南浦紹明(読み)ナンポショウミョウ

デジタル大辞泉 「南浦紹明」の意味・読み・例文・類語

なんぽ‐しょうみょう〔‐セウミヤウ〕【南浦紹明】

 
12351309()()駿()()()()1259()()  

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精選版 日本国語大辞典 「南浦紹明」の意味・読み・例文・類語

なんぽ‐しょうみょう‥セウミャウ【南浦紹明】

 

(一)駿寿
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「南浦紹明」の意味・わかりやすい解説

南浦紹明(なんぽじょうみょう)
なんぽじょうみょう
(1235―1308)


()駿()()15()25()()12674()()()()12707()()1272()33()()()()寿()()1229()1()()()()1345

 2017919

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改訂新版 世界大百科事典 「南浦紹明」の意味・わかりやすい解説

南浦紹明 (なんぽしょうみょう)
生没年:1235-1308(嘉禎1-延慶1)


︿駿1259-601267470723013053寿072︿3

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朝日日本歴史人物事典 「南浦紹明」の解説

南浦紹明

没年:延慶1.12.29(1309.2.9)
生年:嘉禎1(1235)
鎌倉時代の臨済宗の僧。大応派の祖。駿河(静岡県)安倍郡の人。「じょうみょう」ともいう。鎌倉の建長寺で蘭渓道隆 に師事し,正元1(1259)年に入宋,虚堂智愚に参禅して嗣法する。文永4(1267)年に帰国するが,中国を離れるとき,虚堂が南浦に与えた「日多の記」,虚堂や43人の名僧が詩文を寄せた「一帆風」が知られる。鎌倉の建長寺に帰山したのち,文永7年,筑前(福岡県)早良の興徳寺に入寺し,文永9年太宰府の崇福寺(のち博多に移建)に移り,嘉元2(1304)年,後宇多上皇の勅請で京都に上る。洛西安井の韜光庵に寓し,翌年万寿寺に入寺する。嘉元禅刹(禅寺)を開創しようとしたがならなかった。建長寺住持となる。後宇多法皇に下賜された「円通大応国師」の国師号は日本における初例。法嗣に宗峰妙超(大燈国師),法孫に関山慧玄が出て今日の臨済禅の法系的源をなし,それは応燈関一流の禅,応燈関門流などと称する。<参考文献>荻須純道『日本中世禅宗史』

(竹貫元勝)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「南浦紹明」の意味・わかりやすい解説

南浦紹明
なんぽじょうみょう

 
[]1(1235).駿
[]1(1308).12.29. 
 () 1 (1259) 4 (1267) 2 (1304) 32 (1307) 2 (1309)   

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「南浦紹明」の解説

南浦紹明 なんぽ-じょうみん

1235-1309* 鎌倉時代の僧。
嘉禎(かてい)元年生まれ。臨済(りんざい)宗。蘭渓道隆(らんけい-どうりゅう)に師事する。正元(しょうげん)元年宋(そう)(中国)にわたり,虚堂智愚(きどう-ちぐ)の法をついで文永4年帰国。筑前(ちくぜん)(福岡県)興徳寺,崇福(そうふく)寺,京都万寿寺の住持をへて鎌倉建長寺の住持となった。延慶(えんきょう)元年12月29日死去。74歳。翌2年後宇多法皇から日本初の国師号円通大応国師をおくられる。駿河(するが)(静岡県)出身。俗姓は藤原。著作に「大応国師語録」など。

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世界大百科事典(旧版)内の南浦紹明の言及

【虚堂智愚】より


寿

【酬恩庵】より


1456(2)︿

【禅宗】より

…日本の禅宗は,それらをあわせて受容するのであり,独自の近世禅文化を開くこととなる。 日本の臨済宗は,鎌倉時代の初めに明庵栄西が入宋して,五家七宗のうちの黄竜宗を伝え,《興禅護国論》を著して,旧仏教との調和をはかりつつ,鎌倉幕府の帰依で京都に建仁寺を開くのに始まり,同じく鎌倉幕府が招いた蘭渓道隆や無学祖元などの来朝僧と,藤原氏の帰依で京都に東福寺をひらく弁円や,これにつぐ南浦紹明(なんぽしようみよう)(1235‐1308)などの入宋僧の活動によって,短期間に鎌倉と京都に定着し,やがて室町より江戸時代にその後継者が,各地大名の帰依で全国に広がるものの,先にいう四十八伝二十四流の大半が,栄西と道元その他の少数を除いてすべて臨済宗楊岐派に属する。臨済禅は,唐末の禅僧,臨済義玄(?‐866)を宗祖とし,その言行を集める《臨済録》をよりどころとするが,日本臨済禅はむしろ宋代の楊岐派による再編のあとをうけ,とくに公案とよばれる禅問答の参究を修行方法とするので,おのずから中国の文学や風俗習慣に親しむ傾向にあり,これが日本独自の禅文化を生むことになり,五山文学とよばれるはばひろい中国学や,禅院の建築,庭園の造型をはじめ,水墨,絵画,墨跡,工芸の生産のほか,それらを使用する日常生活の特殊な儀礼を生む。…

※「南浦紹明」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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