デジタル大辞泉 「大庭」の意味・読み・例文・類語 おおば〔おほば〕【大庭】 姓氏の一。[補説]「大庭」姓の人物大庭景親おおばかげちか大庭みな子おおばみなこ おお‐にわ︹おほには︺︻大庭︼ 1宮中の紫(しし)宸(んで)殿(ん)の前面の庭。おおば。 2 寝殿造りで、寝殿の前の広い庭。 3 広い場所で上演される晴れの能。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「大庭」の意味・読み・例文・類語 おお‐にわおほには【大庭・大場】 (一)〘 名詞 〙 (二)① 宮中の紫宸殿の前面の南庭。清涼殿の南庭を小庭というのに対する称。おおば。 (一)[初出の実例]﹁須彌山の形及び呉橋(くれはし)を南庭(オホニハ)に構(つ)けと令(おほ)す﹂(出典‥日本書紀︵720︶推古二〇年是歳︵岩崎本室町時代訓︶) (三)② 広い庭。坪、内庭のように奥まった庭でないもの。特に、中門の中、主殿の建物の外の広い庭。 (一)[初出の実例]﹁昌俊を大庭にひっすゑたり﹂(出典‥平家物語︵13C前︶一二) (四)③ 広い構えの、晴れの演能場。また、そこで演じられる能。 (一)[初出の実例]﹁大場(おほには)などの脇の申楽(さるがく)﹂(出典‥風姿花伝︵1400‐02頃︶一) おお‐ばおほ‥【大庭】 〘 名詞 〙 =おおにわ(大庭)①[初出の実例]「天皇、旧宮安殿(ふるみやのあんとの)の庭(オホハ)に宴(とよのあかりきこしめ)す」(出典:日本書紀(720)天武一四年九月(北野本訓)) おおばおほば︻大庭︼ (一)岡山県の中北部にあった郡。旭川上流左岸一帯を占めていた。明治三三年︵一九〇〇︶真島郡と合併して真庭郡となる。 おおばおほば【大庭・大場】 姓氏の一つ。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本歴史地名大系 「大庭」の解説 大庭おおば 大阪府:守口市大庭 現守口市の淀川南岸地域をさす。古くには難波津につながる泊︵港津︶として機能していたと考えられ、平安―室町時代には掃部寮領大庭庄があった。また中世には大庭関が設けられているが、これも淀川舟運の要所であったことを示している。﹁行基年譜﹂の﹁天平十三年記﹂に﹁大庭堀川長八百丈、広十二丈、深八尺、在河内国茨田郡大庭里﹂とみえる。また﹁住吉大社神代記﹂の﹁長柄船瀬本記﹂に長(なが)柄(ら)の船瀬︵港津︶の四至を記して﹁東限高瀬大庭 南限大江 西限鞆淵 北限川岸﹂とあり、大庭は南方に位置する高(たか)瀬(せ)とともにその長柄の船瀬の一角を占めていた。大江匡房の﹁遊女記﹂に﹁自山城国与渡津、浮巨川西行一日、謂之河陽、︵中略︶江河南北、邑々処々、分流向河内国、謂之江口、盖典薬寮味原牧、掃部寮大庭庄也﹂とみえるのは、淀川を下った時の両岸の景観、熊野詣の帰途を記す﹁中右記﹂天仁二年︵一一〇九︶一一月八日条に﹁未一刻着窪津、︵中略︶此処乗船、︵中略︶或引綱手或棹迅瀬、心性歓楽、已似遊興、亥刻許行着大羽、着舟於岸脚、宿舟中﹂とあるのは、淀川をさかのぼって当地に至った舟運の記録である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
世界大百科事典(旧版)内の大庭の言及 【庭】より …天皇の前に官人,百姓などが列立した︿朝庭︵ちようてい︶﹀はこうした庭であり,平安時代,官庭,国庭,公庭(底の字が用いられることも多い)などの語によって知られるように,太政官,国衙などの公的機関にも,訴訟のさいの対決,裁判の行われる庭が存在した。寺院の衆徒の僉議︵せんぎ︶も庭で行われ,鎌倉幕府,室町幕府にも大庭と呼ばれた訴訟の場があったのである。当時,裁判手続上の誤り,奉行人の偏頗な審理のしかたを訴えることを庭中︵ていちゆう︶といったのも,この庭と関係がある。… ※「大庭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」