千葉 省三
チバ ショウゾウ
大正・昭和期の児童文学者
生年
明治25(1892)年12月12日
没年
昭和50(1975)年10月13日
出生地
栃木県河内郡篠井村
学歴︹年︺
宇都宮中卒
主な受賞名︹年︺
サンケイ児童出版文化賞大賞(第15回)︹昭和43年︺﹁千葉省三童話全集﹂
経歴
中学時代から﹁文章世界﹂などに投稿し、卒業後栃木県の小学校代用教員をする。大正3年上京し、日月社、植竹書院を経て、6年コドモ社に入社。9年﹁童話﹂が創刊され、その編集に当ると共に、創刊号に﹁めくら鬼﹂﹁沙漠の宝﹂を発表し、童話作家として出発した。以後﹁虎ちゃんの日記﹂などを発表し、昭和4年﹁トテ馬車﹂を刊行。以後、少女小説や通俗小説も書いたが、﹁地蔵さま﹂﹁竹やぶ﹂などを発表。18年疎開した頃から筆を絶ったが、43年﹁千葉省三童話全集﹂全6巻に対して、サンケイ児童出版文化賞が贈られた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
千葉省三 (ちばしょうぞう)
生没年:1892-1975(明治25-昭和50)
児童文学者。栃木県に生まれ,宇都宮中学校を卒業後,代用教員をへて編集者になった。1920年4月からはコドモ社の児童雑誌︽童話︾の編集にあたり,小川未明,西条八十らを擁して︽赤い鳥︾に対抗した。かたわら創作に手を染め,25年9月号の︽童話︾に代表作︽虎ちゃんの日記︾を発表,日本の児童文学にはじめて存在感のある児童像をもたらした。おもな作品には,︽虎ちゃんの日記︾以外にもユーモラスな村童の姿を描いた︽たかのすとり︾︽しょんべんいなり︾などがある。造型の的確さは同時代の水準をはるかに抜くものであったが,すべてスケッチ風の小品で,子どもたちを捕らえて離さぬストーリーの魅力には乏しかった。
執筆者‥鈴木 晋一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
千葉省三
ちばしょうぞう
(1892―1975)
児童文学者。栃木県に生まれる。宇都宮中学卒業後、代用教員を経て上京。1916年︵大正5︶コドモ社に入社、絵雑誌﹃コドモ﹄﹃童話﹄を編集。一方で﹃童話﹄に多くの創作を発表した。20年3月号﹃ひろつた神さま﹄以後、﹃五右衛門風﹄﹃ワンワンものがたり﹄など。25年の﹃虎(とら)ちやんの日記﹄では生き生きとした子供を登場させ、日本の児童文学にリアルな児童像をもたらす先駆的な役割を果たした。28年︵昭和3︶、酒井朝彦、北村寿夫(ひさお)らと﹃童話文学﹄を発刊、﹃乗合馬車﹄﹃仁兵衛学校﹄など郷土に根を置く童話を発表。童話集に﹃トテ馬車﹄﹃葱坊主(ねぎぼうず)﹄﹃地蔵さま﹄﹃竹やぶ﹄などがある。
﹇征矢 清﹈
﹃﹃千葉省三童話全集﹄全六巻︵1967~68・岩崎書店︶﹄
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
千葉省三 ちば-しょうぞう
1892-1975 大正-昭和時代の児童文学作家。
明治25年12月12日生まれ。大正6年コドモ社に入社,雑誌「童話」を編集するかたわら,「虎ちやんの日記」など子供の姿をリアルにえがいた村童ものとよばれる作品を執筆。昭和4年第1童話集「トテ馬車」を刊行。戦後再評価され42年「千葉省三童話全集」が出版された。昭和50年10月13日死去。82歳。栃木県出身。宇都宮中学卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
千葉 省三 (ちば しょうぞう)
生年月日:1892年12月12日
大正時代;昭和時代の児童文学者
1975年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の千葉省三の言及
【児童文学】より
…童話が,思い出をモティーフにすることでリアリティをもつようになったのは,昭和に入ってからのことで,回想的・私小説的方法でリアリズム児童文学が成立し,固定化するようになったが,これは現代の児童文学をかなりつよく特質づけている問題である。千葉省三は《虎ちゃんの日記》(1925)をはじめとする一連の作品で,酒井朝彦は〈木曾もの〉と呼ばれる作品で,郷愁と結びついたリリシズムを描き,また坪田譲治は〈善太・三平もの〉でリアルな児童像を造形して,それぞれにこの時期を代表している。 小川未明や秋田雨雀をさきがけとして社会性のある主題は児童文学のものになってきたが,それを決定的なものにしたのは昭和初年のプロレタリア児童文学運動で,槙本楠郎,猪野省三,川崎大治たちが活躍した。…
※「千葉省三」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」