小村寿太郎(読み)コムラジュタロウ

デジタル大辞泉 「小村寿太郎」の意味・読み・例文・類語

こむら‐じゅたろう〔‐ジユタラウ〕【小村寿太郎】

 
18551911調  

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精選版 日本国語大辞典 「小村寿太郎」の意味・読み・例文・類語

こむら‐じゅたろう【小村寿太郎】

 

(一)()使調
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「小村寿太郎」の意味・わかりやすい解説

小村寿太郎
こむらじゅたろう
(1855―1911)


()2916()()187141884()使()使()使190134調1908調2441126



1953寿2005寿2009PHP

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百科事典マイペディア 「小村寿太郎」の意味・わかりやすい解説

小村寿太郎【こむらじゅたろう】

 
()()1893使使西231119082
=  

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朝日日本歴史人物事典 「小村寿太郎」の解説

小村寿太郎

 
44.11.26(1911)
2.9.16(1855.10.26)
(),3(1870)81,13,17,1821,,26使1,使271,(1895)使,使調(1896)2931,33,34使 (1900)使1(1902),(1905),()39使,412(1910)(1911),448,<参考文献>,寿  
()
 

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改訂新版 世界大百科事典 「小村寿太郎」の意味・わかりやすい解説

小村寿太郎 (こむらじゅたろう)
生没年:1855-1911(安政2-明治44)


11884使使965=使使190110508211

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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「小村寿太郎」の解説

小村 寿太郎
コムラ ジュタロウ


肩書
外相

生年月日
安政2年9月16日(1855年)

出生地
日向国飫肥(宮崎県日南市)

学歴
ハーバード大学法科〔明治13年〕卒

経歴
米国留学後の明治13年司法省に入り、大阪控訴裁判所判事、大審院判事を経て、17年外務省入り。翻訳局長、26年清国公使館1等書記官、政務局長を経て28年駐朝鮮弁理公使。29年外務次官、31年駐米公使、33年駐露公使を歴任。34年全権として北清事変議定書に調印。同年第1次桂内閣の外相となり、35年日英同盟を締結。在任7年の間、日露開戦外交を進めたが、ポーツマス交渉には全権としてロシア蔵相ウイッテを相手に南樺太割譲を取りつけ、ポーツマス条約に調印。しかし賠償放棄に憤激した国民は小村私邸や交番を焼き打ちした。39年枢密顧問官から駐英大使。41〜44年第2次桂内閣の外相として日露協約締結、韓国併合などに携わる。

没年月日
明治44年11月26日

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20世紀日本人名事典 「小村寿太郎」の解説

小村 寿太郎
コムラ ジュタロウ

明治期の外交官,政治家,侯爵 外相。



生年
安政2年9月16日(1855年)

没年
明治44(1911)年11月26日

出生地
日向国飫肥(宮崎県日南市)

学歴〔年〕
ハーバード大学法科〔明治13年〕卒

経歴
米国留学後の明治13年司法省に入り、大阪控訴裁判所判事、大審院判事を経て、17年外務省入り。翻訳局長、26年清国公使館1等書記官、政務局長を経て28年駐朝鮮弁理公使。29年外務次官、31年駐米公使、33年駐露公使を歴任。34年全権として北清事変議定書に調印。同年第1次桂内閣の外相となり、35年日英同盟を締結。在任7年の間、日露開戦外交を進めたが、ポーツマス交渉には全権としてロシア蔵相ウイッテを相手に南樺太割譲を取りつけ、ポーツマス条約に調印。しかし賠償放棄に憤激した国民は小村私邸や交番を焼き打ちした。39年枢密顧問官から駐英大使。41〜44年第2次桂内閣の外相として日露協約締結、韓国併合などに携わる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小村寿太郎」の意味・わかりやすい解説

小村寿太郎
こむらじゅたろう

 
[]2(1855).9.26. 
[]1911.11.26. 
 188496使調 190110506使08112  

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小村寿太郎」の解説

小村寿太郎 こむら-じゅたろう

1855-1911 明治時代の外交官。
安政2年9月26日(安井小太郎撰の墓誌では16日)生まれ。ハーバード大に留学。外務省にはいり,政務局長,外務次官などをつとめ,対清(しん)(中国),対韓国外交にあたる。第1・第2次桂内閣の外相となり,明治35年日英同盟をむすぶ。日露戦争のポーツマス講和会議では全権をつとめた。43年韓国併合を実施。44年不平等条約の改正に成功,関税自主権を回復した。侯爵。明治44年11月26日死去。57歳。日向(ひゅうが)(宮崎県)出身。東京開成学校卒。
【格言など】(ロシアに対して)即ち一は交戦をも辞せざるの決心を示すこと(日英同盟に関する意見書)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「小村寿太郎」の解説

小村寿太郎
こむらじゅたろう


1855.9.161911.11.26

1884(17)使()96使1901使122

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「小村寿太郎」の解説

小村寿太郎
こむらじゅたろう

1855〜1911
明治時代の外交官
日向(宮崎県)飫肥 (おび) 藩出身。1884年外務省に入り,日清戦争のときは駐清代理公使。1901年,第1次桂太郎内閣の外相となり,日英同盟の締結,ポーツマス会議の全権として活躍。第2次桂内閣外相のときに条約改正・韓国併合を行う。終始,積極的な大陸政策を推進した。

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367日誕生日大事典 「小村寿太郎」の解説

小村 寿太郎 (こむら じゅたろう)

生年月日:1855年9月16日
明治時代の外交官。外務大臣;公爵
1911年没

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