旗本の子として江戸に生まれ,家督を相続。唐衣橘洲(からころもきっしゅう)や烏亭焉馬(うていえんば)に師事して戯作の道に入り,「奴の小まん」前編(1807)などの読本を数種発表したのち合巻に重心を移し,「正本製(しょうほんじたて)」で合巻作者としての地位を確保。とくに「偐紫(にせむらさき)田舎源氏」と「邯鄲(かんたん)諸国物語」が好評だったが,前者が天保の改革で筆禍をうけて版木を没収され,まもなく病死。すぐれた考証随筆もある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「柳亭種彦」の解説

柳亭種彦(初代) りゅうてい-たねひこ

1783-1842 江戸時代後期の戯作(げさく)者。
天明3年5月12日生まれ。幕臣。読み本から合巻に転じて地歩をかためる。「偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)」が好評をえるが,天保(てんぽう)の改革で絶版となった。天保13年7月19日死去。60歳。自殺説もある。江戸出身。姓は高屋。名は知久。通称は彦四郎。著作に合巻「正本製(しょうほんじたて)」,考証随筆「還魂紙料」など。
【格言など】散るものと定まる秋の柳かな(辞世)

柳亭種彦(2代) りゅうてい-たねひこ

笠亭仙果(りゅうてい-せんか)(初代)

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旺文社日本史事典 三訂版 「柳亭種彦」の解説

柳亭種彦
りゅうていたねひこ

1783〜1842
江戸後期の読本 (よみほん) ・合巻 (ごうかん) 作者
本名高屋知久。通称彦四郎。江戸の人。幕府の直参 (じきさん) 旗本であったが,山東京伝に私淑し,読本・合巻を著した。のち11代将軍徳川家斉を風刺した罪により天保の改革で処罰され,それを苦にして病死した。代表作に合巻『偐紫田舎源氏 (にせむらさきいなかげんじ) 』など。

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367日誕生日大事典 「柳亭種彦」の解説

柳亭種彦(初代) (りゅうていたねひこ)

生年月日:1783年5月12日
江戸時代後期の合巻作者
1842年没

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世界大百科事典(旧版)内の柳亭種彦の言及

【白縫譚】より

…合巻。柳下亭種員(たねかず)・2世柳亭種彦・柳水亭種清の嗣編合著。3世歌川豊国・2世国貞・芳幾・守川周重・楊洲周延画。…

【還魂紙料】より


()()

【正本製】より

…12編。柳亭種彦作,歌川国貞画。1815‐31年(文化12‐天保2)刊。…

【偐紫田舎源氏】より

…合巻。柳亭種彦著,歌川国貞画。1829‐42年(文政12‐天保13)刊。…

【用捨箱】より

…江戸後期の考証随筆。柳亭種彦著。1841年(天保12)刊。…

※「柳亭種彦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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