垂仁天皇(読み)スイニンテンノウ

デジタル大辞泉 「垂仁天皇」の意味・読み・例文・類語

すいにん‐てんのう〔‐テンワウ〕【垂仁天皇】

 
113()()()()()()()()()()宿()()()()  

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精選版 日本国語大辞典 「垂仁天皇」の意味・読み・例文・類語

すいにん‐てんのう‥テンワウ【垂仁天皇】

 

(一)()()()()()
 

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改訂新版 世界大百科事典 「垂仁天皇」の意味・わかりやすい解説

垂仁天皇 (すいにんてんのう)


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百科事典マイペディア 「垂仁天皇」の意味・わかりやすい解説

垂仁天皇【すいにんてんのう】

 
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「垂仁天皇」の意味・わかりやすい解説

垂仁天皇
すいにんてんのう

皇室系譜に第11代と伝える天皇。『日本書紀』によれば、国風諡号(しごう)は活目入彦五十狭茅尊(いくめいりひこいさちのみこと)。崇神(すじん)天皇の第3子で、母は御間城姫(みまきひめ)。垂仁元年即位、初めの皇后狭穂姫(さぼひめ)は兄狭穂彦の謀反の際に自殺、同15年に丹波道主王(たにはのちぬしのおおきみ)の女(むすめ)日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)を皇后とした。纏向(まきむく)(奈良県桜井市の北部)の珠城宮(たまきのみや)に都し、同99年、140歳(『古事記』では153歳)で没して菅原伏見陵(すがはらのふしみのみさざき)に葬られたという。

[星野良作]

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朝日日本歴史人物事典 「垂仁天皇」の解説

垂仁天皇

『古事記』『日本書紀』に第11代と伝えられる天皇。大和の纏向の珠城宮に都したという活目入彦五十狭茅天皇。崇神天皇の第3皇子で,母は大彦命の娘の御間城姫。景行天皇の父。この天皇にかかわる話は多いが,特に皇后の狭穂姫とその兄狭穂彦をめぐる話と,皇子である誉津別命をめぐる話が有名。皇后の狭穂姫がその兄に天皇の殺害を命じられたが,果たせずに天皇に事情を話した。天皇が兵をととのえて狭穂彦を焼き殺そうとすると,皇后は兄のもとへ走り,一緒に焼け死んだ。皇后の生んだ誉津別は成人しても何も物がいえなかったが,天皇の尽力によってそれが治ったという。そのほか,この天皇の代に起こったこととして祭祀に関するいくつかのできごとが語られているが,いずれの話も神話的要素が強く現実性が薄い。

(佐佐木隆)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「垂仁天皇」の意味・わかりやすい解説

垂仁天皇
すいにんてんのう

第 11代に数えられる天皇。名はイクメイリヒコイサチノミコト。崇神天皇の第3皇子。母はオオヒコノミコトの娘,皇后ミマキヒメノミコト。立太子,崇神天皇の死により翌年即位。大和纏向珠城宮に都した。初め開化天皇の孫サオヒメノミコトを皇后としたが,皇后の兄サオヒコの叛をしずめたときに皇后は自殺してしまったので,丹波道主王の娘ヒハスヒメノミコトを皇后とした。神託により伊勢国に斎宮を建て皇女ヤマトヒメノミコトにアマテラスオオミカミを祀らせた。内宮の起源である。また諸社の神地,神戸を定め,埴輪をもって殉死に代え,池溝を開いて農業をすすめたと伝えられる。陵墓は奈良市尼辻町の菅原伏見東陵。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「垂仁天皇」の解説

垂仁天皇 すいにんてんのう

 
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()(),()()(),(),800,()寿()()()9971140()()()  

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