北魏(読み)ホクギ

デジタル大辞泉 「北魏」の意味・読み・例文・類語

ほく‐ぎ【北魏】

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精選版 日本国語大辞典 「北魏」の意味・読み・例文・類語

ほく‐ぎ【北魏】

 

(一)退西
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「北魏」の意味・わかりやすい解説

北魏
ほくぎ


386534()()()()調3()()

 ()()()()()398西()23()()()()()()46調()

 ()()524()()()西534西



1971

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「北魏」の解説

北魏(ほくぎ)
Beiwei


386534

()()西()()()()()386()()3963983()(439)4()64948()523()()()()()(534)西

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「北魏」の意味・わかりやすい解説

北魏
ほくぎ
Bei-wei; Pei-wei

 
 ()  (386534)  ()  ()  () 1 (396) 西  

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旺文社世界史事典 三訂版 「北魏」の解説

北魏
ほくぎ

386〜534
南北朝時代の北朝の一国。後魏・拓跋魏 (たくばつぎ) ともいう
386年,鮮卑 (せんぴ) 族の拓跋珪(道武 (どうぶ) 帝)が前秦の瓦解に乗じて建国し,都を盛楽(現在の内モンゴルのホリンゴール),ついで平城(現在の大同 (タートン) )に置いた。孫の太武帝は439年までに夏 (か) ・北燕 (ほくえん) ・北涼を併せ,華北を統一して江南の宋に対し,南北朝時代を形づくった。その後,孝文帝は三長制・均田制を実施し,494年洛陽に遷都した。漢文化への同化策をとり,国勢は頂点に達したが,鮮卑系軍人の不満を招き,523年の六鎮の乱以後は衰え,534年孝武帝のとき,東魏・西魏に分裂した。北魏では仏教・道教が国家の保護を受けて発展し,雲崗 (うんこう) ・竜門 (りゆうもん) などの石窟寺院とすぐれた仏教美術を残した。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「北魏」の解説

北魏
ほくぎ

元魏とも。中国の南北朝時代の王朝の一つ(386~534)。三国の魏に対して後魏とも,シラ・ムレン川流域を根拠地とする鮮卑(せんぴ)系の拓跋(たくばつ)族が華北に進出,拓跋珪(けい)(道武帝)は386年に登国の年号をたて,398年には大同に都をおき,国号を魏と定めた。439年華北を統一。均田制をしき,仏教を保護して内政を整えた。494年孝文帝は洛陽に遷都し,帝姓を元と改めるなど中国化を進めたが,武人の反発を招いて,東魏・西魏に分裂した。

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改訂新版 世界大百科事典 「北魏」の意味・わかりやすい解説

北魏 (ほくぎ)
Běi Wèi

(北朝)

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百科事典マイペディア 「北魏」の意味・わかりやすい解説

北魏【ほくぎ】

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世界大百科事典(旧版)内の北魏の言及

【魏】より


41西()

※「北魏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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